📖
そう。正解はマダム・リンコである。あの恐ろしい給食のおばさんである。
学校のしつけ係として、子供たちに恐れられているあの女性である。
「あのぉ、マダム・リンコさん、おれたちに学校なんていりませんよ。無駄です」
ケンちゃんがそういうと、また机がバシンと叩かれ、わたしたちは飛びあがった。
「あなたには必要なくても、子供たちには必要です。ちゃんとした教養と道徳がね。だからこれから月曜日から金曜日までの毎日、あなたたちの子供をこの屋敷に通わせなさい」
「えーっ」とコトラ。しかし母に睨まれてすぐに口をつぐんだ。
「教師はとりあえずレンジ、あなたがやりなさい。お医者さんの仕事もここでやるようにしなさい」
「でも、診療所を移すのは大変ですよ」
「これは校長命令です!」
そう、この一言を言い出しただけで母が校長になったのだった。
📖
「それからツバサ……ああ、コトラ。あなたは給食を作りなさい。それからケン、あなたにはこの学校の修理を任せるわ。それからレイさんキョウコさんナギサさん、あなたたちは交替で自分に教えられるものの先生になりなさい。分かりましたね?」
どうも断れる雰囲気ではなく、みんなでまごついていたのだが一人だけ例外がいた。
コトラである。コトラはやけに明るい声で、なかば反射的に、
「はい、先生!」と返事をしたのだった。
📖
そして時間は現在へと流れる。
📖
とにもかくにも、母の、同時にわたしたちの『学校』はスタートした。
わたしたちは朝、マンションを出て、みんなでぞろぞろとあの屋敷へと向かう。
マンションの子供全員で並んで出かける。歩いて三十分ほどの距離をわいわいがやがやと行列を作って歩いていく。
屋敷、つまり学校はすっかり綺麗になった。
ケンちゃんの補修はいつでも完璧。子供たちは掃除係も兼任しているから、窓も床もどこもかしこもピカピカになった。女の子たちは花壇の手入れを任され、男の子たちは建物の補修を任された。おかげで屋敷はむかしよりも綺麗に復活している。
もちろんリュウイチの絵もしっかり移動した。
📖
そしてわたしは教室に入り、いつも顔をあわせている家族の子供たちに、理科や計算を教える。
生徒は大体三十人。この数はずっと変わらない。
時にはレイも教壇に立ち、国語や社会なんかを教えている。
キョウコさんは主に体育、ナギサちゃんは絵を教えている。
子供たちはだんだんと成長し、学校を卒業してゆく。
そして毎年の春、新しいムニャムニャたちが、不安そうな顔をして学校に大勢やってくる。同じことが毎年繰り返されるわけだが、わたしはなんとも楽しい毎日を送っている。
📖
そしてある年、一人のムニャムニャが学校に入学する。
その子供の名前は、ヨシオくん。
頭の良い問題児、冒頭から何度か出てきたあの子供である。
彼はなんとわたしの息子である。
誰に似たんだか、生意気で、落ち着きがなく、頑固な男の子だ。
ことあるごとに学校で問題を振りまいてくれる。
だがなんといってもかわいいムニャムニャだ。
📖
そして今。
学校は相変わらず続いている。
もちろんわたしは教師を続けている。
コトラもケンちゃんも、われらが奥さんたちも、その子供たちもみんな元気に暮らしている。
彼らの笑顔を見るだけで、未来に希望を持つことができる。
皮肉にもその機会を与えてくれたのは母だったが。
📖
そうそうコウジはいつも旅に出ている。自分探しの旅をするといっては、ほうぼうに旅に出かけ、一年ぐらいで戻ってくる。
コウジは旅の話をへたくそなラップにのせて、子供たちに話して聞かせる。どういうわけだか子供たちに大人気なのだ。
📖
そして母はどういうわけだかコトラの助手におさまって、給食作りの手伝いをするようになった。
わたしは直接告げたことはないが、たぶん二人は自分たちが親子であることに気づいているのだと思う。
二人が並んで給食を作っている姿は、なんだか心のあたたまる光景だ。
📖
街は再生を続けている。
そして世界も再生を続けている。
最近ではインターネットで世界中の街と連絡がつくようになった。
彼らと話している感じでは、どこもわたしたちの街と同じような感じらしい。
そして生き残ったわたしたちには、一つだけ共通認識があった。
「もうお金に左右されるのはこりごりだ。お金を作るのだけはやめよう」
まったくもってそのとおりだった。そんなものがなくても何とかなる。
わたしはわたしの子供たちがこの発明品を復活させないように願っている。
📖
そう。結局お金というものは、人間の所有欲をあおる、たちの悪い発明品だった。
それがあればなんでも手に入ると思わせた。
お金を集めることが生きる目的になり、集められない人から生きる目的を奪った。
📖
さらに付け加えるなら、問題の根は人間の『所有欲』にある。
所有。手に入れること。そこに問題がある。
だが結局のところ何かを所有できるということはない。
所有したと思っても、それはほんの一瞬に過ぎない。
📖
家族だってそうだ。
わたしは母のものではない。
コトラは弟だが、わたしのものではない。
ケンちゃんだって親友だけど、わたしのものではない。
誰もが誰のものでもない。
📖
物だってそうだ。
この屋敷はヒダカ老人のものだったけれど、今ではみんなの学校になった。
あの電子レンジだってそう。もとは母のものだったが、わたしのものになり、カゴ婆さんのものになり、またわたしのものになり、今では校長室のインテリアになっている。
誰かが何かを本当に所有することはできないのだ。
📖
だがそれでなにも困ることはない。
恐れることもない。
わたしたちにはこの世界がある。
所有できなくても、わたしたちには家族がいて、仲間がいる。
家だって、土地だって、洋服だって、電子レンジだって、この世のすべては、いわば家族であり、大事な仲間なのだ。
だからみんなで助け合って、分け合えばいい。
そうしてこの世界の全てを大事にしていけばいいのだ。
📖
さてこのムニャムニャたちのドタバタ劇もようやく終わりを迎えた。
もちろんわたしが死ぬという意味じゃない。
とりあえず今現在のわたしまでたどり着いたということだ。
これから先のドタバタはまだまだ未定だ。
ドタバタ・ムニャムニャ……
結局、最後までここからなにも進まなかった気もする。
だが、まぁ人生はそんなものだ。
それでも人生はこれからも容赦なく続いていく。
ムニャムニャたちのドタバタはまだまだ続き、わたしのこの日記もまた終わることはない。
~ 子供たちの世界 終わり ~
完
そう。正解はマダム・リンコである。あの恐ろしい給食のおばさんである。
学校のしつけ係として、子供たちに恐れられているあの女性である。
「あのぉ、マダム・リンコさん、おれたちに学校なんていりませんよ。無駄です」
ケンちゃんがそういうと、また机がバシンと叩かれ、わたしたちは飛びあがった。
「あなたには必要なくても、子供たちには必要です。ちゃんとした教養と道徳がね。だからこれから月曜日から金曜日までの毎日、あなたたちの子供をこの屋敷に通わせなさい」
「えーっ」とコトラ。しかし母に睨まれてすぐに口をつぐんだ。
「教師はとりあえずレンジ、あなたがやりなさい。お医者さんの仕事もここでやるようにしなさい」
「でも、診療所を移すのは大変ですよ」
「これは校長命令です!」
そう、この一言を言い出しただけで母が校長になったのだった。
📖
「それからツバサ……ああ、コトラ。あなたは給食を作りなさい。それからケン、あなたにはこの学校の修理を任せるわ。それからレイさんキョウコさんナギサさん、あなたたちは交替で自分に教えられるものの先生になりなさい。分かりましたね?」
どうも断れる雰囲気ではなく、みんなでまごついていたのだが一人だけ例外がいた。
コトラである。コトラはやけに明るい声で、なかば反射的に、
「はい、先生!」と返事をしたのだった。
📖
そして時間は現在へと流れる。
📖
とにもかくにも、母の、同時にわたしたちの『学校』はスタートした。
わたしたちは朝、マンションを出て、みんなでぞろぞろとあの屋敷へと向かう。
マンションの子供全員で並んで出かける。歩いて三十分ほどの距離をわいわいがやがやと行列を作って歩いていく。
屋敷、つまり学校はすっかり綺麗になった。
ケンちゃんの補修はいつでも完璧。子供たちは掃除係も兼任しているから、窓も床もどこもかしこもピカピカになった。女の子たちは花壇の手入れを任され、男の子たちは建物の補修を任された。おかげで屋敷はむかしよりも綺麗に復活している。
もちろんリュウイチの絵もしっかり移動した。
📖
そしてわたしは教室に入り、いつも顔をあわせている家族の子供たちに、理科や計算を教える。
生徒は大体三十人。この数はずっと変わらない。
時にはレイも教壇に立ち、国語や社会なんかを教えている。
キョウコさんは主に体育、ナギサちゃんは絵を教えている。
子供たちはだんだんと成長し、学校を卒業してゆく。
そして毎年の春、新しいムニャムニャたちが、不安そうな顔をして学校に大勢やってくる。同じことが毎年繰り返されるわけだが、わたしはなんとも楽しい毎日を送っている。
📖
そしてある年、一人のムニャムニャが学校に入学する。
その子供の名前は、ヨシオくん。
頭の良い問題児、冒頭から何度か出てきたあの子供である。
彼はなんとわたしの息子である。
誰に似たんだか、生意気で、落ち着きがなく、頑固な男の子だ。
ことあるごとに学校で問題を振りまいてくれる。
だがなんといってもかわいいムニャムニャだ。
📖
そして今。
学校は相変わらず続いている。
もちろんわたしは教師を続けている。
コトラもケンちゃんも、われらが奥さんたちも、その子供たちもみんな元気に暮らしている。
彼らの笑顔を見るだけで、未来に希望を持つことができる。
皮肉にもその機会を与えてくれたのは母だったが。
📖
そうそうコウジはいつも旅に出ている。自分探しの旅をするといっては、ほうぼうに旅に出かけ、一年ぐらいで戻ってくる。
コウジは旅の話をへたくそなラップにのせて、子供たちに話して聞かせる。どういうわけだか子供たちに大人気なのだ。
📖
そして母はどういうわけだかコトラの助手におさまって、給食作りの手伝いをするようになった。
わたしは直接告げたことはないが、たぶん二人は自分たちが親子であることに気づいているのだと思う。
二人が並んで給食を作っている姿は、なんだか心のあたたまる光景だ。
📖
街は再生を続けている。
そして世界も再生を続けている。
最近ではインターネットで世界中の街と連絡がつくようになった。
彼らと話している感じでは、どこもわたしたちの街と同じような感じらしい。
そして生き残ったわたしたちには、一つだけ共通認識があった。
「もうお金に左右されるのはこりごりだ。お金を作るのだけはやめよう」
まったくもってそのとおりだった。そんなものがなくても何とかなる。
わたしはわたしの子供たちがこの発明品を復活させないように願っている。
📖
そう。結局お金というものは、人間の所有欲をあおる、たちの悪い発明品だった。
それがあればなんでも手に入ると思わせた。
お金を集めることが生きる目的になり、集められない人から生きる目的を奪った。
📖
さらに付け加えるなら、問題の根は人間の『所有欲』にある。
所有。手に入れること。そこに問題がある。
だが結局のところ何かを所有できるということはない。
所有したと思っても、それはほんの一瞬に過ぎない。
📖
家族だってそうだ。
わたしは母のものではない。
コトラは弟だが、わたしのものではない。
ケンちゃんだって親友だけど、わたしのものではない。
誰もが誰のものでもない。
📖
物だってそうだ。
この屋敷はヒダカ老人のものだったけれど、今ではみんなの学校になった。
あの電子レンジだってそう。もとは母のものだったが、わたしのものになり、カゴ婆さんのものになり、またわたしのものになり、今では校長室のインテリアになっている。
誰かが何かを本当に所有することはできないのだ。
📖
だがそれでなにも困ることはない。
恐れることもない。
わたしたちにはこの世界がある。
所有できなくても、わたしたちには家族がいて、仲間がいる。
家だって、土地だって、洋服だって、電子レンジだって、この世のすべては、いわば家族であり、大事な仲間なのだ。
だからみんなで助け合って、分け合えばいい。
そうしてこの世界の全てを大事にしていけばいいのだ。
📖
さてこのムニャムニャたちのドタバタ劇もようやく終わりを迎えた。
もちろんわたしが死ぬという意味じゃない。
とりあえず今現在のわたしまでたどり着いたということだ。
これから先のドタバタはまだまだ未定だ。
ドタバタ・ムニャムニャ……
結局、最後までここからなにも進まなかった気もする。
だが、まぁ人生はそんなものだ。
それでも人生はこれからも容赦なく続いていく。
ムニャムニャたちのドタバタはまだまだ続き、わたしのこの日記もまた終わることはない。
~ 子供たちの世界 終わり ~
完