ところで、イケモトのような蘊蓄博士がいるおかげであまり目立たないが、実はアトラスも相当な変わり者だ。もはや酔狂といえるほど市内の道を知り尽くしている。中でも、特に興味を引くのは、アトラスが〝コーヒーポイント〟と呼ぶエリアの存在だ。
 なぜコーヒーポイントなのか。
 俺たちは市内を縦横無尽に走っているわけだが、飯だって食えば汗だって拭くしトイレも行く。だから一次停止することはあるが、明らかな路駐はできないためアイドリングしながら片手間にパンを口に突っ込んだりする程度の休憩しかとれない。だが、アトラスが〝コーヒーポイント〟に入るときには必ずパッカーのエンジンを完全に切って停車し、休憩に入るんだ。
 そこが具体的にどこなのか、俺たちは知らない。本人曰く、そこでは必ず自販機を探して缶コーヒーを買うらしいのだが、なぜか青色のコーヒーが見つかるまで探すのだと言う。
 もうわかったよな? 青いカン。つまり、アトラスが必ず休憩に訪れるエリアは、そんなことが盛んに行われてる場所ってことだ。
「それじゃ、俺、コーヒーポイントなんで、休憩入るわ」
 時間は決まっていない。唐突にそんなことを言い、アトラスは会話を抜ける。何度も場所を聞き出そうとねばったが、結局誰も教えてもらえなかった。特にジャスティスが色々と交換条件を出してまで食い下がっていたが、絶対に口を割らなかったな。
 頑なな態度に俺たちも半ば意地になって、アトラスのルートを地図でたどってみたりしたのだが、それらしき公園も駐車場もひとつも見つからなかった。おそらくコースからかなり外れて、〝コーヒーポイント〟まで休憩に行っているんだろう。
 ホテルに行く金がないのか? それともそういう趣味なのか? 変わり者ってのは実際どこにでもいるもんだ。〝コンビニ難民〟――俺たちはそう呼んでいる。青いカンとはまた違う趣向の奴らだが、『こんなところでなぜ?』と思うような変人がコンビニに巣くっている。漫画喫茶やネットカフェでは過ごさない。コンビニの駐車場で暮らす難民だ。
 夜中の回収をしてると、こんな輩が多いのも特徴だな。
 昼間のうちは仕事してるのか、なんなのか……とにかく、そのコンビニにはいないんだが、夜中になると車でコンビニの駐車場に帰ってきて、車を停めて眠っているんだ。
「月極デス」とでも言わんばかりの定位置。決まって同じ場所。いつもの停車枠だ。
 だがこの手の奴らは、店側の警戒や注意を恐れているのか、だいたい店舗入口から離れた隅っこの方に車を停め、暗がりに身を潜めるように隠れているひっそりとしている。
 それが俺たちからしてみれば迷惑極まりない。コンビニのゴミ庫は店舗入口から離れた隅っこの方に在るのが普通だからな。
 俺たちゴミ屋がパッカーでやって来て、敷地内にバックで進入。ゴミ庫に向かおうとするとコンビニ難民の車が邪魔をする。ひっそり蹲ったでかい障害物。どいてくれと交渉するのもわずらわしいから、結局かなり離れたところに車を停めることになる。
 両手に十袋も担ぐだろうか。ネズミを蹴散らし、臭い汁を垂らしながら必死でゴミ庫を往復する俺らの横で、大口開けて幸せそうに眠るそいつらの顔を見ていると、やりきれない気持ちでいっぱいになるぜ。

 他にも、大の大人が小さなワゴン車の中で、何やら怪しい商談をしていたり、アトラスのコーヒーポイントじゃないが、若いカップルがおっ始めていたりと様々だ。
 俺が見た中で一番印象に残ってるのは、誰も乗ってないエンジンの掛かったままのセダンだ。
 そんなのエンジンを掛けたまま、客がコンビニに買い物に行くなんて普通にあるだろ? って言いたいんだろ?
 確かに、運転手はエンジンを掛けたままコンビニで買い物をしていたよ。俺がゴミを回収してるときに丁度袋をぶら下げて戻って来たからな。
 でも、俺が言ってるのはそいつのことじゃない。つまりそいつが離れていた車の方だ。
 車の中には誰も乗ってなかった。俺もこの目で近付いて、恐る恐る確認したからな。でもなぜか車はバウンドし続けてるんだ。
 まるでトランクの中に人でも押し込めて、そいつが内側から暴れてるようにな。
 コンビニから買い物を終えて戻って来た運転手は、中年の大人しそうなサラリーマンだった。ネクタイこそ外していたが、薄いブルーの清楚なワイシャツにスーツのズボンを履いた、どこにでもいそうな真面目そうな男だった。
 そいつは車の揺れを気にも留めずに運転席に乗りこむと、タバコを咥えながら携帯の画面を取り出して何かしていた。
「一体、トランクの中で何が暴れてるんですか?」
 なんて、とても怖くて聞けなかったぜ。  
 多分、でかいハムスターかなんかだろう、きっと腹が減ってトランクの中で暴れてたんだ。俺は無理矢理そう思うことにしたよ。

     *

 資源、つまり缶やペットボトルを専門に回収してるメンバーに聞いたことがあるんだが、そいつのコースはコンビニだけじゃなく、電車の駅構内や高校の校内の資源回収があるらしいんだ。夏場の女子校なんてこれ以上なく羨ましい話だろ?
 夜間組の俺らはコンビニの店員か、パトロール中の警官くらいしかすれ違ったりしない。朝になれば通勤途中に自転車を急がせるOLのスカートの裾くらいなら拝めるが、もうその時間では俺らの体力も切れていて、思ったほど盛り上がれない。
 昼間回収の奴らは夜間の俺らを羨ましがるし、俺らはそいつらを羨ましがってるって訳だ。
 日中組の奴らは当然、そういった場所は夜中には回収に行けない。駅は早くても始発の走る時間だし、学校だって先生たちが来ないことには勝手に入れないからな。
 そいつは施設の中にある自販機の横に設置されたゴミ箱から袋ごと取り出し、新しいゴミ袋を設置して帰ってくるんだが、暖かくなってくる春先から夏の終わりぐらいまで、定期的に出続けるらしいんだ。
 何がって? 薄いゴム製のアレだよ。
 一体そんなこと、どこで出来るのかは知らないが、AVの撮影じゃあるまいし、少しは我慢出来ないもんかね。

 ジュースの飲み残しやらに混じったコンドームの臭いってのは想像すると強烈だが、俺たちゴミ屋の臭いも、比べものにならないくらい強烈だ。
 パッカー車に乗って道路を走るだけで、道行く人々は目を逸らし、鼻を覆う。
 そして、その「臭い」に誰よりも敏感なのがアトラスだ。
 アトラスに対しては「臭う」とか「臭い」ってのは絶対に禁句だ。あいつは、そのキーワードに誰よりも過敏に反応し、そのキーワードを発した相手に牙を剥く。
 普段は温厚な奴だけに、そのギャップに最初俺たちも戸惑ってたよ。
 パッカー車ってのは先にも話した通り、バケットの中に積み込んだゴミを爪が回転して車の中へと押し込んでいく。
 そうやって積み込むゴミを押し込みながら車の中で圧縮していく訳なんだが、積み込めるゴミってのは無限じゃない。空気がそれ以上入らなくなった自転車のタイヤみたいに、やがてそれ以上どうしても圧縮出来なくなっていって、爪が回転速度を落としてうなり始める。 
 バケットにゴミを放り込んでも、爪がなかなか回転して押し込んでくれなくなるんだ。
 問題なのは、そこら辺までパッカーでゴミを積んでいくと、パッカー車でゴミを捲いたとき、必ずと言っていいほど袋が破裂する。
 ゴミ袋の中に入ってるのはゴミだけじゃない。空気も入っているんだ。だから爪が回転しゴミを圧縮すると袋が弾け、中身が散乱してしまう。
 以前花見のシーズンに、公園のゴミが溢れかえってハンサムを応援で手伝っていたとき、誰が捨てたのか、赤飯が飛び散ってハンサムが赤飯まみれになったことがあった。あれは笑ったな。
 あのときは赤飯だから笑えたが、そんな状態で出てきて困るゴミは、水分の多いゴミだ。
 生ゴミ系を出す居酒屋やラーメン屋、レストランなんてのが最も危険だ。
 もちろん回避する方法もある。まずはバケットにゴミを積んだら、パッカー車の蓋を閉める。これでほとんどの汁は回避出来るが、絶対って訳じゃない。それに積んで閉めて捲いて、積んで閉めて捲いて、なんてイチイチ繰り返していたら、時間が倍はかかるだろうからよほどじゃなければそんなことはしていられない。だから後は祈ることと、せめて、パッカーの後ろには絶対に立たないってことだ。

 アトラスの話に戻ろう。残念なことに、アトラスのコースには後半で飲食店の回収が途切れることなく続いている。
 すでにキャパがMAXに近付きつつあるパッカー車で、汁物を多く含んだゴミを捲くのは、とても勇気のいることだよ。笑いごとじゃなくな。
 しかもパッカー車ってのは消臭仕様になってる訳でも何でもない。積み込んで車の中でグチャグチャになったゴミの臭いが、車の外や車内にまで充満する。
 だからパッカー車が通ると、道行く人々が嫌な目で見るんだが、時々、心ない連中が、必死にゴミを運んで作業している俺たちに直接「臭い」だの、「早くどっか行け」だのと言ってくることがある。
 まぁ、そんな大半は酒に酔った連中なんだがな。
 臭いってのは真実だ。プロとしてずっとやってきてる俺たちだって思うんだから、素人がそう思うのは仕方ない。傷付くけどな。
 いつもみたいに五人で話しながら仕事をしていたときだ。時間は早朝の四時くらいだろうか、突然、女の声が俺たちのイヤホンに飛び込んできたんだ。
「臭ぇーよ! もっと離れたところでやれよ!」
 酷いだろ? 多分、キャバ嬢かなんかだと思うんだが、運の悪いことに、その女が言った相手は、作業中のアトラスだったんだ。
 その瞬間、キレたアトラスが女に叫んだ。
「お前の股からもこれと同じ臭いがするぞ、糞女が!」
 そう言ってアトラスは、女に向かってグリストラップを投げつけたんだよ。
 グリストラップってのは、飲食店でよく出るゴミなんだが、厨房の側溝に溜まるヘドロみたいなもんだ。こいつは超強力なバイオ兵器で、一滴掛かっただけでも一日中萎えるくらいの殺傷力を持つゴミだ。
 俺たちゴミ屋が、パッカーで絶対に捲きたくないゴミが二つある。
 一つはこのグリストラップ――こんな破壊力の大きなものを捲けば、袋が破れ、究極のバイオ兵器が漏れ出しちまう。たちどころに臭いの元がバレて、住民から苦情殺到だろう。 もう一つはシュレッダーゴミだ。こいつは単純にパッカーで捲けば袋が弾け、雪のようにシュレッダーで路面を白く染める。
 風が吹けば、すぐに散らかるし、雨なんか降って地面が濡れていようものなら、シュレッダーの一つ一つがシールみたいに地面に張り付いて掃除が大変だからだ。
 だから、俺たちゴミ屋はこの二つのゴミが出ると、パッカーには積み込まずに、パッカーの横にある棚に分けて置いておくんだ。
 アトラスは非道にも、そんな究極兵器を女に投げつけた。
 実際には現場は見てないが、想像するにまさに地獄だったと思う。イヤホンの向こうから何度も何度も嘔吐を繰り返す女の声が、俺の耳に微かに聞こえてきていた。
 幸運だったのは、まだ人の通りがほとんどなかった時間だったのと、アトラスにグリストラップを浴びせられた女は、嘔吐に必死で、アトラスの車のナンバーを見てなかったってことだな。
 訴えられてもおかしくない。なんていったってバイオ兵器を浴びせたんだからな。
 後日、市の環境課から市内すべてのゴミ屋宛てにFAXが届いていた。内容はアトラスの一件だ。
 女が市の環境課に苦情を入れたのだろうが、ゴミ屋を特定出来ずに、市が市内を回収するすべてのゴミ屋に通達した訳だ。
 それからアトラスは、その付近すべての回収先の到着時間を大幅に変えたよ。顔は絶対覚えられてるからな。
「あぁ……ついには来週から競技場かぁ……」
 さっきからハンサムはことある毎にこの台詞を吐いている。
「諦めるしかなさそうだな」
 含み笑いのアトラスの声が響くと、決まってハンサムは深い溜め息をついた。