【依頼票】
名前: 巳里 海里
職業: 学生
相談内容:
クラスに好きな人がいます。
告白したのにフラれました。
「難しい」と言われたのですが、何が「難しい」のか、どうしてフラれたのか理由がわかりません。
調査してください。
【コメント】
紙が所々濡れて字が滲んでいた。
可愛らしい字。
――――― ❀ ―――――
「ここであってるの……かな?」
私、巳里はとある悩みを持って、とあるお店に来た。
学校で噂のタバコ屋さん兼お悩み相談所。
その名も『ハッピーエンド』。
なんでもどんなジャンルでも相談できる。
最後まで付き合ってくれて、それは大体納得できる内容で解決する。
納得できない場合でも、その後のアフターフォローまでしてくれるそうだ。
お代は高くはなかったので学生の私でも頼りやすい。
けれど、もちろん依頼を出した全員を引き受けてくれるわけではない。
まずは相談事を記したお手紙を出さなければならない。
そして相談所に向かえるのは、依頼を受任してもらえる可能性のある人だけ。
相談所に着くには、お手紙のお返事である案内状が必要なのだ
そしてこの道のりが怪しさ大爆発だった。
大通りから脇道に入って、ビルの隙間を通って、小さいトンネルを区切り、どなたかの家の庭を横切って、電柱の間を通る。
階段を登って屋根の隙間を通ったら、本当にたどり着いてしまった。
まさかまさか。本心でまさかだった。
だって。だってよ?
こんな怪しい道案内で、どうしてこんな店にたどり着くと思うの?
というか、この道案内もこうしてたどり着くまで適当だと思ってたのよ?
なんか変な魔法陣でも描いちゃったんじゃないの?
……いやいや。魔法なんてこの世にあるわけないじゃない。
変な道を通ったせいか、変な思考回路が出来上がってしまった。
私たち獣人は体の特徴こそさまざまだけど、特別な力なんてない。
あるのは獣の部分だけ。
引き継いだ力だけ。
私だったら眼球の表面に薄い膜のような鱗があるとか。
一応ある手足は退化していて不器用だとか。
そんな程度。
御伽噺では能力を持つ獣人もいるけど、私は会ったことがない。
だから信じてない。
いたらいいなとは思うけど、所詮は作りモノだろうと思う。
それは置いといて。
タバコ屋さんと併設の相談所は、人通りのない所にでかでかと看板を掲げている。
店員さんらしき人はいない。
人は。
お店は猿の置物に囲まれている。
狸ならわかるけど、何で猿?
招いている猿って初めて見た。
美味しそうに何かを頬張っている猿も目に入って……。
「うぅ、お腹減った……」
最近、ご飯減らしてたからなぁ。
それなのにこんなに歩いてきたらそりゃあ……ね。
素直に自主練しておけばよかった。
大会も近いのに……このままじゃ……。
……ううん。
せっかくたどり着いたんだもの。
そうよ、私はここに着たくてきたんだから、到着したなら喜ばなきゃ!
すっごく怪しいけれど!
何あの猿。一、二、三匹が不気味に笑ってる。
……なんか、入るの嫌だなあ。
「コンニチハー!」
「ぅわぁ!!?」
「……」
「あいた! もー叩かないでー!? 驚かしちゃってごめんねー! ずっとお店の前にいるから入りにくいのかなーっと思って声かけちゃった! いつまでもそんなところに立ってないで入っておいでよー! お茶いれるよー! 紅茶? 焙じ茶? 緑茶? 煎茶? 水? どれがいい?」
「……」
「あたた! もう! 叩かないでって!」
突如、お店の扉を乱雑に開けて飛び出してきた猿耳の女の子たち。
一人は耳当てをして、一人は猿轡で口元を覆っている。
耳当ての子はマシンガンだけど、猿轡の子は無口だ。
二人に手を引かれ、否応なしにお店に招かれる。
中は……そう、外と同じように猿の置物がたくさんある。
大小問わず。大きいものは見上げるほどに。
逆立ちしてるもの。
寝そべっているもの。
大股開いて覗き込んでいるもの。
見返り美人風なものもある。
全部猿。
何ここ……。
やっぱり、私間違えちゃった?
「どうぞお座りください! お水入れてきますね!」
「あ、お構いなく……」
やたら低くて沈み込むソファーに座らされた。
ふかふかすぎて落ち着かない。
走って奥に行ってしまった、元気な耳当ての少女。
猿轡の子はいつの間にかいないし、猿ばっかで怖いし……居心地悪い。
心なしか、周りの置物に監視されているような気分になる……。
「……うん、帰ろう」
ここは私の探していたお店じゃなかったんだ。
そうに違いない。
変に絡まれる前に帰ろう。
座らされたソファーから立ち上がる。
立つのも一苦労なソファーが、呼び止めておるような錯覚を覚える。
けれどここの雰囲気の怪しさも相まって、今すぐに逃げたいと思う気持ちが強くなる一方だ。
踵を返す。
いくつもの視線の中、扉を開こうと手を伸ばす。
キィ……と、やたら耳障りな音が体を強張らせた。
「お悩み相談所、『ハッピーエンド』へようこそお越しくださいました」
扉に手が届く前に、声を掛けられた。
逃げられなかった。
このお店を探してしまったこと、たどり着いてしまったことをひどく後悔した。
「さあ、どうぞお座りください。まずはゆっくりお話を聞きましょう」
「紅茶入れたよー!」
歓迎の空気が漂ってくる。
この状況で扉を開けて逃げ帰れるほど、私に度胸はない。
大人しく、おずおずと振り返って一度は見た光景を再度視界に入れる。
最初にいた少女が二人と、最初はいなかった男性が一人。
「改めまして、ようこそお越しくださいました。あなたのお悩みを解決すべく、このタバコ屋店長兼、お悩み相談員のライターが尽力致しましょう」
存在を忘れかけるタバコ屋さんらしい名前。
ハットを被り、両目を包帯で隠したスーツの男性が、紅茶を片手に車椅子に乗って足を組んでいた。
異様な光景に目を背けたくなる。
けれど、中に目を向けて外から目を背けてしまったからには、もう覚悟を決めるしかない。
なんかのほほんと紅茶を啜ってる姿に不安しかないけれど。
いや、逆に一周回って安心感もあるけれど。
座り心地の悪いソファーに座り直す。
ガラスコップに注がれた紅茶から良い香りがする。
……喉が渇いた気がしてきた。
「ここまで迷いませんでしたか?」
びくりと体が震えた。
直角の位置に座る男性を見る。
目隠しされているから、私のことは見えていないかもしれない。
このタイミングで声を掛けてきたのは、意地悪でもなんでもなく、たまたまだろう。
引っ込め掛けた手を、もう一度伸ばす。
コップの重さとひんやり感。
手汗で滑る。
「なんとか……。すごいところにあるんですね」
「ええ。賑やかなところは依頼主様のお話が聞き取りにくいので。ご足労ありがとうございます」
「いえ……」
「さて。ご相談内容は先にお手紙をいただいた通りの内容でよろしかったでしょうか? 意中の相手に振り向いてもらえないという」
びっくり。
突然本題に入られて、身体が大きく震えた。
コップから紅茶が少し零れる。
手にかかったところがべたついて気持ち悪い。
「え、ええ……」
手に気が散って、変な答え方しかできない。
そんなこと見えていない……ライターさんは、「なるほどなるほど」と紅茶を一飲みした。
「お相手さんについてお伺いしても?」
「はい……。子済くんという同級生です。優しくて、小柄で、可愛くて……。一目惚れしました」
子済くんを思い出しながら話すと、心が穏やかになるどころか動悸がしてくる。
すき。すき。すき。
『すき』と『だいすき』が溢れてくる。
あぁ……本当にすき。
なんで避けられてるんだろう。
「去年初めて同じクラスになった時から好きなんですけど、私臆病だから、話しかけたりできなくて。ちらちら見たり、影から見守るような感じてずっとうじうじしてたんです。嬉しいことに今年も同じクラスになって、これは運命だと思って。勇気を出して告白したんです」
「おや、それはそれは。頑張られましたね」
べたついた手を握る。
汗でさらに滲んで、べたべたする。
「すっごく緊張しました。けど……フラれちゃいました」
「おやおや……。なぜなんでしょう」
「……「難しい」、って、言われました」
ライターさんは聞き返してくる。
「難しい」の意味を。
そんなの私が知りたい。
「不思議ですね。嫌いでもない、好きでもない。交際ができないのなら普通「ごめん」と返すはず。けれど、「難しい」と言うことは、何か課題があるということでしょうか?」
「そうですよね!!!」
勢いあまってソファーから立ち上がる。
低いテーブルを支えに、頭と垂れ下がる。
「そう! なんなの「難しい」って! 私はただ、日々好きな人が何をしているのかな、何を考えてるのかな、何をしようとしてるのかなって考えているだけなの! それ以外何もしてないわ。だって怖いんだもの。何か嫌われるようなことをしちゃわないかって。ただ同じクラスで、楽しそうにしている子済くんを眺めているだけで満足だった……。でも我慢できなくなって、告白しました。それなのに……「難しい」ってなに!?」
テーブルに拳を叩きつける。
置かれていたコップの中の紅茶が波打って、また少量零れてしまった。
「こんなに。こんなにすきなのに。すきでスキでしょうがないのに! 私何もしてないよ? 何もしてないのにいきなり「難しい」って言われてフラれて……納得できない。なに? なんなの? 何か障害があるの? 何かをやり遂げないといけないの? ……誰か何か吹き込んだ? 邪魔されてる? 私のライバルがいる? そうなら許さない。許さない許さない許さない……!」
許さない。 。
ユルサナイ。許さない。 。
。ユルサナイ。許さない。ゆるさない。許さない。 。
ユルサナイ。
ゆるさない。許さない。 。
ゆるさない。ユルサナイ。
。許さない。ゆるさない。 。ユルサナイ。許さない。
ゆるさない。許さない。 。
許さない。
。
「では、ご依頼内容は【子済様の真意を探る】ということでよろしいですか?」
「……ええ、お願いします。課題がわかればそれも」
「ご依頼、承りました」
ライターさんは目隠し越しに優しい顔をした気がする。
そして少し低めの声で、舌を慣れたように動かす。
「苦悩によって暗く閉ざされた貴方の道、私が正しく灯して見せましょう」
調査のために時間を要するとのことで、その日は帰宅した。
どれくらいかかるのかは明確には提示されなかった。
早ければ一週間。
長ければ未定。
そんなところだろうと、漠然と考えている、
それと同時に不信感。
大丈夫かな。
最低の一週間だったら、私だって子済くんを見続けている。
私が調べた方が早いんじゃないか。
学校で子済くんを眺めながらそう思う。
ああ、可愛いなあ。
小さくて、ちょろちょろ動いて、皆に揶揄われてる。
頼まれたら断れない子済くん。
持ち物が多すぎて持ちきれない子済くん。
一生懸命動き回ってる子済くん。
鼻をひくつかせて、尻尾をパタパタしてる子済くん。
元気に生きてる子済くん。
ああ、かわいい。すき。抱きしめたい。
「まーた子済のこと見てるの?」
「ぅえ!?」
クラスメイトに話しかけらた。
びっくりして変な声出た。
そんなに集中してたのか、私。
子済くんのことになると周りが見えなくなっちゃうから、今みたいに声をかけられるまで気付かないことも多いのよね。
「なんであんなのが好きなのか。未だによくわからないわ」
クラスメイトは呆れたように言う。
むっとしてしまう。
けど、同時に安心する。
「いいのっ。私にだけ子済くんの良さがわかってれば」
「はいはい。ごちそうさまです。納得いくまで頑張りなさいな。……てか、あなたまた痩せた!?」
「あ……うん」
「もー! 無理なダイエットは体に毒よ! いくら好きな人が出来ても不健康になるのはだめ!」
「ご、ごめんって……これでも気をつけてるんだよ?」
この子は、私が告白してフラれたことまで知っている。
応援はしてくれるけど、協力はしないスタイル。
ややこしくなくてむしろありがたい。
この子は子済くんについては特に何も思ってないだろう。
だからこそ安心して話していられる。
「全く。これ以上痩せたら承知しないわよ」
「うん。痩せるなら健康的にね」
「よろしい! ところでさ、あの噂、どうだったの?」
「あー……ううん、音沙汰なし。やっぱりただの噂なんじゃないかな」
「そっかー。本当だったら私も試してみようと思ってたのに。ざんねーん」
噂、というのは『幸せ本舗・ハッピーエンド』のことだ。
今回嘘をついたのにはちゃんと理由がある。
ライターさんに、「ことが片付くまで、お店のことは他言されないようご注意を。まし広まってしまった場合、ご依頼は中断させていただきます。ご依頼が終わってからであれば、場所と社員に関すること以外はお話ししてくださって結構です」と言われたから。
依頼を中断されるのは困る。
ごめん!
心の中で勢いをつけて頭を下げ、謝った。
これも私と子済くんのためだから……!
「じゃ、じゃあ私、そろそろ部活に行くね! タイムが危ういから自主練しないと!」
「そっか。水泳部、大会近いんだったね。 がんばってね!」
「ありがとう! がんばる!」
―――――……
二週間後。
ライターさんからまたお便りが届いた。
調査が終わったらしい。
私はまた同じ道のりを歩み、同じお店の前にいる。
何故『前』かというと、やっぱり異様な雰囲気にしり込みし、中々は入れないからだ。
「……子済くんっ」
好きな人に関するものって、すごい。
名前を呼ぶだけで行動できる。
勇気が出る。
何でもできそうな気がする。
これが恋の力。
もし、子済くんの何かを持っていたら。
もし、子済くんが隣にいてくれたら。
もし、子済くんとずっと一緒に入れたら。
私は何でもできちゃう。
それこそ、不可能なんてないって思えるだろう。
はぁ、すき。
早くあなたを抱きしめたい。
「いらっしゃいませ。お嬢さん」
「いらっしゃいませー!」
「……」
「こんにちは」
今日は三人ともすでにいる。
そして今日も、促されるがまま、立ちにくいソファーに腰掛ける。
耳当てちゃんが飲み物を持ってくる。
今日も紅茶だ。
ライターさんは何かの書類をテーブルの上に広げる。
目隠ししているのに見えているのだろうか。
「子済様について調査が完了いたしました」
「っ、どうでした!?」
「子済様の周辺を調査いたしましたが、怪しい人物はいませんね」
「……そう、ですか」
勢いがなくなる。
私と子済くんの邪魔をする存在はいない。
それは嬉しい。
けれど、ならばなぜ、子済くんは「難しい」と言うのだろうか。
私は何か、子済に「難しい」ことを課してしまったのだろうか。
目が霞む。視界が歪む。
手に持ったコップの紅茶に、波紋ができる。
「怪しい人物はいませんが、親しい人物はいるようです」
「したしい、じんぶつ」
したしい……?
え、何……どういうこと?
「名前は卯崎様。巳里様や子済様と隣のクラスですね」
「卯崎……」
……あいつか……!!!
――――― ❀ ―――――
【調査票①】
名前: 子済 公太
職業: 学生
依頼主: ●● 様
調査内容:
依頼主と同じ学校、同じクラスの男子学生。
小柄で気弱、クラスメイトからいじられキャラとされている。
一部女子の庇護欲を駆り立てている。
依頼主との一件がある前後、
学校が休みの日、高頻度で外出している。
外出の際は同級生(女性)と待ち合わせして某施設に出入りしている。
話していた内容:
「僕はやれと言われれば何でもやるよ。報酬があればもっとやる気でる」
「●●さんから告白された。どうしよう。嬉しい」
「●●さんのことは嫌いじゃない。付き合ってみるのもいいかなと思う」
「OKしたい。けど、OKしたら君と会えない。君と会えないのは困る」
「君のことも嫌いじゃない」
「恋愛感情? それはわからない。知れるなら知りたい」
―――――……
【調査票②】
名前: 卯崎 美々
職業: 学生
依頼主: ●● 様
調査内容:
○○様と特に親しそうな関係を持つ。
小柄。ふんわりとした印象を与える髪型や表情をしている。
あざとさを感じさせる仕草が目に付く。
学校が休みの日に決まって○○様と待ち合わせし、某施設で過ごしている。
数時間すると出てきて、食事して帰る。
二人でいるときは終始楽しそうにしている。
別れて一人になっても表情は張り付けたように崩れない。
話していた内容:
「○○くんといると落ち着くなぁ。とっても安心するー」
「今日も行くー? 空いてるといいねぇ」
「すっごく良かったね。また来週……ね?」
「●●さんに告白されたのー? ○○くんを好きって言ってくれる子がいるって、いいことだねぇ。どんな子か聞いてもいい?」
「そっかぁ。じゃあ、付き合うのかな? ……付き合っちゃったら、美々とはもう会えないねぇ。●●さんに悪いもの……」
「○○くんは誰が好きなの……? 好きな人、いる?」
「……ふーん」
「ふーん……ふふっ、動いたかあ。ふふ、ふふふ」
――――― ❀ ―――――
ソファーから立ち上がる。
飲み物を投げ捨てた。
大股で扉まで移動して、取っ手を握る。
「どちらへ?」
ぴたりと、体が止まった。
いや、止められた。
何をされたわけじゃない。
ただ、扉が開かなかった。
来るときは容易に開いた扉は、今はぴくりとも動かない。
私の行く手を阻んでいる。
なぜ。どうして。
子済くんは「難しい」と言った。
卯崎が何かをさせているのかもしれない。
卯崎をどうにかしないと!
「卯崎様をどうするおつもりですか?」
「……どうにか、します」
私の大事な子済くんにちょっかいを出している奴なんて、私が許さない。
大丈夫。
私は蛇。
卯崎は兎。
私の方が身長も体格もある。
のみこめる。
「まだ調査結果を全てお伝えしておりません。どうぞご着席ください」
「あの女が子済くんに何かしている可能性がある。それだけで十分です。そちらを先に片付けます」
「なりません。貴方のためになりません」
私のため?
ライターさんは何を言っているの?
何を知っているの?
「どうぞご着席ください。きっと貴方のために、そして子済様のためになります」
……。
気になる。
気になるから、とりあえず話を聞こう。
子済くんのためになるという、その話を。
どうにかしてやるのは後にしてあげる。
ソファーに体を沈める。
投げたコップは割れてしまった。
猿轡ちゃんと、耳当てちゃんが掃除してくれている。
少し、申し訳ない気持ちになった。
「落ち着いてお話を聞いていただけますよう、よろしくお願い申し上げます」
「はい……」
「では。卯崎様と子済様は今年に入ってから親しくなりました。ですが巳里様が知らなかったように、周りには秘密にしている様です」
「なぜですか?」
「お二人とも気弱な性格故に、からかわれたりいじられたりすることを避けている様です。なので学校では接点を持たず、休みの日にこっそり会う間柄のようですね」
「休みの日に……」
私は学校でしか子済くんに会えない。
なのに卯崎は……学校以外で子済くんに会っている……!
学校外での子済くん……見たい。
会いたい。
見たい!
見たい!
見たい!
見たい!!
「それでですね」
「っ、はい」
いけない。
ついつい頭が暴走しかけちゃった。
冷静に。
冷静に。
「子済様が巳里様に「難しい」と仰られた件ですが」
「あ……」
「子済様は単純に自分に自信がなく、巳里様を大事にすることが難しい、ということらしいですよ」
「……え」
え、え?
え?
え?
えぇ?
「え……それって……」
「はい。お二人は両思いだったのです」
えええええぇぇぇええええ!!!
え、待って。いつから?
私が好意を持ってたの、もしかして気付いてたのかな?
え、恥ずかしい。
見てたのも気付かれてた?
うわぁ、顔が熱い。
恥ずかしさでどうにかなっちゃいそう。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。
待って。え、じゃあ。
教室に入ってきた時も?
朝、下駄箱で靴を履き替えてるときも?
体育の授業前に更衣室に入っていくときも?
移動教室の途中でトイレに寄ってるときも?
給食を食べるために配膳に並んでるときも?
食後眠くて机に伏しちゃってるときも?
部活のために職員室に行くときも?
放課後にコンビニに寄って買い食いして食べきってから家にはいるときも?
どれを知られてるの?
「お客様、お顔まっかっかー!」
「っ、ちが……これはっ、その!」
耳当てちゃんに揶揄われた。
顔を隠すが「耳まで真っ赤!」と言われてより熱くなる。
ライターさんの笑い声が聞こえる。
この人も楽しんでる!
「もう! やめてください!」
「失礼いたしました」
口では謝っているものの、半分しか見えない顔はまだ笑っている。
気を取り直すために、改めて出してくれた紅茶を飲む。
一気飲みだ!
「……ぷはっ」
美味しい。
頭がすっきりした。
そして気付いた。
「両想いなのに、なんでフラれちゃったんだろう」
「子済様の自信については子済様の問題です。卯崎は巳里様のために、子済様に自信を付けさせる訓練をされているそうです」
「訓練?」
「はい。そして、私から巳里様に、ご提案がございます」
「提案?」
ライターさんからテーブルを滑らせて渡されたのは、瓶詰めにされた、薄いピンク色の球。
「確認ですが、巳里様は今後どうされるおつもりですか?」
「どう、とは」
「子済様のことを、諦めになりますか?」
「いいえ?」
即答。
諦めるだなんて、考えてすらいなかった。
ライターさんも予想していたのだろう。
「ですよね」ところころ笑う。
そして、瓶に触れる。
「であれば、こちらをお使いください」
「これをどうするんですか?」
「朝、昼。こちらを一つずつお食べください。そしていつも通り過ごすのです。それだけです」
「え、それだけ?」
「ええ。それだけです」
「私が食べるんですか? 子済くんじゃなくて?」
「はい。巳里様がお食べになってください」
なぜ?
問うても、帰ってくるのは笑みだけ。
人の表情は目が見えなくてもわかるのだなと思い知らされる。
納得はいかない。
っていうかなんなんだろう、これは。
食べろと言うからには食べ物なのだろうが。
うーーーーーーん……。
「これを食べれば、貴方は幸せになれます」
幸せに……。
子済くんと……。
「……食べるだけですね?」
「ええ」
「ちなみに原材料は」
「企業秘密です」
「……これを食べれば、私は子済くんと一緒にいられるんですか?」
「さあ?」
「……え?」
「それは巳里様次第です。これを食べて、子済様の「難しい」を解決する手伝いをする。そうすれば、もしかしたら……?」
「努力……」
つまり、これを食べても、食べただけでは何も変わらないかもしれない。
そう簡単な話ではないということ。
でも、子済くんのためなら。
子済と一緒にいられるためなら……!
「やってみます」
「ご健闘をお祈りしています。大丈夫。毒でも何でもありません。一般の方も食されている一般の食材ですよ。これは一ヵ月分ございます。休みの日でも変わらずお食べください。そして、食べ終わった頃にはまたお越しくださいませ」
「わかりました。ありがとうございます」
瓶を持って、お店を出た。
さっそく明日からやってみよう。
私と子済くんのために……。
―――――……
「こんにちは!」
一か月後。私はまた『幸せ本舗・ハッピーエンド』に来ていた。
「こんにちは。そろそろいらっしゃる頃だと思っていました。どうぞおかけください」
「ありがとうございます!」
とても気分がいい。
一カ月前は不信感や不安感でいっぱいだったけど、だんだん調子が良くなってきた。
毎日がすごく楽しい。
毎日いろんなことに興味が出て、いくら時間があっても足りないぐらい!
もうどうしよう!
私生きているうちにやりたいことやり切れるかな!?
「どーぞ!」
「ありがとう! ライターさん! 乾杯しましょう!」
「はい、かんぱーい」
「かんぱーい!」
耳当てちゃんが持ってきてくれた紅茶で、中身が零れるほどの勢いでコップを交わす。
からんと氷が揺れる。
一気に飲み干した。
「ぷっはー! お代わりください!」
「はーい!」
勢いよく注がれる紅茶。
多少はねても気にならない。
二杯目も一気に飲み干した。
「おいしー!」
「それはよかったです。私がブレンドした紅茶です」
「そうなんですね! どおりで初めて飲んだ味だと思ったんですよ」
たかが紅茶。されど紅茶。
爽やかさと甘さを適量組み合わせたカフェイン。
何を飲んでもどれも違くて、どこのメーカーのものだろうと思ってた。
ライターさんが作ったものならそりゃあ売ってないかー!
「お元気そうですね」
「はい! 元気です!」
「子済様の件はいかがですか?」
「あー……最近、見かけないんですよね」
「見かけない?」
こてんと首を掲げる。
おじさん……ではないけれど、お兄さんという年代の男性がやるにしては可愛らしすぎる動作。
けれどなぜか様になる。
そしてなぜか悔しい。
「見かけないというか、見てないんです。他のことにいっぱいいっぱいで」
「それは、巳里様が、ですか?」
「はい。私水泳部なんですけど、最近になって調子が上がってきてるんです。タイムがすごく伸びるんです! 勉強も楽しいし、服や映画にもすごい興味が出ちゃって、子済くんのことを気にしている余裕がないというか!」
「毎日が楽しいんですね」
「そうなんです! 楽しすぎて忙しいです! だから子済くんも……えと、卯崎さんのことも忘れちゃうぐらいで!」
「おやおや。それはそれは」
なんであんなに子済くんたちを気にしていたのかが嘘みたいに今は全く気にならない。
どうしてだろう。
どうでもいいけど。
「貰った奴のせいですか?」
毎日欠かさず食べていた瓶詰のモノ。
薄いピンクというか、薄いオレンジっぽくもあるソレ。
癖がなく、すごく柔らかいお肉みたいな食感のソレ。
「本当に危なくないものですか……?」
食べてしまった後だけど、どうしても気になる。
だってこんなに変わったんだもの。
きっかけはここに相談に来て、あれを食べたせいだもの。
実は、全部は食べていない。
途中で怖くなってしまったから。
けれど、一時的にやめても気分は変わらず、ずっと楽しいまま。
離脱症状とかそういうことはなく、とても調子がいい。
だから最近はちゃんと食べてる。
怪しい薬が混ざってるものかと思っていたけれど、そうではないのかな?
「いいえ。正真正銘、あれは一般で発売されている食材です。とても安く、どこのスーパーでも売られているもの」
「そう、なんですか……?」
「ええ。主婦の味方です」
「主婦の味方……ふふっ」
日常的なワードに、思わず笑いが漏れてしまった。
「そっかあ。主婦の味方……ふふふ。そっかそっか。よかったぁ」
「お口にあったようでよかったです。ですが、残念ながら、先程も申しました通りこの周辺の地域には売っていないようです」
「そうなんですか……残念。じゃあ見つけたら買おうかな。商品名は何ですか」
「商品名は――」
―――――……
「お世話になりました」
「また何かありましたら、どうぞご依頼ください」
扉の前で深々と頭を下げる。
車椅子に座る私の目線の高さまで下ろされた。
「あ、もう一つ聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
「依頼とは関係ないんですけど」
「はい」
「ライターさんて、実は『伝説の生き物』の関連だったりします?」
『伝説の生き物』
この世界の全人口は獣人という種族だ。
獣人の中で各々が蛇や兎や鼠などの特徴を持っている。
そしてその上位の存在が、『伝説の生き物』の特徴を持った獣人。
『伝説の生き物』の特徴を持った獣人もまた『伝説』とされているのだが――
「尻尾も生えてないし、鱗もなさそう。ファンタジー作品でよく異世界にいるっていう『人間』みたい……。でもどれはあくまで創作の世界だから、あり得るなら私たち獣人の上位の存在の『インキュバス』様とか『ドラゴン』様とか『ゴブリン』様とかかなって思って……」
蛇のような鋭い瞳孔と、長い舌がとてもとても楽しそうに私を見つめてくる。
布越しで見える景色は大体は陰影だ。
けれど、近ければ近いほど、少しばかり模様が見えるようになる。
光が全身を埋め尽くす鱗を艶やかに魅せる。
赤い目と赤い舌をした巳里様は、まるでごちそうを見つけたように舌でなめずる。
「私は『伝説』ではありませんよ」
「あ、そうなんですか」
「はい。角がここに」
「あ、かわいい」
被ってたハットを外す。
耳と頭頂の丁度間ぐらいに、枝分かれした二本の角がお目見えした。
「私は『鹿』です。角が小ぶりなのが恥ずかしいので隠しているんです」
「鹿の角って間近で見るの初めてです。いろんな角があるんだなぁ」
「いやあお恥ずかしい。ちなみに、この子たちは『猿』です」
「耳がまんまそうですもんね。あ、だからこの置物たちかぁ。なるほどー」
従業員二人は耳が大きい。
服で隠れているが尻尾もある。
「知り合いの鹿の角とはずいぶん違うなあ」
……。
ハットを被り直す。
それを皮切りに巳里様は今度こそ、晴れ晴れとした顔でお店を後にされた。
悩まされていた問題が解決して、軽くなった体を揺らしながら道を辿っていく。
扉に書けた『開』を『閉』にした。
今回はいい悩みだった。
これは売れる。
「センセー! 紅茶どうしますかー?」
「ああ、経費で落としますので、そのままにしておいてください」
車椅子から立ち上がり、ハンドルを握る。
テーブルの上の書類を整える。
情報は大事なネタだ。
そして鮮度が大事。
さっそく帰ろう。
「じゃあ、後片付けと戸締りをお願いしますね。僕は部屋で作業しますので」
「はーい!」
車椅子を押した瞬間。
お店の扉が開いた。
「こんにちわぁ」
甘い香りと甘ったるい匂い。
甘すぎる喋り方。
声は女性。
シルエットは……頭部がやたら幅広。
見覚えがある。
「どちらさまでしょう」
「えっとぉー、あたし、道に迷っちゃってぇ」
こちらの話を聞いていないかのような話しぶり。
少し、いや、もう既にだいぶ不快。
私の行動を邪魔されたからというのもあるが。
喋り方と言い、匂いといい、発するものが煩わしい。
出会って数秒。
人の気を逆撫でる天才だろうか。
「今さっき来てた巳里ちゃんを追ってきたんですけどぉ、ここってなんのお店ですかぁ?」
巳里様のお知合い。
この喋り方。
甘い香りは誘惑。
「卯崎様、ですね?」
「えっ、なんでわかったんですかぁ? あ、もしかして、巳里ちゃんから何か聞いちゃってますぅ?」
匂いが寄ってくる。
猿たちは匂いにやられたのか、店の奥に引っ込んだ。
車椅子を背にする私の胸に手を当てて、魅了しているかのように体を押し当ててくる。
「ねーえ? 何をお聞きになったんですかぁ? 教えて欲しいなー?」
もちもち? ふわふわ?
形容しがたい何かが腹部に当たる。
女の柔らかさを使っているのだろう。
卯崎。うさき。うさぎ。
兎……つまり色欲の眷属らしい振舞だ。
すばらしい。
「申し訳ございませんが、お客様とのやり取りは企業秘密となっております」
「えーけちい」
頬でも膨らめたのだろうか。
顔の輪郭が少し変化した。
これで諦めてくれたらよかったのだが。
色欲らしく、色仕掛け。
自身の服に手をかける。
「オネガイ。最近、巳里ちゃん素っ気なくて心配してるんです。何か力になりたくて……」
「ご本人に直接伺うのがよろしいかと」
「んもう! そんなこと言わないで? ね。イイコト……してあげるから」
布の感触が生暖かいものに変わる。
私の手を取り、されるがままにしていればシルクのような肌触り。
押せば沈む。
そして跳ね返る。
隙間に指が忍び込めば、熱いほどに温かい。
「あたしは他の色欲の眷属より感じやすいの。雌だから生命力も強いし、少し乱暴でも大丈夫だよぉ。だから……ネ?」
顎が撫でられる。
「気安く触んじゃねぇよクソ雌」
「……え?」
「あああぁぁぁあああぁぁぁぁっぁぁぁああ!!! キメェなぁキメェキメェキメェ!!! 離れろボケが!!!」
「きゃぁ!」
逆鱗に触れたら最期。
気が済むまで嬲る。
俺にはそれしかできないし、テメェはそれを受けるしかない。
憤怒の暴虐は止まらない。
とりあえずそこら辺の置物を壊しながら叫び散らかす。
怒りの矛先は身勝手な兎。
「テメェの願いなんか知らねぇんだよクソが! こちとら仕事でやってんだ! ここは招待客だけ出入りさせる場所なんだよ!! なんで勝手に入ってきてんだよクソが!! 『閉』の文字が見えねえのかボケカス!! 俺の時間の邪魔しやがっててめぇは俺の時間を使う権利でもあんのかああ!!?」
「あ……え、あ……?」
「……だーめだこりゃ」
言いたい放題言った。
つき飛ばして腰を抜かしてへたり込む兎。
さすがは弱い兎。
肉食獣に睨まれ凄まれては、がくがくぶるぶる小さく震えているのみ。
「あーあ。むかつく。イライラする。俺の邪魔をするののだけはマジで許せねぇ……何様だよクソが」
「ご、め……なさ……」
「あ、うるさい黙って?」
「ひっ」
「……黙れもしねぇのか」
黙れないならしょうがない。
黙らせよう。
「ああそうだ。お前は食われようとしてたな。ちょうどいい」
「ちょっ、と……いやっ」
「お前さえいなければテンポを還る必要ねぇな。ついでに腹の虫も鎮めてもらうとしよう。それが対価だ」
「やだ、やだやだやだ! 離してぇ!!」
「イタダキマス」
「いやぁっ――――」
―――――……
「じゃあ、後片付けと戸締りをお願いしますね。僕は部屋で作業しますので」
「はーい!」
一人分の返事と、二人分の挙手を見届けた。
車椅子を押しながら、店の奥の重苦しい両開きの扉に鍵を差し込んで開けた。
煙草臭い店内から一転。
紅茶の香りが漂う洋館の一室だ。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
押していた車椅子を引き渡す。
書斎は本棚の壁で埋め尽くされ、窓際の真ん中に専用机がある。
全体的に茶色でまとめられたシックな部屋。
それが私の部屋。
椅子に腰かける。
湯気とともにいい香りを漂わせた紅茶が置かれた。
「今回の取材はいかがでしたか?」
「まあまあかな。癖の強いキャラクターだったよ」
うん。美味しい。
「これからお仕事されますか?」
「うん。情報は鮮度が命だからね」
数口飲んだ紅茶を机の端に寄せる。
お気に入りの万年筆を握る。
こだわりの原稿用紙を一枚取り出した。
さあ、小説家の時間だ。
「軽食はお持ちしますか?」
「そうだね。もう少し食べたい気分だ」
「何にいたしましょうか」
「そうだな……魚肉ソーセージが余ってたよね。そのまま持ってきて」
「かしこまりました」
「ところで、依頼キャンセルが入りました」
「卯崎様?」
「はい」
「見して」
依頼票を受け取る。
可愛らしい丸文字で、『キャンセル』と慎ましげに書かれている。
ご丁寧に『理由』の欄も記載されている。
「『この度ご依頼させていただきました件について、解決致しましたのでキャンセルをお願いいたします。受託していただいたわけではありませんが、念のためお知らせいたします。お騒がせいたしました』」
何の意図もなく読み上げる。
律儀に聞いていたこの家のメイドは、表情を変えることなく耳をすませる。
紙から視線を移せば、感想でも言おうとしているのか口がぱくぱくと動いた。
「……えー……その方は、今回のご依頼の関係者でしたよね?」
「そう。よく覚えてたね。蛇さんの標的になりかけた兎さんだよ」
蛇の依頼を解決したら、兎の悩みもなくなった。
ただそれだけのこと。
キャンセルの書類も一応保存する。
一応、仕事関係の書類だからね。
「今回はどういうお話にされるんですか?」
いつも興味なさげなメイドが珍しく聞いてきた。
顔はいつもと同じでいかにも『何の変哲もない』のだが。
私の本職に興味でも出てきたのかな、と少し上機嫌になる。
「蛇は空腹だったんだよ」
ダイエット中だという巳里様は空腹で調子を崩していた。
部活でも力が出ない。
なぜダイエットするのか。
恋していたからだ。
好きな人に好かれようと、綺麗になろうと食事を制限した。
そうしていくうちにどんどん好きになる。
けれど部活はうまくいかない。
辛い。辛い。辛い。
本調子でない中で、焦りと恋心が渦巻く。
正常な思考が出来なくなる。
「そもそもの話。本当に恋心を持っていたのかな、と」
「……それが前提の相談では?」
「そうなんだけどね。海を泳ぐ蛇が鼠を好きになるかな?」
もしかしたらあるかもしれない。
けれど、海に住む蛇と、陸に住む鼠。
出会いこそしても恋に落ちるだろうか。
恋というより、捕食対象ではないだろうか。
「恋に落ちたとしよう。けれど、それは最初までだった」
飢えた蛇は、毎日見るイキのいい生物にどんどん惹かれていく。
さりげなく隣に並んでサイズを確認する。
ああ、食べれる。
確信した。
そして受け入れてほしかった。
けれどダメだった。
なぜ?
こんなにも求めているのに。
空腹の蛇は思考が整わず、混乱した。
そして私に依頼を出した。
結果。
「色欲の兎が、好きな人にまとわりついていると聞かされる」
「卯崎さんですか」
「そう」
蛇は嫉妬に狂った。
なぜ? なぜ? なぜ?
こんなにも好きなのに。
こんなにも愛しているのに。
こんなにも欲しているのに。
こんなにも大事にしているのに。
「蛇は嫉妬でしたか」
「そう。嫉妬の眷属。というより、子済様も良くないのだけどね」
「鼠は強欲でしたね」
「巳里様のことも、卯崎さんのことも欲しがった。欲張りというか優柔不断というか。嫉妬に狂った蛇が暴走しそうなところで、私がある提案をした」
「わたくしに作らせたこれですね」
瓶詰めにされた、丸い、血色感のあるそれ。
とてもおいしい。
余ったものはおやつにいただこう。
「それは蛇の大好物だからね」
それを食べた蛇は空腹が抑えられた。
程よく味があり、噛みごたえのあるそれ。
今まで我慢していた食べ物。
本来の食事を思い出した蛇は、鼠への執着をやめた。
「巳里様の件はこれが真相」
「では、卯崎様の方は」
「色欲は誘惑するのは仕事のようなものだからね」
誘惑。
恋心を感じ取るのはもはや本能だろう。
蛇が鼠に恋していると気付いた兎は笑った。
捕食対象である鼠に恋をするのか、と。
何だその愉快な状況は。
では、同じく捕食対象であるあたしが邪魔をしてやろう、と。
今まで思いのままに捕食対象たちを蹂躙してきた蛇。
発散できない欲求を抱えて悶えて転げまわればいい。
それはどれほど愉快なことか、と
だから、兎は鼠と仲良くした。
「随分な性格ですね」
「そうだね」
「卯崎様の方を引き受けなくてよかったですね。巻き込まれていたかもしれません」
「本当に。あわよくば私も誘惑されていたかもしれない」
「…………」
「なんか言ってよ」
兎も、私に依頼したのは『もしものため』だろう。
兎も蛇の捕食対象だ。
相手が女性じゃ、出来なくはないだろうが誘惑の成功度は高くない。
さらには蛇は嫉妬に狂っていた。
誘惑する間もなく、食べられていたかもしれない。
「さ、これが真相だよ。面白そうじゃない?」
「はぁ」
「君が寝なかっただけまだ良かったよ」
つまらなかったら寝るメイドだから。
素直な反応はありがたいけれど。
さあ、本職をやろう。
今度こそ売れるかな。
ペンを握る。
紙を広げる。
状況を振り返りながら、ほどほどにぼかして書いていく。
ネタがある物語は書くのに集中できてとてもいい。
「この世界の眷属に、鹿はいないのですがね」
――――― ❀ ――――――
名前: 巳里 海里
職業: 学生
相談内容:
クラスに好きな人がいます。
告白したのにフラれました。
「難しい」と言われたのですが、何が「難しい」のか、どうしてフラれたのか理由がわかりません。
調査してください。
【コメント】
紙が所々濡れて字が滲んでいた。
可愛らしい字。
――――― ❀ ―――――
「ここであってるの……かな?」
私、巳里はとある悩みを持って、とあるお店に来た。
学校で噂のタバコ屋さん兼お悩み相談所。
その名も『ハッピーエンド』。
なんでもどんなジャンルでも相談できる。
最後まで付き合ってくれて、それは大体納得できる内容で解決する。
納得できない場合でも、その後のアフターフォローまでしてくれるそうだ。
お代は高くはなかったので学生の私でも頼りやすい。
けれど、もちろん依頼を出した全員を引き受けてくれるわけではない。
まずは相談事を記したお手紙を出さなければならない。
そして相談所に向かえるのは、依頼を受任してもらえる可能性のある人だけ。
相談所に着くには、お手紙のお返事である案内状が必要なのだ
そしてこの道のりが怪しさ大爆発だった。
大通りから脇道に入って、ビルの隙間を通って、小さいトンネルを区切り、どなたかの家の庭を横切って、電柱の間を通る。
階段を登って屋根の隙間を通ったら、本当にたどり着いてしまった。
まさかまさか。本心でまさかだった。
だって。だってよ?
こんな怪しい道案内で、どうしてこんな店にたどり着くと思うの?
というか、この道案内もこうしてたどり着くまで適当だと思ってたのよ?
なんか変な魔法陣でも描いちゃったんじゃないの?
……いやいや。魔法なんてこの世にあるわけないじゃない。
変な道を通ったせいか、変な思考回路が出来上がってしまった。
私たち獣人は体の特徴こそさまざまだけど、特別な力なんてない。
あるのは獣の部分だけ。
引き継いだ力だけ。
私だったら眼球の表面に薄い膜のような鱗があるとか。
一応ある手足は退化していて不器用だとか。
そんな程度。
御伽噺では能力を持つ獣人もいるけど、私は会ったことがない。
だから信じてない。
いたらいいなとは思うけど、所詮は作りモノだろうと思う。
それは置いといて。
タバコ屋さんと併設の相談所は、人通りのない所にでかでかと看板を掲げている。
店員さんらしき人はいない。
人は。
お店は猿の置物に囲まれている。
狸ならわかるけど、何で猿?
招いている猿って初めて見た。
美味しそうに何かを頬張っている猿も目に入って……。
「うぅ、お腹減った……」
最近、ご飯減らしてたからなぁ。
それなのにこんなに歩いてきたらそりゃあ……ね。
素直に自主練しておけばよかった。
大会も近いのに……このままじゃ……。
……ううん。
せっかくたどり着いたんだもの。
そうよ、私はここに着たくてきたんだから、到着したなら喜ばなきゃ!
すっごく怪しいけれど!
何あの猿。一、二、三匹が不気味に笑ってる。
……なんか、入るの嫌だなあ。
「コンニチハー!」
「ぅわぁ!!?」
「……」
「あいた! もー叩かないでー!? 驚かしちゃってごめんねー! ずっとお店の前にいるから入りにくいのかなーっと思って声かけちゃった! いつまでもそんなところに立ってないで入っておいでよー! お茶いれるよー! 紅茶? 焙じ茶? 緑茶? 煎茶? 水? どれがいい?」
「……」
「あたた! もう! 叩かないでって!」
突如、お店の扉を乱雑に開けて飛び出してきた猿耳の女の子たち。
一人は耳当てをして、一人は猿轡で口元を覆っている。
耳当ての子はマシンガンだけど、猿轡の子は無口だ。
二人に手を引かれ、否応なしにお店に招かれる。
中は……そう、外と同じように猿の置物がたくさんある。
大小問わず。大きいものは見上げるほどに。
逆立ちしてるもの。
寝そべっているもの。
大股開いて覗き込んでいるもの。
見返り美人風なものもある。
全部猿。
何ここ……。
やっぱり、私間違えちゃった?
「どうぞお座りください! お水入れてきますね!」
「あ、お構いなく……」
やたら低くて沈み込むソファーに座らされた。
ふかふかすぎて落ち着かない。
走って奥に行ってしまった、元気な耳当ての少女。
猿轡の子はいつの間にかいないし、猿ばっかで怖いし……居心地悪い。
心なしか、周りの置物に監視されているような気分になる……。
「……うん、帰ろう」
ここは私の探していたお店じゃなかったんだ。
そうに違いない。
変に絡まれる前に帰ろう。
座らされたソファーから立ち上がる。
立つのも一苦労なソファーが、呼び止めておるような錯覚を覚える。
けれどここの雰囲気の怪しさも相まって、今すぐに逃げたいと思う気持ちが強くなる一方だ。
踵を返す。
いくつもの視線の中、扉を開こうと手を伸ばす。
キィ……と、やたら耳障りな音が体を強張らせた。
「お悩み相談所、『ハッピーエンド』へようこそお越しくださいました」
扉に手が届く前に、声を掛けられた。
逃げられなかった。
このお店を探してしまったこと、たどり着いてしまったことをひどく後悔した。
「さあ、どうぞお座りください。まずはゆっくりお話を聞きましょう」
「紅茶入れたよー!」
歓迎の空気が漂ってくる。
この状況で扉を開けて逃げ帰れるほど、私に度胸はない。
大人しく、おずおずと振り返って一度は見た光景を再度視界に入れる。
最初にいた少女が二人と、最初はいなかった男性が一人。
「改めまして、ようこそお越しくださいました。あなたのお悩みを解決すべく、このタバコ屋店長兼、お悩み相談員のライターが尽力致しましょう」
存在を忘れかけるタバコ屋さんらしい名前。
ハットを被り、両目を包帯で隠したスーツの男性が、紅茶を片手に車椅子に乗って足を組んでいた。
異様な光景に目を背けたくなる。
けれど、中に目を向けて外から目を背けてしまったからには、もう覚悟を決めるしかない。
なんかのほほんと紅茶を啜ってる姿に不安しかないけれど。
いや、逆に一周回って安心感もあるけれど。
座り心地の悪いソファーに座り直す。
ガラスコップに注がれた紅茶から良い香りがする。
……喉が渇いた気がしてきた。
「ここまで迷いませんでしたか?」
びくりと体が震えた。
直角の位置に座る男性を見る。
目隠しされているから、私のことは見えていないかもしれない。
このタイミングで声を掛けてきたのは、意地悪でもなんでもなく、たまたまだろう。
引っ込め掛けた手を、もう一度伸ばす。
コップの重さとひんやり感。
手汗で滑る。
「なんとか……。すごいところにあるんですね」
「ええ。賑やかなところは依頼主様のお話が聞き取りにくいので。ご足労ありがとうございます」
「いえ……」
「さて。ご相談内容は先にお手紙をいただいた通りの内容でよろしかったでしょうか? 意中の相手に振り向いてもらえないという」
びっくり。
突然本題に入られて、身体が大きく震えた。
コップから紅茶が少し零れる。
手にかかったところがべたついて気持ち悪い。
「え、ええ……」
手に気が散って、変な答え方しかできない。
そんなこと見えていない……ライターさんは、「なるほどなるほど」と紅茶を一飲みした。
「お相手さんについてお伺いしても?」
「はい……。子済くんという同級生です。優しくて、小柄で、可愛くて……。一目惚れしました」
子済くんを思い出しながら話すと、心が穏やかになるどころか動悸がしてくる。
すき。すき。すき。
『すき』と『だいすき』が溢れてくる。
あぁ……本当にすき。
なんで避けられてるんだろう。
「去年初めて同じクラスになった時から好きなんですけど、私臆病だから、話しかけたりできなくて。ちらちら見たり、影から見守るような感じてずっとうじうじしてたんです。嬉しいことに今年も同じクラスになって、これは運命だと思って。勇気を出して告白したんです」
「おや、それはそれは。頑張られましたね」
べたついた手を握る。
汗でさらに滲んで、べたべたする。
「すっごく緊張しました。けど……フラれちゃいました」
「おやおや……。なぜなんでしょう」
「……「難しい」、って、言われました」
ライターさんは聞き返してくる。
「難しい」の意味を。
そんなの私が知りたい。
「不思議ですね。嫌いでもない、好きでもない。交際ができないのなら普通「ごめん」と返すはず。けれど、「難しい」と言うことは、何か課題があるということでしょうか?」
「そうですよね!!!」
勢いあまってソファーから立ち上がる。
低いテーブルを支えに、頭と垂れ下がる。
「そう! なんなの「難しい」って! 私はただ、日々好きな人が何をしているのかな、何を考えてるのかな、何をしようとしてるのかなって考えているだけなの! それ以外何もしてないわ。だって怖いんだもの。何か嫌われるようなことをしちゃわないかって。ただ同じクラスで、楽しそうにしている子済くんを眺めているだけで満足だった……。でも我慢できなくなって、告白しました。それなのに……「難しい」ってなに!?」
テーブルに拳を叩きつける。
置かれていたコップの中の紅茶が波打って、また少量零れてしまった。
「こんなに。こんなにすきなのに。すきでスキでしょうがないのに! 私何もしてないよ? 何もしてないのにいきなり「難しい」って言われてフラれて……納得できない。なに? なんなの? 何か障害があるの? 何かをやり遂げないといけないの? ……誰か何か吹き込んだ? 邪魔されてる? 私のライバルがいる? そうなら許さない。許さない許さない許さない……!」
許さない。 。
ユルサナイ。許さない。 。
。ユルサナイ。許さない。ゆるさない。許さない。 。
ユルサナイ。
ゆるさない。許さない。 。
ゆるさない。ユルサナイ。
。許さない。ゆるさない。 。ユルサナイ。許さない。
ゆるさない。許さない。 。
許さない。
。
「では、ご依頼内容は【子済様の真意を探る】ということでよろしいですか?」
「……ええ、お願いします。課題がわかればそれも」
「ご依頼、承りました」
ライターさんは目隠し越しに優しい顔をした気がする。
そして少し低めの声で、舌を慣れたように動かす。
「苦悩によって暗く閉ざされた貴方の道、私が正しく灯して見せましょう」
調査のために時間を要するとのことで、その日は帰宅した。
どれくらいかかるのかは明確には提示されなかった。
早ければ一週間。
長ければ未定。
そんなところだろうと、漠然と考えている、
それと同時に不信感。
大丈夫かな。
最低の一週間だったら、私だって子済くんを見続けている。
私が調べた方が早いんじゃないか。
学校で子済くんを眺めながらそう思う。
ああ、可愛いなあ。
小さくて、ちょろちょろ動いて、皆に揶揄われてる。
頼まれたら断れない子済くん。
持ち物が多すぎて持ちきれない子済くん。
一生懸命動き回ってる子済くん。
鼻をひくつかせて、尻尾をパタパタしてる子済くん。
元気に生きてる子済くん。
ああ、かわいい。すき。抱きしめたい。
「まーた子済のこと見てるの?」
「ぅえ!?」
クラスメイトに話しかけらた。
びっくりして変な声出た。
そんなに集中してたのか、私。
子済くんのことになると周りが見えなくなっちゃうから、今みたいに声をかけられるまで気付かないことも多いのよね。
「なんであんなのが好きなのか。未だによくわからないわ」
クラスメイトは呆れたように言う。
むっとしてしまう。
けど、同時に安心する。
「いいのっ。私にだけ子済くんの良さがわかってれば」
「はいはい。ごちそうさまです。納得いくまで頑張りなさいな。……てか、あなたまた痩せた!?」
「あ……うん」
「もー! 無理なダイエットは体に毒よ! いくら好きな人が出来ても不健康になるのはだめ!」
「ご、ごめんって……これでも気をつけてるんだよ?」
この子は、私が告白してフラれたことまで知っている。
応援はしてくれるけど、協力はしないスタイル。
ややこしくなくてむしろありがたい。
この子は子済くんについては特に何も思ってないだろう。
だからこそ安心して話していられる。
「全く。これ以上痩せたら承知しないわよ」
「うん。痩せるなら健康的にね」
「よろしい! ところでさ、あの噂、どうだったの?」
「あー……ううん、音沙汰なし。やっぱりただの噂なんじゃないかな」
「そっかー。本当だったら私も試してみようと思ってたのに。ざんねーん」
噂、というのは『幸せ本舗・ハッピーエンド』のことだ。
今回嘘をついたのにはちゃんと理由がある。
ライターさんに、「ことが片付くまで、お店のことは他言されないようご注意を。まし広まってしまった場合、ご依頼は中断させていただきます。ご依頼が終わってからであれば、場所と社員に関すること以外はお話ししてくださって結構です」と言われたから。
依頼を中断されるのは困る。
ごめん!
心の中で勢いをつけて頭を下げ、謝った。
これも私と子済くんのためだから……!
「じゃ、じゃあ私、そろそろ部活に行くね! タイムが危ういから自主練しないと!」
「そっか。水泳部、大会近いんだったね。 がんばってね!」
「ありがとう! がんばる!」
―――――……
二週間後。
ライターさんからまたお便りが届いた。
調査が終わったらしい。
私はまた同じ道のりを歩み、同じお店の前にいる。
何故『前』かというと、やっぱり異様な雰囲気にしり込みし、中々は入れないからだ。
「……子済くんっ」
好きな人に関するものって、すごい。
名前を呼ぶだけで行動できる。
勇気が出る。
何でもできそうな気がする。
これが恋の力。
もし、子済くんの何かを持っていたら。
もし、子済くんが隣にいてくれたら。
もし、子済くんとずっと一緒に入れたら。
私は何でもできちゃう。
それこそ、不可能なんてないって思えるだろう。
はぁ、すき。
早くあなたを抱きしめたい。
「いらっしゃいませ。お嬢さん」
「いらっしゃいませー!」
「……」
「こんにちは」
今日は三人ともすでにいる。
そして今日も、促されるがまま、立ちにくいソファーに腰掛ける。
耳当てちゃんが飲み物を持ってくる。
今日も紅茶だ。
ライターさんは何かの書類をテーブルの上に広げる。
目隠ししているのに見えているのだろうか。
「子済様について調査が完了いたしました」
「っ、どうでした!?」
「子済様の周辺を調査いたしましたが、怪しい人物はいませんね」
「……そう、ですか」
勢いがなくなる。
私と子済くんの邪魔をする存在はいない。
それは嬉しい。
けれど、ならばなぜ、子済くんは「難しい」と言うのだろうか。
私は何か、子済に「難しい」ことを課してしまったのだろうか。
目が霞む。視界が歪む。
手に持ったコップの紅茶に、波紋ができる。
「怪しい人物はいませんが、親しい人物はいるようです」
「したしい、じんぶつ」
したしい……?
え、何……どういうこと?
「名前は卯崎様。巳里様や子済様と隣のクラスですね」
「卯崎……」
……あいつか……!!!
――――― ❀ ―――――
【調査票①】
名前: 子済 公太
職業: 学生
依頼主: ●● 様
調査内容:
依頼主と同じ学校、同じクラスの男子学生。
小柄で気弱、クラスメイトからいじられキャラとされている。
一部女子の庇護欲を駆り立てている。
依頼主との一件がある前後、
学校が休みの日、高頻度で外出している。
外出の際は同級生(女性)と待ち合わせして某施設に出入りしている。
話していた内容:
「僕はやれと言われれば何でもやるよ。報酬があればもっとやる気でる」
「●●さんから告白された。どうしよう。嬉しい」
「●●さんのことは嫌いじゃない。付き合ってみるのもいいかなと思う」
「OKしたい。けど、OKしたら君と会えない。君と会えないのは困る」
「君のことも嫌いじゃない」
「恋愛感情? それはわからない。知れるなら知りたい」
―――――……
【調査票②】
名前: 卯崎 美々
職業: 学生
依頼主: ●● 様
調査内容:
○○様と特に親しそうな関係を持つ。
小柄。ふんわりとした印象を与える髪型や表情をしている。
あざとさを感じさせる仕草が目に付く。
学校が休みの日に決まって○○様と待ち合わせし、某施設で過ごしている。
数時間すると出てきて、食事して帰る。
二人でいるときは終始楽しそうにしている。
別れて一人になっても表情は張り付けたように崩れない。
話していた内容:
「○○くんといると落ち着くなぁ。とっても安心するー」
「今日も行くー? 空いてるといいねぇ」
「すっごく良かったね。また来週……ね?」
「●●さんに告白されたのー? ○○くんを好きって言ってくれる子がいるって、いいことだねぇ。どんな子か聞いてもいい?」
「そっかぁ。じゃあ、付き合うのかな? ……付き合っちゃったら、美々とはもう会えないねぇ。●●さんに悪いもの……」
「○○くんは誰が好きなの……? 好きな人、いる?」
「……ふーん」
「ふーん……ふふっ、動いたかあ。ふふ、ふふふ」
――――― ❀ ―――――
ソファーから立ち上がる。
飲み物を投げ捨てた。
大股で扉まで移動して、取っ手を握る。
「どちらへ?」
ぴたりと、体が止まった。
いや、止められた。
何をされたわけじゃない。
ただ、扉が開かなかった。
来るときは容易に開いた扉は、今はぴくりとも動かない。
私の行く手を阻んでいる。
なぜ。どうして。
子済くんは「難しい」と言った。
卯崎が何かをさせているのかもしれない。
卯崎をどうにかしないと!
「卯崎様をどうするおつもりですか?」
「……どうにか、します」
私の大事な子済くんにちょっかいを出している奴なんて、私が許さない。
大丈夫。
私は蛇。
卯崎は兎。
私の方が身長も体格もある。
のみこめる。
「まだ調査結果を全てお伝えしておりません。どうぞご着席ください」
「あの女が子済くんに何かしている可能性がある。それだけで十分です。そちらを先に片付けます」
「なりません。貴方のためになりません」
私のため?
ライターさんは何を言っているの?
何を知っているの?
「どうぞご着席ください。きっと貴方のために、そして子済様のためになります」
……。
気になる。
気になるから、とりあえず話を聞こう。
子済くんのためになるという、その話を。
どうにかしてやるのは後にしてあげる。
ソファーに体を沈める。
投げたコップは割れてしまった。
猿轡ちゃんと、耳当てちゃんが掃除してくれている。
少し、申し訳ない気持ちになった。
「落ち着いてお話を聞いていただけますよう、よろしくお願い申し上げます」
「はい……」
「では。卯崎様と子済様は今年に入ってから親しくなりました。ですが巳里様が知らなかったように、周りには秘密にしている様です」
「なぜですか?」
「お二人とも気弱な性格故に、からかわれたりいじられたりすることを避けている様です。なので学校では接点を持たず、休みの日にこっそり会う間柄のようですね」
「休みの日に……」
私は学校でしか子済くんに会えない。
なのに卯崎は……学校以外で子済くんに会っている……!
学校外での子済くん……見たい。
会いたい。
見たい!
見たい!
見たい!
見たい!!
「それでですね」
「っ、はい」
いけない。
ついつい頭が暴走しかけちゃった。
冷静に。
冷静に。
「子済様が巳里様に「難しい」と仰られた件ですが」
「あ……」
「子済様は単純に自分に自信がなく、巳里様を大事にすることが難しい、ということらしいですよ」
「……え」
え、え?
え?
え?
えぇ?
「え……それって……」
「はい。お二人は両思いだったのです」
えええええぇぇぇええええ!!!
え、待って。いつから?
私が好意を持ってたの、もしかして気付いてたのかな?
え、恥ずかしい。
見てたのも気付かれてた?
うわぁ、顔が熱い。
恥ずかしさでどうにかなっちゃいそう。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。
待って。え、じゃあ。
教室に入ってきた時も?
朝、下駄箱で靴を履き替えてるときも?
体育の授業前に更衣室に入っていくときも?
移動教室の途中でトイレに寄ってるときも?
給食を食べるために配膳に並んでるときも?
食後眠くて机に伏しちゃってるときも?
部活のために職員室に行くときも?
放課後にコンビニに寄って買い食いして食べきってから家にはいるときも?
どれを知られてるの?
「お客様、お顔まっかっかー!」
「っ、ちが……これはっ、その!」
耳当てちゃんに揶揄われた。
顔を隠すが「耳まで真っ赤!」と言われてより熱くなる。
ライターさんの笑い声が聞こえる。
この人も楽しんでる!
「もう! やめてください!」
「失礼いたしました」
口では謝っているものの、半分しか見えない顔はまだ笑っている。
気を取り直すために、改めて出してくれた紅茶を飲む。
一気飲みだ!
「……ぷはっ」
美味しい。
頭がすっきりした。
そして気付いた。
「両想いなのに、なんでフラれちゃったんだろう」
「子済様の自信については子済様の問題です。卯崎は巳里様のために、子済様に自信を付けさせる訓練をされているそうです」
「訓練?」
「はい。そして、私から巳里様に、ご提案がございます」
「提案?」
ライターさんからテーブルを滑らせて渡されたのは、瓶詰めにされた、薄いピンク色の球。
「確認ですが、巳里様は今後どうされるおつもりですか?」
「どう、とは」
「子済様のことを、諦めになりますか?」
「いいえ?」
即答。
諦めるだなんて、考えてすらいなかった。
ライターさんも予想していたのだろう。
「ですよね」ところころ笑う。
そして、瓶に触れる。
「であれば、こちらをお使いください」
「これをどうするんですか?」
「朝、昼。こちらを一つずつお食べください。そしていつも通り過ごすのです。それだけです」
「え、それだけ?」
「ええ。それだけです」
「私が食べるんですか? 子済くんじゃなくて?」
「はい。巳里様がお食べになってください」
なぜ?
問うても、帰ってくるのは笑みだけ。
人の表情は目が見えなくてもわかるのだなと思い知らされる。
納得はいかない。
っていうかなんなんだろう、これは。
食べろと言うからには食べ物なのだろうが。
うーーーーーーん……。
「これを食べれば、貴方は幸せになれます」
幸せに……。
子済くんと……。
「……食べるだけですね?」
「ええ」
「ちなみに原材料は」
「企業秘密です」
「……これを食べれば、私は子済くんと一緒にいられるんですか?」
「さあ?」
「……え?」
「それは巳里様次第です。これを食べて、子済様の「難しい」を解決する手伝いをする。そうすれば、もしかしたら……?」
「努力……」
つまり、これを食べても、食べただけでは何も変わらないかもしれない。
そう簡単な話ではないということ。
でも、子済くんのためなら。
子済と一緒にいられるためなら……!
「やってみます」
「ご健闘をお祈りしています。大丈夫。毒でも何でもありません。一般の方も食されている一般の食材ですよ。これは一ヵ月分ございます。休みの日でも変わらずお食べください。そして、食べ終わった頃にはまたお越しくださいませ」
「わかりました。ありがとうございます」
瓶を持って、お店を出た。
さっそく明日からやってみよう。
私と子済くんのために……。
―――――……
「こんにちは!」
一か月後。私はまた『幸せ本舗・ハッピーエンド』に来ていた。
「こんにちは。そろそろいらっしゃる頃だと思っていました。どうぞおかけください」
「ありがとうございます!」
とても気分がいい。
一カ月前は不信感や不安感でいっぱいだったけど、だんだん調子が良くなってきた。
毎日がすごく楽しい。
毎日いろんなことに興味が出て、いくら時間があっても足りないぐらい!
もうどうしよう!
私生きているうちにやりたいことやり切れるかな!?
「どーぞ!」
「ありがとう! ライターさん! 乾杯しましょう!」
「はい、かんぱーい」
「かんぱーい!」
耳当てちゃんが持ってきてくれた紅茶で、中身が零れるほどの勢いでコップを交わす。
からんと氷が揺れる。
一気に飲み干した。
「ぷっはー! お代わりください!」
「はーい!」
勢いよく注がれる紅茶。
多少はねても気にならない。
二杯目も一気に飲み干した。
「おいしー!」
「それはよかったです。私がブレンドした紅茶です」
「そうなんですね! どおりで初めて飲んだ味だと思ったんですよ」
たかが紅茶。されど紅茶。
爽やかさと甘さを適量組み合わせたカフェイン。
何を飲んでもどれも違くて、どこのメーカーのものだろうと思ってた。
ライターさんが作ったものならそりゃあ売ってないかー!
「お元気そうですね」
「はい! 元気です!」
「子済様の件はいかがですか?」
「あー……最近、見かけないんですよね」
「見かけない?」
こてんと首を掲げる。
おじさん……ではないけれど、お兄さんという年代の男性がやるにしては可愛らしすぎる動作。
けれどなぜか様になる。
そしてなぜか悔しい。
「見かけないというか、見てないんです。他のことにいっぱいいっぱいで」
「それは、巳里様が、ですか?」
「はい。私水泳部なんですけど、最近になって調子が上がってきてるんです。タイムがすごく伸びるんです! 勉強も楽しいし、服や映画にもすごい興味が出ちゃって、子済くんのことを気にしている余裕がないというか!」
「毎日が楽しいんですね」
「そうなんです! 楽しすぎて忙しいです! だから子済くんも……えと、卯崎さんのことも忘れちゃうぐらいで!」
「おやおや。それはそれは」
なんであんなに子済くんたちを気にしていたのかが嘘みたいに今は全く気にならない。
どうしてだろう。
どうでもいいけど。
「貰った奴のせいですか?」
毎日欠かさず食べていた瓶詰のモノ。
薄いピンクというか、薄いオレンジっぽくもあるソレ。
癖がなく、すごく柔らかいお肉みたいな食感のソレ。
「本当に危なくないものですか……?」
食べてしまった後だけど、どうしても気になる。
だってこんなに変わったんだもの。
きっかけはここに相談に来て、あれを食べたせいだもの。
実は、全部は食べていない。
途中で怖くなってしまったから。
けれど、一時的にやめても気分は変わらず、ずっと楽しいまま。
離脱症状とかそういうことはなく、とても調子がいい。
だから最近はちゃんと食べてる。
怪しい薬が混ざってるものかと思っていたけれど、そうではないのかな?
「いいえ。正真正銘、あれは一般で発売されている食材です。とても安く、どこのスーパーでも売られているもの」
「そう、なんですか……?」
「ええ。主婦の味方です」
「主婦の味方……ふふっ」
日常的なワードに、思わず笑いが漏れてしまった。
「そっかあ。主婦の味方……ふふふ。そっかそっか。よかったぁ」
「お口にあったようでよかったです。ですが、残念ながら、先程も申しました通りこの周辺の地域には売っていないようです」
「そうなんですか……残念。じゃあ見つけたら買おうかな。商品名は何ですか」
「商品名は――」
―――――……
「お世話になりました」
「また何かありましたら、どうぞご依頼ください」
扉の前で深々と頭を下げる。
車椅子に座る私の目線の高さまで下ろされた。
「あ、もう一つ聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
「依頼とは関係ないんですけど」
「はい」
「ライターさんて、実は『伝説の生き物』の関連だったりします?」
『伝説の生き物』
この世界の全人口は獣人という種族だ。
獣人の中で各々が蛇や兎や鼠などの特徴を持っている。
そしてその上位の存在が、『伝説の生き物』の特徴を持った獣人。
『伝説の生き物』の特徴を持った獣人もまた『伝説』とされているのだが――
「尻尾も生えてないし、鱗もなさそう。ファンタジー作品でよく異世界にいるっていう『人間』みたい……。でもどれはあくまで創作の世界だから、あり得るなら私たち獣人の上位の存在の『インキュバス』様とか『ドラゴン』様とか『ゴブリン』様とかかなって思って……」
蛇のような鋭い瞳孔と、長い舌がとてもとても楽しそうに私を見つめてくる。
布越しで見える景色は大体は陰影だ。
けれど、近ければ近いほど、少しばかり模様が見えるようになる。
光が全身を埋め尽くす鱗を艶やかに魅せる。
赤い目と赤い舌をした巳里様は、まるでごちそうを見つけたように舌でなめずる。
「私は『伝説』ではありませんよ」
「あ、そうなんですか」
「はい。角がここに」
「あ、かわいい」
被ってたハットを外す。
耳と頭頂の丁度間ぐらいに、枝分かれした二本の角がお目見えした。
「私は『鹿』です。角が小ぶりなのが恥ずかしいので隠しているんです」
「鹿の角って間近で見るの初めてです。いろんな角があるんだなぁ」
「いやあお恥ずかしい。ちなみに、この子たちは『猿』です」
「耳がまんまそうですもんね。あ、だからこの置物たちかぁ。なるほどー」
従業員二人は耳が大きい。
服で隠れているが尻尾もある。
「知り合いの鹿の角とはずいぶん違うなあ」
……。
ハットを被り直す。
それを皮切りに巳里様は今度こそ、晴れ晴れとした顔でお店を後にされた。
悩まされていた問題が解決して、軽くなった体を揺らしながら道を辿っていく。
扉に書けた『開』を『閉』にした。
今回はいい悩みだった。
これは売れる。
「センセー! 紅茶どうしますかー?」
「ああ、経費で落としますので、そのままにしておいてください」
車椅子から立ち上がり、ハンドルを握る。
テーブルの上の書類を整える。
情報は大事なネタだ。
そして鮮度が大事。
さっそく帰ろう。
「じゃあ、後片付けと戸締りをお願いしますね。僕は部屋で作業しますので」
「はーい!」
車椅子を押した瞬間。
お店の扉が開いた。
「こんにちわぁ」
甘い香りと甘ったるい匂い。
甘すぎる喋り方。
声は女性。
シルエットは……頭部がやたら幅広。
見覚えがある。
「どちらさまでしょう」
「えっとぉー、あたし、道に迷っちゃってぇ」
こちらの話を聞いていないかのような話しぶり。
少し、いや、もう既にだいぶ不快。
私の行動を邪魔されたからというのもあるが。
喋り方と言い、匂いといい、発するものが煩わしい。
出会って数秒。
人の気を逆撫でる天才だろうか。
「今さっき来てた巳里ちゃんを追ってきたんですけどぉ、ここってなんのお店ですかぁ?」
巳里様のお知合い。
この喋り方。
甘い香りは誘惑。
「卯崎様、ですね?」
「えっ、なんでわかったんですかぁ? あ、もしかして、巳里ちゃんから何か聞いちゃってますぅ?」
匂いが寄ってくる。
猿たちは匂いにやられたのか、店の奥に引っ込んだ。
車椅子を背にする私の胸に手を当てて、魅了しているかのように体を押し当ててくる。
「ねーえ? 何をお聞きになったんですかぁ? 教えて欲しいなー?」
もちもち? ふわふわ?
形容しがたい何かが腹部に当たる。
女の柔らかさを使っているのだろう。
卯崎。うさき。うさぎ。
兎……つまり色欲の眷属らしい振舞だ。
すばらしい。
「申し訳ございませんが、お客様とのやり取りは企業秘密となっております」
「えーけちい」
頬でも膨らめたのだろうか。
顔の輪郭が少し変化した。
これで諦めてくれたらよかったのだが。
色欲らしく、色仕掛け。
自身の服に手をかける。
「オネガイ。最近、巳里ちゃん素っ気なくて心配してるんです。何か力になりたくて……」
「ご本人に直接伺うのがよろしいかと」
「んもう! そんなこと言わないで? ね。イイコト……してあげるから」
布の感触が生暖かいものに変わる。
私の手を取り、されるがままにしていればシルクのような肌触り。
押せば沈む。
そして跳ね返る。
隙間に指が忍び込めば、熱いほどに温かい。
「あたしは他の色欲の眷属より感じやすいの。雌だから生命力も強いし、少し乱暴でも大丈夫だよぉ。だから……ネ?」
顎が撫でられる。
「気安く触んじゃねぇよクソ雌」
「……え?」
「あああぁぁぁあああぁぁぁぁっぁぁぁああ!!! キメェなぁキメェキメェキメェ!!! 離れろボケが!!!」
「きゃぁ!」
逆鱗に触れたら最期。
気が済むまで嬲る。
俺にはそれしかできないし、テメェはそれを受けるしかない。
憤怒の暴虐は止まらない。
とりあえずそこら辺の置物を壊しながら叫び散らかす。
怒りの矛先は身勝手な兎。
「テメェの願いなんか知らねぇんだよクソが! こちとら仕事でやってんだ! ここは招待客だけ出入りさせる場所なんだよ!! なんで勝手に入ってきてんだよクソが!! 『閉』の文字が見えねえのかボケカス!! 俺の時間の邪魔しやがっててめぇは俺の時間を使う権利でもあんのかああ!!?」
「あ……え、あ……?」
「……だーめだこりゃ」
言いたい放題言った。
つき飛ばして腰を抜かしてへたり込む兎。
さすがは弱い兎。
肉食獣に睨まれ凄まれては、がくがくぶるぶる小さく震えているのみ。
「あーあ。むかつく。イライラする。俺の邪魔をするののだけはマジで許せねぇ……何様だよクソが」
「ご、め……なさ……」
「あ、うるさい黙って?」
「ひっ」
「……黙れもしねぇのか」
黙れないならしょうがない。
黙らせよう。
「ああそうだ。お前は食われようとしてたな。ちょうどいい」
「ちょっ、と……いやっ」
「お前さえいなければテンポを還る必要ねぇな。ついでに腹の虫も鎮めてもらうとしよう。それが対価だ」
「やだ、やだやだやだ! 離してぇ!!」
「イタダキマス」
「いやぁっ――――」
―――――……
「じゃあ、後片付けと戸締りをお願いしますね。僕は部屋で作業しますので」
「はーい!」
一人分の返事と、二人分の挙手を見届けた。
車椅子を押しながら、店の奥の重苦しい両開きの扉に鍵を差し込んで開けた。
煙草臭い店内から一転。
紅茶の香りが漂う洋館の一室だ。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
押していた車椅子を引き渡す。
書斎は本棚の壁で埋め尽くされ、窓際の真ん中に専用机がある。
全体的に茶色でまとめられたシックな部屋。
それが私の部屋。
椅子に腰かける。
湯気とともにいい香りを漂わせた紅茶が置かれた。
「今回の取材はいかがでしたか?」
「まあまあかな。癖の強いキャラクターだったよ」
うん。美味しい。
「これからお仕事されますか?」
「うん。情報は鮮度が命だからね」
数口飲んだ紅茶を机の端に寄せる。
お気に入りの万年筆を握る。
こだわりの原稿用紙を一枚取り出した。
さあ、小説家の時間だ。
「軽食はお持ちしますか?」
「そうだね。もう少し食べたい気分だ」
「何にいたしましょうか」
「そうだな……魚肉ソーセージが余ってたよね。そのまま持ってきて」
「かしこまりました」
「ところで、依頼キャンセルが入りました」
「卯崎様?」
「はい」
「見して」
依頼票を受け取る。
可愛らしい丸文字で、『キャンセル』と慎ましげに書かれている。
ご丁寧に『理由』の欄も記載されている。
「『この度ご依頼させていただきました件について、解決致しましたのでキャンセルをお願いいたします。受託していただいたわけではありませんが、念のためお知らせいたします。お騒がせいたしました』」
何の意図もなく読み上げる。
律儀に聞いていたこの家のメイドは、表情を変えることなく耳をすませる。
紙から視線を移せば、感想でも言おうとしているのか口がぱくぱくと動いた。
「……えー……その方は、今回のご依頼の関係者でしたよね?」
「そう。よく覚えてたね。蛇さんの標的になりかけた兎さんだよ」
蛇の依頼を解決したら、兎の悩みもなくなった。
ただそれだけのこと。
キャンセルの書類も一応保存する。
一応、仕事関係の書類だからね。
「今回はどういうお話にされるんですか?」
いつも興味なさげなメイドが珍しく聞いてきた。
顔はいつもと同じでいかにも『何の変哲もない』のだが。
私の本職に興味でも出てきたのかな、と少し上機嫌になる。
「蛇は空腹だったんだよ」
ダイエット中だという巳里様は空腹で調子を崩していた。
部活でも力が出ない。
なぜダイエットするのか。
恋していたからだ。
好きな人に好かれようと、綺麗になろうと食事を制限した。
そうしていくうちにどんどん好きになる。
けれど部活はうまくいかない。
辛い。辛い。辛い。
本調子でない中で、焦りと恋心が渦巻く。
正常な思考が出来なくなる。
「そもそもの話。本当に恋心を持っていたのかな、と」
「……それが前提の相談では?」
「そうなんだけどね。海を泳ぐ蛇が鼠を好きになるかな?」
もしかしたらあるかもしれない。
けれど、海に住む蛇と、陸に住む鼠。
出会いこそしても恋に落ちるだろうか。
恋というより、捕食対象ではないだろうか。
「恋に落ちたとしよう。けれど、それは最初までだった」
飢えた蛇は、毎日見るイキのいい生物にどんどん惹かれていく。
さりげなく隣に並んでサイズを確認する。
ああ、食べれる。
確信した。
そして受け入れてほしかった。
けれどダメだった。
なぜ?
こんなにも求めているのに。
空腹の蛇は思考が整わず、混乱した。
そして私に依頼を出した。
結果。
「色欲の兎が、好きな人にまとわりついていると聞かされる」
「卯崎さんですか」
「そう」
蛇は嫉妬に狂った。
なぜ? なぜ? なぜ?
こんなにも好きなのに。
こんなにも愛しているのに。
こんなにも欲しているのに。
こんなにも大事にしているのに。
「蛇は嫉妬でしたか」
「そう。嫉妬の眷属。というより、子済様も良くないのだけどね」
「鼠は強欲でしたね」
「巳里様のことも、卯崎さんのことも欲しがった。欲張りというか優柔不断というか。嫉妬に狂った蛇が暴走しそうなところで、私がある提案をした」
「わたくしに作らせたこれですね」
瓶詰めにされた、丸い、血色感のあるそれ。
とてもおいしい。
余ったものはおやつにいただこう。
「それは蛇の大好物だからね」
それを食べた蛇は空腹が抑えられた。
程よく味があり、噛みごたえのあるそれ。
今まで我慢していた食べ物。
本来の食事を思い出した蛇は、鼠への執着をやめた。
「巳里様の件はこれが真相」
「では、卯崎様の方は」
「色欲は誘惑するのは仕事のようなものだからね」
誘惑。
恋心を感じ取るのはもはや本能だろう。
蛇が鼠に恋していると気付いた兎は笑った。
捕食対象である鼠に恋をするのか、と。
何だその愉快な状況は。
では、同じく捕食対象であるあたしが邪魔をしてやろう、と。
今まで思いのままに捕食対象たちを蹂躙してきた蛇。
発散できない欲求を抱えて悶えて転げまわればいい。
それはどれほど愉快なことか、と
だから、兎は鼠と仲良くした。
「随分な性格ですね」
「そうだね」
「卯崎様の方を引き受けなくてよかったですね。巻き込まれていたかもしれません」
「本当に。あわよくば私も誘惑されていたかもしれない」
「…………」
「なんか言ってよ」
兎も、私に依頼したのは『もしものため』だろう。
兎も蛇の捕食対象だ。
相手が女性じゃ、出来なくはないだろうが誘惑の成功度は高くない。
さらには蛇は嫉妬に狂っていた。
誘惑する間もなく、食べられていたかもしれない。
「さ、これが真相だよ。面白そうじゃない?」
「はぁ」
「君が寝なかっただけまだ良かったよ」
つまらなかったら寝るメイドだから。
素直な反応はありがたいけれど。
さあ、本職をやろう。
今度こそ売れるかな。
ペンを握る。
紙を広げる。
状況を振り返りながら、ほどほどにぼかして書いていく。
ネタがある物語は書くのに集中できてとてもいい。
「この世界の眷属に、鹿はいないのですがね」
――――― ❀ ――――――