📖
次はケンちゃんの家庭のことも。
ケンちゃんとキョウコさんは結婚以来、ずっといつもの調子を保っている。あれだけ束縛というものを嫌っていたケンちゃんも、キョウコさんに束縛されるのには慣れたらしい。
パッと見にはケンちゃんがキョウコさんの尻に敷かれているように見えるのだが、本当はそんなんじゃない。なんといってもキョウコさんはケンちゃんにベタ惚れだからだ。
コレいうとキョウコさんには叩かれそうだけど。
📖
しかしこれこそが理想的な夫婦像なのではないかと、わたしはひそかにそう思っている。
そして二人の間には、長男『ヒョウ』のあとに四人の子供ができた。ちなみにヒョウが命名されたときから密かに疑っていたことなのだが、続く四人の子供たちが名付けられたとき、わたしの疑いは確信にかわった。
なんのことか?
名前のことだ!
📖
やはりケンちゃんは子供に動物の名前を付けていたのだ!
その一号が『コトラ』だ。続いてヒョウ(長男)、そしてタカ(次男)、キリン(長女)、イルカ(次女)、ウルフ(三男)と次々と動物の名前がついた。
しかも実際の家族の中もまるで動物園だった。
当然、彼らを取り締まる『園長』のキョウコさんが誰よりもパワフルである。
📖
それから『動物園』、じゃなかった『家族』ばかりでなく、ケンちゃんの会社もまた大きくなった。
キョウコさんが影の社長として会社を取り仕切り、ケンちゃんは社長という立場ながらいつも最前線で現場仕事をしている。
ちなみにケンちゃんのトレードマークは、あの日の金色のヘルメットだ。
なにしろよく目立つのだ。
📖
レイの弟、リュウイチの活躍も書いておこう。
リュウイチが個人的に書いていたナギサの漫画のイラストが編集の目にとまり、単行本の表紙を描くようになった。その緻密さと色のきれいさで人気が出て、その実力も広く知られるようになった。
さらにその編集者の勧めで、言葉が一切入らない一冊の絵本を書く。
『小虎の塔』
と題されたその絵本は、一つの古い塔に住む百匹の小さな虎の子供の話である。特に筋立てはなく、みんなが楽しそうに塔で遊んでいる話だ。この本は世界中の子供たちに大人気になった。しかもその絵のクオリティーは子供だけでなく、美術評論家というような肩書きを持つ人からも大絶賛で迎えられた。
リュウイチはこの一冊で世界的なアーティストとなり、ずいぶんゆっくりとしたペースではあるが、本を出すたびにその評価を着実に上げていったのである。
📖
「これってどうみてもノンフィクションだよねぇ」
とはコトラの言葉である。たしかにそう。コトラの名前とこのシチュエーションはまさにわたしたち家族そのものだった。
リュウイチはそれを指摘されると『えへへ』と笑いながらカーテンの後ろに隠れてしまう。
本人いわくクセなんだそうだ。布地の後ろに隠れているととても落ち着くらしい。そういえば小さい頃はよくレイのスカートの陰に隠れていた。
才能というのはどこに埋もれているか判らないものである。
時には自分自身でも気づかないものなのだ。
📖
それからこれは前にも書いたが、ナガイとヒカルはプロのサッカー選手になった。
そしてわたしと一緒に勉強していた子供たちの何人かは、大学まで進学した。彼らはわたしと同じく医師になったり、弁護士になったり、どこかの企業に就職した。
マンションの女の子たちの中からはたくさんの芸術家が生まれた。
漫画家や、小説家も誕生したし、プロのピアニストや歌手も生まれた。洋服のデザイナーになった子もいる。
📖
そうそう、生まれたのは職業ばかりじゃない。子供たちも生まれた。家族の中からは何組もの新しい夫婦、家族が誕生した。もちろん結婚式にはあのタキシードとウェディングドレスが代々使用された。
彼らは仕事で有名人になったわけではないけれど、毎日毎日ちゃんと仕事をして、家族の面倒を見て、なにより家族みんなで幸せに暮らしている。
📖
そう、有名になるばかりが全てではない。
大事なのは幸せに暮らすこと。
家族が出来たら、家族と一緒に幸せに暮らすこと。
それを維持し、守るために頑張ること。
それを日々、実践していくことこそが何よりも大事なことなのだ。
📖
まぁざっとこんなところだろうか?
つまりなにが言いたかったかというと、
子供たちの中には無限の可能性が広がっているということだ。
ちゃんとした生活ができれば、ちゃんとした援助ができれば、彼らはどんなものにだってなることができるということだ。
わたしたちは少なくともその土台を作ることができた。逆に言えばその土台だけで彼らは成長できるのだ。
📖
これがそんなに難しいことだろうか?
もちろん簡単なことではない。
簡単だと言うつもりもない。
だがそれは一生懸命にやるだけの、そういう価値を持つものだということだ。
みんなで支えあい、助け合えば、それは十分実現できることなのだ。
わたしたちはずっと支えあってきた。
子供同士で支えあい、分かち合い、そして時にはヒダカ老人のように親切な、多くの大人たちに助けてもらってきた。
わたしたちの成功はそういうものの上に成り立っている。
わたしはそのことを決して忘れたことはない。
📖
もしあなたが老人になった時には、このことを思い出して欲しい。
報われないもの、恵まれないもの、そういう人間がいたら、ヒダカ老人のように慈悲をかけてやって欲しい。
自分のことばかり考えず、相手の事を考えてやって欲しい。
📖
もしあなたが家族を持っているなら、やはり同じ事を思い出して欲しい。
楽しい家庭を作るにはどうすれば良いかをちゃんと考えてやって欲しい。
ケンちゃんがわたしを無条件に助けてくれたように、いつでも無力なムニャムニャに慈悲を持ってやって欲しい。
そしてコトラがしてきたように、ムニャムニャたちに楽しい食事の時間を作ってやってほしい。
📖
もしあなたがムニャムニャなら、そういう慈悲を感じ取る心を持って欲しい。
それをありがたく思う心を持って欲しい。
あなたはいつだって何かに助けられ、守られてきたことを忘れないで欲しい。
それらはすべて慈悲の心からでてきたものなのだ。
📖
そう、大事なのは慈悲だ!
漢字で書くとなにやら意味が分からないかもしれない。
要は相手の心を思いやると言うことだ。
もっと簡単に言えば、だれに対しても親切な人になりなさい、と言うことだ。
📖
説教なんてウンザリだ!
という言葉が聞こえてきそうだ。
ということで先へ進もう!
いよいよ死神の登場だ!
次はケンちゃんの家庭のことも。
ケンちゃんとキョウコさんは結婚以来、ずっといつもの調子を保っている。あれだけ束縛というものを嫌っていたケンちゃんも、キョウコさんに束縛されるのには慣れたらしい。
パッと見にはケンちゃんがキョウコさんの尻に敷かれているように見えるのだが、本当はそんなんじゃない。なんといってもキョウコさんはケンちゃんにベタ惚れだからだ。
コレいうとキョウコさんには叩かれそうだけど。
📖
しかしこれこそが理想的な夫婦像なのではないかと、わたしはひそかにそう思っている。
そして二人の間には、長男『ヒョウ』のあとに四人の子供ができた。ちなみにヒョウが命名されたときから密かに疑っていたことなのだが、続く四人の子供たちが名付けられたとき、わたしの疑いは確信にかわった。
なんのことか?
名前のことだ!
📖
やはりケンちゃんは子供に動物の名前を付けていたのだ!
その一号が『コトラ』だ。続いてヒョウ(長男)、そしてタカ(次男)、キリン(長女)、イルカ(次女)、ウルフ(三男)と次々と動物の名前がついた。
しかも実際の家族の中もまるで動物園だった。
当然、彼らを取り締まる『園長』のキョウコさんが誰よりもパワフルである。
📖
それから『動物園』、じゃなかった『家族』ばかりでなく、ケンちゃんの会社もまた大きくなった。
キョウコさんが影の社長として会社を取り仕切り、ケンちゃんは社長という立場ながらいつも最前線で現場仕事をしている。
ちなみにケンちゃんのトレードマークは、あの日の金色のヘルメットだ。
なにしろよく目立つのだ。
📖
レイの弟、リュウイチの活躍も書いておこう。
リュウイチが個人的に書いていたナギサの漫画のイラストが編集の目にとまり、単行本の表紙を描くようになった。その緻密さと色のきれいさで人気が出て、その実力も広く知られるようになった。
さらにその編集者の勧めで、言葉が一切入らない一冊の絵本を書く。
『小虎の塔』
と題されたその絵本は、一つの古い塔に住む百匹の小さな虎の子供の話である。特に筋立てはなく、みんなが楽しそうに塔で遊んでいる話だ。この本は世界中の子供たちに大人気になった。しかもその絵のクオリティーは子供だけでなく、美術評論家というような肩書きを持つ人からも大絶賛で迎えられた。
リュウイチはこの一冊で世界的なアーティストとなり、ずいぶんゆっくりとしたペースではあるが、本を出すたびにその評価を着実に上げていったのである。
📖
「これってどうみてもノンフィクションだよねぇ」
とはコトラの言葉である。たしかにそう。コトラの名前とこのシチュエーションはまさにわたしたち家族そのものだった。
リュウイチはそれを指摘されると『えへへ』と笑いながらカーテンの後ろに隠れてしまう。
本人いわくクセなんだそうだ。布地の後ろに隠れているととても落ち着くらしい。そういえば小さい頃はよくレイのスカートの陰に隠れていた。
才能というのはどこに埋もれているか判らないものである。
時には自分自身でも気づかないものなのだ。
📖
それからこれは前にも書いたが、ナガイとヒカルはプロのサッカー選手になった。
そしてわたしと一緒に勉強していた子供たちの何人かは、大学まで進学した。彼らはわたしと同じく医師になったり、弁護士になったり、どこかの企業に就職した。
マンションの女の子たちの中からはたくさんの芸術家が生まれた。
漫画家や、小説家も誕生したし、プロのピアニストや歌手も生まれた。洋服のデザイナーになった子もいる。
📖
そうそう、生まれたのは職業ばかりじゃない。子供たちも生まれた。家族の中からは何組もの新しい夫婦、家族が誕生した。もちろん結婚式にはあのタキシードとウェディングドレスが代々使用された。
彼らは仕事で有名人になったわけではないけれど、毎日毎日ちゃんと仕事をして、家族の面倒を見て、なにより家族みんなで幸せに暮らしている。
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そう、有名になるばかりが全てではない。
大事なのは幸せに暮らすこと。
家族が出来たら、家族と一緒に幸せに暮らすこと。
それを維持し、守るために頑張ること。
それを日々、実践していくことこそが何よりも大事なことなのだ。
📖
まぁざっとこんなところだろうか?
つまりなにが言いたかったかというと、
子供たちの中には無限の可能性が広がっているということだ。
ちゃんとした生活ができれば、ちゃんとした援助ができれば、彼らはどんなものにだってなることができるということだ。
わたしたちは少なくともその土台を作ることができた。逆に言えばその土台だけで彼らは成長できるのだ。
📖
これがそんなに難しいことだろうか?
もちろん簡単なことではない。
簡単だと言うつもりもない。
だがそれは一生懸命にやるだけの、そういう価値を持つものだということだ。
みんなで支えあい、助け合えば、それは十分実現できることなのだ。
わたしたちはずっと支えあってきた。
子供同士で支えあい、分かち合い、そして時にはヒダカ老人のように親切な、多くの大人たちに助けてもらってきた。
わたしたちの成功はそういうものの上に成り立っている。
わたしはそのことを決して忘れたことはない。
📖
もしあなたが老人になった時には、このことを思い出して欲しい。
報われないもの、恵まれないもの、そういう人間がいたら、ヒダカ老人のように慈悲をかけてやって欲しい。
自分のことばかり考えず、相手の事を考えてやって欲しい。
📖
もしあなたが家族を持っているなら、やはり同じ事を思い出して欲しい。
楽しい家庭を作るにはどうすれば良いかをちゃんと考えてやって欲しい。
ケンちゃんがわたしを無条件に助けてくれたように、いつでも無力なムニャムニャに慈悲を持ってやって欲しい。
そしてコトラがしてきたように、ムニャムニャたちに楽しい食事の時間を作ってやってほしい。
📖
もしあなたがムニャムニャなら、そういう慈悲を感じ取る心を持って欲しい。
それをありがたく思う心を持って欲しい。
あなたはいつだって何かに助けられ、守られてきたことを忘れないで欲しい。
それらはすべて慈悲の心からでてきたものなのだ。
📖
そう、大事なのは慈悲だ!
漢字で書くとなにやら意味が分からないかもしれない。
要は相手の心を思いやると言うことだ。
もっと簡単に言えば、だれに対しても親切な人になりなさい、と言うことだ。
📖
説教なんてウンザリだ!
という言葉が聞こえてきそうだ。
ということで先へ進もう!
いよいよ死神の登場だ!