悪夢を見た後の目覚めは、余り気分が良くない。更に輪をかける様に違和感が訪れれば、気分も最悪だろう。如何に明るく振舞おうとも、もやもやした感覚は抜けない。気が付けばペスカはしかめっ面になっていた。

「怖い顔になってるぞ」

 玄関を出るなり、冬也はペスカに顔を近づけ変顔を作る。

「フフフ、フッ、フフフッ。お兄ちゃんのそういう所、大好き」
「笑顔だと可愛いさが増すな、ペスカ」
「にゃ、にゃによ。可愛いとかお嫁さんにしたいとか」
「いや、嫁なんて言ってね~だろ」

 ペスカは顔を赤くしながら下を向く。笑顔を取り戻したペスカは、冬也の腕にしがみついた。
 
 二人が通う高校は、自宅から歩いて三十分程の距離が有る。

 二人が暮らす住宅街の近くには、緑溢れる森が有り、そこには神社が有る。神社を越えるとアーケードが有る商店街。その商店街を抜けると、駅が見える。駅を迂回する様に五分程歩くと、高校に辿り着く。

 二人は毎日通るルートで高校へ向かう。

 冬也は、ペスカを腕にしがみつかせたまま、のんびりと歩く。人の目を引きつけるペスカの容姿は、通りすがる人の目線を吸い寄せる。血の繋がらない二人の兄弟は、傍からは恋人同士に見えるらしく、若い男性達は少しため息をつきながら通り過ぎた。

 住宅街を歩いていると、後ろからペスカを呼ぶ声が聞こえる。可憐な声は車の走る音でかき消される。振り返れば、まるで日本人形の様な美少女が走って来る。
 柔らかな美貌と楚々とした仕草が似合いそうな、少女は運動とは無縁そうに見える。その声は、近付くたびに段々とはっきりしてくる。そしてペスカは少女に手を振って応えた。

「おはよ! 空ちゃんどうしたの?」
「空ちゃん、おはよう。どうしたそんなに慌てて」
「待ってって言ってるのに。本当に、ペスカちゃんと冬也さんだよね?」
「珍しいな、空ちゃんが走って来るなんて」
「走るだけで、転びそうなのにね」
「そんなに運動音痴じゃないよ」

 声の主はペスカの幼馴染で、しばしば自宅に遊びに来る。故に、冬也も空を良く知っていた。ただ、やはりと言うべきか、ここにも違和感があった。

 運動が苦手な空が、走り寄って来る事は滅多にない。それも、膝に手をついて息を切らせている。そんな光景は見た事がない。
 しかも通学時間にも関わらず、制服を着ていない。空は天然ボケをしでかすタイプではないのだ。真面目な空が、学校をさぼるとは思えない。しかも顔見知りの人間に対し、確認する様な言い回しをするのもおかしい。

 ただ表情からは、何かを伝えようと、ひどく慌てている様子が伺える。それは、慣れない走るという行為に及んだ事からも、明白であろう。
 空は呼吸を整える事もせずに、ペスカへと近づく。そして両手でペスカの肩を掴み、大きく揺さぶった。

「ペスカちゃん! 私の事わかる? 無事なの? 一か月近く何処に行ってたの? 何も言わないで急にいなくなるから、心配したんだよ! 最近変な事ばかりが起こってるし、何か知ってる?」
「何言ってんの? 私は元気だよ! 風邪もひかない健康優良児だよ」
「そうだぞ。俺もペスカも毎日学校に行ってるだろ? 何言ってんだ、空ちゃん?」
「……何も憶えてないの?」

 急に顔を青ざめさせ、空はふらついて崩れ落ちる様に、歩道に座り込む。明らかにいつもとは様子が違う。空を心配そうに見つめ、ペスカは少しおどけた様に話しかけた。

「どうしたの? 何か怖い事でもあった? 私なんか、昨夜は怖い夢を見ちゃったよ」
「怖い事? 怖い事だらけじゃない! 急にペスカちゃん達がいなくなって。それに三日前までは、異能力なんて誰も持って無かったんだよ! 急に変な能力が色んな人に現れて、事件も起き始めて。ペスカちゃんも冬也さんも居ないし、私どうしたらいいか……」

 空は大粒の涙をぽろぽろと零しながら、声を荒げて捲し立てた。空が感情を露わにする事は、滅多にない。しかし二人には、空の言っている意味が、全く理解出来てない。首を傾げつつも、冬也はペスカに視線を送る。そしてペスカは、空を優しく抱きしめて呟いた。

「落ち着いて空ちゃん。何が有ったのかゆっくり話して」

 空はペスカから離れると、服の袖で涙をぬぐう。そして少し深呼吸をした後、ぽつりぽつりと話し始めた。
 
 一か月近く前の事である。空がペスカのスマートフォンに連絡をすると、ペスカから応答が無かった。不思議に思った空だが、ペスカの事だしどうせゲームに夢中で、気が付かなかっただけだろうと考えていた。しかし、翌朝に学校へ行くとペスカの姿が無く、担任からペスカは暫く休むとだけ告げられた。

 しかし、いつになってもペスカは学校に訪れない。冬也も同様に学校に来ていない。担任に聞いても、詳しい事情は知らないと言われる。自宅に行き、呼び鈴を鳴らしても応答がない。スマートフォンに連絡すると『電波が届かない所に』と、メッセージが返って来る。ペスカから、父親は家を空ける事が多いと聞いている。その連絡先は、空にはわからない。

 仮に、長期の休学をしなければならない何かの都合が有ったとして、それを空が事前に知らない事が変なのだ。ペスカならば、心配の無い様にと配慮をし、必ず伝えてくれる。
 ペスカ達が行方不明。若しくは何かのトラブルに巻き込まれた。空がそんな答えに行きつくのも、仕方はあるまい。
 不安を感じた空は、自分の数少ない友人や冬也の友人、両親や教師、警察等、考え得る限りの伝手を通じてペスカ達を探し始めた。しかし誰も心当たりが無く、消息は掴めなかった。
 
 不安に感じながらも、空はペスカ達の無事を祈り生活を続けていた。しかし三日前、急に変な能力を持つクラスメイトが、複数も現れた。
 違和感を感じた空は、能力に目覚めたクラスメイトに尋ねる。しかし誰もが、その能力は昔から備わっている物だと思い込んでいた。
 極めつけは、周囲からペスカと冬也の記憶が消えていた事である。

 ペスカのクラスメイトを始め、冬也のクラスメイトや教師達、誰に聞いても二人の事を知らないと言う。慌てて教師に頼み、生徒名簿を調べて貰う。間違いなく書類上では、二人の名前は存在している。空は恐怖で目が眩み、その日は早退した。以降は部屋に引き籠っていた。
 
 部屋にあるTVを点けると、脳力者が起こす事件の報道が絶え間なく続いている。空はほとんど食事もとらず、部屋の電気も点けず布団を被って過ごしていた。
 しかし今朝は、たまたまカーテンを開けた。そして外を眺めると、仲良く歩くペスカ達の姿を見つけた。空は一目散に家を飛び出し、二人を追いかけた。

「大変だったね空ちゃん。心配かけたのね。大丈夫よ」

 説明し終わりペスカから声を掛けられると、空は堰を斬った様に大声で泣き始める。泣き続ける空をペスカが支え、一先ず落ち着こうと神社の先に有る、公園へ向かって歩き始めた。

「お兄ちゃん。空ちゃんの話しどう思う?」
「ん~。なんと言うかSF? 空ちゃんが制服じゃ無い理由は何となく解った」
「お兄ちゃんに聞いた私が馬鹿だったよ」

 ペスカは空の説明を聞いても理解が出来ない。今朝から抱えていた違和感は増すばかりだった。
 空は、ペスカに支えられ泣き続けている。二人は首を傾げるも、空を慰めながら歩き続けた。神社に向かって歩みを進め、住宅街を抜け森に差し掛かった時であった。
 男子学生と思われる集団が道を塞いでいた。中には鉄パイプの様な物を所持している者もおり、全員がこちらを睨んでいる。

「誰さん達? 空ちゃんの知り合い?」
「私の訳が無いでしょ!」
「ふふっ、わかってるって。どうせ、お兄ちゃんでしょ?」
「あんな奴等は俺もしらねぇけどな」
「取り合えず、警察に連絡しとく?」
「それもそうだな」
「ねぇ、怖いよ。ペスカちゃん、冬也さん」

 道を塞いでいる連中を特に気にした様子も無く、冬也とペスカは空を守る様に位置取り、歩みを進めていく。
 しかし、すんなりと通してくれるはずもなく。男子学生の内、一人の手に火が灯ると、それを冬也目掛けて投げつけて来た。

 火は、冬也の足元で爆ぜる。爆竹を足元近くに投げられた様なものだ。多少は火の粉が飛ぶが、大きな怪我をする程ではない。
 
「能力者ってのは、あんな奴の事か」
「お~。不思議だね、火が手から出たよ」
「ペスカちゃん! 呑気な事を言ってる場合?」
「空ちゃんは離れてろ。それと警察に連絡してくれ」
「冬也さん、無茶しないで」
「わかってる、任せろ」
  
 通行の邪魔さえしなければ、どれだけ威嚇されようが無視を決め込むつもりだった。しかし、明確な攻撃の意思を受けて、そのまま放置は出来まい。
 しかも、能力者が起こす事件を空から聞いたばかりだ。せめて警察が来るまでの間は、奴等を大人しくさせとかなければなるまい。
 ただし、奴等が黙って言う事を聞けばの話だろうが。

「そこの~。女二人連れとは良いご身分だなぁ~」
「新島ぁ~。こっちに来いよぉ~。遊んでやるからよぉ~」
「もう一人のチビも可愛いなぁ。お前ともあそんでやるよぉ~」
「ヒヒ、良いね。男をぶちのめした後、可愛がってやるよ」

 男子学生達は、急にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、空を舐める様に見始めた。その視線はペスカにも注がれる。

「およっ? 狙いは空ちゃんだった?」
「馬鹿、お前もだペスカ」
「お~。人気者は辛いね。熱狂的な信者かな? でも、あんな狂信者は要らないけど」 
「同感だよ」