トロール軍団の前方を歩いていた、数体の目に矢が深く突き刺さる。激しい呻き声が、密林に響き渡る。
 そしてトロール達は、周囲を見渡した。敵が潜んでいる、だがその姿は見えない。立ち止まり、周囲を警戒するトロール達に、再び矢が降り注いだ。矢は、的確にトロール達の目を捉える。

 突き刺さった矢は、トロール達の目を深く抉る。巨大になり過ぎたトロールの手では、ゴブリン達が放った矢は小さすぎた。指先で摘まみ取る事も出来ずに、悲鳴を上げた。

 痛みのあまり、トロール達は片膝を突く。
 
 そして、更なるゴブリン達の一斉射撃。弓は真っすぐにトロール達に向かう。この時、密林はゴブリンの見方であった。矢を遮る事なく、木々は枝を寄せる。

 更に数体のトロールが、視界を閉ざされた。

 トロール達は、怒りの咆哮を上げる。密林の中から、弓が放たれたのが薄っすらと見えていた。何者かに狙われているが、依然として姿が見えない。
 トロール達は、怒りに任せて棍棒を振るう。大きく振り回し、密林を無尽蔵に破壊していく。

 トロールの一振りで、木々が粉々に破壊されて行く様は、ゴブリン達には脅威だった。当たれば間違いなく、体は粉々に砕かれる。棍棒の風圧でさえ、ゴブリン達は吹き飛ばされるだろう。
 
 これが、本物の戦場だ。

 ゴブリン達の肌は一斉に粟立つ。しかし、怯んでいては死が待ち受けるだけ。ゴブリン達は移動を繰り返し、狙撃地点を変えて弓を放ち続けた。

 巨大化したトロール達は、密林から頭だけが出ている様な状態である。そして、それが災いとなった。
 ゴブリン達からは狙いやすい。トロール達は木々の間から、目の前に突如として現れた矢を避けられない。

 次々とトロール達は、膝を突いた。

 地の利が遺憾なく発揮され、序盤の攻防はゴブリン達の優勢に見えた。しかし、数に勝るトロール達の、勢いは止まらない。
 膝を突いた群れの一割を見捨て、再び前進を開始する。ひたすらに全てを蹴散らさんと、棍棒を振るう。

 作戦では、ここでトロールを怒りで暴走させ、分散させる予定だった。しかし、トロール達は仲間が傷つく事を、気にも留めていない様子である。
 巨体の大軍が真っすぐに集落へ向かう。トロール達の予定外の行動に、ゴブリン達に焦りが生じた。

 焦りは油断を生む。

 一定の距離を保ち、攻撃をしていたパーティーの一つに、トロールの棍棒が飛ぶ。大地に棍棒が、深く突き刺さる。
 ゴブリン達は風圧で吹き飛ばされ、土砂で深いダメージを受けた。

 ズマは指笛で、近くのパーティーに合図し、傷付いたパーティーの回収を急がせる。だが、飛んでくる矢が減った事で、トロールが対抗策に気付いた。

 トロール達は、周囲に向かい一斉に棍棒を投げつけた。雨の様に、巨大な棍棒が降り注ぐ。間一髪で避けるものの、ゴブリン達は撤退を余儀なくされた。
 
 クロスボウの射程範囲を優に超える距離から、棍棒が降り注ぐ。近づく事すら出来ない状況に、ズマは焦れた。
 当初エレナから授けられた作戦と、今は状況が異なっている。自分達の持つ武器は、クロスボウと尖らせた石だけ。
 よっぽど急所を突かない限り、トロールの頑丈な皮膚には、傷ひとつ付けられないだろう。

 作戦指揮を執るズマは、ペスカとエレナの指示を仰ぐ為に、急いで集落へ戻った。しかしペスカは、ズマを激しく叱り飛ばした。

「指揮官が何しに戻って来たの? 仲間を見捨てる気?」
「いえ。滅相もありません。私はただ」
「ただ、何よ! 指揮官はあんたなのよ、ズマ! 自分で考えて、行動しなさい!」
「しかし我等の弓が、奴らに届きません。打つ手がありません」

 ペスカはズマを殴りつけ、声を荒げた。

「馬鹿な事を言うな! 罠でも何でも使って、足止めしろ! あんたは、何をエレナから学んだの? 逃げ帰って弱音を吐く暇が有るなら、味方を動かせ!」

 ズマは口から流れる血を拭わずに、すぐさま立ち上がる。そして、ペスカ達に敬礼をして集落を後にした。

「ペスカ。助けてあげないニャ?」
「助けないよ、今はね。この程度で音を上げたら、限界なんて越えられないよ」
「どう言う事ニャ?」
「エレナ。あんたは、切羽詰まった時どうする?」
「それは、マナを全開にして、命がけで突っ込むニャ」

 エレナは言いながら、はたと気付く。

 まだ、ゴブリン達は自ら考え行動していない。それどころか、命の危険が無い場所で、ただ攻撃を繰り返しているだけ。死に物狂いで勝ち得た能力は、未だ見ていない。

「とは言え、そろそろ後続部隊を出そっか」
「冬也の荷物はどうするニャ? 秘密兵器って言ってたニャ。使わないニャ?」
「まだだよ。ズマ達が頑張って頑張って、それでも駄目だったら使うんだよ」
「なんか、私よりペスカの方が厳しいニャ」
「そうじゃなきゃ、現状は変えられないからね。それより、エレナは後続部隊に命令してきなよ」
「わかったニャ」

 里を出たズマは、走りながら懸命に頭を動かした。

 矢とて無限では無い。一体一では到底敵わない、巨大な相手。ペスカ達から授けられた知恵は、最初の作戦だけ。作戦と異なり、トロール達は分断せずに、真っ直ぐ里へ進んでいる。
 
 どうすれば良い。どうすれば里を守れる。どうすれば仲間を守れる。
 
 まとまらない考えのまま、ズマは木々をすり抜け走る。「誰でも良い、助けてくれ!」と叫びたい。いや、駄目だ。それでは、今までと変わらない。俺は、変わると誓ったのだ。俺が、仲間を守らなければ。
 そうだ。その為の方法を、教官から教わったのだ。
 
 ズマの意思を受け、体内のマナが自然と流動する。ズマは立ち止まり目を閉じ、恩人達の姿を思い浮かべた。

 しなやかでも強靭な、エレナの脚力と腕力。冬也の強い意志の力。ペスカの大きなマナ。恩人達は、あの大軍は脅威にも感じないのだろう。
 どれも自分には、遥かに遠い存在である。せめて、一歩でも近くあったなら。
 
「大地の女神ミュール様。我が一族に力をお貸しください。大いなる脅威に抗える力を。脆いこの体に災いを跳ね除ける力を」

 その時だった。ズマの体内でマナが膨れ上がる。力が漲っていくのがわかる。身体に纏う力が、自分を高みに押し上げている様だった。

 試しに跳躍したズマは、その変化に驚く。

 エレナの様に、身長の何倍もの高さへ飛び上がっている。今まで訓練で使っていた身体強化とは一線を画す、圧倒的な能力の上昇であった。
 今までは単にマナを使い、身体の要所を少し強化していただけだった。確実なイメージと呪文を唱えた事で、ズマは意図せずに身体強化を完全な魔法として発動させた。

「そうか、手段はもう教わっていたのか」

 ズマの中で全てが結実する。

 ひたすら過酷な筋力強化、マナのコントロール、狩り、そして今までの人生。全てがズマの中で、昇華されていった。

 ズマは指笛で、前線部隊を全て集める。エレナの命令で里を出た後続部隊も含めて、ゴブリン軍団が集合した。
 トロールの軍団がもう少しで里に迫る。一刻を争う事態の中、ズマは声を上げた。
 
「皆。これから命令を与える。俺達だけの力で、この逆境を覆す」