寧々子(ねねこ)の実家は五代続く由緒ある和菓子店で、屋号は三池屋だ。
 三池屋は地元では有名な和菓子店で、一番人気の豆大福や定番のどら焼きや団子、わらび餅などを扱っている。

 だが近年、外国の菓子が入ってくると、ハイカラで華やかな洋菓子が若い娘の間で大流行し、少しずつ店は傾き始めた。
 だが、和菓子店でも繁盛している店もある。
 要は五代目として店を継いだ父の手腕の問題だった。

 手ずから菓子を作り、丁寧な仕事をしていた祖父たちとは違い、大変な菓子作りは職人に任せっきり。
 父はその場の思いつきのような新しい和菓子を考案しては、手間と材料費を無駄にしていった。
 腕のいい職人と揉めては解雇し、だんだん味も落ちていった。

 挙げ句に「これからは洋菓子の時代だ」と言いだし、人気の洋菓子店の長男、俊之(としゆき)と寧々子の縁談を取り付けてきた。
 俊之は寧々子より六つ上の24歳で、すらりとした見目のいい男だった。

 家同士の結婚とはいえ、明るく笑顔の素敵な俊之に、この人とならばうまくやれるかも、と寧々子は婚約を承知した。
 だが、そう思っていたのは寧々子の方だけだった。
 ある日、俊之が公園に寧々子を呼びつけたのだ。

「え……婚約破棄……?」
「ああ。申し訳ないけどね」

 俊之が悪びれた様子もなく、あっけらかんを言い放った。

「両家で手を組み、事業を盛り上げていくつもりだったけれどね。こんな負債を抱えられては、どちらの家も沈んでしまうよ」

 なんと父の負債は膨れ上がっていて、5万円にもなるという。
 この時代、大卒の公務員の初任給が70円ほどだ。
 5万円ともなると、一生働いても返せるかどうかわからない額になる。

 店と家を手放したとしても、まだ借金が残ってしまうだろう。
 寧々子は目の前が真っ暗になった。

「お父様、本当ですか?」

 家に帰るなり父に詰め寄ると、苦虫をかみつぶしたような顔になった。

「……投資がうまくいけば、全部回収できたはずなんだ」
「お父様!」

 小さな借金がたまっていき、焦った父は一気に返済するために投資話に乗ったのだという。

「確実に儲けられるという話だったんだ!」

 父のような世間知らずでのほほんと暮らしている人間を騙すのは簡単だっただろう。

(俊之さんの言うとおりだわ……)

 婚約破棄を言い出され、ショックで呆然としている寧々子に俊之は言ったのだ。

「ウチのような新興店はまだ信用がない。だから、長年地元で店をやっていた三池さんとの縁談は悪くないと思っていたんだが、その『信用』がないのでは話にならないよ」
「……」
「ここまでダメな人だとは思わなかったよ。跡継ぎはきみだけだし、そのきみも何ができるわけでもないし」

 正直な言葉はぐさりと胸を突き刺した。
 女学校を卒業し、すぐに店の手伝いに出た。

 ――おまえは何の取り柄もないけれど、愛想はいいからな。店番をしてくれ。

 そう言われ、大人しく接客をした。
 だが、和菓子店を切り盛りできるほどの手腕も、売り物になるほどの和菓子を作れるわけでもない。

(ウチの店はもうダメだ……)

 寧々子はうなだれた。

「あなた、どうするんです! 店も家も抵当に入ったって本当ですか!?」

 何もかも父に任せっきりだった母も寝耳に水だったらしい。
 母の金切り声に嫌気が差したのか、父はぷいっと家を出ていってしまった。
 現実から目を背けることしかできない父に、寧々子は落胆を通り越し、空虚な気分になった。

(どうしよう――どうしたらいいの)

 目の前が真っ暗になるとはこのことだ。

「ごめんください」

 ある日、家に恰幅のいい老人がやってきた。

「あ、佐嶋(さじま)さん……」

 佐嶋は地元ではここ近辺では有名な地主で、町の世話役をやってくれている。

「三池さんの苦境を小耳に挟みましてね。お力になれるかも、とやってきました」
「えっ……」

 佐嶋は穏やかな表情を浮かべていたが、その目は鋭かった。
 寧々子はお茶を出すと、居住まいを正した。

「異界と人間界の狭間にある国をご存知ですか?」
「いえ……噂話でしか知りません」

 いわゆる異界――あやかしたちが住まう世界と自分たちの住む人間界。
 この二つの世界の境界線に、あやかしと人が共存している国があるという。

 寧々子は幼い頃、それらしき場所に一度迷い込んだことがある。
 だが、確証がなく、一夜の夢だと言われればそれまでだ。

(あれは夢のような出来事だったけれど……)
(でも、きっと異界だったわ)
(人の姿をしていたけれど、どこか違う不思議なものたちの集まり……)

「噂話でも知っておられるなら話が早い」

 佐嶋があごひげを撫で、にこりと微笑んだ。

「この境界の場所は四つあって、それぞれ四神の名が付けられているんですよ。そのなかで、積極的に人間を受け入れている国が一つあってね」
「人を受け入れる……」
「南にある朱雀(すざく)国と呼ばれていて、若いあやかしの王が治めています」
「はあ……」

 いきなり異界の話などされ、寧々子は戸惑いを隠せなかった。
 それがどう自分たちと繋がるのだろう。

「異界と人間界の間には結界があるんですが、最近あちこちにほころびが出ていましてね」
「ほころび……」

 寧々子はどきりとした。

「害をなす危険なあやかしが異界から入ってくるようになってしまい、苦慮しているんですよ」
「そんなことが……!」

 だが、昔寧々子が異界らしき場所に行ったように、あやかしもほころびから人間界に来られるとしても不思議ではない。

「なんとか結界を強固にするために、異界の陰陽の気のバランスを取ろうという話になりましてね。あやかしは陰、人間は陽の気を持っています。女性は陰、男性は陽。なので、あやかしの王と、人間の女性の婚姻を結ぶ案が持ち上がったんです」
「婚姻……あやかしと人が?」

 異類婚姻譚は昔話で聞いたことがある。
 人でない者と、人間が結ばれるというおとぎ話だ。

「ええ。ただ、あやかしといっても、朱雀国にいるあやかしは基本的に人の姿を取っているんですよ。むしろ、人界に馴染みすぎて、異界には戻れない者もいるような場所でね。そう、見た目はほぼ人間なんです」

 佐嶋が説得をするような口調で話すのが引っかかる。

「それが……?」
「寧々子さんは18歳ですよね。妙齢で、しかも霊力が高いとお見受けしました。人間界からの花嫁にぴったりなんですよ」
「えっ……」