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 それから二年ほどしてわたしはあの屋敷から呼び出しを受けた。
 母が呼んでいるという。
 しかも呼び出しているのはわたしだけではなく、コトラやケンちゃん、さらにそれぞれの奥さんも連れてこいという。
 まぁ行かなきゃいけない理由はないのだが、断る理由もなかった。
 母の目的は分からなかったが、彼女にはもう時間が残されていなかった。
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 久しぶりに訪れたヒダカ老人の屋敷はずいぶんと荒れ果てていた。
 庭には雑草が繁り、花壇の花は茶色く枯れはて、噴水には落ち葉がたまっていた。
 建物のガラス窓は汚く、壁のあちこちでペンキがはがれていた。
 ミクニ老人と守っていた屋敷の威容は見る影もない。
 そして玄関の扉は傾いたまま開いていた。
 体を横にして屋敷の中に入ると、そこにはコウジが待っていた。
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 意外にもコウジは静かだった。
 ただ真っ黒のジーンズと真っ黒のTシャツを着て、静かにラップミュージックを流していた。
「ヨーヨー。レンジ、久しぶり。コトラも。それとケンも来てくれたか、ウェルカム・マイ・ハウス! サンキューな、レディーたちもサンクス!」
「君のお母さんがわたしたちを呼んでいるって、そう聞いたんだけど?」
「おお、イエス。二階にいるよ。でもよ、その前にやっておかなくちゃならねぇことがあんだ。マミーの命令でさ」
 そう言っていきなりコウジはコトラに向き直った。
 あまり心穏やかな光景ではなかった。
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 そういえばこの二人の外見はよく似ていた。
 両方ともぽっちゃり体型で、頬が膨らみ、目も細い。とりわけあごの形がよく似ていた。
「あー、コトラ、ブラザー。今までいろいろと悪かったな」コウジはいきなりそういった。
 あのコウジからそんなせりふが出るとは予想していなかったから、コトラはもちろん、わたしたちも驚いた。
 コウジは母から真相を、二人が本当の兄弟であることを、聞いたのだろうか? それで仲直りを命令されたのだろうか?
 わたしにはもちろん分からなかった。
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 そしてコトラはエプロンのポケットに手を突っ込み、静かにコウジを眺めていた。
 それから口の端を曲げてニヤリと笑った。わたしとケンちゃんにはすぐ分かる、コトラ得意のポーカーフェイスだった。
「いろいろって何のことだよ?」
「例えばユーの料理をけなしたことかな。でもよ、ユーのクックするパスタ、特にミートソースはサイコーにクールだったぜ!」
 その言葉にコトラはパッと笑顔を輝かせた。ポーカーフェースも一瞬ではがれた。
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 コトラはいつだって料理を褒められると、うれしくなってしまうのだ。いくつになっても単純なムニャムニャだった。
「それって、冷めてたって意味じゃないだろうな?」
 コトラはニヤリと笑ってやり返した。
「ハッ! ホットなジョークだぜ、ブラザー!」
 二人は陽気なアメリカ人のようにいきなり意気投合し、肩を組み合ってあっはっはと笑った。
 まさに馬鹿兄弟!
 やはり完璧にその血はつながっている!
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 それからわたしたちは二階の母の部屋へと向かった。
 病におかされた母の姿を想像すると、なんとも心が痛んだ。
 そして扉をノックすると、思いのほか元気な母の声が聞こえてきたので驚いた。
「待ってたわよ、みんな!」
 扉を開くと、そこに教室があった!
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 と、話を進める前に、頭を整理しよう。
 わたしはそこにカーテンを閉ざした暗い部屋と、大きなベッド、そこに横たわるやつれた母親の姿を想像していた。まぁ誰だってそう思うだろう?
 だが扉の向こうにあったのは、ずらりと並んだ小さな机とイスだった。
 部屋の中には午後の暖かな日ざしが降りそそぎ、片側の壁にはロッカーと、反対側には巨大な黒板があった。
 天井のシャンデリアは教室らしくなかったし、真っ赤なふかふかの絨毯も学校の雰囲気ではない。それでもやはりその部屋は教室だった。そして母は教壇のところで雑巾がけをしていた。
「遅刻ですよ! 早く座りなさいっ!」
 この変わりよう……誰? 何?
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 母はものすごく元気だった。
 病人だなんてとんでもない。むしろ以前よりも生き生きとしていた。
 ちなみに母はガンで死ななかった。それどころか今も元気に働いている。
 しかも皆さんは一度彼女にお会いしている。
 さて誰でしょう?
 正解はすぐに明らかになる。
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 それはともかく、わたしたちはその教室に入っていった。
 そしてそれぞれ小さなイスに座った。
 まるで生徒になった気分。
 そして母はすっかり先生になった気分になっていた。
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 気分。これがくせものだ。
 みんなが気分、つまり役割を持って生きている。
 例えばわたしは医者の役割を持っている。
 だがわたしはいつも、自分が医者のフリをしているだけだと感じてしまう。
 職業的にはプロなのだろうが、やはりわたしは素人のままな気がするのだ。
 たまたま医者という役割を演じているにすぎな、と。
 白衣を着ていても、中身はやっぱり子供のままだと思うのだ。
 コトラだってそうだ。コックとして立派にやってはいるが、あの調理着の下にはやはりムニャムニャが入っている。
 ケンちゃんだってスーツを着ていても、その中身は変わっていない。あの雪の日、私たち兄弟を無条件で助けてくれた優しいヤツのままだ。
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 わたしはこう思うのだ。
 どんな仕事をしていても、どんな身分であろうとも、やはり中味は素人なのだと。
 その素人たちがそれぞれいろんな役割を演じることで、社会は成り立っている。
 社長も社員もそう、医者だって弁護士だって、コックやウェイトレスだって、元はみんなムニャムニャだ。中味は素人のムニャムニャなのだ。そのムニャムニャたちが、そういう『ごっこ遊び』を真剣にやっているだけなのだと。
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 それは親子だってそうだ。
 父や母だといっても、中味は素人にすぎない。
 おじいちゃんやおばあちゃんもそう。
 中味はやっぱりみんなムニャムニャの素人なのである。
 素人が父を演じ、母を演じ、老人を演じる。
 でもやっぱり中身はムニャムニャのままなのだ。
 だから、人間に優劣があると信じるのは間違いだ。
 どんなに偉そうに見えても、結局はみんなただのムニャムニャなのだ。
 そういう意味では母は母親役の素人で、先生役の素人だった!
 対するわたしは息子役の素人で、生徒役の素人だった!
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「さて、みなさん、わたしから提案とプレゼントがあります」
 母は雑巾を置き、エプロンをとった。いかにも教師といった、鮮やかな緑色のスーツを着ていた。
「みなさんも知っているように、人がたくさん死んで、世界はまたムニャムニャになってしまいました。生き残っているのはあなたたちみたいな子供と、だらしない大人ばかり!」
 母はまるで先生だった。
 後に知ることになるのだが、母は昔教師をしていたという。正規の学校ではなく学習塾の講師だったそうだが、それを聞いたときには本当に驚いた。
 よく実の息子二人を放り出したものだ!
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「わたしはあなたたちを見ていると悲しくなります。自分勝手で、大人に対する尊敬がなく、礼儀も知らない。自分ひとりで大きくなったような顔をしている。とくにレンジ、これはあなたのことよ」
 わたしたちはその言葉を聞きながら、なんだかうつむいてしまった。
 もちろん腹のなかでは妙な怒りがこみ上げていた。わたしたちはその大人に散々苦労させられてきたからだ。
 だが母は歳をとってるせいなのか、声が大きいせいなのか、わたしたちを完全に丸め込んでしまった。
「そこで、わたしはこの屋敷を学校にすることに決めました。あなたたちにはもう遅すぎるけれど、小さい子供たちにはまだ間に合います。きちんとした教育を受けさせないと、取り返しのつかないことになります」
「あの、おばさん」とケンちゃんが手を上げて発言を求めた。
 すると母はバシンと机を叩いてこういった。
「おばさんじゃありません! マダム・リンコと呼びなさい!」