営業所に戻ると、何やら構内がざわついていた。荷下ろし場に人だかりが出来ている。何事だろうと思い、「どうかしたんですか」と、近くにいた社員に尋ねる。
「田曽井さんと神田川さんが言い争ってて……」と、その社員は伏し目がちに言った。
「え?」
僕はすみませんすみませんと、人をかき分けて、人だかりの先頭へ飛び出した。そこには、向かい合って対峙する田曽井と神田川、それに田曽井の背後で腕を前に組み、俯きながら震えている相良の姿があった。
「だからさっきも言いましたけど、ここまで大袈裟にことを荒立てるようなことでもなかったでしょう」
「大袈裟にしたのはどっちだ。お前がいちいち首を突っ込んでこなければよかったんじゃないのか」
神田川を睨む田曽井に、嘲笑で受ける神田川。僕は状況がよく分からず、「何があったんですか」と、隣で固唾を飲んでいる社員に聞いてみた。
「あそこで俯いてる子が、破損している荷物を客に謝らずに配達してしまったらしい。それでクレームが来て、神田川さんが謝罪に行ったんだけど、その後あの子に注意してたら、田曽井くんが割って入ってきたんだ」
ここに人だかりを造っている社員たちの多くは、神田川が相良にパワハラをしている疑いがあることは、おそらく知らないだろう。だから、僕に説明をしてくれたこの彼も、なぜ田曽井が二人のあいだに割って入ったのか、疑問に思っているのかもしれない。
「オレも回収してきた荷物を見ましたけど、荷姿を見ただけじゃ、中身が破損しているなんて思いもしなかったと思いますよ。ダンボールはどこも破損していなかったし、相良が何も言わずに配達したのも、致し方ないんじゃないですか」
田曽井は淡々とそう言った。神田川の眼鏡の奥の目が、キュッと細まる。こうして見ると、彼は運送会社の配達員というよりは、胡散臭い理系のビジネスマンのような見た目をしている。シバイヌのポロシャツではなく、スーツを着て、どこかの商社に紛れ込んでいても一瞬にして馴染みそうだ。腕っ節の力ではなく、理論で相手も打ち負かそうとしそうなのに、相良に対する仕打ちが事実だったとしたら、見た目からは乖離した印象だ。
「だから何だ。俺はそんなことを言っているんじゃない。そいつが素直に自分の非を認めなかったことに、注意をしただけだ。」
「破損に気づかなかった、と相良は言っただけですよね。自分の状況を説明しただけで、非も何もないでしょう」
「言い訳だ。客にそんなことが通じると思っているのか」
「客には謝罪をしたんだからもういいでしょう。俺らの間では『運が悪かったな』で済むようなことを、いつまでもネチネチネチネチ言ってるから、相良も萎縮しちまってるじゃないですか」
「始めからそうやって危機感も持たずに仕事をさせていたら、いざ大きなクレームになった時にどうするんだと、俺は言っているんだ」
二人の押し問答がなかなか終わらないので、人だかりはやがてばらけていき、残されたのは僕だけとなる。みんな各々の業務が残っているのだろう。神田川と田曽井が取っ組み合いの喧嘩でも始めたらえらいことになりそうだが、今のところはそんな様子はなさそうだから、みんな関心を示さなくなったのだ。社員同士の小競り合いは、血の気の多い男たちが集う会社ではたまにあることだ。それにいちいち干渉していたら、身がもたない。とはいえ、僕には他人事とは思えなかった。無視をしてはいけないと思いつつも、今更僕まで参戦したら、余計に話がこじれるかもしれない。だから僕は、何をするでもなく、そこに立ち尽くして、成り行きを見守っていた。
「あ、あの、す、すみませんでした、おれ、もっと気をつけて、仕事、します」
険悪な二人の間を埋めるかのように、相良が田曽井の横に出てきて、震える声で言った。神田川に深々と頭を下げる。伸びた手が、スラックスのクリースのあたりを、ぎゅっと掴んでいる。
「俺の足を引っ張りやがって、クズが」
神田川は、吐き捨てるように言うと、田曽井と相良の脇を、早足で通り去っていった。構内の、荷物を流すベルトコンベアの轟音に紛れて、相良が鼻を啜る音がはっきりと聞こえた。肩を震わせ、腕で目頭を拭う姿を見た僕は、居た堪れなくなって、神田川の後を追いかけた。
「待て!!!!」
いくら班が違うからといっても、神田川は営業主任という肩書きをもつ目上の人間だ。そんな人に投げるべき言葉ではない。頭の中では分かっていても、込み上げてくる怒りが理性を制御できなかった。神田川が立ち止まり、振り返る。奴の名を呼んだわけではないのに、反応したのは、自身に心当たりがあるからなのだろう。
「誰だお前」
僕に投げつけてきた言葉の冷たさに、一瞬怯んだが、「久住班の、城谷です」と名乗る。
「フン、相良のお気に入りか」
「別にそんなんじゃないですけど、さっきのは言い過ぎじゃないですか?相良に謝ってください」
感情の成すがまま、僕は神田川に詰め寄った。上背は奴の方が大きいが、身体の厚みは僕の方が勝っている。万が一殴りかかられても、負けはしないだろう。
「他所の班の者が、口を挟むな」
「誰であろうと関係ない。まだ経験の浅い新人を泣かせるなんて、上司失格だ!」
今度は僕が注目の的になる番だった。営業所に帰ってきたドライバーたちがその後の業務のために集まる部屋をドライバーズルームというが、そこから何事かと顔を出して見てくるドライバー然り、帰り際に気まずそうに横を通っていく社員然り。田曽井の時と違うのは、周りに人だかりはできないところだ。
「口の利き方がなってない奴だな。社会人失格だぞ」
「話を逸らすな!おま……あなたのやっていることはパワハラだ!仮に相良に非があったとしても、あいつを貶めていい理由にはならない!」
僕も思わず口を滑らせてしまいそうだったが、寸でのところで言い直した。怒りやら焦りやらで身体が熱くなって、冷や汗が背中に流れるのを感じる。
「アキトさん、すみませんおれのせいで……もういいっす。アキトさんまで巻き込んで騒ぎにしたくないです」
パタパタと足音を鳴らして、相良が近寄ってくる。目が潤み、赤くなっている。彼がそう言うなら……と引き下がることも一瞬考えたが、ここでうやむやになってはいけないと、後には引けなかった。
「やめておけ」
口を開こうとした僕の腕を引っ張ったのは、田曽井だった。思いのほか、強い力で腕を掴まれる。僕が振り解いて、神田川に突っかかっていかないためだろうか。田曽井の顔を見ると、鋭い眼光を投げかけられ、たじろいだ。
「あまり騒ぐな。気持ちはわかるが、相良の気持ちも分かってやれ」
「……」
僕はあまり納得がいかなかったが、田曽井の言うことに従った。神田川はチッと舌打ちをして、場から離れていく。ドライバーズルームから顔を覗かせていた他の社員たちも、騒ぎが収まったと認識したのか、各々の業務へと戻っていった。僕は怒りを燻らせたまま、「残荷を片付けてくる」とぶっきらぼうに言い放ち、田曽井と相良とは目も合わせずに、トラックへと戻った。僕がもっと分別の無い人間だったとしたら、壁や物に当たっていたかもしれない。それほどに、感情のやり場に困っていた。
「くそったれ……」
トラックの荷台に僕の独り言が虚しく響いた。
「田曽井さんと神田川さんが言い争ってて……」と、その社員は伏し目がちに言った。
「え?」
僕はすみませんすみませんと、人をかき分けて、人だかりの先頭へ飛び出した。そこには、向かい合って対峙する田曽井と神田川、それに田曽井の背後で腕を前に組み、俯きながら震えている相良の姿があった。
「だからさっきも言いましたけど、ここまで大袈裟にことを荒立てるようなことでもなかったでしょう」
「大袈裟にしたのはどっちだ。お前がいちいち首を突っ込んでこなければよかったんじゃないのか」
神田川を睨む田曽井に、嘲笑で受ける神田川。僕は状況がよく分からず、「何があったんですか」と、隣で固唾を飲んでいる社員に聞いてみた。
「あそこで俯いてる子が、破損している荷物を客に謝らずに配達してしまったらしい。それでクレームが来て、神田川さんが謝罪に行ったんだけど、その後あの子に注意してたら、田曽井くんが割って入ってきたんだ」
ここに人だかりを造っている社員たちの多くは、神田川が相良にパワハラをしている疑いがあることは、おそらく知らないだろう。だから、僕に説明をしてくれたこの彼も、なぜ田曽井が二人のあいだに割って入ったのか、疑問に思っているのかもしれない。
「オレも回収してきた荷物を見ましたけど、荷姿を見ただけじゃ、中身が破損しているなんて思いもしなかったと思いますよ。ダンボールはどこも破損していなかったし、相良が何も言わずに配達したのも、致し方ないんじゃないですか」
田曽井は淡々とそう言った。神田川の眼鏡の奥の目が、キュッと細まる。こうして見ると、彼は運送会社の配達員というよりは、胡散臭い理系のビジネスマンのような見た目をしている。シバイヌのポロシャツではなく、スーツを着て、どこかの商社に紛れ込んでいても一瞬にして馴染みそうだ。腕っ節の力ではなく、理論で相手も打ち負かそうとしそうなのに、相良に対する仕打ちが事実だったとしたら、見た目からは乖離した印象だ。
「だから何だ。俺はそんなことを言っているんじゃない。そいつが素直に自分の非を認めなかったことに、注意をしただけだ。」
「破損に気づかなかった、と相良は言っただけですよね。自分の状況を説明しただけで、非も何もないでしょう」
「言い訳だ。客にそんなことが通じると思っているのか」
「客には謝罪をしたんだからもういいでしょう。俺らの間では『運が悪かったな』で済むようなことを、いつまでもネチネチネチネチ言ってるから、相良も萎縮しちまってるじゃないですか」
「始めからそうやって危機感も持たずに仕事をさせていたら、いざ大きなクレームになった時にどうするんだと、俺は言っているんだ」
二人の押し問答がなかなか終わらないので、人だかりはやがてばらけていき、残されたのは僕だけとなる。みんな各々の業務が残っているのだろう。神田川と田曽井が取っ組み合いの喧嘩でも始めたらえらいことになりそうだが、今のところはそんな様子はなさそうだから、みんな関心を示さなくなったのだ。社員同士の小競り合いは、血の気の多い男たちが集う会社ではたまにあることだ。それにいちいち干渉していたら、身がもたない。とはいえ、僕には他人事とは思えなかった。無視をしてはいけないと思いつつも、今更僕まで参戦したら、余計に話がこじれるかもしれない。だから僕は、何をするでもなく、そこに立ち尽くして、成り行きを見守っていた。
「あ、あの、す、すみませんでした、おれ、もっと気をつけて、仕事、します」
険悪な二人の間を埋めるかのように、相良が田曽井の横に出てきて、震える声で言った。神田川に深々と頭を下げる。伸びた手が、スラックスのクリースのあたりを、ぎゅっと掴んでいる。
「俺の足を引っ張りやがって、クズが」
神田川は、吐き捨てるように言うと、田曽井と相良の脇を、早足で通り去っていった。構内の、荷物を流すベルトコンベアの轟音に紛れて、相良が鼻を啜る音がはっきりと聞こえた。肩を震わせ、腕で目頭を拭う姿を見た僕は、居た堪れなくなって、神田川の後を追いかけた。
「待て!!!!」
いくら班が違うからといっても、神田川は営業主任という肩書きをもつ目上の人間だ。そんな人に投げるべき言葉ではない。頭の中では分かっていても、込み上げてくる怒りが理性を制御できなかった。神田川が立ち止まり、振り返る。奴の名を呼んだわけではないのに、反応したのは、自身に心当たりがあるからなのだろう。
「誰だお前」
僕に投げつけてきた言葉の冷たさに、一瞬怯んだが、「久住班の、城谷です」と名乗る。
「フン、相良のお気に入りか」
「別にそんなんじゃないですけど、さっきのは言い過ぎじゃないですか?相良に謝ってください」
感情の成すがまま、僕は神田川に詰め寄った。上背は奴の方が大きいが、身体の厚みは僕の方が勝っている。万が一殴りかかられても、負けはしないだろう。
「他所の班の者が、口を挟むな」
「誰であろうと関係ない。まだ経験の浅い新人を泣かせるなんて、上司失格だ!」
今度は僕が注目の的になる番だった。営業所に帰ってきたドライバーたちがその後の業務のために集まる部屋をドライバーズルームというが、そこから何事かと顔を出して見てくるドライバー然り、帰り際に気まずそうに横を通っていく社員然り。田曽井の時と違うのは、周りに人だかりはできないところだ。
「口の利き方がなってない奴だな。社会人失格だぞ」
「話を逸らすな!おま……あなたのやっていることはパワハラだ!仮に相良に非があったとしても、あいつを貶めていい理由にはならない!」
僕も思わず口を滑らせてしまいそうだったが、寸でのところで言い直した。怒りやら焦りやらで身体が熱くなって、冷や汗が背中に流れるのを感じる。
「アキトさん、すみませんおれのせいで……もういいっす。アキトさんまで巻き込んで騒ぎにしたくないです」
パタパタと足音を鳴らして、相良が近寄ってくる。目が潤み、赤くなっている。彼がそう言うなら……と引き下がることも一瞬考えたが、ここでうやむやになってはいけないと、後には引けなかった。
「やめておけ」
口を開こうとした僕の腕を引っ張ったのは、田曽井だった。思いのほか、強い力で腕を掴まれる。僕が振り解いて、神田川に突っかかっていかないためだろうか。田曽井の顔を見ると、鋭い眼光を投げかけられ、たじろいだ。
「あまり騒ぐな。気持ちはわかるが、相良の気持ちも分かってやれ」
「……」
僕はあまり納得がいかなかったが、田曽井の言うことに従った。神田川はチッと舌打ちをして、場から離れていく。ドライバーズルームから顔を覗かせていた他の社員たちも、騒ぎが収まったと認識したのか、各々の業務へと戻っていった。僕は怒りを燻らせたまま、「残荷を片付けてくる」とぶっきらぼうに言い放ち、田曽井と相良とは目も合わせずに、トラックへと戻った。僕がもっと分別の無い人間だったとしたら、壁や物に当たっていたかもしれない。それほどに、感情のやり場に困っていた。
「くそったれ……」
トラックの荷台に僕の独り言が虚しく響いた。