世界から神の恩恵が消えた。大地は荒れ、水は枯れ、大気は淀む。雨は降らなくなり、マナは停滞を始めた。
地上から、少しずつ生物が消えていく。弱い者から順番に。
プランクトンが消え、魚が死んでいく。植物が枯れ、実りと緑が失われる。虫が消え、小動物が死んでいく。草食動物は、猛烈な勢いで数を減らす。肉食動物は、食料を失い息絶える。
誰もが飢えていた。生きる糧を失っていた。それはやがて、大きな存在にも影響を与える。
世界は緩やかに死を迎えようとしていた。
神の恩恵が消失したのは、ドラグスメリア大陸の東部で起きた事件を起点としていた。全ては、あの悪夢から始まった。
「フィアーナ! これでも、対話が出来ると思うの!」
一部始終を神の世界から眺めていたミュールは、声を荒げた。
「あんたの息子は殺された! ペスカもね! 私の眷属達は全滅だ! 私は許さないよ!」
柳眉を逆立て怒声を上げたのは、ミュールであった。握り締めた拳は、小刻みに震える。頭の先まで朱で染め上げ、逆上とも言える程に怒りを露わにしていた。
ラアルフィーネは、静かに涙を流していた。想い人の有り得ない末路。それは、ラアルフィーネの心を引き裂いた。さめざめと涙を流し冬也を想う。
冬也とペスカは、混沌勢の神々を倒して見せた。邪神ロメリアと渡り合い、消滅させた。それなのに、何故こんな結末に。あんなにも無残に殺されるなんて、今でも信じられない。
言葉も発せずに、ラアルフィーネはただ涙を流した。
フィアーナは、俯いて口を噤んでいた。様々な想いが、フィアーナの中に交錯する。
平和な世界を作りたかった。皆が笑って暮らせる世界を作りたかった。神と地上の生物が手を取り合い、共に歩める世界を作りたかった。その為に、力を注いできた。
いつ、道を間違えたのだろう。
世界を守る為には、管理が必要であった。世界を守る為には、抑制する事も必要だった。それが無ければ、地上の生物は自らの手で滅びを選択していたかもしれない。
何度も繰り返して来た。何度も世界を作っては、壊され、壊して来た。もう、間違えたくない。でも、また間違えたのだろう。
ミュールの作った大陸とそこに生きる者の行動理念は、単純明快であった。
文化を一切否定し、弱肉強食を体現した世界である。ミュールは、そんな世界を実現した。
しかし、他の三柱の大地母神は、知的生物が生み出す文化を尊重した。そして育んだ。文化の進歩と共に技術が生まれ、産業が生まれた。それに伴い、新たな神が生まれていった。
原初の神々、新たな神々、そして地上で生きる者達。皆が共に歩める世界になるはずだった。
しかし、事件は起きた。
それは、タールカールの悲劇と呼ばれる惨劇。新たに生まれた神が、大地母神の一柱に対して起こした反乱であった。
神々の戦争は、大陸そのものを滅ぼした。そして、タールカールを拠点としていた、多くの神々が消滅した。
文化の進歩を抑制しようとする原初の神。文化の進歩から生まれた新たな神。もしかすると二つの存在は、相容れないのかもしれない。
何故なら、文化の進歩を抑制する事は、新たな神の存在を否定する事に他ならないからである。
大地母神の一柱が消滅した事により、表面上での争いは鎮火した。ただ水面下では、反乱を起こした一部の神々は燻り続けた。神々の争いが禁じられて尚、彼らは狙い続けた。
タールカールの悲劇を経ても、存在を続けた一部の神。
彼らが抱く『復讐』その二文字には、並々ならぬ思い籠められている。その怒りは、原初の神を代表する存在である、フィアーナに集中した。
賛同する神を含めて、いつしか反フィアーナ派と呼ばれる様になった。
しかし、新たな神々が全て、反抗の意を示していた訳ではない。
現にフィアーナが管理するラフィスフィア大陸では、ほぼすべての神がフィアーナの傘下に収まっている。
だからこそ、フィアーナは対話に拘った。必ず歩み寄れると信じていた。しかし、全ては泡の様に消えた。
フィアーナは、顔を上げると徐に口を開く。
「強制招集をします」
「待って、フィアーナ。それは流石に」
「いいえ、ラアルフィーネ。もう限界でしょう」
涙を拭う事もなく、フィアーナを制しようとするラアルフィーネ。しかし、フィアーナは黙って首を横に振った。
「集めて一掃するなら、私は賛成よ」
「いいえ、ミュール。彼らを追いつめたのは、我々です。彼らに罰を与えるなら、我々にも罰は必要です」
「馬鹿な事を! それじゃあ、ロイスマリアが滅びるわよ。それでも良いの?」
「仕方のない事です。世界には一柱だけ残れば良い。それで、地上の生物達は輪廻から外れる事はありません。ロイスマリアは滅びるのでは有りません。新たに生まれ変わるのです」
フィアーナは、ミュールの意見も否定した。罰を与えるなら、全ての神が同罪だと主張した。
世界には、死と生を司る神だけ残ればいい。そうすれば、地上の生物が輪廻から取り残され、消滅する事が無くなる。
そして新たな生を育み、そこから新たな神が生まれる。それは、滅びに向かおうとしている世界の再生でも有る。
「前にも言ったでしょミュール。一部を除き、神々を集めて世界を切り離す。これは長である私の決定。例えあなた達でも反論は許さない」
フィアーナは、固い表情で言い放った。決意に満ちた瞳を見れば、もう覆せないのかもしれないと、二柱の女神は悟る。
しかし、ラアルフィーネは深いため息をついた後、一縷の望みを託して問いかける。
「それでフィアーナ。世界を切り離した後、どうするの?」
「好きにしなさい。新たな世界を作るのも止めはしないわ」
ラアルフィーネは息を呑んだ。
ロイスマリアという世界を放棄する。フィアーナの中では、決定事項なのだ。長い時をかけて作り上げた世界を放棄する事に戸惑いを感じつつも、止める言葉をラアルフィーネは持ち合わせてはいなかった。
しかしミュールは、フィアーナの発言に声を荒げて反論する。
「私は納得しないわよ、フィアーナ。奴らと決着をつけるまでね」
「ミュール。それで構わないわよ。納得がいくまで決着をつけなさい。どうせ彼らも同じ考えでしょうし」
「なら良いわ。ところでフィアーナ。あんたはどうするつもりなの?」
「私は全てを見届けます。ただし」
フィアーナは、一拍置くと再び言葉を続ける。
「アルキエル。あいつだけは、私が消滅させる。冬也君を殺した罪は、その身を持って償わせる」
その言葉と共に、猛烈な勢いでフィアーナから、神気が溢れた。愛する息子の無残な姿を見て、女神ィアーナもまた逆上していた。
神々の中でも、大きな発言力を持つ大地母神。ただしその影響力が、戦闘力と比例する訳ではない。
大地に神気を流し生物を作り上げる。故に、地上に生きる者の母たる存在の大地母神は、戦う力を持たない。
その筆頭であるフィアーナが、息巻いている。それがどれ程の事か。同じ大地母神である二柱の女神は、痛いほど理解が出来た。
己の存在をかけても、戦いの神アルキエルを消滅させる。二度と再生が出来ない様に。
フィアーナの怒りは、二柱の女神が抱く怒りを遥かに超えていた。その怒りを目の当たりにし、二柱の女神は言葉を失った。
二柱の女神が口を噤む様子を見て、フィアーナは言い放つ。
「もう無いようね。なら始めるわよ」
フィアーナの神気が高まる。神々の長であるフィアーナにのみ許された、神の強制招集。かつて、ラフィスフィア大陸で混沌勢の神々が暴れた時でさえ使わなかった権限を、フィアーナは行使した。
神の世界に、一部を除きすべての神が集められる。ただしそこには、女神セリュシュオネとその眷属は含まれない。冬也の眷属となったスールとブルも。
女神セリュシュオネは、死と再生を司る神である。ロイスマリアと切り離せば、生者は輪廻の輪から外れてしまう。
スールやブルは、半神である冬也の眷属であり、神格が満足に育っていない。神よりも生者に近い存在である者を、呼んでも意味がない。
それ以外の神は全て集められた。ドラグスメリアの悪夢で、神格だけ残された数々の神も含めて。
地上から、少しずつ生物が消えていく。弱い者から順番に。
プランクトンが消え、魚が死んでいく。植物が枯れ、実りと緑が失われる。虫が消え、小動物が死んでいく。草食動物は、猛烈な勢いで数を減らす。肉食動物は、食料を失い息絶える。
誰もが飢えていた。生きる糧を失っていた。それはやがて、大きな存在にも影響を与える。
世界は緩やかに死を迎えようとしていた。
神の恩恵が消失したのは、ドラグスメリア大陸の東部で起きた事件を起点としていた。全ては、あの悪夢から始まった。
「フィアーナ! これでも、対話が出来ると思うの!」
一部始終を神の世界から眺めていたミュールは、声を荒げた。
「あんたの息子は殺された! ペスカもね! 私の眷属達は全滅だ! 私は許さないよ!」
柳眉を逆立て怒声を上げたのは、ミュールであった。握り締めた拳は、小刻みに震える。頭の先まで朱で染め上げ、逆上とも言える程に怒りを露わにしていた。
ラアルフィーネは、静かに涙を流していた。想い人の有り得ない末路。それは、ラアルフィーネの心を引き裂いた。さめざめと涙を流し冬也を想う。
冬也とペスカは、混沌勢の神々を倒して見せた。邪神ロメリアと渡り合い、消滅させた。それなのに、何故こんな結末に。あんなにも無残に殺されるなんて、今でも信じられない。
言葉も発せずに、ラアルフィーネはただ涙を流した。
フィアーナは、俯いて口を噤んでいた。様々な想いが、フィアーナの中に交錯する。
平和な世界を作りたかった。皆が笑って暮らせる世界を作りたかった。神と地上の生物が手を取り合い、共に歩める世界を作りたかった。その為に、力を注いできた。
いつ、道を間違えたのだろう。
世界を守る為には、管理が必要であった。世界を守る為には、抑制する事も必要だった。それが無ければ、地上の生物は自らの手で滅びを選択していたかもしれない。
何度も繰り返して来た。何度も世界を作っては、壊され、壊して来た。もう、間違えたくない。でも、また間違えたのだろう。
ミュールの作った大陸とそこに生きる者の行動理念は、単純明快であった。
文化を一切否定し、弱肉強食を体現した世界である。ミュールは、そんな世界を実現した。
しかし、他の三柱の大地母神は、知的生物が生み出す文化を尊重した。そして育んだ。文化の進歩と共に技術が生まれ、産業が生まれた。それに伴い、新たな神が生まれていった。
原初の神々、新たな神々、そして地上で生きる者達。皆が共に歩める世界になるはずだった。
しかし、事件は起きた。
それは、タールカールの悲劇と呼ばれる惨劇。新たに生まれた神が、大地母神の一柱に対して起こした反乱であった。
神々の戦争は、大陸そのものを滅ぼした。そして、タールカールを拠点としていた、多くの神々が消滅した。
文化の進歩を抑制しようとする原初の神。文化の進歩から生まれた新たな神。もしかすると二つの存在は、相容れないのかもしれない。
何故なら、文化の進歩を抑制する事は、新たな神の存在を否定する事に他ならないからである。
大地母神の一柱が消滅した事により、表面上での争いは鎮火した。ただ水面下では、反乱を起こした一部の神々は燻り続けた。神々の争いが禁じられて尚、彼らは狙い続けた。
タールカールの悲劇を経ても、存在を続けた一部の神。
彼らが抱く『復讐』その二文字には、並々ならぬ思い籠められている。その怒りは、原初の神を代表する存在である、フィアーナに集中した。
賛同する神を含めて、いつしか反フィアーナ派と呼ばれる様になった。
しかし、新たな神々が全て、反抗の意を示していた訳ではない。
現にフィアーナが管理するラフィスフィア大陸では、ほぼすべての神がフィアーナの傘下に収まっている。
だからこそ、フィアーナは対話に拘った。必ず歩み寄れると信じていた。しかし、全ては泡の様に消えた。
フィアーナは、顔を上げると徐に口を開く。
「強制招集をします」
「待って、フィアーナ。それは流石に」
「いいえ、ラアルフィーネ。もう限界でしょう」
涙を拭う事もなく、フィアーナを制しようとするラアルフィーネ。しかし、フィアーナは黙って首を横に振った。
「集めて一掃するなら、私は賛成よ」
「いいえ、ミュール。彼らを追いつめたのは、我々です。彼らに罰を与えるなら、我々にも罰は必要です」
「馬鹿な事を! それじゃあ、ロイスマリアが滅びるわよ。それでも良いの?」
「仕方のない事です。世界には一柱だけ残れば良い。それで、地上の生物達は輪廻から外れる事はありません。ロイスマリアは滅びるのでは有りません。新たに生まれ変わるのです」
フィアーナは、ミュールの意見も否定した。罰を与えるなら、全ての神が同罪だと主張した。
世界には、死と生を司る神だけ残ればいい。そうすれば、地上の生物が輪廻から取り残され、消滅する事が無くなる。
そして新たな生を育み、そこから新たな神が生まれる。それは、滅びに向かおうとしている世界の再生でも有る。
「前にも言ったでしょミュール。一部を除き、神々を集めて世界を切り離す。これは長である私の決定。例えあなた達でも反論は許さない」
フィアーナは、固い表情で言い放った。決意に満ちた瞳を見れば、もう覆せないのかもしれないと、二柱の女神は悟る。
しかし、ラアルフィーネは深いため息をついた後、一縷の望みを託して問いかける。
「それでフィアーナ。世界を切り離した後、どうするの?」
「好きにしなさい。新たな世界を作るのも止めはしないわ」
ラアルフィーネは息を呑んだ。
ロイスマリアという世界を放棄する。フィアーナの中では、決定事項なのだ。長い時をかけて作り上げた世界を放棄する事に戸惑いを感じつつも、止める言葉をラアルフィーネは持ち合わせてはいなかった。
しかしミュールは、フィアーナの発言に声を荒げて反論する。
「私は納得しないわよ、フィアーナ。奴らと決着をつけるまでね」
「ミュール。それで構わないわよ。納得がいくまで決着をつけなさい。どうせ彼らも同じ考えでしょうし」
「なら良いわ。ところでフィアーナ。あんたはどうするつもりなの?」
「私は全てを見届けます。ただし」
フィアーナは、一拍置くと再び言葉を続ける。
「アルキエル。あいつだけは、私が消滅させる。冬也君を殺した罪は、その身を持って償わせる」
その言葉と共に、猛烈な勢いでフィアーナから、神気が溢れた。愛する息子の無残な姿を見て、女神ィアーナもまた逆上していた。
神々の中でも、大きな発言力を持つ大地母神。ただしその影響力が、戦闘力と比例する訳ではない。
大地に神気を流し生物を作り上げる。故に、地上に生きる者の母たる存在の大地母神は、戦う力を持たない。
その筆頭であるフィアーナが、息巻いている。それがどれ程の事か。同じ大地母神である二柱の女神は、痛いほど理解が出来た。
己の存在をかけても、戦いの神アルキエルを消滅させる。二度と再生が出来ない様に。
フィアーナの怒りは、二柱の女神が抱く怒りを遥かに超えていた。その怒りを目の当たりにし、二柱の女神は言葉を失った。
二柱の女神が口を噤む様子を見て、フィアーナは言い放つ。
「もう無いようね。なら始めるわよ」
フィアーナの神気が高まる。神々の長であるフィアーナにのみ許された、神の強制招集。かつて、ラフィスフィア大陸で混沌勢の神々が暴れた時でさえ使わなかった権限を、フィアーナは行使した。
神の世界に、一部を除きすべての神が集められる。ただしそこには、女神セリュシュオネとその眷属は含まれない。冬也の眷属となったスールとブルも。
女神セリュシュオネは、死と再生を司る神である。ロイスマリアと切り離せば、生者は輪廻の輪から外れてしまう。
スールやブルは、半神である冬也の眷属であり、神格が満足に育っていない。神よりも生者に近い存在である者を、呼んでも意味がない。
それ以外の神は全て集められた。ドラグスメリアの悪夢で、神格だけ残された数々の神も含めて。