「ペスカ様、主が重症を負いました!」
「スール。あんたはここから引き返しなさい」
「何を申されますか、ペスカ様」
「あんたは、あの中には行けない。多分消滅する」
「馬鹿な!」
「私はここから飛んでいく。早く逃げろって、みんなに伝えなさい!」
ペスカは遠目で見ていた。結界が壊れ邪神が現れたのを。そして大陸東部から瘴気が漏れ出し、北部の大地が再び朽ちていく。直ぐに南部や西部にも影響が出るだろう。
ある程度の予想はしていた。冬也が結界を維持しているとはいえ、いつまでも持たないだろうと。ただ、こんなにも早くその時が訪れるとは、考えてもいなかった。
遠くからでも、その悍ましい力の気配はひしひしと伝わってくる。
土地神レベルでは、その瘴気に振れただけで消滅しかねない。そう思わせる程に、濃密な悪意が渦巻き広がっている。それは、一番恐れていた絶望であった。
冬也だからこそ、あの場所に存在していられる。
原初の神、若しくはそれに匹敵する力を持つ者、そんな力を持つ限られた者以外は、消滅するか発狂して自我を保つ事が出来ないだろう。
それほど邪神の本体がいる大陸東部は、狂気に満ちた場所だ。そうペスカは感じていた。例えスールが冬也の眷属、神龍であったとしても、あの瘴気に耐え得る事など不可能であろう。
故にペスカは、スールに撤退を命じた。
しかし、次の瞬間に状況は一変する。広がる瘴気が止まり、再び結界の様なものが張られた。遠目で状況を注視していたペスカは、首をかしげる。
「クロノス? なんで?」
「ペスカ様。何が起きているんです?」
「わかんない。でも、ちょっとだけ希望が見えたかも」
「どういう事です?」
「今必要なのは、時間稼ぎだって事」
悪夢の様な状況を打開するには、大陸東部の浄化が必須となる。それが、邪神を弱体させる足掛かりともなるはず。
しかし、ペスカと冬也の力だけでは、大陸東部を浄化する事は出来ない。それがわかっているから、水の女神の復活を急いだ。
地獄の様相を呈した大陸東部を浄化するには、山の神、風の女神、水の女神の三柱を中心とした、ドラグスメリア大陸の住まうミュールの眷属神の力を結集しなければならない。
しかし、水の女神は復活したばかりの上、大陸北部の浄化を行い、暫くは動けないだろう。風の女神からは、何も連絡がない。山の神は、冬也と共にいる。
クロノスの登場により、準備を整える時間が少しでも稼げた。それは僥倖とも言える。
「スール。やっぱりあんたは、皆の所に戻りなさい」
「儂が足手纏いだとでも仰るのか、ペスカ様」
「そうじゃないよ。お兄ちゃんの代わりに、あんたが皆を守れって事。多分、お兄ちゃんも同じ事を言うと思うよ」
「では、せめてお送りだけでもさせて下さい。ペスカ様」
「直ぐに離脱するって約束するならね」
ペスカが兄を傷付けられて、怒らない筈がない、動揺しない筈がない。しかし、ペスカは嫌という程に理解をしている。
怒りに身を任せても、邪神を倒す事は出来ない。寧ろ邪神に力を与えるだけ。故にペスカは、冷静であろうと努めていた。
特に今回の相手は、かつてのロメリアよりも格段に手強い。想定を遥かに上回る相手なら、それなりの対応を取らねばならない。
「スール。魔獣軍団の戦いはこれからだよ。あいつは必ず前と同じことをする。それが大陸を破壊するのに一番早いからね。黒い奴らが発生した時、皆を率いて滅ぼしなさい」
スールも、ペスカの言った事は想定していた。だからこそ出発前に、魔獣達を鼓舞したのだ。ただ実際の戦いは、ミューモとノーヴェに任せれば良いと思っていた。
スールはペスカの言葉で実感した。
邪神は、冬也が太刀打ち出来ない程の脅威である。邪神の本体が黒いモンスターを生み出せば、北部の戦いとは比較にならない死闘となるだろう。
確かに魔獣達には、自分の力が必要なのかもしれない。しかし、邪神の下にペスカを単身で送るのは、不安でならない。
「心配しないの。お兄ちゃんが傍に居て、私が負ける筈ないし。私が傍に居て、お兄ちゃんがやられる訳無いんだよ」
そう言うと、ペスカはスールの背から飛び降りる。大空を切り裂く様に、真っ直ぐにペスカは落ちていく。そして、降下しながらペスカは呪文を唱えた。
「我が名を持って答えよ。澱みは清らかなる清流へ、邪気には永久の安寧を」
ペスカから光が放たれる。その光は、邪神を囲む魔法陣に作用し増幅する。封じて尚、瘴気を放ち続ける邪神から瘴気が消えていく。そして辺りに光が溢れ、同時に周囲の邪気も消えていった。
光が消える頃に、ペスカが着地する。邪神は眉一つ動かしていない。周囲の邪気を払っても、直接のダメージは与えてないのだろう。
しかし、ペスカは口角を上げた。山の神によって治療をされている、冬也を見たからだ。
「良かった、無事そうだね」
「ペスカ、無茶しやがって」
「お兄ちゃんは、大人しくしてて。あいつの相手は、私がするよ」
ペスカは邪神に向かって歩みを進める。ただペスカの登場に眉をひそめていたのは、クロノスであった。
「私の技を利用するとは、相変わらず小癪な小娘だな」
「あれ、居たのクロノス? どうせセリュシュオネ様の仕込みだろうけどね」
「本当に腹の立つ小娘だ、貴様は」
「そういうあんたは反省したの? ごめんなさいするなら、今の内だよ」
「誰が貴様に頭を下げるか、愚か者め!」
「ならせめて、足を引っ張らないでよね!」
「フン。貴様こそ、引っ込んでいろ!」
女神セリュシュオネの眷属神となったクロノスは、新たな生を受けても過去の記憶が残っている。そしてクロノスは、かつてのライバルに対し不快感を露わにする。それはペスカも同様であった。
邪神を余所に、ペスカとクロノスは言い合いを始めた。当然ながら、ペスカとクロノスの口喧嘩は邪神の怒りに火を注ぐ。
行動を封じられた上に、己の纏った邪気を払われ、完全に無視をされる形となったのだ。そして邪神の怒りは、頂点に達しようとしていた。
「貴様ら゛ぁ~! いつまでそうしているつもりだぁ!」
「あれ? どうしたの? もしかして動けないとか?」
「言ってやるな、小娘。セリュシュオネ様の剣に加えて、貴様の神言を受けたのだ。そうそう動けまいよ」
「どこまでも、馬鹿にするかぁ! こんな拘束いつでも解ける! 貴様らを最初に殺してやる!」
「フフフ。やってみなよ、偽ロメ! 名前もない偽物の癖に!」
「確かに、小娘の言う通りだな。神は名を持って初めて力を発揮する。貴様は単に悪意の塊だ。神を名乗るのもおこがましい」
「馬鹿にするなぁ~! くそっ、くそっ! 解けろよ! くそっ! あ゛ぁ~!」
ペスカとクロノスの挑発に対し、邪神は怒りながらも拘束を解こうとやっきになる。だが、中々拘束は解けない。
邪神は気が付いていない、ペスカが仕掛けた罠に。
この中で唯一、ペスカの罠に気が付いてるのはクロノスのみ。先程ペスカは、邪神に対して攻撃魔法を放った訳ではない。単に拘束を強化したのとも少し異なる。
邪神は拘束を解こうと懸命に力を使う。その度に、ほんの僅かであるが、力が抜けていく。
正確には、魔法陣に力が吸われていく。
「何だ、何をした! 貴様らぁ許さんぞ!」
魔法陣の効果が発揮されて、そう時間はかからなかった。邪神も気が付いたのだろう、己の体に異変が起きている事に。
邪神は怒りに震えていた。
邪気を浄化しマナに変える術は、何もスールの専売特許ではない。かつてロメリアと対峙した時に、ペスカが大気を浄化する為にこの術を使っていた。
悪意や邪気は、浄化されマナに変換される。そして、邪神を拘束する結界を強固にし、セリュシュオネが用意した浄化の剣の力を強めていった。
「糞ロメといい、あんたといい。同じ手に引っ掛かるなんて、馬鹿だね」
「フン。私がこの小娘に、同調するはずがあるまい」
「何を言っている貴様らぁ!」
邪神は怒りで顔を歪める。その邪神を見て、ペスカとクロノスは薄笑いを浮かべていた。
「あんたは、ここで力を吸われるの。頑張れば頑張る程、大地が浄化されるって訳。わかった?」
「まぁ。小賢しい知恵なら、小娘の右に出る者はおるまい」
「クロノス。あんた、褒めてないでしょ?」
「当たり前だ、愚か者。なぜ私が、貴様を褒めなければならん」
ペスカとクロノスの口喧嘩が、どこまで本気なのかは本人達にしか知る所ではない。
ただ、ペスカとクロノスが邪神を挑発していたのは、無理に力を使わせようとした意図があった。
時間稼ぎ。
だが今の状況で、その時間稼ぎこそが今後に大きな影響を齎す。強者を相手に、真正面から対峙はしない。二柱の天才、その知恵が邪神を凌駕した。
未だ戦いは渦中にある。しかし、運命は動き出そうとしていた。
「スール。あんたはここから引き返しなさい」
「何を申されますか、ペスカ様」
「あんたは、あの中には行けない。多分消滅する」
「馬鹿な!」
「私はここから飛んでいく。早く逃げろって、みんなに伝えなさい!」
ペスカは遠目で見ていた。結界が壊れ邪神が現れたのを。そして大陸東部から瘴気が漏れ出し、北部の大地が再び朽ちていく。直ぐに南部や西部にも影響が出るだろう。
ある程度の予想はしていた。冬也が結界を維持しているとはいえ、いつまでも持たないだろうと。ただ、こんなにも早くその時が訪れるとは、考えてもいなかった。
遠くからでも、その悍ましい力の気配はひしひしと伝わってくる。
土地神レベルでは、その瘴気に振れただけで消滅しかねない。そう思わせる程に、濃密な悪意が渦巻き広がっている。それは、一番恐れていた絶望であった。
冬也だからこそ、あの場所に存在していられる。
原初の神、若しくはそれに匹敵する力を持つ者、そんな力を持つ限られた者以外は、消滅するか発狂して自我を保つ事が出来ないだろう。
それほど邪神の本体がいる大陸東部は、狂気に満ちた場所だ。そうペスカは感じていた。例えスールが冬也の眷属、神龍であったとしても、あの瘴気に耐え得る事など不可能であろう。
故にペスカは、スールに撤退を命じた。
しかし、次の瞬間に状況は一変する。広がる瘴気が止まり、再び結界の様なものが張られた。遠目で状況を注視していたペスカは、首をかしげる。
「クロノス? なんで?」
「ペスカ様。何が起きているんです?」
「わかんない。でも、ちょっとだけ希望が見えたかも」
「どういう事です?」
「今必要なのは、時間稼ぎだって事」
悪夢の様な状況を打開するには、大陸東部の浄化が必須となる。それが、邪神を弱体させる足掛かりともなるはず。
しかし、ペスカと冬也の力だけでは、大陸東部を浄化する事は出来ない。それがわかっているから、水の女神の復活を急いだ。
地獄の様相を呈した大陸東部を浄化するには、山の神、風の女神、水の女神の三柱を中心とした、ドラグスメリア大陸の住まうミュールの眷属神の力を結集しなければならない。
しかし、水の女神は復活したばかりの上、大陸北部の浄化を行い、暫くは動けないだろう。風の女神からは、何も連絡がない。山の神は、冬也と共にいる。
クロノスの登場により、準備を整える時間が少しでも稼げた。それは僥倖とも言える。
「スール。やっぱりあんたは、皆の所に戻りなさい」
「儂が足手纏いだとでも仰るのか、ペスカ様」
「そうじゃないよ。お兄ちゃんの代わりに、あんたが皆を守れって事。多分、お兄ちゃんも同じ事を言うと思うよ」
「では、せめてお送りだけでもさせて下さい。ペスカ様」
「直ぐに離脱するって約束するならね」
ペスカが兄を傷付けられて、怒らない筈がない、動揺しない筈がない。しかし、ペスカは嫌という程に理解をしている。
怒りに身を任せても、邪神を倒す事は出来ない。寧ろ邪神に力を与えるだけ。故にペスカは、冷静であろうと努めていた。
特に今回の相手は、かつてのロメリアよりも格段に手強い。想定を遥かに上回る相手なら、それなりの対応を取らねばならない。
「スール。魔獣軍団の戦いはこれからだよ。あいつは必ず前と同じことをする。それが大陸を破壊するのに一番早いからね。黒い奴らが発生した時、皆を率いて滅ぼしなさい」
スールも、ペスカの言った事は想定していた。だからこそ出発前に、魔獣達を鼓舞したのだ。ただ実際の戦いは、ミューモとノーヴェに任せれば良いと思っていた。
スールはペスカの言葉で実感した。
邪神は、冬也が太刀打ち出来ない程の脅威である。邪神の本体が黒いモンスターを生み出せば、北部の戦いとは比較にならない死闘となるだろう。
確かに魔獣達には、自分の力が必要なのかもしれない。しかし、邪神の下にペスカを単身で送るのは、不安でならない。
「心配しないの。お兄ちゃんが傍に居て、私が負ける筈ないし。私が傍に居て、お兄ちゃんがやられる訳無いんだよ」
そう言うと、ペスカはスールの背から飛び降りる。大空を切り裂く様に、真っ直ぐにペスカは落ちていく。そして、降下しながらペスカは呪文を唱えた。
「我が名を持って答えよ。澱みは清らかなる清流へ、邪気には永久の安寧を」
ペスカから光が放たれる。その光は、邪神を囲む魔法陣に作用し増幅する。封じて尚、瘴気を放ち続ける邪神から瘴気が消えていく。そして辺りに光が溢れ、同時に周囲の邪気も消えていった。
光が消える頃に、ペスカが着地する。邪神は眉一つ動かしていない。周囲の邪気を払っても、直接のダメージは与えてないのだろう。
しかし、ペスカは口角を上げた。山の神によって治療をされている、冬也を見たからだ。
「良かった、無事そうだね」
「ペスカ、無茶しやがって」
「お兄ちゃんは、大人しくしてて。あいつの相手は、私がするよ」
ペスカは邪神に向かって歩みを進める。ただペスカの登場に眉をひそめていたのは、クロノスであった。
「私の技を利用するとは、相変わらず小癪な小娘だな」
「あれ、居たのクロノス? どうせセリュシュオネ様の仕込みだろうけどね」
「本当に腹の立つ小娘だ、貴様は」
「そういうあんたは反省したの? ごめんなさいするなら、今の内だよ」
「誰が貴様に頭を下げるか、愚か者め!」
「ならせめて、足を引っ張らないでよね!」
「フン。貴様こそ、引っ込んでいろ!」
女神セリュシュオネの眷属神となったクロノスは、新たな生を受けても過去の記憶が残っている。そしてクロノスは、かつてのライバルに対し不快感を露わにする。それはペスカも同様であった。
邪神を余所に、ペスカとクロノスは言い合いを始めた。当然ながら、ペスカとクロノスの口喧嘩は邪神の怒りに火を注ぐ。
行動を封じられた上に、己の纏った邪気を払われ、完全に無視をされる形となったのだ。そして邪神の怒りは、頂点に達しようとしていた。
「貴様ら゛ぁ~! いつまでそうしているつもりだぁ!」
「あれ? どうしたの? もしかして動けないとか?」
「言ってやるな、小娘。セリュシュオネ様の剣に加えて、貴様の神言を受けたのだ。そうそう動けまいよ」
「どこまでも、馬鹿にするかぁ! こんな拘束いつでも解ける! 貴様らを最初に殺してやる!」
「フフフ。やってみなよ、偽ロメ! 名前もない偽物の癖に!」
「確かに、小娘の言う通りだな。神は名を持って初めて力を発揮する。貴様は単に悪意の塊だ。神を名乗るのもおこがましい」
「馬鹿にするなぁ~! くそっ、くそっ! 解けろよ! くそっ! あ゛ぁ~!」
ペスカとクロノスの挑発に対し、邪神は怒りながらも拘束を解こうとやっきになる。だが、中々拘束は解けない。
邪神は気が付いていない、ペスカが仕掛けた罠に。
この中で唯一、ペスカの罠に気が付いてるのはクロノスのみ。先程ペスカは、邪神に対して攻撃魔法を放った訳ではない。単に拘束を強化したのとも少し異なる。
邪神は拘束を解こうと懸命に力を使う。その度に、ほんの僅かであるが、力が抜けていく。
正確には、魔法陣に力が吸われていく。
「何だ、何をした! 貴様らぁ許さんぞ!」
魔法陣の効果が発揮されて、そう時間はかからなかった。邪神も気が付いたのだろう、己の体に異変が起きている事に。
邪神は怒りに震えていた。
邪気を浄化しマナに変える術は、何もスールの専売特許ではない。かつてロメリアと対峙した時に、ペスカが大気を浄化する為にこの術を使っていた。
悪意や邪気は、浄化されマナに変換される。そして、邪神を拘束する結界を強固にし、セリュシュオネが用意した浄化の剣の力を強めていった。
「糞ロメといい、あんたといい。同じ手に引っ掛かるなんて、馬鹿だね」
「フン。私がこの小娘に、同調するはずがあるまい」
「何を言っている貴様らぁ!」
邪神は怒りで顔を歪める。その邪神を見て、ペスカとクロノスは薄笑いを浮かべていた。
「あんたは、ここで力を吸われるの。頑張れば頑張る程、大地が浄化されるって訳。わかった?」
「まぁ。小賢しい知恵なら、小娘の右に出る者はおるまい」
「クロノス。あんた、褒めてないでしょ?」
「当たり前だ、愚か者。なぜ私が、貴様を褒めなければならん」
ペスカとクロノスの口喧嘩が、どこまで本気なのかは本人達にしか知る所ではない。
ただ、ペスカとクロノスが邪神を挑発していたのは、無理に力を使わせようとした意図があった。
時間稼ぎ。
だが今の状況で、その時間稼ぎこそが今後に大きな影響を齎す。強者を相手に、真正面から対峙はしない。二柱の天才、その知恵が邪神を凌駕した。
未だ戦いは渦中にある。しかし、運命は動き出そうとしていた。