ペスカの覚醒は、冬也よりやや早かった。冬也と同様に世界の理を知ったペスカは、自我を取り戻し周囲の様子をつぶさに観察していた。

 繰り返される戦い、それは生者だけに起こるものではない。神々の争いは、地上と直結し多大な影響を与える。
 何が間違えていたのか。ペスカは最適解を導き出そうと、思考を続けていた。
 
 神でさえも過ちを犯す。それは、神が絶対的存在ではないからだろう。そして神は、世界の一部に過ぎないのだ。
 
 しかし何故、神が争うのか。それは恐らく、使命に縛らているからであろう。
 地上の生き物とは違い、それぞれが司るものこそが、神にとっては絶対なのだろう。だから衝突する。

 むしろ衝突せざるを得ないのだろう。
 
 自然を司る原初の神は、文化の発展を認めないだろう。それは当たり前の事だ。
 文化の発展によって、自然が汚されるのは、己の司るものを侵犯するのと同義である。逆もまた然り。もとより調和が図れない存在が、互いに歩む事が不自然なのかもしれない。
 
 だが女神フィアーナは、共に歩む事を望んだ。想像もつかない程の長い時間をかけて、失敗を繰り返してきたのだろう。どれだけ失敗しても諦めずに、今の世界を創ろうとしたのだろう。

 称賛に値する。しかし、また同じ事を繰り返そうとしている。ペスカは神々の想いも感じとっていた。

 ベオログは、自分達を世界の希望だと言った。恐らくそれは、ロイスマリアには無い概念を、自分達が運ぶ存在だからだろう。
 新しい概念だけに、期待を寄せた訳ではあるまい。神とも人とも異なる自分達の存在が鍵になると、ペスカは考えていた。
 
 しかし何を成す。何をすればいい。ペスカは更に思考を巡らせる。

 原初の神が定めた神の法では、足りないのだ。神は互いの領域を侵さない。そもそも、これが間違いなのだ。妥協点を探る事が重要なのだ。
 互いに調和が図れない、衝突を繰り返す相手に対し、ただ互いの領域を侵す事を禁じただけでは、争いは無くならない。

 だから、タールカールの悲劇が起きたのだ。

 次に、ロイマスリアに暮らす者達に過度の干渉をしない。一見して正しい様で、これも誤りだろう。干渉をしないなら、人と神は相互に干渉をするべきではない。

 神は、地上の生物の願いを聞く必要が無い。地上がどれだけ荒廃しようと、手を出してはならない。地上の生物が道を間違えようとも、神は正そうとしてはならない。
 また地上の生物は、神の命を遵守する必要が無ければ、忠告に耳を傾ける必要もない。不干渉とは、そういう事だ。

 しかし、それは不可能だ。信仰によって存在を成り立たせる神も存在する。地上のマナが全くなくなれば、神は力を保てなくなり存在すら危うくなる。神が存在しない世界では、マナが滞り現在のロイスマリアの様に世界が朽ちていく。

 必要なのは、不干渉を貫くのではない。互いに許される範囲を探らなければならないのだ。

 最後に神同士の争いを禁ずる。これは、問題外だろう。そもそも、ロイスマリア三法を犯して罰則を受けても、いずれ蘇る事が前提では罰則にはなるまい。だから、アルキエルの様な存在が現れる。
   
 神は世界の管理者ではない。神は神として、己の領分に従ってのみ行動する。ただそれだけで良いのだ。
 地上で生きる者は、ただ神を敬う。神はその恩恵として、地上のマナを循環させる。それだけの関係で、良いはずなのだ。
 ロイスマリアでは、神と地上の存在との距離が近すぎるのだ。

 一端、距離を離すべきなのか? しかし、最低限の距離を保たなければ、一時的に世界が元に戻ろうとも、いずれ世界は壊れる。

 若しくはルールの下で、対等な関係を築けばどうだろうか? ただ、これは酷く難解だ。現存の倫理観を破壊しなければ、受け入れられる事は無いだろう。
 
「まぁ、そうは言っても体をなんとかしなきゃね。あんな映像を見せられたら、お兄ちゃんが大人しくしてるとは思えないし」
「君は、もう少し賢いと思っていたんだけどね」
「セリュシオネ様? そこに居るんなら、早く体を元に戻して下さいよ」

 ペスカの問いかけに応えずに、女神セリュシオネは居住まいを正す。その真剣な面持ちは、声色に現れた。
 
「ペスカ。君、私と一緒にこの世界を管理しないかい?」
「この世界って死者の世界ですか?」
「そうだよ。ここは知識の宝庫でもある。君にはピッタリだと思うんだけどね」
「嫌ですよ」
「何故だい?」
「当たり前じゃないですか。ここにはお兄ちゃんが居ないもん」

 姿は見えない。しかし女神セリュシオネは、すぐ傍に居る。女神セリュシオネの深いため息は、ペスカにも伝わる。

 ペスカは気が付いている。女神セリュシオネが、冬也を良く思っていない事を。だが構わず、ペスカは言い放つ。
 
「あのね、セリュシオネ様。あんまりお兄ちゃんを馬鹿にしない方が良いよ」
「どの道、このままではロイスマリアは崩壊するさ。あんなのが、アルキエルを倒せるとでも」
「倒せますよ。間違いなくね」
「なら、その自信は何処から来るんだい?」
「セリュシオネ様にも見えてますよね。地上ではお兄ちゃん成分が詰まった果実が、増えようとしてます。言わば、お兄ちゃんの信仰が爆上げ状態です。死にゆく世界で誰もが救いを求めてます。そして、私は英雄ペスカ」
「それは大地母神よりも、君達の信仰が厚くなっていると言いたいのかい?」
「そう言う事ですね。いざという時に頼りにするのは、目に見えない不確かな物よりも、そこに存在する物なんですよ。そしてお兄ちゃんは、必ず世界を救おうと立ち上がります」

 再び女神はセリュシオネは、深いため息をついた。
 
「それで、君は何を成すつもりなんだい?」
「もちろん世界征服、おっと違う違う、世界平和!」 
「はは、小さいね。君ならばもっと大きな事を成せるはずだよ。例えば、新たな大地母神になって世界を創り変えるとかね」
「いやだなぁ。そんなの面倒なだけですよ」
「少なくとも君が管理者となれば、この世界はもう少しましになるんじゃないかな。君に期待をしている神も居る事だしね。賛同は得られると思うよ。私も賛同するしね」
「止めて下さいセリュシオネ様。この世界には管理者なんて要りませんよ。神も生者も等しく自由じゃなくちゃ」
「どう言う事だい? 管理者の居ない世界は、直ぐに崩壊するよ。それが理解出来ない程、愚かじゃないよね」
「どうもこうも無いですよ。争いの無い世界を作るなら、先ずは互いに尊厳を認めないと。そして法を作り順守させる。これは、神様だけが行うんじゃ駄目なんですよ」
「わからないな、君の言いたい事は」
「わかりませんか? 神も生物も等しく平等に、世界を構成する一員だって言ってるんです。管理と言いつつ、神様だけが一方的に世界を好きにして良いなんて、間違ってるんですよ」

 ペスカの言葉を受けて、女神セリュシオネから怒気が増す。やや声を荒げる様に、女神セリュシオネは言い放つ。
 
「何が言いたい! 作り物と我々が同格だと言うのかい?」
「そうですよセリュシオネ様。間違えたのは大地母神だけだとでも、お思いですか? どの派閥にも属さないのは結構ですがね。あなたの傍観するだけの態度は、責任放棄とも言えるんですよ!」
「私には輪廻を維持する役目が有る。馬鹿な争いに付き合えるか!」
「だったら何故、原初の神の命じるままに、戦いの神を使って地上に戦争を起こしたんですか? 酷いマッチポンプですよね。反フィアーナ派の企みや混沌勢の企みが、全てわかっていた上で私を地球に転生させて、何を狙ってたんですか? 多くを犠牲にして、クロノスを手に入れて楽しかったですか? それで次は私を手に入れようとするんですか? 止めて下さいよね! セリュシオネ様、あなたは自分の事しか考えていない! 他の神々も根本は一緒です。先ずはその間違いを正さないと、世界は何度だって崩壊する! だけど、この世界は崩壊させない! 私が生まれた世界を、誰にも壊させたりはしない! 例え神々を敵に回してもね!」

 女神セリュシオネは口を噤み、暫く静寂が訪れる。
 その間にも、ペスカの神格からは神気が高まり続けている。この娘は本気だ、女神セリュシオネは実感した。
 この娘は、神格だけの状態であろうと、他の神を前に怯む事はない。それどころか、神の理すらも覆す気概に満ちている。
 説得は不可能か、女神セリュシオネがそう感じた瞬間に、異様な神気の高まりを感じた。死の世界を見渡すと、冬也が自身の神気で、死体の傷を塞いでいるのが見える。
 
 少しの間、女神セリュシオネは冬也に気を取られていた。
 止める言葉も耳を貸さない冬也は、体と神格と同化して復活を遂げる。そして女神セリュシオネの思惑を超え、神の世界へと消えていった。

「流石はお兄ちゃんだね。じゃあ私も行かなくちゃ」
「待て! 君もか! 肉体はどうする?」
「とっくに修復済みですよ。次に会う時に、敵にならないで下さいねセリュシオネ様」
「御免蒙るよ。君には到底、勝てる気がしない」

 ペスカの神格が、女神セリュシオネの前から消える。修復した肉体に神格が同化すると、ゆっくりと体を動かしている。
 次の瞬間に、ペスカは姿を消した。死者の世界から抜けて、兄の後を追ったのだろう。
 何度目だろうか、女神セリュシオネは深いため息をついた。

 何もしなかった。確かに、それは罪かもしれない。それでも自分なりに、この世界を守りたかった。その事実を、彼女はわかってくれたのだろうか。
 恐らくわかっていて、自分に悪態をついたのだろう、そういう娘だペスカは。
 
「潮時って事なのかな。私も変わらなくてはならないのか。はぁ、参ったね本当に」

 確かに世界は変化を遂げようとしている。良くも悪くも、世界は半神の二人に託されようとしている。
 その二人に惹かれて、一柱の神が重い腰を上げようとしていた。