——そして、集会当日。

「……恵子」

 壇上へ向かおうとする所に、お姉ちゃんに呼び止められる。お姉ちゃんは笑っていた。これから私が何をするつもりなのか、お姉ちゃんは私が辿り着いた答えに気づいているのだろう。だって私には変える力があるのだと教えてくれたのはお姉ちゃんだ。お姉ちゃんはこうなる事を望んでいたのかなと、今となると思う。この方法でしか全てを解決する事は出来ないだろうと思うから。

「お姉ちゃん。私、やるよ」
「うん」
「ついて来てくれるよね?」
「まぁ、楽に生きれる内はね。やばくなったらすぐ逃げるよ」

 なんて言いながらも、きっとこの人はなんだかんだで手伝ってくれるだろう。お兄ちゃんもそうだ。お客様と他の家族はわからないけれど、きっとなんとかしてみせる。
 壇上に上がると、会場一杯に集まったお客様の視線が全て私に集まった。中継カメラも回っている。
 すっと大きく、息を吸った。

「こんにちは、皆様。そしてはじめまして。私の名前は、早苗です」

 私の発言に会場内が騒ついた。けれど、不思議と緊張はしなかった。私の心は決まっているからだ。やる事は決まっていた。
 私は今日、ここで宣言をする。

「ここに恵子はいない。お恵様なんて神は存在しないのだという事を、私から皆様にお伝えしたく、本日はお集まり頂きました」
「!」

 どういう事だと騒めきが増す会場内と、今にも飛び出そうとしているお母さんの姿が目に入る。でも、この演説を止める事なんてない。私はここで今までのものを壊して、新しいものにする。
 ここに私の世界を作る。

「私はずっと、自分が恵子である事を受け入れられずに生きてきました。心が擦り減り、耐えられずに命を投げ出した後は皆様もご存知の通り、記憶を無くしてまたここへ戻ってきてしまったのです。けれどその私を生まれ変わったのだと表した方がいます。正しくその通り、私はその時生まれ変わり、そして自分のルーツを持たない孤独と絶望を知りました。何を信じたら良いのかわからず、ここにいる事しか出来ない私を受け入れて下さったのは、恵子でもお恵様でもない、紛れもなくここにいる皆様。皆様と心の中を見せ合う事で、孤独を埋め合う事で、私は確かに救われたのです。あなた方が私との会話で救われたと言って下さるように、私も救われていた。私達は、確かに支え合っていたのです」
「でも騙していたんだろう!」

 私の言葉に耳を澄ませるように静まっていた会場内から一つ、野次が飛んだ。すると次々にそうだそうだと不満が露わになる。

「お恵様がいないなんて信じられるか!」
「恵子さんだからお話ししたのに!」

 当然だ。今まで信じていたものを突然否定されたのだから。でも、私は今までの全てを否定するつもりは無い。

「お静かに願います。聞く気がないのならすぐに出て行って下さって構いません。ただ、まだ話の途中ですので、最後まで聞く選択を皆様でしたらして頂けると思っています」
「…………」
「せっかく来て下さったのだから、もう少しだけ私にお時間を頂けると嬉しいです」

 私の言葉に、皆声を落としていき、最後には音が鳴り止んだ。私の次の言葉を待つ体制が整えられたので、話を続ける事にする。

「では、皆を騙していたのか、それは違います。今までの全てが嘘だったのか、それも違う。なぜなら、そこにいたのは私だったから。その部屋にいたのは始めからずっと私とあなたの二人だけ。それ以外のものなど何も無かった」

 始めからずっとそう。だって私はお恵様の言葉を聞いた事も無いし、代わりに話した事も無い。恵子と呼ばれるだけの、ただの私しかそこにはいなかった。

「私達は互いに心を見せ合い、秘密の時間を共有していた。違いますか? あなたの前に座っていたのはお恵様? あなたが心を見せたのは恵子? 違います。私です。私を神の子と信じたあなたが救いを求めたのは、ただの人間の私。あなたを救いたいと願ったのは、恵子と呼ばれるだけの人間の私。そして、そんなただの私を救ってくれたのは、今目の前にいるあなたです。そこにいたのは私とあなたという、ただの二人の人間。違いますか?」
「…………」

 反論は無かった。だって彼らにはお恵様と恵子の存在を証明する証拠が無いのだから。その存在は、皆の心の中でしか生きられないもの。つまり、否定されればそれはただの幻想となってしまうもの。
 でも私は、全てを完全否定するような酷い事はしない。

「けれど、私は思うのです。お恵様などいないと口では言いながらも、もし、お恵様が本当に存在したとするのなら、きっとその祝福は私達をここに引き合わせてくれた事を指すのではないのかと。そして恵子という名前は、私達が今日この時を迎える為に私の血筋に受け継がれて来た名前だったのではないのかと。それが、この宗教がここに存在した理由なのではないのかと。それこそが皆様の信じたお恵様により与えられた恵みで、今この時が恵子として私がその恵みを皆様に分け与える場なのだと。そうは思いませんか?」

 だから今、私はここに宣言する。

「ついに今日、この時を迎えた事で、お恵様と恵子は役目を終えました。そして新しい私達が明日を迎えるのです。私の名前は早苗。それが、今日からあなた方を導く者の名前です」

 しんと静まり返った会場。呆気に取られた表情や、戸惑いの空気の中、一つ、一つと拍手の音が聞こえ始め、それは数を、音を、膨らませていく。

「私は絶対にあなたを見捨てない。私の命を終えるその時まで、私達はずっと家族です。支え合って生きていきたい。だからまた、私について来て下さい」

 そして、ついには拍手喝采の中、私は壇上を降りた。歓声が聞こえてくる。良かった、上手くやれたのだ。
 いきなり今までの全てを否定しても誰もついては来ないし、そうなってしまったらこの場所も終わりを迎える事となってしまう。それでは駄目だ。だから私は、お恵様と恵子の在り方を利用した。今この時こそが、この先の在り方こそが与えられた恵みなのだと信じ込ませれば、神を信じていた人達も納得し、ついて来てくれるだろう。
 まずは上手くいった。けれどこの先皆に受け入れられ続けるかは、私次第だ。

「恵子……じゃなかった、早苗」

 お姉ちゃんの声に顔を上げると、そこには家族の皆がいた。皆、揃って私を見つめていた。その中に一人、制服姿の私も混ざっていた。
 本来の目的を隠す形で開催された集会だった。騙して利用したようなものだから、ここで嘘なんてつけない。

「……お恵様も、恵子も、そんなものはいない。でも、私がいるから。私はずっとここにいる。だから、無理にとは言わない。受け入れさせようとは思ってない。自分の意志で、ここに残るか決めて欲しい」

 仕方なかったのだ。だってこれが唯一私に残された、私の人生を生きる手段。
 私の宣言に、お母さんは頷いた。

「忙しくなるわよ、早苗」

 ——それは、私の新しい人生が始まる合図だった。