少し時間が遡る。

 ペスカ達が、亜人の大陸アンドロケインに滞在していた頃。混沌の神グレイラスが、ペスカ達を探す為に亜人達を利用した。

 事はペスカ達の探索だけでは、終わらなかった。 

 洗脳されたキャットピープルの国キャトロールと、魚人の国マールローネは、国境沿いで小競り合いになる。更に、ドッグピープルの国ドグラシアは、国境を越えキャトロールに攻め込んだ。

 三つ巴の戦争が起きかけた時に、ペスカは策を案じた。

 武器を放棄させ、三国の兵が入り乱れる殴り合いの大乱闘である。しかし、長い種族抗争の歴史故であろうか、ペスカの思惑を遥かに超えて、激しいものになった。
 兵士達の中に、リタイアという言葉は存在しないのだろうか。負傷し治療されれば、嬉々として乱闘に戻る。
 ペスカでさえ止める事を躊躇する、熱戦が繰り広げられる中、女神ラアルフィーネが降臨する。
 
 そんな中、亜人達を操っていた、グレイラスが現れた。グレイラスの神気にあてられ、亜人達は失神する。
 ペスカと冬也がグレイラスと戦う中、亜人達はペスカの幼馴染である空や、女神ラアルフィーネに守られた。

 グレイラスに続いて、戦いの神アルキエルが、ペスカと冬也によって倒される。その後、生と死の女神セリュシオネまでが降臨する。
 結果的に、キャトロールには四柱の神が降臨する、異例の事態が訪れた。

 ペスカ達がゲートを使い、アンドロケイン大陸を離れた後、亜人達はラアルフィーネによって、目覚めさせられた。

「喧嘩しちゃ駄目よ。みんな仲良くしてね」

 ラアルフィーネは、それだけ言うと消えていく。残された三国の兵達は、唖然としていた。
 何が起きた、自分達は何をしている。否、何をしていたのかは、しっかりと覚えている。自分達は人間に煽られ、キャトロールで殴り合い途中で気を失った。
 
 だがグレイラスに操られてキャトロールに攻め込んだ事を、ドッグピープル達は覚えていない。魚人達も同様に、国境を挟んで争っていた理由を覚えていない。
 その上、女神まで降臨している。事態を把握出来ずに、皆が混乱に陥る。そしてその場を治めたのは、キャトロール国境警備隊の隊長であるエレナであった。

 ☆ ☆ ☆
 
 エレナは、幼くして母を失くし、父に育てられた。
 元軍人である父の教育は厳しく、エレナは幼い頃から体術や剣術を仕込まれた。故あってエレナは、成人後に軍隊へ入隊する。
 エレナの戦闘能力は、同僚と比べても非常に高く、評価され順調に出世を重ねていった。当然、疎まれる事も多かった。
 
 ある時エレナは、栄誉ある近衛隊への入隊が内示された。しかし、それをやっかんだ連中が、エレナの誹謗中傷を世間に流した。謂れの無い噂である。だが運悪く、噂が王の耳に届く事になる。
 エレナの近衛隊入隊は取り消され、国境警備隊という、王都から遠い場所へ左遷させられる事となった。

 だが、エレナは挫けなかった。

 当時、長く続いた平和から、国境警備隊は規律の乱れた集団になっていた。エレナは、国境警備隊の兵士達に過酷な訓練をさせ、兵達の性根を叩き直す。
 閑職と同様の意味を持つ国境警備隊は、エレナの下でキャトロール最強集団となった。
  
 エレナの苦難はそれでは終わらない。

 ペスカと冬也に、グレイラスをおびき寄せる為の、撒き餌に使われた。殴り合いを続けた挙句、意識を奪われた。目覚めて、ラアルフィーネを見た時に、鬱屈されたエレナの感情が爆発した。

 理由も無い戦いは、もう沢山だ。女神様は争うなと仰られた。そうだ、なぜ信念も無く争えるのだ。なぜ、簡単に他者を貶めるのだ。
 駄目だ、駄目だ、駄目だ。私は国の為に力を磨いた。愛する祖国を守る為に、力を費やした。

 私は信念を失わない、誇りを失わない。
 
「皆、良く聞くニャ! 我々は怪しげな神に騙されていたのニャ。あの邪悪な姿を、見た者もいるニャ、! 彼奴こそが我等を欺き、戦をさせようと試みた元凶なのニャ! 女神様が仰られたニャ。我々は戦ってはならないニャ! 直ぐに国へ帰り伝えるのニャ。今後一切の戦争を女神様が禁じたと! 平和を愛する誠実な友ドッグピープルよ、我等キャットピープルは、戦を望まないニャ! 勇敢な海の民、魚人達よ。我等は戦では無く、交易を盛んにしたいニャ! 殴り合い、互いの友情が深まった今こそ、皆で手を取り合うニャ! 皆で平和を分かち合おうニャ! 我等が平和の先駆者となるニャ!」

 エレナの演説は、混乱する三国の兵を静めていった。演説が終わる頃には、歓喜の拍手が鳴り響いた。直ぐに、ドグラシアとマールローネの兵達は、自国に戻っていく。そして一連の騒動は、一日も経たずに互いの国王まで伝わった。

 一介の兵士に、国の大事を左右する発言が許される訳が無い。極刑となってもおかしくない状況でも、エレナは刑に処される事は無かった。
 女神の神託は重く、キャトロール、ドグラシア、マールローネの三国は、即刻和平協定と通商条約を締結する事となる。その一役を買った事で、エレナは一躍、時の人となった。

 それから暫くの間は、穏やかな日々が続いた。

 エレナには、再び近衛隊の内示が下され、栄光の日々が戻って来た様だった。だが、それも長くは続かない。
 女神に感謝を捧げる為に、王都の神殿へエレナが訪れた時の事だった。滅多に顕現しないラアルフィーネが、神殿に降り立つ。そしてエレナの姿を見ると、女神は言い放つ。

「丁度いいわ。貴女、グレイラスの時にいた子よね。手を貸して頂戴」

 眩い光に包まれ、エレナは目を閉じる。そして目を開いた時に映った景色は、神殿では無く密林だった。何もわからず、ただ茫然とエレナは立ち尽くす。
 
「何ニャ。何が起こったニャ。ここどこニャ。女神様はどこ行ったニャ」

 辺りを見回しても、ラアルフィーネの姿は無い。困惑顔のエレナは無意識に、耳をあちこちに向ける。人間より遥かに優れた聴力を持つ、キャットピープルであるエレナの耳に、様々な音が届く。

 その音の中には、薄っすらと話し声の様に似た音がする。エレナは、藁をも掴む思いで、音のする方角に走る。
 しかし、そこでエレナが見たのは、体の大きい見た事の無い化け物が、体の小さい化け物を、滅多打ちにしている所だった。

 大きい化け物は、何か言っている様だが、エレナには理解が出来ない。小さい化け物は、ぐったりとし意識を失っている。そして体の大きい化け物は、笑っているようにも感じる。その光景を見たエレナは、無性に怒りを感じた。

「止めるニャ! 何をしているニャ! 下らない事はよすニャ!」

 エレナは、小さい化け物を庇う様に、大きい化け物との間に割って入る。自分でも何をしているかわからない。ただ腹が立って、体が勝手に動いた。
  
 大きい化け物は、エレナを睨み付けると、棍棒を振りかざした。

 エレナのおよそ二倍は有る身長の化け物から、棍棒が振り下ろされる。エレナは、頭上から迫る棍棒を避ける事無く、即座に化け物との間合いを詰める。
 エレナはこん棒を掴むと、振り下ろされる勢いを利用して、背負い投げの要領で大きい化け物を投げ飛ばす。大きい化け物は宙を舞い、大きな木に叩きつけられて呻き声を上げた。

 続いて、二体目の大きい化け物が、棍棒を振るう。エレナは剣を抜いて棍棒を薙ぎ払う。そして間合いを詰めると、柄で首元を殴りつける。大きい化け物は呼吸が止まり、苦しそうに膝を付いた。
 
 更に、三体目の大きな化け物が迫る。エレナは剣先で、大きな化け物の目を突いて怯ませる。そして顎を蹴り上げ、後方に大きく弾き飛ばした。
 続いて、四体目、五体目と二体の大きい化け物が、迫って来る。しかし、エレナは怯む事は無く、的確に急所を突いて、大きい化け物にダメージを与えた。

「まだやるかニャ? これ以上は、命を貰うニャ! お前等に誇りが有るなら、かかって来るニャ!」

 エレナの言葉は通じていない様子は、見て取れる。しかし、エレナは相手を睨め付ける。エレナの闘志に怯んだのか、大きい化け物はエレナの前から、逃げる様に去っていった。

 大きい化け物を追い払ったエレナは、少し息を整えると小さい化け物を見やる。死んではいない様だが、息も絶え絶えの状況である。軍で一通りの応急手当を学んだとはいえ、エレナは化け物の治療をした事が無い。
 そもそも、エレナは体術や剣術は得意だが、魔法は不得手で回復魔法が使えない。エレナが逡巡していると、事態は更にややこしくなる。

 突然に辺りの木が、蔦を伸ばして小さい化け物を持ち上げ、密林の中に運んでいった。次々と小さい化け物が運ばれていく姿を、エレナは唖然と見ているしか出来なかった。

 何が起きているのか。自分は何に巻き込まれたのか。状況がわからず、慌てふためくエレナに、蔦が伸びる。
 次々と伸びて来る蔦を、エレナは必死に剣で切り裂いた。切っても、あらゆる箇所から蔦が伸びて来る。エレナは、飛び回り蔦から避けるが、逃げきれずに足を絡め取られる。
 
 だがエレナは、諦めずに絡まった蔦を切り、逃げ延びようとする。しかし、蔦も諦めない。やがてエレナは、ぐるぐる巻きに拘束される。剣も蔦に取り上げられた。

 そしてエレナは、密林の奥へと運ばれて行く。

「離せニャ、離せって言ってるニャ。後で酷いニャ」

 ジタバタともがくが、蔦の拘束は解かれない。やがて、聞き覚えの有る声が、エレナの耳に届く。そして開けた場所が見えて来ると、見覚えの有る姿を発見する。それが、神の戦いに巻き込んだ犯人である事は、直ぐに気がついた。
 放り投げられる様に、蔦から解放されたエレナは、空中で回転し着地すると思わず叫ぶ。

「あ~! お前等、あの時の人間ニャ! お前等のせいで、大変だったニャ! どうしてくれるニャ!」

 幸と不幸が繰り返し訪れるエレナの人生において、いま最大の苦難が訪れ様としていた。