三毛猫の化け面をつけ、蒼火(そうび)とともに甘味処に来た寧々子(ねねこ)は引き戸をノックした。
 まだのれんはかかっていない。

修三(しゅうぞう)さん? 寧々子です」

 しばらくして引き戸ががらっと開いた。

「お嬢さん……おはようございます」

 のっぺらぼうのお面を外した修三が顔を出す。
 もともと彫りの深い顔だが、更に頬がこけているように見える。
 顔色も悪く、表情も冴えない。

「どうしたんですか? 疲れているみたい……」
「仕込み中なんですが集中できなくて……。昨日みたいにまた変な奴らが来ないかと……」

 修三が長身を屈めるようにして言った。
 繊細で気の弱い修三にとって、昨日の事件は大きなトラウマになっているようだ。

「よかったら、仕込みを手伝いましょうか?」

 寧々子はさっと袖から紐を取り出し、たすき掛けを始めた。

「お邪魔じゃなければ僕もいますよ。昨日みたいな奴が来たら追っ払います」
「ほ、本当ですか!」

 寧々子たちの提案に、修三がホッとしたように顔をほころばせる。

「あの修三さん。手伝いがてら、私にも甘味を作らせてもらえない?」
「お嬢さんが?」
「ええ。新しく作ってみたいものがあって……」
「もちろん構いませんよ!」

 快諾してもらい、寧々子はホッとした。
 今晩のデザートに使う材料を試してみたかったのだ。
 三人が必死で作業の追い込みをしたおかげで、昼前には店を開けることができた。

「えっ……すごい……」

 のれんを手にした寧々子は引き戸を開けて呆然とした。
 店の前に人だかりができている。

「これ、全部お客様?」

 蒼火も驚いたようで目を見張っている。

「たぶん、昨日の騒ぎでお店が認知されたんでしょう。甘味が好きなあやかしが多いから……」
「こんなに大勢……」

 閑古鳥が鳴いていた昨日とは大違いだ。

「これは修三さん一人ではさばけませんね、僕たちも手伝いましょう!」
「ええ! 蒼火さん、付き合わせてごめんなさい」
「いえいえ、甘味処を手伝うなんて初めてですが、面白いですよ」

 快活に笑う蒼火に救われた気持ちになる。

「どうかしましたか?」

 何の騒ぎかと、厨房からのっぺらぼうのお面をかぶった修三が顔を出す。

「ひいっ!」

 詰めかけた大勢の客の姿に、修三がぎょっとしたように後ずさった。
 和菓子作りは超一流だが、接客は苦手なのだ。しかも相手はあやかしと来ている。

「接客は私たちに任せて、修三さんは厨房をお願いします」
「はい!」

 修三が逃げるようにして厨房に戻る。

「いらっしゃいませ!」

 寧々子は客たちに笑顔を向けた。
 これでも実家の和菓子店を切り盛りしてきたのだ。
 この程度の客足で怯むわけにはいかない。

「喫茶ですか? それとも持ち帰りですか?」

 一人一人に尋ねていく。
 相手はおそらく全員あやかしだが、寧々子はまったく気にならなかった。
 人間だろうがあやかしだろうが、お客様には違いない。

「蒼火さん、お持ち帰りの方の注文をとってくださいませんか?」
「了解です!」

 蒼火がてきぱきと客から注文を取り出す。
 寧々子は主に喫茶を担当し、客を席に案内し、お茶を出し、注文を取った。

「あんみつ二つお願いします!」
「豆大福五個お願いします!」
「はい!」

 厨房の修三もてんてこ舞いだ。
 まさかこんなに客が来るとは思わなかったのだろう。

 そのとき、寧々子は店先に狐のお面をつけた男の子が立っていることに気づいた。
 背格好からすると、寧々子より少し年下に見える。

「いらっしゃいませ。喫茶と持ち帰り、どちらですか?」

 寧々子が声をかけると、狐面の男の子はびくりとした。

「あ、あの……」
「はい?」
「桃の……甘味ありますか?」
「桃?」

 和菓子に桃はあまり使われない。
 そもそも、穀類や豆類が主に使われるので、果物の使用自体が珍しい。
 わざわざ桃を指定ということは、よっぽど好物なのだろうか。

 寧々子はまじまじと狐面の男の子を見つめた。
 視線を感じたのか、男の子が気まずそうにうつむく。

「ちょっと待ってくださいね。聞いてきます」

 三池屋では桃を作った甘味は扱っていなかった。
 だが、この店では違うかもしれない。
 寧々子は厨房に入って修三に声をかけた。

「修三さん、桃の甘味ってあります?」
「桃? 新メニューの試作用にいろいろ仕入れたからありますけど、まだ使ってなくて……」

 修三が考え込むように首を傾げる。

「みつ豆の付け合わせとして出すことはできますけど」
「わかりました。そう伝えます」

 寧々子は店先に戻り、狐面の男の子に声をかけた。

「みつ豆に付けることができるみたいですけど、中で食べますか?」

 狐面の男の子が大きくうなずく。

「じゃあ、どうぞ。相席になっちゃいますけど……」

 幸い、座敷席が一つ空いていたので案内した。

「寧々子さん! 注文が上がりました!」
「はーい!」

 修三の声がけに、急いで厨房に行く。

「すいません、本当に手伝わせてしまって」
「いいの。甘味処で働けるのは楽しいし、いい気分転換になるわ」

 正直、何もやることがなく、時間を持て余していた。
 こうして修三を手伝えるのなら、やりがいもあるというものだ。
 寧々子はきびきびと注文をさばいていった。