ペスカと冬也が、密林の中をひた走る。目指すのはゴブリンの里より北東方向、スールが倒れる場所へ。
最古のドラゴンであるスールは、大陸の東で致命傷を負い、命の危機に瀕している。ペスカと冬也は、木々に問いかけながら方角を確認し走り続けた。
スールの倒れる場所は、ドラグスメリア大陸の東側に近い場所である。巨体のブルが全力で走っても、数日はかかる。人間であれば、一か月では済まないだろう。
しかし、ペスカと冬也はマナを足に込め、猛烈な速度で進む。密林の木々は状況を察し、自ら枝を払い根を動かし、スールまでの道を作った。
そんな木々の配慮に、冬也は感謝の言葉を伝える。
「助かるぜ、ありがとな。このまま進めって事だな?」
木々は、冬也の言葉に応える様に枝を震わせた。
トロールとの戦いで、冬也は空間を越える術を身に着けた。当然、スールのマナを良く知っていれば、それを基点として空間の移動が可能ではある。
しかし、スールと面識の無い冬也にはそれは不可能であり、今はただ走るしか無かった。
二人はマナを使い、走る速度を極限まで上げている。それは、マナを大量に消費する方法で、魔法の扱いに長けたクラウスの様なエルフでも、数時間もすれば枯渇する。
しかし、大量のマナを保有するペスカと冬也にとって、その消費は微々たるものだ。それでも、長く使用を続ければ、後の治療に影響を及ぼす。
辿り着く事が目的ではない。スールの治療が目的なのだ。着いた時に、マナが空では意味が無い。
だが、今は急ぐ事が何よりも優先される。
急く心を抑え、ペスカと冬也は進む。そして時折、木々から伝えられる声からは、緊迫感を煽られる。
スール危険。虫の息。そろそろ死ぬ、死ぬ。もう死にかけ。手遅れ。
着いた時には亡骸だったなんて、洒落にもならない。冬也は、マナだけではなく神気を身体に纏わせようとする。
「駄目だよお兄ちゃん。神気は抑えて。余計なのを呼び込んでも困るし」
既に冬也から零れだす神気に、魔獣達は怯えて近寄ろうとしない。
これまでの道中で、魔獣と遭遇しなかったのは、ペスカと冬也の走る速度が余りに早く、追いつけないからだけでは無い。
辺りを住処にする魔獣達は、怯える様に体を縮め、脅威が過ぎ去るのをじっと待っていた。
そしてペスカが憂慮したのは、魔獣では無い。冬也の神気に釣られ、復活した邪神を呼び寄せれば、辿り着いてもスールの治療どころでは無くなる。
焦る気持ちは、ペスカにもある。しかし今は、過剰な力を使ってはいけない。
スールの命は、今にも尽きようとしているのだろう。一分一秒が惜しい。急がなければならない。
しかし、余計なトラブルで、時間を取られるよりは、ましなのだ。大きすぎる力は、それだけトラブルを呼び込む。
綱渡りの様な状況で、ペスカと冬也は神経をすり減らす。
神の末席に加わったとは言え、ペスカと冬也の肉体は人間と変わらない。肉体の疲労も有れば、空腹にもなるし、眠気も出る。極度の緊張を強いられれば、神経系への影響も出るだろう。
だが、今は自分達の身体を気にしてはいられない。過ぎる時間と共に、命の灯が小さくなる。
ペスカと冬也は、ただ走る、ひたすらに走る。
巨大なドラゴンが倒れる様は、密林の中からでも、外からでもよく見える。敵からすれば、襲って下さいと言っている様なものだ。
そして密林の木々は、スールを隠そうと枝を伸ばす。それでも、大きいスールの身体の全ては覆えない。
しかし木々は、冬也の想いを察して、スールを守ろうとしていた。
やがて、木々が開けた道の先に、枝に包まれた大きな黄金の塊が見える。それが、スールである事は、ペスカ達には直ぐにわかった。
近づくほどに、傷の酷さがわかる。胴には大穴が空き、黄金の鱗には、血が赤黒くこびりつく。
この傷で、生きているはずが無い。恐らく誰もが思うだろう。それはペスカと冬也も同様であった。
スールの下に辿り着くと、ペスカは即座に容体を確かめる。これまでの疾走で、息が上がり、大量の汗をかいている。そしてスールの身体を確かめていたペスカは、徐に振り向き冬也を見る。
その表情は、酷く青ざめていた。疲れとは違うその表情に、冬也も事態を把握した。
「お兄ちゃん……」
ペスカには、それ以上の言葉が出なかった。ペスカは、歯噛みをし俯く。だが、冬也はペスカの頭を撫で、スールに近づいた。
「諦めるな、ペスカ。まだ終わってない」
「お兄ちゃん?」
冬也はスールの身体に触れると、自分の神気を流し込んでいく。
「この体は俺が治す。セリュシオネ、こいつの魂を返せ! 文句は言わせねぇぞ。早く返せ!」
冬也の神気が膨れ上がり、どんどんスールの身体に流れていく。黄金の身体は更に光り輝き、大きく開いた胴の穴は少しずつ小さくなっていった。
しかし、小高い山の様な大きさのエンシェントドラゴンを神気で満たすには、冬也の神気だけでは足りない。
ペスカは、自分の神気を冬也に流し込んだ。二人の神気が重なり、スールへ流れる力が増していく。
「セリュシオネ! 早くしろよ!」
冬也は脅す様な声色で、天を見上げて叫ぶ。スールの傷が完全に塞がると共に、光の球がスールの上に落ちて来た。光の球はスールの身体に溶け込む様に、馴染んでいく。そして、スールは息を吹き返した。
スールは、ゆっくり目を開ける。そして自分の身体をゆっくりと見渡す。傷が塞がっている。痛みも無い。目の前にには神々しい光を放つ人間が立つ。
スールは、直前に女神と会った記憶を持っていた。確かあの女神は、こう言った。
「五月蠅い子供がいるから、特別に君を現世に返す。君は目を覚ました後に、その子の眷属になりなさい」
スールは自分の身体に、新たな力の流れを感じる。そして、その力がどこから来たものかを悟った。スールは、巨大な体を起こし、冬也に頭を向ける。
「あなたが儂の主となるお方ですかな?」
「はぁ? 主だ? 知らねぇよ!」
「いや、主よ。お名前をお聞かせくだされ」
「何言ってんだ、主じゃねぇよ。俺は冬也だ」
「私はペスカだよ」
「冬也様。これより先、この身この命、全て貴方の物」
「だから、何言ってんだ糞ドラゴン!」
「主とペスカ様、お二人の手足となり働きましょう。儂の力、何なりとお使いくだされ」
スールは頭を下げる。だが、冬也は依然として首を傾げていた。
「お兄ちゃん。状況を理解しないの? あれだけお兄ちゃんの神気を流して、命を繋いだんだよ。スールは、お兄ちゃんの眷属になったの」
「いらねぇよ。馬鹿じゃねぇのか?」
「馬鹿なのは、お兄ちゃん! ちゃんと状況を理解してよ!」
ペスカは、深い溜息を付いた。
既に事切れていたスールを、冬也は自分の神気を使って蘇らせたのだ。だが冬也は、全く事態を理解していない。
スールは既に、『神に最も近いドラゴン』ではなく、『神龍』となっている。それは、ペスカと冬也同様に、神の座に片足を突っ込んだ様なものである。
そしてもう一つ、冬也が理解していない事がある。スールに神気を流したのは、直接的には冬也だが、間接的にペスカの神気も混じっている。
「と言う訳で、スールは私とお兄ちゃんの間に生まれた、子供みたいなもんだね!」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ、ペスカ!」
冬也に頭を叩かれ、ペスカは少し涙ぐんだ。そんなペスカを庇う様に、スールが会話に割って入る。
「主、ペスカ様。ご報告が様々ございます。じゃがその前に、少々お力をお貸しくだされ」
「なんだよ、言ってみろ」
「お二人のお力で、結界を張って下され。東の地からこれ以上、闇が漏れない様に」
ペスカと冬也は、二つ返事で了承した。
「では、儂の背にお乗りくだされ。上空からの方が、結界の範囲が見え易いじゃろうしのぅ」
スールは、少し屈むとペスカと冬也を背に乗せ、ホバリングの様に上空へ浮かぶ。そして、ゆっくりと上昇していった。
上昇した先で、ペスカと冬也は事態の深刻さを知る事となる。
時は巡り、歯車は回る。ペスカと冬也の本当の試練が始まろうとしていた。
最古のドラゴンであるスールは、大陸の東で致命傷を負い、命の危機に瀕している。ペスカと冬也は、木々に問いかけながら方角を確認し走り続けた。
スールの倒れる場所は、ドラグスメリア大陸の東側に近い場所である。巨体のブルが全力で走っても、数日はかかる。人間であれば、一か月では済まないだろう。
しかし、ペスカと冬也はマナを足に込め、猛烈な速度で進む。密林の木々は状況を察し、自ら枝を払い根を動かし、スールまでの道を作った。
そんな木々の配慮に、冬也は感謝の言葉を伝える。
「助かるぜ、ありがとな。このまま進めって事だな?」
木々は、冬也の言葉に応える様に枝を震わせた。
トロールとの戦いで、冬也は空間を越える術を身に着けた。当然、スールのマナを良く知っていれば、それを基点として空間の移動が可能ではある。
しかし、スールと面識の無い冬也にはそれは不可能であり、今はただ走るしか無かった。
二人はマナを使い、走る速度を極限まで上げている。それは、マナを大量に消費する方法で、魔法の扱いに長けたクラウスの様なエルフでも、数時間もすれば枯渇する。
しかし、大量のマナを保有するペスカと冬也にとって、その消費は微々たるものだ。それでも、長く使用を続ければ、後の治療に影響を及ぼす。
辿り着く事が目的ではない。スールの治療が目的なのだ。着いた時に、マナが空では意味が無い。
だが、今は急ぐ事が何よりも優先される。
急く心を抑え、ペスカと冬也は進む。そして時折、木々から伝えられる声からは、緊迫感を煽られる。
スール危険。虫の息。そろそろ死ぬ、死ぬ。もう死にかけ。手遅れ。
着いた時には亡骸だったなんて、洒落にもならない。冬也は、マナだけではなく神気を身体に纏わせようとする。
「駄目だよお兄ちゃん。神気は抑えて。余計なのを呼び込んでも困るし」
既に冬也から零れだす神気に、魔獣達は怯えて近寄ろうとしない。
これまでの道中で、魔獣と遭遇しなかったのは、ペスカと冬也の走る速度が余りに早く、追いつけないからだけでは無い。
辺りを住処にする魔獣達は、怯える様に体を縮め、脅威が過ぎ去るのをじっと待っていた。
そしてペスカが憂慮したのは、魔獣では無い。冬也の神気に釣られ、復活した邪神を呼び寄せれば、辿り着いてもスールの治療どころでは無くなる。
焦る気持ちは、ペスカにもある。しかし今は、過剰な力を使ってはいけない。
スールの命は、今にも尽きようとしているのだろう。一分一秒が惜しい。急がなければならない。
しかし、余計なトラブルで、時間を取られるよりは、ましなのだ。大きすぎる力は、それだけトラブルを呼び込む。
綱渡りの様な状況で、ペスカと冬也は神経をすり減らす。
神の末席に加わったとは言え、ペスカと冬也の肉体は人間と変わらない。肉体の疲労も有れば、空腹にもなるし、眠気も出る。極度の緊張を強いられれば、神経系への影響も出るだろう。
だが、今は自分達の身体を気にしてはいられない。過ぎる時間と共に、命の灯が小さくなる。
ペスカと冬也は、ただ走る、ひたすらに走る。
巨大なドラゴンが倒れる様は、密林の中からでも、外からでもよく見える。敵からすれば、襲って下さいと言っている様なものだ。
そして密林の木々は、スールを隠そうと枝を伸ばす。それでも、大きいスールの身体の全ては覆えない。
しかし木々は、冬也の想いを察して、スールを守ろうとしていた。
やがて、木々が開けた道の先に、枝に包まれた大きな黄金の塊が見える。それが、スールである事は、ペスカ達には直ぐにわかった。
近づくほどに、傷の酷さがわかる。胴には大穴が空き、黄金の鱗には、血が赤黒くこびりつく。
この傷で、生きているはずが無い。恐らく誰もが思うだろう。それはペスカと冬也も同様であった。
スールの下に辿り着くと、ペスカは即座に容体を確かめる。これまでの疾走で、息が上がり、大量の汗をかいている。そしてスールの身体を確かめていたペスカは、徐に振り向き冬也を見る。
その表情は、酷く青ざめていた。疲れとは違うその表情に、冬也も事態を把握した。
「お兄ちゃん……」
ペスカには、それ以上の言葉が出なかった。ペスカは、歯噛みをし俯く。だが、冬也はペスカの頭を撫で、スールに近づいた。
「諦めるな、ペスカ。まだ終わってない」
「お兄ちゃん?」
冬也はスールの身体に触れると、自分の神気を流し込んでいく。
「この体は俺が治す。セリュシオネ、こいつの魂を返せ! 文句は言わせねぇぞ。早く返せ!」
冬也の神気が膨れ上がり、どんどんスールの身体に流れていく。黄金の身体は更に光り輝き、大きく開いた胴の穴は少しずつ小さくなっていった。
しかし、小高い山の様な大きさのエンシェントドラゴンを神気で満たすには、冬也の神気だけでは足りない。
ペスカは、自分の神気を冬也に流し込んだ。二人の神気が重なり、スールへ流れる力が増していく。
「セリュシオネ! 早くしろよ!」
冬也は脅す様な声色で、天を見上げて叫ぶ。スールの傷が完全に塞がると共に、光の球がスールの上に落ちて来た。光の球はスールの身体に溶け込む様に、馴染んでいく。そして、スールは息を吹き返した。
スールは、ゆっくり目を開ける。そして自分の身体をゆっくりと見渡す。傷が塞がっている。痛みも無い。目の前にには神々しい光を放つ人間が立つ。
スールは、直前に女神と会った記憶を持っていた。確かあの女神は、こう言った。
「五月蠅い子供がいるから、特別に君を現世に返す。君は目を覚ました後に、その子の眷属になりなさい」
スールは自分の身体に、新たな力の流れを感じる。そして、その力がどこから来たものかを悟った。スールは、巨大な体を起こし、冬也に頭を向ける。
「あなたが儂の主となるお方ですかな?」
「はぁ? 主だ? 知らねぇよ!」
「いや、主よ。お名前をお聞かせくだされ」
「何言ってんだ、主じゃねぇよ。俺は冬也だ」
「私はペスカだよ」
「冬也様。これより先、この身この命、全て貴方の物」
「だから、何言ってんだ糞ドラゴン!」
「主とペスカ様、お二人の手足となり働きましょう。儂の力、何なりとお使いくだされ」
スールは頭を下げる。だが、冬也は依然として首を傾げていた。
「お兄ちゃん。状況を理解しないの? あれだけお兄ちゃんの神気を流して、命を繋いだんだよ。スールは、お兄ちゃんの眷属になったの」
「いらねぇよ。馬鹿じゃねぇのか?」
「馬鹿なのは、お兄ちゃん! ちゃんと状況を理解してよ!」
ペスカは、深い溜息を付いた。
既に事切れていたスールを、冬也は自分の神気を使って蘇らせたのだ。だが冬也は、全く事態を理解していない。
スールは既に、『神に最も近いドラゴン』ではなく、『神龍』となっている。それは、ペスカと冬也同様に、神の座に片足を突っ込んだ様なものである。
そしてもう一つ、冬也が理解していない事がある。スールに神気を流したのは、直接的には冬也だが、間接的にペスカの神気も混じっている。
「と言う訳で、スールは私とお兄ちゃんの間に生まれた、子供みたいなもんだね!」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ、ペスカ!」
冬也に頭を叩かれ、ペスカは少し涙ぐんだ。そんなペスカを庇う様に、スールが会話に割って入る。
「主、ペスカ様。ご報告が様々ございます。じゃがその前に、少々お力をお貸しくだされ」
「なんだよ、言ってみろ」
「お二人のお力で、結界を張って下され。東の地からこれ以上、闇が漏れない様に」
ペスカと冬也は、二つ返事で了承した。
「では、儂の背にお乗りくだされ。上空からの方が、結界の範囲が見え易いじゃろうしのぅ」
スールは、少し屈むとペスカと冬也を背に乗せ、ホバリングの様に上空へ浮かぶ。そして、ゆっくりと上昇していった。
上昇した先で、ペスカと冬也は事態の深刻さを知る事となる。
時は巡り、歯車は回る。ペスカと冬也の本当の試練が始まろうとしていた。