「随分と危ない橋を渡ったようね。無事でよかったわ」
「本番はこれからなのよ。油断は出来ないわ、ラアルフィーネ」
「えぇ。わかってるわよ。それよりミュール、奴らの足取りは?」
「おかげで、尻尾を掴んだわよ。いつでも断罪は出来るわよ。早く神の協議会を開かないと」
「待ってミュール! まだ、審議はしないわ。もう少し様子を見る」
「何を言っているのよフィアーナ。あんたの息子が狙われたのよ。それでも、話し合いで解決出来ると思ってるの?」
「そうよ。あの子が対話を望んでいるなら、余計に断罪は出来ないわ。過去の因縁にとらわれても、新しい未来が生まれない。私達は先を見据えないといけない。私達にも成長が必要なのよ」
「わかったわよ、フィアーナ。あんたがその気なら、文句は言わないわ。でも、奴らの監視は続けるわよ。そうなれば、あの子達に加勢するのは難しくなるわよ」
「冬也君とペスカちゃんなら、きっと乗り越えてくれるわ」
「そうね、ダーリンなら乗り越えられる。まぁいざとなったら、私が助けに行ってあげる」

 ☆ ☆ ☆

「まさか、あれを抜け出すとは」
「奴は危険だぞ!」
「半神風情が生意気な。我らに忠告でもしたつもりか」
「だが、どうする? これ以上の接触は危険だぞ! ミュールが我らを嗅ぎまわっているぞ」
「ミュールに何が出来る? あれだけ力を奪ってやったんだぞ!」
「いや、フィアーナはともかく、ラアルフィーネは未だに健在だ。それにあの小僧が加われば!」
「あの小僧はフィアーナに加勢が出来まい」
「何故、そう言える?」
「あれだけ洗脳を施したのだ。容易に拭えぬ」
「ならば、いずれ機会が訪れよう」
「それは、奴らが生き残れたらの話しであろう」
「言わずもがなだな。奴はここで死ぬだろう」
「娘は弱った所で奪うか」
「それがよかろう」
「よし。ではこれが皆の総意で構わんな」
「構わん」
「問題ない」
「半神が消えれば、フィアーナが悔しがる。見物だな」
「そうだ、裁きを与えよ!」
「我らの新たな世界を!」

 ☆ ☆ ☆

 ペスカと冬也の手で張られた、結界によって封じられた土地、ドラグスメリア大陸の東部。そこは既に邪神の領域。それは生物の死と同義である。大陸に巣くう病巣の様に、それは様々なものを混沌へと変えていく。

 汚れた水、汚れた大地。大気は淀み、腐敗臭が充満する。そして感情を無くした人形の様な、化け物のみが徘徊する。その正体は、充満する邪気によって姿を変えられた魔獣。若しくは、邪気が集まり生み出された異形の怪物。

 深部では、禍々しい笑みを湛える人とも獣とも思えぬ影が一つ。影は大量の邪気を放ち、邪悪な怪物を生み出し続けている。
 生み出された怪物達は現存する生物を食らい、何もかもを無に帰そうとする。

 大陸東部は既に生き物が住める環境では無く、死した地となっていた。

 始まりは邪神ロメリアが、ラフィスフィア大陸を破壊する為の手駒を増やそうと試みた事にあった。常に戦いを強いられ、強靭となった魔獣にロメリアは目を付けた。
 そして、様々な種類の魔獣を連れ去り、悪意を植え付けて姿を変貌させた。更にロメリアはドラゴンに目を付ける。数体のドラゴンをさらった後に姿を変貌させた。

 この際に残した悪意の塊は、ロメリアが消滅した後でも残り続けた。そして、ひっそりと広がり大陸東部を覆うほどに成長を遂げた。

 大陸東部にも多くの魔獣が暮らしており、何柱かの神が存在していた。
 魔獣達は全て姿を変えられ、意思を持たない凶悪なモンスターと化した。神々は神気を吸い取られ、挙句の果てに神格ごと吸収された。
 最後まで抵抗をつづけたエンシェントドラゴンのニューラも、その体を乗っ取られ意思を奪われた。

 そして成長した悪意は、一つの意思を持つ様になる。古の邪神の記憶を持つ、新たな邪神の誕生であった。

 しかし、禍々しい力は直ぐに大陸中へと広がる事は無かった。ペスカと冬也によって張られた結界の影響で、邪神の本体は大陸東部から出る事が出来なくなった。
 だが邪神の本体は、大陸東部に押し込められながらも力を蓄え続ける。そして、結界を壊せるまでに力を増していった。

 かつて、ラフィスフィア大陸から多くの国が消滅し、沢山の命が消えた。ドラグスメリア大陸の西部では、強力な力を持つ魔獣が操られ大地が破壊された。北部での破壊も酷く、現在では緑が戻りはしたものの失われた命は多い。

 そして大陸の東部には、一歩先も見えない程に濃厚な悪意が渦巻く。
 
 悪夢は再び蘇る。新たな邪神の力は、ロメリアを凌駕する力を持って、東の地から出ようとしていた。

 ☆ ☆ ☆
 
 交代で結界を強化していた冬也と山の神に、余裕は無くなりつつあった。それだけ、内部から邪気が増大している。力を合わせて強化しないと、結界を保持する事が出来ない。状況は、悪化の一途を辿っていた。

「山さん、あんまり無理すんな!」
「それはお主じゃろう。顔色が良くないぞ」
「流石にまずい。どんどん糞野郎の力が増してやがる!」
「これ程とはのぅ。この力はロメリアの比ではないな!」
「結界が壊れたら、この大陸はどれだけ持つと思う?」
「そうじゃのぅ。数時間で滅びるのではないか?」
「やっぱりそうなるか。いっその事、魔獣達は避難させた方が良いかもしれねぇな」
「まぁそうじゃろうが、その暇はなさそうじゃな」
「山さん。覚悟を決めとけ! もう限界だ!」

 冬也と山の神が懸命に強化し続けた結界に、ひびが入っていく。入ったひびから、裂け目が広がる。裂け目から瘴気が噴き出す。

 そして声が響いてくる。

「やっと会えるね、混血のガキ。楽しみにしてなよ。僕が殺してやるからさ」

 その声はおどろおどろしく、心を縛り上げる様に響く。ひび割れた個所が凄まじい勢いで広がる。やがて、ガラガラと音を立てる様に結界は壊れていった。

「僕をこんな所に閉じ込めた罰を与えてやるよ。でも少しは抗ってくれよ。そっちには原初の神も居るんだしね」
 
 冬也は歯噛みをし、山の神は冷や汗をかいていた。目の前に現れた存在からは、予想以上の力を感じる。もし万全な状態でも、この存在を止める事が出来ただろうか?
 足止めすら、満足に出来ると思えない。冬也をして叶わないと思わせた力は、二柱の神を震えさせる。

 しかし、どれだけ邪神が強かろうと、引く訳にはいかない。

 冬也は神剣を取り出し、山の神は神気を高めた。互いに神気は僅かしか残っていない。死の予感しか想像出来ない。そして絶望の時が始まった。