タイトル【猿生交換】


 女がいた。
 ただの、どうでもいい、程々の、特に何ともない一般家庭。
 三人キョウダイの真ん中に生まれた。
 上は適当にのらりくらりと過ごし。
 下はやりたいことをやりたいだけ、好きなように過ごしていた。
 真ん中は、そんな二人を見て。
 上や下と両親が楽しそうにしている(かたわ)ら、やりたい放題の二人に悩まされる両親を見て。

「自分が負担になってはいけない」

 幼いながらもそう判断した。
 だから。だからこそ。
 授業はもちろん真面目に受た。
 テストでいい点を出した。
 学校で仲間外れにされても元気に登校した。
 悩みを抱えても心配させないように心に仕舞って。
 部活は辞めたくても一時の気の迷いだと言い聞かせ。
 習い事には行ったふり。
 受験は確実なところを狙う。
 公立に落ちて私立になった。
 金銭的負担をかけてしまったから、弟に公立に行くよう頼みこんだ。
 過ごし方は今までと何も変わらない。
 塾には行きたくなかったけど、家にいるのも嫌で行ったふりをしていた。
 学校の授業についていけなくなることはなかった。
 けれど大学も私立になってしまった。
 医学系の、資格さえ取れれば安泰の職業につける。
 けれどまた、金銭的負担をかけてしまうことになった。
 だから。
 睡眠時間を削って、バイトをして、少しでも家にお金を入れた。
 留年することなく卒業することができた。
 けれど試験に落ちて、資格は取れなかった。
 フリーターになった。
 バイトを増やして、家に入れるお金を増やして、家事もできる限りやった。
 やらされたわけじゃない。
『やらなければ』と思った。

「あたしだけは、ちゃんとやらなきゃ」
「負担になってはいけない」
「助けなければ」

 誰かに突き動かされるように。
 自分の中から聞こえる声に従った。

 子どもの頃の思い出はある。
 友達とも遊んだし、恋愛もした。
 けれど、家族が関わるイベントは、あまり覚えていない。

 大学の卒業式はリクルートスーツで行った。
 成人式は参加しなかった。
 夏休みはバイトを入れた。
 年末年始の遠出は体調を崩して留守番してた。
 誕生日は、何も言わなかった。

 少しでも。少しでも。
 自分に関わることで負担になりたくない。
 お金をかけさせたくない。
 だって、そもそもお金をかけさせているから。
 自分の努力が少なくて、とばっちりを受けているから。

 両親が喜ぶことをしないと、あたしのことは見てくれない。
 あたしは『聞き分けのいい子』だから。
 あたしは『見なくても大丈夫な子』だから。
 あたしは『キョウダイほど手のかからない子』だから。


 あたしが負担になった時、あたしを見て、手をかけてくれますか?

 何とか働いていた。
 働くのはいいことだ。
 自分の役割がはっきりしている。
 やり遂げれば文句も不満もなくて、報酬がもらえる。
 丁寧に、余裕を持って。
 けれど周りを見ながら。
 人手が必要そうならば率先して。
 問題を起こさない様。
 問題が起きる前に。
 問題が起きても冷静に。
 あたしは下っ端の働き蟻。
 本能的にやることを理解して。
 緊急時には指示に従う。
 誰かの手足となって忙しくすることがあたしの使命。

 それが自分のやりたいこと。
 いつから思っていたかは定かではない。

 キョウダイが好き勝手にしていても、あたしは働くだけ。
 なるべく負担にならない様に、やることをやる。
 彼氏が浮気しても怒らない。
 あたしでは満たせなかった。
 別の人でしか満たせなかった。
 反省していると言う。
 反省しているのなら、責めてはいけない。
 あたしにも悪いところがあったんだろう。
 あたしに悪いところがないわけないのだから。
 あたしにも悪いところがあるのに、責めてはいけない。
 責められない。
 なによりも、好きだから。
 好きだと言ってくれたから。
 こんなあたしを、好きになってくれたのだから。

 出会ったのは、そんな時。

「頑張ってるね」
「頑張りすぎ」
「普段は何やってるの?」
「何が好き?」
「僕も好き」
「いいところ見つけたんだ」
「一緒に出かけない?」
「いいところでしょ?」
「最近疲れてる様だったから」
「大丈夫?」
「吐き出したければ相槌役になるよ」
「何か言って欲しければ口も貸し出すよ」
「何も考えたくなければ、僕と楽しい話をしよう」

 今まで話したことがなかった、身の回りのこと。
 これが普通だと思っていた。
 他を知らないから、比較のしようがなかった。
 家のことを聞いていいとも思えなかった。
 だから、知らなかった。
 自分のことしか知らなかった。
 初めて、他を知った。

「僕は君が好きだよ」
「寄りかかっていいよ」
「僕にだけは何でも話して。何でも聞くから」
「頑張ってる。君はよく頑張ってるよ」
「頑張りすぎて心配」
「僕でも、僕じゃなくても、力を抜いて笑ってほしい」

 その時は笑えなかった。
 涙ばかりが溢れてしまったから。


「今日もお疲れ様」



「よく頑張ったね」



「明日は休み?」



「乾杯しよう」



「明日は朝寝坊しよう」



「おやすみ」



「よく眠れた?」



「どこか出かけようか」



「気をつけて帰ってね」



「試験頑張って」



「おめでとう!」



「よく頑張った。本当に本当に。すごいよ」



「お祝いしよう」



「乾杯!」



「一緒に暮らそう」



「お互い支え合っていこう」



「僕は帰るの遅くなるから、負担かけちゃってごめんね」



「過ごしやすい家にしてくれてありがとう」



「どこか行く? 家で過ごす?」



「じゃあのんびりしようか」



「体調悪い? 無理しないで」



「食べやすいもの買ってきたよ」



「僕も仕事で嫌なことあったんだ。今日は少し飲ませて」



「聞いてくれる?」



「すき。だいすき。ずっと一緒にいて?」



「これ似合うんじゃない?」



「こういうのも似合うと思うよ」



「こっちも着てみてほしいな」



「化粧は苦手? 化粧映えする顔だと思うけどな」



「この女優さん好きなんだー。かわいい」



「同期が細身なんだ。いいなーって思う」



「一緒に出かけようよ。化粧してみてよ」



「僕、アレルギーなんだよね。最近痒くて」



「片付けと掃除機、なるべくやってもらっていい?」



「あー、しんど。仕事辛いなぁ」



「悪いんだけど、少し助けてもらえない?」



「ありがとう。本当にありがとう。お返しはちゃんとするからね」



「最近掃除機かけた? すごい痒いんだけど」



「ストレスかな」



「あー、酒がうまい。一緒に飲もうよ」



「寝るのー? まだいいじゃん。おーきーてー」



「ねーこれみて! 面白いから! お願い少しだけ見て!」



「なんだよー。そんな言い方しないでよ。せっかく楽しかったのに」



「あーあ!! 楽しい気分が台無しだよ!」



「クソ!! 本当にクソ!!」



「俺アレルギーだって言ってんじゃん!! 仕事も忙しくてほとんど家にいないからお願いって言ったじゃん!! 何もやってねーだろ!! 寝てんだろ! 普段から寝すぎなんだから今ぐらい起きろよ!!」



「寝てんじゃねーよ。話してんだろ」



「何もできないクズのくせに」



「あーあ、泣いた。俺だって泣きてーよ。被害者ぶるなよ」



「ありえな。マジでありえない。クソじゃん」

















「ごめん。ごめんなさい。酔いすぎました。何も覚えてない。本心じゃない。相手が嫌がることを言いたくなっちゃう。溜まってたんだと思う。気をつけるから。お願い、別れないで。ごめんなさい」


「笑ってるきみがすき。笑っててほしいと思う。一緒に笑いたい。一緒にいさせてください」



 頑張って笑うようにした。
 そうしたら、自然と笑えるようになった。
 笑っていると、何も考えないで済む。
 笑っていると、周りの人も笑ってくれる。
 笑っていると、嫌な雰囲気にならないで済む。
 笑っていると、あたしは『明るく元気で楽しい人』になれた。
 内心はどうだっただろうか。
 本当に笑っていたと思うけど、自分は自分を信じていない。
 だってあたしだから。
 他人に振り回されるあたしだから。
 それをよしとする……あたしなんだから。

 だから、許した。
 付き合って。
 近くにいて。
 喧嘩するなんて当たり前でしょう?

 許して。
 仲直りして。
 穏やかで。
 また同じことで喧嘩して。
 また許して。
 また仲直りして。
 また穏やかで。
 またまた同じことで喧嘩して。
 またまた許して。

 ……。

 喧嘩だけじゃなくなった。
 クズと言われた。
 何もできないクズだと。
 被害者面するなと言われた。
 俺の方が傷ついていると。
 死ねと言われた。
 死んでも何も困らないと。

 辛かった。
 頑張っているつもりだったのに。
 取るに足りない努力だっただろうけど、無駄だと言われた様で辛かった。
 認めてほしかった。
「頑張ってるね」って。
「よく頑張ったね」って。
 世間的には爪のかけらほどでもない努力だっただろうけど、あたしなりに結構頑張ってたんだよ?

 あたしのためでもあって。
 貴方のためでもあった。
 ……無駄だった。
 いなくなってしまったから。

 ねえ。
 どこにいってしまったの?
 あたしはまだ、貴方がすきだよ。
 もし嫌いになったのなら。
 いらなくなってしまったのなら。
 そう言ってください。
 じゃないと、あたしは貴方をすきでい続ける。
 貴方を傷つけたくはないの。
 だから、貴方から離れてください。
 貴方から「お前といても」と言って離れてください。
 貴方が幸せになるためなら、あたしは離れます。
 貴方の幸せのためなら、あたしは不幸になってもいい。
 貴方の幸せのために、あたしは地獄に堕ちましょう。


 貴方が、好きだから。


 曖昧が一番嫌い。
 (あたし)(あたし)のことが嫌い。
 あたしがあたしじゃなくなるのなら、それはとても嬉しいこと(ハッピーエンド)
 たとえあたしがあたしでなくなっても。
 あたしは貴方を想い続ける。

 

















「体調はいかがですか? ああ、喋れませんよね。すみませんがそれは外すことができません。大丈夫。貴方の声は聞こえていますから。

 貴方は大怪我をしています。身体も、そして心も。大丈夫。治癒に全力を注いでください。そのための環境は整えます。貴方の彼も、穏やかに過ごしています。

 ありがとうございます。貴方のおかげで、私は長引いていた契約を守ることができました。彼女は元気になった。一つ仕事が片付いた。あの子との契約は終わった。片付かない仕事ほどイライラするものはありませんよね。

 あの子との契約は終わりました。
 貴方とは改めて契約をいたしました。
 貴方の体をお借りすることで、私は貴方の望みを叶えることができます。
 だから、ご心配なく。
 貴方の生活は保証しましょう。
 私の仕事も保証されました。
 では、そろそろお暇します。
 貴方がここに留まってくれているおかげで、【異世界への鍵】は残っている。
 私は私の刻を有効に使える。
 最大の感謝を。

 ああ、お互い、なんて喜ばしいことでしょう。
 これこそまさに、ハッピーエンドだ」