意図せずに冬也が鼓舞した形になったが、エレナは意気揚々と瞳に炎を宿す。かつて、国境警備隊を鍛え直した事を思い出し、エレナはゴブリン達の訓練内容を思い浮かべた。

 だが、エレナは肝心な事に気が付いていない。運ばれて来たゴブリン達の介抱を続けていたズマが、空き小屋に戻って来る。

「*******」
「そう、お疲れさまズマ。あなたもゆっくり休みなさい」

 エレナは首をかしげた。ズマと呼ばれたゴブリンは、何を言っているのだろう。ふと思い出せば、トロールも何か言っていた様だが、理解はできなかった。

「そう言えば、ズマ。おまえ達はいつも何食ってるんだ?」
「*******」
「いや、それじゃあ腹減ってしょうがねぇだろ。もうちっと、ましな物食えよ」
「*******」
「そう言う問題じゃねぇよ。狩りの仕方もわからねぇのか?」
「*******」

 ズマの表情としぐさで、何と無く言わんとしてる事が、わかる気がする。だけどエレナには、やはり言葉がわからない。なのにペスカと冬也は、なぜ会話をしている。

「ちょっと待つニャ、冬也。なんでゴブリンと会話しているニャ。言葉がわかるのかニャ? おまえは余り賢そうに見えないニャ。不思議ニャ」
「随分な、言い方じゃねぇか、エレナ」
「本当の事ニャ。私は嘘をつかないニャ」

 冬也はピクリと眉を動かす。エレナは不思議そうに首を傾げる。
 別段、冬也は腹を立てている訳では無いだろうが、これ以上エレナが不用意に冬也を挑発すると、鉄拳が降り注ぎかねない。ペスカは仲裁する様に、話しに割り込んだ。
 
「あのさ、エレナ。あなたは、魔法を使えないの?」
「魔法は苦手ニャ。でも、困らないニャ」
「いや、現に困ってるじゃない」
「何の事ニャ?」
「私達は、ゴブリンの言葉を知ってるんじゃないの。魔法で通訳してるだけだよ」
「ズルだニャ!」
「ずるく無いよ。馬鹿なの? あなたは、言葉も伝わらない相手に、どうやって軍事指導をするの?」
「無理だニャ。困るニャ。どうにかして欲しいニャ」

 回転の良い頭を持つ癖に、操りやすい単純な性格。悪気が無く思った事を口にする割には、案外その場の空気を読んで行動する。警戒心が強い割に、人懐っこい。
 ペスカは、そんなエレナを憎からず思っていた。
 
「仕方ないな。お姉さんが、人肌脱いであげよう」
「何言ってるニャ。おまえはちびっ子だから、私がお姉さんニャ」
「はいはい。ならお姉ちゃんに、魔法をかけてあげるから、じっとしてるんだよ」

 ペスカは、エレナの額に手を翳す。そして、言語野に働きかける様に、呪文を唱えた。

「汝、異なる言語を解せ。これより後、全ての言語は共通した一なる言語へ」

 呪文と共にペスカの手が光る。エレナは眩しさに目を瞑り、光が消えるのを待つ。暫くし、おずおずとエレナが目を開くが、特に変わった様子が無い様に感じる。

「何か変わったかニャ? ペスカは失敗したニャ?」
「失敗したかどうかは、試してみたら」

 ペスカが、ズマに視線を送る様な仕草をする。そしてエレナは、ペスカの意図を汲み、ズマに話しかけてみた。

「あ、あ、あ。わかるかニャ? 伝わってるかニャ? おまえ、ズマって言うんだニャ? 私はエレナニャ」
「うん? わかるぞ。ズマだ、変な姿の人間よ。エレナだな。理解した」
「凄いニャ。伝わったニャ。でも、変な姿は酷いニャ」
「それは悪かった。だが、おまえは我々と近しい存在な気がする」

 知識に乏しいだけで、ズマの言葉には悪意がない。理解力も有る。ちゃんと教育をすれば、真面目な分だけ伸びしろは大きいだろう。
 ズマが仲間の為に、忙しなく動いているのを、エレナは見ていた。だからこそ警戒心の強いエレナが、簡単にズマという異形の存在を受けれたのだろう。

 和やかなムードが辺りを包む。そして、エレナの腹が盛大な音を立て、更に穏やかな空間を作り上げていく。
 だが、空腹は大問題である。取り急ぎ、ズマに集落の食糧庫へ案内させる。しかし、木の実が少し残っているだけで、碌な物が無かった。

「おまえら、本当に何食ってんだよ」
「さっきも言っただろう。木の実だ。前はトロールが、ネズミや蛇をくれたがな」
「だから、お前等はちびっ子なのニャ。体も細いニャ。筋肉がないニャ」
「確かにな。食事が足りてねぇんだろ。特に肉が」
「お肉は良いニャ。ちゃんと食べて訓練すれば、ちゃんと筋肉がつくニャ」

 体を見るだけでも栄養失調になっているのはわかる。体を動かす栄養が足りない。それ故に満足な働きが出来ない。だから、碌な成果を得られない。
 それは、全ての動植物が戦いあうドラグスメリアにおいて、致命的とも言えよう。

 冬也は「はぁ」と溜息をつきながら頭を掻き、エレナに問いかける。

「所でエレナ。おまえ、狩りってした事あるか?」
「勿論ニャ。得意ニャ!」
「因みに、おまえらの狩りはどんなのだ?」
「どんなのって普通ニャ。獲物を見つけたら、息をひそめて近づく。隙を見つけて一気に倒す。それだけニャ」
「弓とかは、使わないのか?」
「使えるニャ。当たり前の事を聞くニャ」
「じゃあ、エレナ。先ずはズマに、狩りの仕方から教えてやってくれ」
「はぁ? 馬鹿ニャ? 狩りも出来ないニャ?」

 冬也は、空の食糧庫で大きく腕を開き、エレナに言い放つ。

「見てわかんだろ! こいつ等は、禄に狩りが出来ねぇんだよ。だから、食い物が足りねぇ」
「狩りなんて慣れニャ。細っちくても、狩りは出来るニャ。幾らでも方法が有るニャ」
「当面の食糧確保なんて言わねぇから、せめて四人分の食糧を取って来い!」
「わかったニャ。行くニャ、ズマ」

 エレナは、ズマの首元を掴み小屋を出て、密林の中に消えていく。冬也は、少しため息をつくと、後を追う様に小屋を出る。そして、密林に向かって歩きだした。

「お兄ちゃん。どこへ行くの?」
「あいつらだけだと不安だから。俺も何か取って来るよ」
「気を付けてね。私は、怪我人の経過観察が有るから残るよ」
「あぁ。わかってる。そっちは頼むよ。それと、何か有れば木々が教えてくれるはずだ」
「うん。いってらっしゃい」

 冬也も密林に消え、獲物を探す。冬也の場合は、狩りとは言えまい。密林が獲物の場所を教え、それを辿るだけの簡単な作業だ。しかしズマは違う。碌に狩りが出来ない為、エレナのしごきを受けていた。

 集落を出て数分で、エレナは鳥のさえずる声を聞く。直ぐにズマへ手で合図をし、音を立てない様に指示をする。
 だがズマは、エレナの合図に気が付かず、音を立てて木に登ろうとする。当然の結果だが、鳥はズマに気が付き、羽音を立てて飛び去って行った。

「ズマ、音を立てたら駄目ニャ」
「すまない、エレナ」
「次は、気を付けるニャ」

 ズマは、申し訳なさそうに肩を落とす。しかし、エレナは気にするなとばかりに、明るく手を振った。

 最初から上手く行くなら、教える必要は無いのだ。出来なくて当然である。一つ一つ間違いを指摘し、正しい方法を教えればいい。
 ただ、もし数度の失敗で諦める位なら、生きる事を諦め死を待つだけの、惰弱な種族としか言いようがない。それなら、いくら頼まれ様とも、教える事は何もない。

 少し密林を歩くと、木の麓を這う蛇の姿を、エレナが見つける。

「ズマ。私のナイフを貸すニャ。後ろから近づいて、一気にグサッといくニャ」
「わかった。後ろからだな」

 ズマは、ナイフを順手で握り構える。そして、蛇の後ろからそっと近づき、手首を無理に捻る様に、ナイフを振り下ろす。

 しかし、ナイフは蛇に掠る事なく、大地を抉った。

 何度ズマがナイフを振り下ろしても、呪いでもかかっているかの様に、ナイフは蛇を捉えなかった。そして、蛇がいつまでも、そのままでいる訳が無い。直ぐに体を動かし、茂みの中に消えていく。

「ズマ。おまえ、冗談かニャ? 本気でやらないと、獲物は取れないニャ。そもそも、ナイフの握り方が変ニャ」
「本気でやっているぞ。何を言ってるんだエレナ」

 流石のエレナも、呆れた表情でズマを見つめた。

 不器用以前の問題である。狩りが出来ないと言うより、狩りの仕方を全く知らないのだ。だからわざわざ音を立て、獲物に自分の居場所を知らせる。それに武器の扱い方もなっていない。

 ゴブリンは本当に弱いのか? 違う! 戦い方を知らないだけ、獲物の取り方を知らないだけ。それなのに、誇りだけは一人前。そんな物は生きていく上で、何の役にも立たない。

 誇りより大切なのは、生き抜く力だ。仮に卑怯だと罵られ様が、生き抜いた者が勝ちなのだ。これを彼らに教え込まないと、ゴブリンという種族は、いずれ自然淘汰されるだろう。

 かつて鬼隊長と言われた、エレナの一面が姿を現す。鬼となり、ズマを鍛え上げよう。その一心で、エレナはズマに剣突を食わせる事に決めた。
 数分後、野ネズミを見つけ取り逃がした際は、エレナは容赦なくズマを殴りつけた。

「きさまぁ~! 何度言ったらわかる! 音を立てるな! 獲物が逃げるだろ!」
「今はおまえの声がでかい」
「口答えするな! 獲物も取れないゴミ屑がぁ! 教官と呼ばんかぁ!」
「教官? おまえが? ウガッ」

 エレナに殴られ、ズマは頭を押さえる。しかし、エレナの罵声は止まらない。
 
「答えは、はいだ。わかったかズマ!」
「はい。わかった」
「馬鹿者! はいだけで良い!」
「はい!」
  
 エレナは叱責と共にズマを殴り飛ばす。何度も何度も、痛みと共に体に覚え込ませる。言葉遣いから態度まで、全てを叩き直そうと、エレナはズマを叱りつけた。

「わかったなら、早く獲物を探せ! 全員分の獲物を確保しなければ、帰れんぞ!」
「はい!」
  
 結局、日が暮れてもズマは、獲物を取る事が出来なかった。
 エレナは、ナイフの握り方から、体捌き、歩行術などを色々教えたが、一長一短で技術は身につかない。
 だが、エレナにどれだけ殴られても、ズマは立ち上がる。教えられた事を、身に付けようと、必死に足掻く。 
 エレナは、そんなズマの姿を好ましく感じていた。
   
「もう日が暮れた。貴様は夜目が利かぬだろう。今日は、私が取った獲物を持って帰る」
「はい!」
「明日も狩りの訓練を続ける。貴様に続ける覚悟は有るか?」
「有ります!」
「明日は必ず、獲物を取れ! 出来るか?」
「出来ます!」
「なら、やり遂げろ! わかったな!」
「はい!」 
  
 集落にもどったズマを見たペスカは、少し引き攣った表情になる。対して冬也は、とても満足気な表情でエレナとズマを迎えた。
   
「この調子で、ゴブリン達を鍛え直すニャ」

 エレナの表情は、星明りに煌めく様に輝く。そしてズマの表情は、今朝とは全く異なり、引き締まったものになっていた。