この世界から神が消えた。最初に、その事実に気がついたのは、一部の者達であった。

 風の女神の命で、スール達は大陸東部を後にした。スールはブルを、ミューモはエレナを背に乗せて、大陸西部に向かう。しかしスールには、目の前で起きた出来事がどうしても理解出来なかった。そしてミューモの反対を押し切り、スールは踵を返す。

 ただ、既に結界が張られており、東部には戻る事が出来ない。結界が無くなった時には、辺りには無残に転がる神格以外、もう何も残っていなかった。

 訳がわからなかった。受け止める事が出来なかった。しかし時間が経つほど、記憶が明確に蘇ってくる。無残に倒れ伏すペスカと冬也の体。記憶の中から消し去りたい映像が、脳を支配する。

 また、転がる神格の数々を見れば、ここで何が起きたのか、おおよその察しはつく。
 蘇った戦いの神、それはペスカと冬也を殺害した憎き敵。しかし、あれ程の力を持ったペスカと冬也を、容易に殺せるはずがない。その上、これだけの神が集まって、太刀打ちすら出来ないはずがない。

 有り得ない、有り得ない、有り得ない。

「がぁああああああ~! 何故だぁぁぁぁああああ~! うぁああああああああああああ~!」

 スールは、喉が枯れる程に叫んだ。叫んでも、事実が変わる訳ではない。

 夢であれば。そこに居る誰もがそう思っていた。しかし、既にペスカ達の体は無い。何度見ても、周囲には無数の神格が転がるだけ。

 これが現実である。

 温かく包み込まれる様な冬也の神気を、今は全く感じない。スールは滂沱の涙を流し、叫び続けた。それを止める者は、誰も居なかった、誰も止められなかった。

「冬也様! 冬也様! 何故だ? 何故だぁ~!」

 スールに釣られる様に、ミューモは涙を流していた。力なく突っ伏して泣き続ける姿は、敬愛する主を失った慟哭にも似ていた。
 エンシェントドラゴンの自分でさえ何も出来なかった事態に対し、冬也とペスカは易々と対処してみせた。
 だからこそミューモは、抗い続けた。どれだけ冬也に厳しい言葉を投げつけられようとも、歯を食いしばって戦い続ける事が出来た。
 同時に、冬也に認められたかった。そして冬也を失った事実に、ミューモは目を背けたかった。しかし、否応なしに襲い来る現実は、ミューモの心を痛め続けた。

「スール……」

 ブルは、静かにスールの背に手を置いた。慟哭するスールを慰めようとしていたのかもしれない。しかし、ブルの目からも涙が溢れていた。
 冬也達の姿を思い出す度に涙が零れてくる。神気を伝って感じていた冬也の温もりを、二度と感じる事が出来ないのか。そう思うと、切なさに涙が止まらなかった。

「違う、ニャ。違う、ニャ。おかしい、ニャ。ペスカ、が、やられるはず、ない、ニャ。冬也は、強いニャ。なんで、誰も、いない、ニャ。おっさんも、いないニャ。だれも、いない、ニャ」

 エレナは、嗚咽をしていた。兵士であるエレナは、常に死と隣り合わせの環境に身を置いていた。しかし、あれだけ無残な死を目の当たりにしたのは、初めてだった。
 強かった。自分とは次元の違う強さを、ペスカと冬也は持っていた。それにも関わらず、簡単に命が失われる。
 ぶっきらぼうだが温かい冬也。柔らかい笑顔で包んでくれるペスカ。この大陸に呼ばれ支えになってくれたのは、この二人だった。
 失って欲しくないもの程、簡単に失われる。そんな理不尽と抗う事すら叶わぬ現実が、エレナを苛んでいた。

 日が沈み、夜が明けても、彼らは慟哭し続けた。何度目かの夜明けを体験し、どれ程の時間が経ったのか、涙も枯れ果てた頃、スールは立ち上がった。

 嘆きの果てで、スールは何を得たのだろう。

「儂は、こんな終わりを認めん」

 スールが放った言葉は、たった一言だった。だが、奇しくもその言葉は、仲間達の心を揺り動かした。
 
 ミューモには、冬也の声が聞こえた気がしていた。
 何してやがる馬鹿野郎! 泣いている暇が有れば、出来る事をしやがれと。

 エレナは叫んだ。力いっぱいの叫びだった。

「そうニャ! 許しちゃ駄目ニャ! 冬也なら言うニャ! こんな理不尽は、俺がぶっ飛ばしてやるって! ペスカなら辿り着くニャ! どんな事だって、その先には未来が有るニャ。あいつらは強いニャ! 私達がここでしなければいけないのは、落ち込む事じゃないニャ! 私は負けないニャ! 私はもう挫けないニャ!」

 ブルの中には、冬也と共に果実を齧った思い出が蘇っていた。あの場所に戻りたい、心の底からそう思った。

「戻るんだな。みんなの所に戻るんだな」

 いつしか彼らは立ち上がり誰が言うまでもなく、辺りに散らばる神格を一つ一つ集め始めた。そして、スールはブルを背に、ミューモはエレナを背に乗せて、再び空を駆けた。
 そして西部に退却した魔獣達と合流した後、起きた出来事を全て話した。ペスカ達の最後と残された神格の数々、その意味を。

 一同が唖然とし、言葉を失っていた。受け入れたくない現実であるのは、スール自身が良く知っている。しかし、スールは静かに語った。

「泣きたければ、泣くがいい。儂も泣いた、悔やんだ。お主らは良く戦った。だが、届かないものが有る。儂とて同じだ。だが、諦めて良いはずがない。儂等は主とペスカ様の意思を継ぎ、世界を守らなければならいない。それが、あのお二方に救われた、我らに出来る唯一の恩返しだ。今は泣け! 叫べ! 喚け! しかし、必ず立ち上がれ! 我らは、先に進む。お主らも必ずついて来い!」

 誰もが咆哮する。ノーヴェでさえも。ただズマだけが、しっかりと両足で大地を踏みしめて、立っていた。零れそうになる涙を懸命に堪えて、歯を食いしばり立っていた。

「私は泣く資格など無い! 悔やむ資格など無い! 私がするのは、残された同胞を守る事のみ!」

 恐らくは、この時からであろう。ズマが、四大魔獣や巨人達を差し置いて、魔獣の王となったのは。
 
 だが、スール達がどれだけ前を向いても、神が世界から失われた事は、物理的な現象として如実に現れる。
 あれだけ豊かであった密林から、緑が失われていく。緑が消えると共に、小虫やそれを捕食する小動物が、姿を消していった。マナは滞り循環が止まる。

 変化は急激に訪れる。特に巨大な体躯の魔獣達には、食料の確保は存亡の危機でもあった。