「じゃあ行くんだな」
「気を付けるんじゃぞブル」
「わかってるんだな。山さんこそ、油断は禁物なんだな」
「わかっとるよ。必ず帰って来るんじゃぞ」
「大丈夫なんだな。寂しがらずに待っていると良いんだな」

 ブルと山の神は、笑顔で挨拶を交わした。
 ブルは争う事を好まない。短い付き合いではあるが、山の神は純粋で心優しいブルに親愛の情を抱いていた。それ故に、ブルを憂いた。

 どうか、この優しき子に災い無きことを。
 
 対するブルは、山の神が隣に居る生活が、当たり前の様に感じていた。ここが自分の帰る場所。そして山の神を、家族の様に想っていた。

 僅かな会話の中に籠められた哀愁は、死地へ赴く子供を送り出す親の如く、親を置いて旅立つ子供の如く。確かめ合う様に重ね合う視線は、互いの想いを伝えあう。
 そんな別れの時を、無粋に叩き割る様な声が響く。

「いつまでそうしている。急ぐぞ貴様のせいで荷物が増えたのだ。運ぶ我が身も考えよ!」
「焦っちゃ駄目なんだな」
「何を言っておる! それにこの山の様な荷物は何だ!」

 怒鳴る様に、声を荒げるドラゴン。その脇には大きな木桶が三つと、中には山の様に積まれた果物があった。
 
「絶対に必要なんだな。貴重な果物だから、落としたら駄目なんだな」

 木桶には運搬用の幅広のベルトらしき物が取り付けられている。ドラゴンは、木桶と魔攻砲を十門、加えて巨体のブルをどう運ぼうか思案していた。
 一度引き受けた任務をやり遂げられなくては、スールの眷属としての沽券に関わる。思案の末、ブルが魔攻砲を全て抱え、そのブルを背に乗せた上、ベルトを掴んで運ぶ事に決めた。

 ブルだけでもかなりの重量なのだ。その上、大量の荷物を抱えた飛行である。ドラゴンは、大きく息を吐きマナを集中させる。
 そして、慎重に空中での姿勢を制御しながら、ゆっくりと浮かんでいく。

「遅いんだな」
「うるさい! 喋るな、動くな!」

 ブルを黙らせつつ、ドラゴンは飛んだ。ペスカ達の待つ大陸西部へ。

 一方、ズマ率いるゴブリン軍団は、エレナと共にドラゴンの谷へ辿り着いていた。
 道中での度重なる戦い、そして期限を守る為の強行軍で、皆は疲れ果てていた。その為ズマは、全軍を休ませる。
 しかし、皆が腰を下ろし休息を取り始めた所に、大きな翼をはためかせてドラゴンが降り立った。
   
「休んでいる暇は無いぞ。お前達は、これから北へ向かうのだ」

 現れたのは、谷を守っていたスールの眷属である。そして、威圧する様に言い放つ。しかしその言葉に異を唱え、敢然と立ち向かったのはエレナであった。

「ふざけんニャ! みんな頑張って疲れてるニャ! それでも冬也との約束を守ったニャ! お前らなんて、もう怖くないニャ! 舐めた事を言ってると、痛い目にあわすニャ!」
「矮小な存在よ。我が主の意志を妨げるなら、死して償え」
「上から抑えつけるだけで、誰もが言う事を聞くと思うニャ! お前らみたいな役立たずより、こいつ等の方が偉いニャ! 私はこいつ等を守るニャ!」

 ドラゴンとエレナは睨み合う。少し前までドラゴンに怯えていたエレナとは、明らかに異なっていた。
 エレナはこれまでの日々で、ゴブリン達に友誼の様な感情を抱いていた。共に苦難を乗り越えた仲間達が、蔑まれ顎で使われる事に我慢が出来なかった。

「至高なるドラゴンよ。我らはペスカ殿と冬也殿のご意志の下で、ここまで辿り着いた。ここまでの戦いで皆、疲れ果てている。大陸の異常には、我らとて気が付いている。しかし、全力が出せずにこれからの戦いが生き残れようか。ペスカ殿ならこう言うであろう。急いで足元が揺らいでは、本懐は果たせないと」

 エレナに続いてズマも立ち上がり、ドラゴンに言い放つ。
 ズマは既に一軍の将である。これから死地に向かう仲間達を、むざむざ殺させる訳にはいかない。ズマの意地が、ドラゴンへの恐怖を克服した。

「そう言う事ニャ! お前も冬也の命令で動いているのは、感づいてるニャ。だから、私達にご飯を寄こすニャ! 肉が良いニャ!」

 エレナはフンとばかりに小さい胸を張る。その姿に、流石のズマも目を見開いて、エレナを見やる。ドラゴンは、まさかの要求に唖然とし、口を開いたままで固まった。

「聞こえて無いのかニャ? 肉を寄こせって言ってるニャ。肉だニャ、肉。肉が食べたいニャ!」

 ズマの言葉は尤もである。それには返す言葉も無い。しかも、冬也とペスカの名前を出されれば、引き下がるしかない。しかし、エレナの要求は腹に据えかねる。

「猫の分際で生意気な!」

 ドラゴンが怒りを露わにした瞬間、腰を下ろしていた魔獣達が一斉に立ち上がり、エレナとズマの周囲を固めた。命がけでボスを守ろうとするかの様に。

 ドラゴンは驚きを感じていた。

 大陸南部で起きている事態を、スールから聞いていた。しかし、たかが亜人の小娘と最弱の魔獣が、本当に南部の魔獣達を統率すると信じてはいなかった

 主の命令である、しかも主の命を救い眷属とした神の意向もある。目の前の連中を、無下に扱う事は出来ない。
 プライドを傷つけられ、腹立たしく感じながらも使命故に手が出せない。そんな葛藤をするドラゴンに対し、ズマは諫める様に静かに言葉を紡いだ。

「だが食料は戦略上、最も重要である。おわかりでしょう? 我らは強行軍故、補給が出来ていない。申し訳ないが、分けては頂け無いでしょうか。至高のドラゴンよ」

 ズマの言葉に、ドラゴンは大きな溜息をつく。そして要求に同意し、備蓄の食糧を分け与え、休息を取る場所を提供した。

 また、ドラゴンの谷の少し北では、大陸北部と西部から逃げ出した魔獣達が、ノーヴェの眷属とスールの眷属の指示で、隊の編成を行っていた。
 逃走中に傷を負った魔獣の手当ては、終了している。後は、ゴブリン軍団が北上するのを待ち、合流した後に進軍するだけである。

 南部の魔獣統率に成功したゴブリン軍団。更に北部や西部の魔獣を加えれば、ドラグスメリア大陸でも類を見ない一大勢力となる。
 大陸北部を解放する為の戦力は、着々と整いつつあった。

 ☆ ☆ ☆
 
 そして、本隊となるだろうペスカ達は、作戦会議を開いていた。
 ペスカと冬也を中心に、スール、ミューモ、テュホンが囲む。そして風の女神は、ペスカ達と少し離れた場所に腰を下ろし、話しを聞いていた。

「あのね。大陸北部には、黒いスライムが溢れてる。黒いスライムには、エンシェントドラゴンでもブレスが利かないらしいの」

 ドラゴンのブレスが利かない。それは、ミューモにとって、最大の武器を奪われたのと同義。その言葉を聞いて、ミューモは漏らす様に呟いた。

「そうでしたか。だから冬也様はあれだけ」
「あぁ? 何か言ったか糞ドラゴン?」
「いえ冬也様。それでペスカ様、如何されるのですか? 我らのブレスが利かないなら、他の魔獣では打つ手が有りません」
「この戦いの鍵になるのは、ゴブリン軍団とあんた達巨人よ」
「我々ですか?」
 
 テュホンは少し驚いた様な声を上げた。それも当然だ。エンシェントドラゴンの力が通用しない相手に、自分達が敵う訳が無いのだから。

「サイクロプスのブルって知ってる?」
「えぇ。南へ旅立った我が同胞です。あいつが何か?」
「ブルが対抗できる武器を、ここまで運んでくれるはずなの」
「あいつがですか?」
「そう。それが届き次第、巨人達に持たせて進軍を開始する。予定通りならドラゴンの谷に、ゴブリンの軍団が集まっているはず。進軍は南側と同時に行う。ミューモ、あんたの眷属は動ける?」

 ペスカはミューモに視線を向ける。そしてミューモは、軽く頷いてペスカに答えた。

「そろそろ目を覚ましても良い頃かと」
「なら、あんたの眷属を連絡係に使うからね」
「畏まりました、ペスカ様」
「この作戦は、西と南で同時に行うのが重要なんだよ。だから迅速な連絡が大事。期待してるよミューモ」
「お任せください、ペスカ様」
「出来たら何体か、ブルを迎えに行ってもらえる?」
「直ぐに手配いたします」

 ミューモは自分の眷属を目覚めさせるために、自分の住処に向い飛び立つ。続いてペスカはスールに視線を向けた。

「スール、あんたはこれから直ぐに飛んで、ノーヴェと合流する事。あんたの眷属も回収して来なさい」
「承知しましたペスカ様。西と同じ状況なら、いま水の女神を目覚めさせるのは、厄介な事になりますしな」
「そう言う事。姐さんと同じ様な結界を、水の女神が張っているなら、あんたの眷属は結界に干渉出来ないはず。一応は万が一の事も考えて、退避するのがベターだよ」
「回収の後は、私もスライム達を浄化って事ですな」
「良くわかってるね。頼むね、スール」
「お任せくださいペスカ様。では主、行って参ります」
「おう、気をつけてな」

 スールはペスカと冬也に頭を下げた後に、飛び立っていった。最後にペスカは、風の女神に視線を向けた。

「姐さん。一連の騒動が、全て反フィアーナ派の仕業。新たに生まれた邪神が、ロメリアの分霊体だとすれば、必ず過去を踏襲するはずだよ」

 風の女神は、メルドマリューネで起きた出来事を思い出した。そして、少しぞっとする様な感覚を覚えた。

 ペスカが示唆しているのは、モンスターの大量発生、死んだ魔獣のゾンビ化であろう。
 大陸の東は、既に邪神の領域となっている。大陸の北は、黒いスライムで溢れている。大量の魔獣が既に命を落としている状況でゾンビ化が行われたら、幾ら戦い慣れたドラグスメリア大陸の魔獣達でも、ひとたまりも有るまい。
 それこそ大陸の終わりだ。

「そうならない為の、秩序ある軍隊なんだよ。本番は、黒いスライムの浄化以降。姐さんは、山さんと一緒にいつでも戦える様に、神気を溜めといて!」
「山さん? 誰だい?」
「あれ? 通じない? 山さんは、山の神の事だよ」
「あぁ、ベオログの事かい。わかったよ。にしても、あんたは神に仇名を付けるなんて」

 少し溜息を突きながらも、風の神は頷いた。
 こうして、大陸北部の解放をかけたペスカ達の戦いが、いま始まろうとしていた。