ホビットの国を滅ぼした大規模魔法の発動は、凄まじい轟音と振動が隣国に届く。南側に位置するケンタウロスの国はともかく、西側に位置するドワーフの国中を震撼させた。

 恐れていた事態が訪れた。由々しき事態に、ドワーフ達は全軍を直ぐにホビットの国へ向かわせた。国境近くまで到着したドワーフ軍が見たのは、見渡す限りの焼け野原であった。

 警戒を怠っていなかったはず。それはホビット側もだろう。なのに何故、こんな事態になってから気が付いた。
 ドワーフ軍は目の前の惨劇を見て尚、事実を受け入れられず、また事態を理解する事が出来ずにいた。
 
 ドワーフとホビットの警戒を潜り抜け、反撃の機会を与えず一方的な攻撃が出来た訳。それはエルフ達が、隠蔽の魔法をかけて移動していたからである。

 ホビット側が気が付いた時には、国境沿いをエルフ達に囲まれていた。問答無用で戦争状態に突入し、僅かな時間で滅ぼされた。そしてドワーフ達に救援が届く事は無かった。

 だが隣国のドワーフ達が、この一方的な侵攻に気が付かなったのは何故か。それは、二つの種族を同時に相手取る事を嫌った、エルフの計略による。

 隠蔽の魔法を応用すれば、広範囲に渡って事象を隠す事も可能になる。言わば、国境沿いに巨大スクリーンを張り、通常の光景を映す様なものだ。
 そんな事が出来るなら、戦闘音を消す事も容易かろう。ただし、大魔法の破壊力までは隠す事は出来なかった様だが。

 ドワーフ軍は戦況を把握する為、部隊の一つを先行させる。工芸の神に愛された、緻密な工作技術を持つドワーフは、望遠鏡にも似た遠見の機械でホビットの国を隈なく見渡す。そして、数万にも及ぶエルフ達が南下しているのを発見した。

 そのまま南下すれば、ケンタウロスの国である。ライカンスロープの国に全軍を送っているケンタウロス達は、エルフ達に対抗する手段を持たない。
 仮にケンタウロス達が、全軍を持って迎え撃てる状況であったとしても、荒ぶるエルフ達に対抗は出来ないだろう。

 ドワーフ軍は直ちに軍を進めた。エルフ達がケンタウロスの国に入れば、また一つこの大陸から種族が失われる。有ってはならない事態を危惧し、ドワーフ軍は急いだ。

 激しい焦りを感じ、進軍するドワーフ軍。その時、唐突に一体の巨大なドラゴンがドワーフ軍の眼前に降下した。

「全軍撤退せよ。これは命令だ! 反論は許さん!」

 威圧の籠る声が響く。ドワーフ軍は瞬時に身構え、武器を構える。ただ、肉弾戦にかけては大陸随一の実力を持つドワーフ軍でさえ、初めて目にする巨大なドラゴンの姿とその声には戦々恐々としていた。
 
 ドワーフ軍の行く手を阻む様に、巨大なドラゴンが立ち塞がる。戦いにかけても一流であるドワーフ達だからこそ、相手が絶対に逆らってはならない存在である事を直感する。

「今一度言う、全軍撤退せよ! これ以上、余計な犠牲を出してはならん! 奴らは俺に任せろ」

 その言葉が理解出来ないドワーフ達ではない。そして、ただ頷くしかなかった。ドワーフ達は反転し国境へと引き返す。それを見届けると、巨大なドラゴンは飛び立った。

「長。あれでよろしかったのですか?」
 
 飛び立ったミューモの後に続いた眷属ドラゴンが問いかける。険しい表情を崩さずに、ミューモは眷属ドラゴンに応えた。

「一刻を争うんだ、多少の脅しは仕方ないだろう。それよりもお前は、俺の補助に徹しろ。決して奴らを殲滅しよう等と考えるなよ」
「それでは、長が危険です」

 エレナと同様の危惧を、眷属ドラゴンも感じていた。しかし、ミューモは首を横に振る。
 
「お前は後方で、俺にマナ供給を続けてくれ。相手は神でもなければ邪神でもない、ただの亜人だ。最古にして最強である俺が、負けるはずがない」
「長……」
「これ以上、世界から種族が失われるのは、冬也様とペスカ様が望むまい。我らが行うのは奴らを止める事、それだけで良い。いずれスールが来てくれる、冬也様とペスカ様も復活なさる。奴らを断罪するのは、我らではない。冬也様とペスカ様だ」

 ドラグスメリアの戦いで、ミューモは神々の戦いを目の当たりしていた。
 エンシェントドラゴンでも遠く及ばない力と、その使い方を。そして破壊ではない、もう一つの戦い方をミューモは学んでいた。
 そう、かつてのミューモとは違い守る為の術が有る。
  
 高速で飛ぶミューモとその眷属は、瞬く間にエルフ達の前に立ち塞がる そしてミューモは、ありったけのマナを体内に集めた。
 
「この盾は全てを通さない。この盾は破壊されない。神すらも断罪する力でさえ、この盾には通じない。悪意も狂気もこの盾が浄化する。全ての力は大地に還り、潤いを取り戻す。我が名はミューモ、世界の守護者! 絶対なる障壁をここに!」

 ミューモが詠唱を終えると、光が溢れていく。光は瞬く間に、数万のエルフを包んでいった。それはかつて神々が、ドラグスメリア大陸東部で神々が張った結界。それに酷似した結界が、エルフを囲んだ。
 
 しかし、エルフはエンシェントドラゴンの到来を予期していたのだろう。間髪入れずに、大規模魔法を行使する。結界内部に激しい光と共に衝撃が広がっていく。
 しかし、ミューモの結界は大規模魔法を、いとも容易く打ち消した。それどころから、大規模魔法の力を吸収し大地を潤していった。

 この結界はミューモの集大成でもあった。

 かつてのミューモは、力任せに滅ぼす事しか出来なかった。神に命ぜられるがままに、数々の亜人や人間、魔獣に至るまで滅ぼしていった。
 それは、今のエルフ達と何が違うのだろう。冬也との出会いが、間違いなくミューモを変えた。
 
 冬也はモンスターを相手に、破壊ではなく浄化を行っていた。それは神の力による所かもしれない。
 しかし、そんな冬也の戦い方に憧れた。思うがままに力を振るい、断罪するのは簡単な事。許す事、認める事、それがどれだけ大変な事なのか。だからこそ、冬也は強く温かい。
 
 冬也は厳しかった、特にミューモに対しては。それは、優しさと甘さは違う事を、徹底して教えていたたのだろう。
 だからこそ、力の使い方に気が付く事が出来た。あの厳しさがなければ、既にミューモは命を落としていただろう。
  
 俺はあの方に一歩でも近づきたい。だから今は戦わない。俺の役目はエルフを止めるだけ、余計な悪意を生み出してはならない。

「ここから先に、一歩でも進めると思うな! 我が命を懸けて、貴様らは通さん!」

 更に大規模魔法を放つエルフ達。しかし、ミューモの張った障壁は、びくともしなかった。
 そして、枯れた大地から緑が溢れていく。ミューモの憧憬が、大いなる力へと変わる。そしてエルフ達の前に立ち塞がる。神々の御業にも及ぶマナの循環が、局所的に行われていた。
 
 もしかすると、この騒乱において最大の功労者はミューモかもしれない。混迷を極めるアンドロケインには、悪意や狂気が広がっている。その勢いは、他の大陸よりも遥かに強い。
 
 飢餓により、世界には憤怒が蔓延している。
 戦いにより、世界には慈悲が失われている。

 狂気が蔓延した世界が、何を生み出すのか。どんな結果を齎すのか。その流れを、ミューモは堰き止めようとしていた。