内部から爆発するかの様に溢れようとする邪気は、結界をグラグラと揺らす。ほんの僅かでも力を緩めれば、結界の綻びは増加し崩壊する。地獄がドラグスメリア大陸の全土に広がる。

 それは、許せる事ではない。

 冬也は神気を籠め続け、ひたすらに結界の維持を続ける。額から流れだす汗を、拭う余裕は一切無い、体力は否応なしに削られていく。
 最後に食事をしたのは、いつだっただろうか。最後に休息をとったのは、いつだたっただろうか。
 そんな事が、遥か昔の様に感じるほど、冬也は疲労していた。
 
 冬也が万全の状態であれば、多少状況は異なっただろう。しかし、大陸西部での戦い以降、連戦を続けている冬也に、残された力は多くない。
 飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、冬也は抗い続ける。

「どっかで見てやがんだろ! これがお前らの言う新しい世界か? 生物が生きられないなんて、価値があるのか? お前らは人の信仰から生まれて、人の信仰で生きる。生物を皆殺しにして、何が残るんだ! 目的と手段をすり替えるんじゃねぇよ」

 冬也は叫んだ。それは、魂を削ってでも伝えたい事であった。
 虚無の空間で見せられた事が、一方的な視点であっても、その怒りは痛いほどに理解できた。
 だからこそ、目の前で起こる矛盾を見過ごしてはならないと感じた。やり方が間違ってると、伝えなければならなかった。

「邪神を操ってるつもりでいるのか? 逆だ馬鹿野郎! てめぇらが操られてるじゃねぇか! 本当の目的を思い出せ! てめぇらが欲しかったのは、安寧だろうが! 壊しても、てめぇらじゃ元には戻せねぇ! わかってんだろ? この糞野郎は、てめぇらの定めた枠には収まらねぇよ! 争ってる場合じゃねぇんだよ、俺に力を貸せ!」

 反フィアーナ派は、今も何処かで自分を監視しているだろう。だから冬也は語った。お前達の選択は間違いであると。それを認めて手を貸せと。
 その意思を伝えようと、揺れる体を奮い立たせ、必死に叫んでいた。

「お主の言う通りじゃ冬也。争ってる場合じゃないのぅ。儂等も反フィアーナ派もな」

 冬也は声のする方に視線を向ける。そこには、久しぶりにも感じる姿があった。

「山さんじゃねぇか!」
「冬也、少し下がって休め!」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、山さん」
「結界は交代で維持すれば良いじゃろ? 儂も少しは役に立てるんじゃ、馬鹿者!」

 山の神は、冬也を押しのける様にして、強引に結界の維持を交代する。もう限界であったのだろう、押しのけられた冬也はそのまま地面に腰を下ろす。そして深く息を吐いた。
 見上げれば柔らかい笑みを湛える山の神が、神気を漲らせている。

「お主、色々と知ったんじゃろう?」
「なんでそう思うんだ?」
「お主の様子を見とったからのぅ」
「それで? あんたはどうする?」
「どうもせんよ。前にも言うたじゃろ。儂はお主の見方じゃと。それよりお主は、知った後でどうするつもりじゃ?」
「変わんねぇよ。俺はペスカの見方だ。ペスカに危害を加える奴は許さねぇ!」
「フォッ、それだけではあるまい?」
「どういう意味だ?」
「妹の為だけなら、結界の維持に命を削るまい。お主の神気は優しく強い、大地母神の様にな。地上に生きる者達を慈しみ、守ろうとする神気じゃ。それがお主の強さじゃ。お主を誰も染める事は出来んよ。反フィアーナ派がどう頑張ろうとな」

 山の神の言葉に、冬也は頷きもせず、ただ黙した。だが冬也の心は、雄弁に語っていた。

 そんな上等なもんじゃねぇ。褒められる事は何一つ出来ちゃいねぇ。俺は、ペスカを守って来ただけだ。仲間を守って来ただけだ。
 世界を守ろうなんて、おこがましい。ただ奴らの気持ちも理解出来る。だから放っておけない。それだけだ。

 痛みを知るなら、何で争わなきゃならねぇ、滅ぼさなきゃならねぇ。喧嘩なら、タイマンで決着つけりゃ良いだろうが。その方が健全だ。余計なもんを巻き込む必要なんてねぇんだ。
 奴らの方法は、誰も幸せにならねぇ。神も人間も亜人も魔獣も、大地も大気も木々も動物も。ロイスマリアという世界自体が、絶対に幸せにならねぇ。

 そんな冬也の想いを見透かす様に、山の神は笑みを深める。そして優し気な声で語りかけた。

「儂はお主を気に入っとる。じゃから、儂はお主の見方をする。確かにかつて、一部の神が争いおった。それ以降は長らく険悪な状況が続いとる。現状を憂いておる神もいるのじゃ」
「山さん、それがあんただと言うのか?」
「さての、それはお主の目で判断せい。それで儂を信用するか否か決めれば良い。儂はただ、お主の見方をするそれだけじゃ」

 そして山の神は、懐から果物を一つ取り出して冬也に投げる。冬也は受け取った果実を、黙って咀嚼する。すると、見る間に喉の渇きが癒え、力が戻ってくる。

「助かったぜ山さん」
「なんの。じゃが儂が持ってきたのは、いくつも無い。ブルの様に無駄食いはいかんぞ!」
「しねぇよ!」

 たかが果物一つで、たいして腹は膨れない。だが食事がとれた、渇きを癒せた。それは、純粋な神と異なり、肉体を持つ冬也にとって重要な事であった。少し人心地ついた冬也は、徐に山の神に話しかける。

「監視してたならわかるだろう。水の女神が、糞野郎にやられた。姐さんに渡すが問題無いよな」
「あぁ、流石にこの場所でミュールを顕現させる訳にいかん。西なら問題なかろう。儂もゼフィロスもミュールの眷属じゃ、意思は伝わっておる。ミュールならば、体の修復は容易いじゃろう。うん? ちょうど迎えが来たようじゃな」

 遠くから高速で飛翔する影を見て、冬也はやや警戒の姿勢を取る。しかし直ぐに、誰かの眷属ドラゴンであると気がつき、警戒を解いた。

「ペスカ様のご命令で、参上致しました」
「おう、待ってたぜ。これを姐さんに届けてくれ。急いで頼む」
「畏まりました」

 恭しく頭を下げると、眷属ドラゴンは飛び去る。そして冬也は再び腰を下ろす。

 冬也は山の神に結界を任せ、体を休める事に専念した。
 今の状態では、いざという時に対応が出来ない。何が起きるかわからない状態で、余力を残していないのは、どれだけ危険な事なのか、冬也は理解をしている。

 山の神の救援は、渡りに船でもあった。
  
 山の神がなぜ自分を助けるのか、味方という言葉がどこまで信用できるのか、冬也にはわからない。本人に聞いても飄々と流されるだけだろう。
 それに自分達が、大地母神達に利用されているのは明らかだ。その目的も、神々の争いとなれば、馬鹿らしくなる。

 下らない。冬也は、本気でそう思っていた。

「なぁ山さん。奴らとは争いでしか解決出来ないのか?」
「そうじゃのぅ。少なくともフィアーナは、対話を望んでおるよ」
「じゃあ、なんでそうしねぇんだよ?」
「大抵の神は、自分の領分にしか興味が無い。言い換えれば、自分の領分に縛られとるんじゃ。だから争いになれば、その領分を守る為に引く事が出来ん。儂から言わせれば、人間達の方がよっぽど自由で可能性を持っとる」
「難しくて意味がわかんねぇよ、山さん」
「そうか、お主はこの手の話が苦手じゃったか」
 
 山の神は少し苦笑いをする。そして零す様に呟いた。

「あのな、冬也。儂は期待をしとるんじゃ。儂ら神では如何ともし難い状況を変えるのは、お主ら兄妹じゃないかとな」
「あぁ? なんか言ったか山さん?」
「何でもない。ほら、少し横になれ。その時間くらいは稼いでやるぞ」

 冬也は山の神を信じ、体を横にした。願っても無い救援に、間違いなく冬也は救われていた。

 大陸南部ではゴブリン軍団が、待機する魔獣との合流を目前としている。
 唯一北部に残るスールの元には、ノーヴェとスールの眷属が到着しようとしている。
 西からは、巨人の一族がペスカを肩に乗せて進軍を急ぐ。
 そして、スールの眷属から魔攻砲を受け取ったミューモの眷属が、ペスカに合流しようとしている。

 反撃の時が、少しずつ近づいている。耐える者、急ぐ者、守る者、それぞれが己の使命を果たそうと、懸命に抗っていた。