カーテン越しに穏やかな光が差し込む。かけた覚えの無い布団の暖かさ、そして布団とは異なる暖かな温もり。腕には柔らかな感触、その心地よさが何なのかわからず、冬也は夢と現を行き交いし朝の微睡みを漂っていた。

「あん、お兄ちゃん。駄目」

 それは耳慣れた声だった。それも直ぐ近くから聞こえる。その瞬間的に冬也は覚醒を促される。首を傾けるとペスカが、冬也を抱きしめる様に眠っていた。

「駄目って何が? わぁ~! ペスカっておま、お前また俺の布団に潜り込んだな!」

 慌ててペスカを引き剥がそうとするが、冬也はふと室内が普段とは違う事に気が付いた。

「なんだ? この豪華な部屋! あぁそうか、夢じゃねぇのか」

 昨日の出来事は夢であればよかった。目を覚ましたら、いつもの部屋で、また当たり前の日常が始まる。
 しかし、冬也の目に飛び込んで来たのは、高級宿らしい豪華な調度品の数々。途端に現実へ引き戻された冬也は少し頭を振り、ペスカの目が覚めない様にゆっくりと体を起こす。

「ぐぅ」
「幸せそうな顔しやがって」

 冬也は、優しくペスカの頭を撫でる。

「こいつも疲れてたんだろうし、もう少し寝かせてやらないとな」

 冬也は、そう独り言ちると、ベッドの端に座り直した。

「それにしても、ペスカは何者なんだ?」

 ペスカは子供の頃から変な行動をする事が多かった。日常茶飯事になっていたおかしな言動に、冬也は次第に慣れていった。思い起こせば小学生の低学年にもかかわらず、分厚い専門書を読み漁ったり、家中の家電を分解する事も有った。

「そういや、ペスカがTVをバラバラにした時は、親父が泣きそうな顔してたっけ」

 ペスカは、ここを異世界だと言った。自分を賢者と言い、地球で生まれ変わったのだと言った。それを証明するかの様な魔法と知識を持っていた。少なくとも、あの化け物と対峙して生き残れたのはペスカのおかげだ。そして、謎のカードで街に入り、高級宿にも入れた。

「もう、間違いはないんだろうな」

 一晩ゆっくり休んでスッキリしたのだろうか、それとも頭がはっきりしてきた証拠だろうか。頑なに認めようとしなかった現実を、冬也は認めようとしていた。

「ペスカが起きたら、色々詳しく聞かないとな。まだ何か隠し事してやがるしな。俺が気が付かないとでも思ってやがんだろ。でもこいつ、ちゃんと話すかな? まぁ話さなきゃ、お仕置きだけどな」
「う~ん、なあに? おに~ちゃん」
「あ~ごめんペスカ。起こしちゃったか?」
「な~んか、幸せな夢見てた~」

 悩む自分が馬鹿らしくなる程の、起き掛けの呑気なペスカ。冬也は少し腹が立ち、ペスカの頬を少し摘まんだ。

「うみゅ。みゃにさ。おみ~ちゃん」

 冬也はペスカの頬で少し鬱憤を晴らすも、腹がぐぅ~と鳴る。昨日の朝以降に摂ったのは、栄養補助食品と水の簡易的な食事のみな事を思い出す。

「ペスカ、取り敢えず飯にしねぇか?」
「うん。おなか減ったよ」

 着替えを用意していないので、そのまま宿の一階に下りて朝食を頼む。テーブルについて、暫く待つと出てきたのは、パンと卵焼きとサラダにスープであった。

「異世界っても、飯は普通だな?」
「そう? 私はヤマトベーカリーの、ふかふかパンが好き~」
「そうだな、あそこの食パンは旨い。っていや、そう言うことじゃなくて」

 パンは硬かったが、スープに浸せば食べられない事は無い。他の料理も、日本と然程変わりの無い味だった。空腹で食えれば何でも良い気分であった冬也は、取りあえず満足し食事を終える。
 一心地つくと冬也はペスカへ問いかける。

「ペスカお前は何者だ? 何を隠してる? 全部話せ!」
「わかってるよお兄ちゃん、全部話すって。その前に行く所が有るんだけど、良いかな?」
「そこに行けば、全部話すんだな」
「約束するよ、お兄ちゃん」

 冬也は、真剣な表情で答えるペスカを信じる事にした。

「ご飯も食べたし、レッツゴー!」

 どんな時も明るく振舞えるのは、ペスカの長所である。この笑顔に、どれだけ支えられて来ただろうか。冬也の些細な悩みなど、馬鹿らしくなってくる程に。
 しかしここは、冬也の知らない世界である。一抹の不安を抱えつつ、冬也はペスカと共に宿を後にした。

 街を歩きながら冬也は周囲を見渡す。門の外から見た光景は、中世の発達してない都市に近かった。しかし、この都市の美しい街並みは中世とは思えない。現代ヨーロッパのどこかでは無いかと勘違いしてしまう程だ。

「ヨーロッパじゃないよ。この街の名前は、エーデルシアって言うの」
「心を読むなペスカ。それも魔法か?」
「はぁ、お兄ちゃんの場合、顔に出てるんだよ」

 街を歩く人々が、武器を携えている訳もない。荷車を引く者、店の開店準備で忙しなくしている者、畑に向かうのか鍬などを抱えて門から出ようとしている者と、ごく平和な光景が繰り広げられている。
 だが、昨日の出来事が嘘の様な、争い事とは縁遠そうな光景は、返って冬也を不安にさせた。

「ところでペスカ。昨日の怪物は他にもいるのか?」
「あんなのがそこら中に出てきたら、大問題だよ」
「じゃあ、街に入って来ることはなさそうだな」
「うん、それは無いと思う。お手柄だねお兄ちゃん」

 目に飛び込んでくるのは、平和な光景なのだ。如何に自分と関係ない人々とはいえ、あんな化け物に蹂躙されては流石に面白くはない。ペスカの言葉で冬也は胸を撫で下ろし、続けざまに質問を重ねた。

「兵士がお前の事を、メイザー伯がどうのって言ってたけど、メイザーって何だ?」
「その辺は、後でまとめて話すよ~。ガツガツしてるとモテないよ~」

 早々に質問を打ち切られた冬也は、再び周囲を見渡す。歩く人々は、欧米人と変わらない。街には、いまいち異世界感を感じられない。せめて、二本脚立って歩く動物めいた人がいれば、信じる事も出来そうだけど。そんなもやもやとした感覚を覚える冬也に、再びペスカから声がかかった。

「お兄ちゃん、猫耳少女はこの街にはいないよ。残念だったね」
「だから、心を読むなって」
「お兄ちゃんってば、わっかりやすいからな~。うふふ」
「因みに亜人は、こことは別の大陸にたくさんいるよ。会いたければ、今度連れてってあげるよ」
「亜人って言うと、あれか? 耳の尖った人もいるのか?」
「エルフの事? もちろんいるよ! まぁそっちは直ぐに会えるかな」
「そっか。本当に異世界へ来ちゃったんだな」
「そんな事より、見てお兄ちゃん。ここが目抜き通りだよ」

 ペスカが指を指した先には、様々な店が立ち並び、沢山の人が行き交う場所だった。
 服や雑貨の様な物を売る店。見た事もない色鮮やかな果実を売る店や、見覚えの無い野菜を売っている店。そして美味しそうな匂いが漂う飲食店が集まっていた。

「ペスカ。何だあれ、果物か? なんか毒々しい色だぞ。食えんのか?」
「甘くて美味しいよ」
「ペスカ。何だあれ! キャベツに似てるけど」
「キャベツで間違いないよ。日本のとは少し変わってるけどね」
「ペスカ! 旨そうな匂いがするな! なんだろな?」
「喜んでもらえて何よりだけど、お兄ちゃんがお上りさんになってるね。フフッ可愛い」

 冬也は抱えていた疑問を完全に忘れ、目の前に広がる新鮮な光景に驚いていた。旅行者の様にはしゃぐ冬也を、ペスカは優しく見つめる。
 散歩でもする様に、二人は暫くウィンドウショッピングを楽しむ。そして、目抜き通りを抜けると、かなり大きい邸宅が見えてきた。

 邸宅まで歩みを進めると、ペスカは門の前で立ち止まる。門の両脇には、剣を携えた屈強そうな兵士が立っていた。