「あなたは……学生の時、クラスでその、嫌な目にあっていてね」
「……嫌な目って、いじめられてたって事?」
「…………」

 お母さんは答え辛そうにしつつ、こくんと一つ頷いた。
 
「それでその、私達はずっとそんなあなたに気付けなくて、私達が気付いた時にはもう、あなたは自殺を図った後だったの」
「!」

 自殺というキーワードが飛び出した事でぴくりと反応すると、お母さんは私の背中をそっと撫でる。

「やめておく?」
「……ううん、聞きたい」
「そう……」

 お母さんは大きく息を吐くと、部屋のどこを見るでも無い瞳で話を再開した。

「それはね、その時は未遂で終わったの。たまたま失敗したおかげでね。でもあなたはそのトラウマから、次は強迫性障害に悩まされるようになったの」
「……強迫性障害」

「強迫性障害って分かるかしら?」と問われて、「なんとなく」としか答えられなかった。口に出して説明する事は上手く出来ないけれど、確か自分の意思とは別の考えが頭に浮かんで離れず、その考えに行動が支配されてしまう事、みたいな感じだと思う。

「あなたはずっと何かに命令されているようだった。その何かの言う通りにしないといけないと思っていたみたいでね、いつもいつも何かに追い詰められていたわ。いじめられるのも、自殺が失敗したのも、自殺なんてしようとしたのも、全部駄目な自分のせいだって、言われた通りに出来ないとまた同じ事が起こってしまうって。私達から見たらその見えない何かに認められる事で、自分を肯定しようとしているみたいだった」
「…………」
「誰も止められなかったわ。何かの命令に背く事は、出来ない自分を受け入れる事と同じだとあなたは言っていた。本当はこんな事今すぐやめたいけれど、意味なんてないとわかってはいるけれど、やめてしまったら駄目な自分になってしまう気がして仕方なかったみたいで……。頭で分かっていても、やめられなかったのよね。それがこの病気なんだもの。でも私達は気長に付き合っていくつもりで、卒業を機に環境が変われば良くなるだろうと思っていたの。だけど残念ながらそれは卒業してもずっと続いてしまった」
「…………」
「……そして、耐えられなくなったあなたはまた——……その後、目を覚ましたあなたはもう何も覚えていなかったのよ」
「…………」

 嫌な過去を思い出すように、言葉にするのも辛そうに、お母さんは当時の私について話してくれた。それがベッドの上で目覚めたあの日に繋がる私の過去の話。正直、今こうやって話してもらった内容に自分の過去として受け入れる何かの感情や感覚が動く事は無かった。もちろん、驚きと戸惑いみたいなものはあったけれど、その話の内容に自分事という感覚は無い。
 けれど一点。もしかしてと思う部分はあった。

「……もしかしたら、お母さんの言うその私を追い詰めていた何かが、今、私の所にいるのかもしれない」

 あの女の子。どこからともなく現れた、私にしか見えない、人間では無いあの子。

「急に現れたの。その子がいるとよくわからないけど嫌な感じがして、その子の言う言葉も行動も、全部が私を責めててすごく……怖かった」

 あの子。今はもう消えたあの子。

「あの子が私に言ったの、事故じゃなくて自殺未遂だよって」
「…………」
「あの子が私の中の精神的な何かなのだとしたら、忘れたはずの記憶の欠片を拾い上げたみたいな、そんな感じだったのかもしれないよね? だってそれは本当に起こった事だったんでしょう?」
「……そうね」

 そうなると、全てに納得がいく気がした。彼女の存在が私にしか見えない事。恐怖を感じるあの寒気も、執拗に私を責めようと、追い詰めようとするあの態度も。
 過去の私に命令してくるその何かはきっと彼女の事だろうと思う。彼女の命令に従う事で、私は無意識の中で本当の自分を救う為に駄目な自分を罰してきたのだろう。その為の存在を自分で脳内に作り上げた。まるで私の中の神にも等しいそれが、あの子。
 そして病院に運ばれたのち意識が戻った今、心が不安定になるとまたあの子は私の元に現れた。あの子の言葉の全ては本物で、蓋をされた記憶の奥にある事実を私に伝えてきていたのだろう。きっとその全ては私の意識の奥にある深層心理によるもので、それがあの子を通じて表に出て来ていたという。
 そう、ただそれだけの事。

「……だったら、もう大丈夫」

 もう、そういうものだと受け止めて前を向こう。全ては私の精神の病気が引き起こした出来事で、ずっと私はそれに苦しめられて来たのかもしれない。追い詰められて、家族にもたくさん迷惑を掛けて来たのかもしれない。

「でも、今の私にはその記憶が無いの。今の私は私としてきちんと生きていこうと思ってるし、自殺なんてこれっぽちも考えてない」
「……恵子」
「今までたくさん心配かけてごめんね。でも私、もう大丈夫だから。だから退院して、また一緒に暮らしてください」
「! も、もちろんよ。もちろん、一緒に暮らしましょう、また今までみたいに」

 ぎゅっとお母さんと抱き合うと、そのお母さんの温もりが心に沁み入る。何の迷いもなく、疑いもなく、その全てを受け入れられた自分がいた。それはとても清々しい事で、ふとお姉ちゃんと見たあの青空を思い浮かべる。あの時とは違い、不安はもう感じなかった。きっと見ない振りをしたままでいたらこうはなれなかっただろう。

「ありがとう、お母さん」

 私の呟くような声に、お母さんは安心したようにうん、うんと頷いた。