念のため、次の日朝から夜まで対象を尾行し、私は時流しの魔法を解いた。
 刹那、脳を揺らす衝撃に視界がばちんっと総変わりする。ぼやける世界で、私の身体を支える男性が目に入った。

 なぜだろう、すごく気持ちが悪い。思考が濁流のように流れる。

「マナさん、大丈夫ですか?」

 芯の通った優しい声にいくらか落ち着く。
 先ほどまでは宿屋のベッドにいた。今は……どうやら戻って来れたようだ。ずらりと並ぶ棚と陳列された意味のない飾りの本たち。

「ナァー!」

 どこからかナーの声も聞こえてきた。
 良かった、一緒に戻って来れたのですね。

「落ち着いて、ゆっくりと呼吸してください」

 生唾を飲み込み、言われた通り規則的に深呼吸をする。

「――ふぅ……。お騒がせいたしました」

 タリスさんに支えてもらい、倒れ掛かった身体を起こす。まだ、身体は気怠く重たいが、すぐによくなるだろう。

「初めて大量の魔力を使ったのです。辛かったでしょう。徐々に慣れていきますよ」

 この倦怠感は魔法の副作用というわけではないのかと安堵する。毎回、帰って来る度にこんな辛い思いしなければならないのかと思った。
 私が十分に落ち着くのを待って、タリスさんはゆっくりと話し出す。

「こちらの時間にして四時間いかないくらいですか。随分、苦戦したと見えますね」

 言われて、ようやく壁掛けの時計に目を向ける。本当だ、魔法を使ってから四時間しか時間が進んでいない。
 つまり、向こうの世界での一日は、こちらの世界で一時間程度ということだ。

「それはもう、すごく大変でした。だけど、楽しかったです」

 素直に伝えることにした。少しだけ、この世界の一端を見ることが出来た。その機会を与えてくれたタリスさんにはちゃんと感謝しているのだ。
 タリスさんは濁りの無い笑みを零し、隣に座るロムガさんを横目で見る。

「さて、それでは『擬態』の魔法。いかがでしたか?」

 ロムガさんも私に目を向ける。相変わらず、ドワーフの圧のある瞳だ。しかし、それはもう怖いとも思えなかった。

「ロムガさんの人柄については十分に把握しました。問題無しということで大丈夫だと思います。そして、『擬態』の魔法に関してですが、それはこちらで伺った方が早いと思いまして」

「ほう、それはどういうことですか?」

 タリスさんの表情を見るに、やっぱりこの人、全部知っていたんだなと心の中で悪態をつく。
 何か意図があるにしろ、意地悪な人ですね。

 ロムガさんに向き直る。

「味の感想、まだでしたね。買わせていただいたお菓子、とても美味しかったです」

「ナァー!」

 急にナーが私の肩で顕現する。お菓子という単語につられたのだろうか。
 すると、ロムガさんはドワーフの見目に似合わない可愛らしい笑いを漏らし、その姿を光に包ませる。すっぽりと全身を包んだ丸い光が、徐々に縦に細くなる。
 光が晴れると、そこには露店の店員さんの姿があった。緩く内に巻いた白金色の髪が音もなく揺れる。
 やっぱり、そちらの姿が本物でしたか。

「気に入っていただけたようで何よりです。そちらの黒猫さんも」

「ナァー!」

 とまあ、『擬態』の魔法については調査出来ていないふりをしたが、実はちゃんと過去でも『擬態』の魔法を見ていた。
 まさか、あんな夜更けに『擬態』の魔法を使っていたなんて。一日目も、二日目も私が宿に戻った後の時間帯だ。
 ロムガさんは美人のお姉さんからドワーフの姿へ『擬態』し、冒険者で賑わう酒場に赴いていた。そして、それはもう至福の様で大酒を食らっていた。
 大丈夫です、ロムガさん。私、口は堅い方ですので。

 それにしても、まさか残業必須の調査だったとは思いもしませんでした。

 私はタリスさんを窺う。その視線に気が付いたのか、彼は少し気まずそうに頬を掻いた。

「タリスさん、最初からロムガさんが『擬態』で姿を変えていることわかっていましたね?」

 観念したのか、タリスさんは肩を竦ませる。どうやら、話す気になってくれたようだ。

「騙すようなことをしてすみません。これはマナさんへの試験だったのです」

「試験……?」

「はい、時流しの魔法に耐えられるか、予想外の事態に焦らず対処出来るか。どちらが欠けても、危険なお仕事ですからね」

 なるほど、私は最初から試されていたということですか。
 事実、四日もかかってしまったから、試験という意味ではぎりぎり合格ってところだろう。

「彼女は私の昔からの友人でして、今回の試験に協力していただきました」

「ごめんなさいね、マナさん」

 ロムガさんを最初からドワーフ族の男性だと決めつけていたせいで、探すのに手間がかかってしまった。
 合格といえど、反省するべき点は多そうですね。

「参考までに、なぜ彼女がロムガだとわかったのか、教えていただいてもよろしいでしょうか」

 タリスさんに訊かれ、頭の中でごちゃごちゃな情報を整理する。

「そうですねぇ……。色々ありましたけど、やはり染みついた甘い匂いでしょうか」

 そういう今も、ロムガさんからはほのかに良い香りがしている。ナーがロムガさんの周りをせわしなく飛び回るのもそういう理由だ。

「ドワーフの方にしては甘い匂いがして、なんか似合わないなぁと最初に感じたのを思いだしました」

「マナさん、結構ずばりと言う性格なのですね」

 タリスさんほどじゃないと思うのですが。

「あとは身長ですね。よく考えたら、最初に入店した時ドワーフの姿では絶対に頭をぶつけることは無いのに、タリスさん同様に軽く頭を下げて入ってきていました。あれは背が高い人の癖みたいなものなのでしょう」

 タリスさんが「ほぅ……」と声を漏らす。感嘆と受け取っていいのだろうか。
 魔族の少女のことは……言わない方がいいだろう。流石にタリスさんでも魔族の仕込みは無理だろうし。
 あの世界は今よりも二か月も前の場所。この二か月の間に隣街で魔族が出たなんて噂は聞いていないし、大事に至っていない証拠だ。

「いいでしょう。マナさん、合格です」

 タリスさんが私の手を取る。破壊力のある微笑みを向けられていることも相まって、ほんのり頬が熱を帯びた。
 この人、セクハラは気にするのにどこかズレているんですよね。

「私と共に、魔法店『ノイアッシェ』をよろしくお願いしますね」

 ずくんと胸が熱く疼く。前世でも、今世でも、文字通り足手まといだった私が、初めて認められた瞬間だった。
 今さら、魔力を誰よりも多く授けてくれた神様に感謝した。
 誰かの役に立てる。私にしか出来ないことがある。
 そして、何より、まだまだこの世界のことを知りたい。見て回りたい。
 だから、私はタリスさんの手を強く握り返した。

「はい、私の方こそ、よろしくお願いします!」

 こうして、私は正式に〝異世界中古〟魔法店『ノイアッシェ』で働くことになったのです。

 ちなみに時流しの魔法による辻褄合わせ、人々の記憶の再構築はしっかり機能しているようで、隣街でケット・シーに首を鷲掴みにされる少女がいるという噂話が広まっていたのは、また別のお話。