叫び声が静まった頃、辺りの景色は様変わりしていた。
見渡す限りの木々、日は碌に当たらず薄暗い。そして空気は、じっとりと重かった。気温はラフィスフィア大陸と、然程変わらない。熱いというよりは、空気が流れない為、息苦しいという感じだ。
少しジャングルを思い出し、ペスカはただ唖然としていた。
冬也は状況がわからずも、泰然と辺りを見回している。
初めてこの世界に来た時と、似た様な状況だ。だが落ち着いているのは、実戦の経験に拠る所が大きいのだろう。
そして周囲を確認した冬也が、茫然自失のペスカに声をかける。
「おい、ペスカ。しっかりしろよ。今の所、何の気配もねぇけど、何が出るかわからねぇんだろ」
まともな言葉に違いは無いが、冬也の口から放たれる事に、今のペスカは少し怒りを感じた。
「あのさ、お兄ちゃん。何言ってんの? 何でやる気満々なの? 馬鹿なの?」
「ペスカ。何か怒ってんのか? 兄ちゃんなら、いつでも悩みを聞いてやるぞ」
「あ~っもう! どうせ来なきゃ行けないなら、準備をする時間くらい欲しかったよ」
「でもよ。いつも乗ってる車。あんなデカいの、ここじゃ走らせられないぞ」
ドラグスメリア大陸は、何の準備も無く訪れたい場所では無かった。
勿論、ペスカにとって快適な居住空間の確保は必須なのだろう。しかし、問題はそれだけではない。この大陸に住んでいるのが、魔獣である事だ。
ペスカは、ドラグスメリアの魔獣と、コミュニケーションを取った事は無い。当然だ、ドラグスメリア大陸に人間が行かないのと同じく、ラフィスフィア大陸に来る事は無い。書物で得られる知識とて、概要的な物ばかり。それでは、『知っている』とは言えない。
そもそも、モンスターと魔獣の大きな違いは、知性が有るか無いかである。
モンスター化は、マナの暴走により発症する。そして知性を失い、ただ本能のまま他者を襲う。対して魔獣は、生きる為に他者を喰らい、常に武と知恵を磨き続ける。
魔獣の世界では、力の有無では優劣が付けられない。知恵の優劣でも、生き残る事が難しい。
体が大きく力が強い魔獣は、優れた体躯で他者を圧倒する。しかし力の無い魔獣は、集団で行動し、戦術を持って敵を倒す。マナを自在に操り、魔法を使う魔獣も存在する。
ドラゴンを頂点とした、力こそ正義の世界の中では、弱者は唯の食物となる。それは戦いの歴史により作られていった、絶対的な秩序である。
だが、そこには誇りが存在する。
勝者は、敗者を決して慰み物にしない。そして弱者は、弱者のままで存在しない。強者に一矢報いる為に、最後まで抗う。
問われるのは武と知恵、そして勇気と信念。喰うか喰われるかの世界で、魔獣達が育てていった、独自の文化であった。
これまでペスカは、ある程度のアドバンテージを持って、戦いに望んで来た。それは、知恵や知識による準備。所謂、戦略と呼ぶものであろう。
生前のペスカは、魔法の知識により魔道具を作った。転生後のペスカには、地球の科学知識があった。
現在、そのアドバンテージは、ほとんど失ったも同然である。
今のペスカ達は、手ぶらである。魔道具の一つでさえ、持ってはいないのだ。
そもそも魔獣に関しては、種族や生態系等の知識は僅かすら無い。ドラグスメリアの地理に関しても判然としていない。
所謂、何処にどんな魔獣がいて、どんな戦い方をするのか。そんな事前情報が無い状態で、戦いに臨まなければならない。
どんな小さな魔獣だとて、油断すると命取りになる。だがその対応策は、今の所は己の肉体と能力だけ。
やはりドラグスメリアは、半ば強制的に連れて来られる場所では無かった。
だが、このままペスカが流されるままに、終わる事は無い。
ペスカは、大きく息を吸い込んだ。すると、スイッチを切り替える様にして、ペスカは自身の気持ちを切り替える。
予定外だったとはいえ、来てしまったものは仕方が無い。このまま呆けていては、例え半神である冬也でさえ、危険が及ぶかもしれない。それは、絶対に許されない。
「仕方ない、行くよお兄ちゃん。先ずは現状の把握からだね」
「おう! いつものお前らしくなってきたな」
強引に連れて来られたため、便利な移動手段が無い。自分の足で調べて、現状を確かめるしかない。だが言い換えれば、これこそが冒険なのだ。
右も左もわからない場所で、ペスカと冬也は一歩を踏み出した。
思えば翔一の探知は、便利だった。空のオートキャンセルには、助けられた。ふと、日本に帰った仲間の事が、ペスカの脳裏に蘇る。
だがペスカは、首を振る。今出来る事を考えよう、無いものを欲しがっちゃ駄目だ。
どこに向かえば良いかもわからない状況で、二人はただ漠然と前に進み続ける。手掛かりを探す様に、一歩一歩を踏みしめる。
ペスカは慣れない神気を操り、自信に結界を張る。冬也は、神気を薄く引き伸ばす様に周囲に広げ、探知を行った。
そこは密林だけに、多くの生き物の息吹を感じる。だがそれは魔獣では無く、小動物や昆虫等のものだった。
もしペスカが使用したのが、神気ではなくマナで有ったら、思わぬ所で襲撃を受けていたかも知れない。
密林の木々達も尋常では無かった。油断をすれば蔦で絡めとられる。虎視眈々と狙いを定めて獲物を狙う。
木々だけでは無い。虫や小動物も、獲物を狙い息をひそめる。二人の神気に怯え、手を出してくる気配は無いが、油断をしていい状況でも無い。
注意深く周囲を探りながら、ペスカと冬也は歩みを進める。ペスカは進みながら、自分の知り得る限りのドラグスメリアに関する情報を、冬也に伝えた。冬也は、辺りに警戒を払いながらも、しっかりと理解に努めた。
「なぁ、ペスカ。一番弱っちいのは、何食って生きてんだ?」
「多分、小動物とかでしょ。さっきから、ねずみや蛇とかがけっこう出て来てるし」
「そっか。なぁ、そう言えば魔獣ってのは、喋るんだろ? 俺は言葉わかんねぇぞ。ペスカは魔獣の言葉知ってんのか?」
「それについては、問題無いよ。お兄ちゃんには、言語理解の魔法をかけて有るからね」
「はぁ? 何しやがったんだ、ペスカ」
「だって、私がロイスマリアに帰る事は、決定事項だったし。お兄ちゃんを連れてった時に、わざわざ言葉を教えるのは、面倒だったし」
「魔法ってのは、常に発動してるのか? それは、魔獣の言葉も理解出来るのか?」
「え~とね。言語野に直接働きかけて、同時和訳をさせるって言ったら、わかるかな?」
「難しくて、わかんねぇよ。ペスカ」
「う~ん。どんな言葉でも、勝手に和訳してくれる機械を、脳に埋め込んでるって感じかな」
「なんか怖いぞ、ペスカ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんに、変な事をする訳無いじゃない。お兄ちゃんのお馬鹿は、単に思考を放棄してるだけだから」
「もしかして馬鹿にしてるのか、ペスカ。兄ちゃんだって、傷つく事はあるんだぞ」
鬱蒼とした森の中で、二人が感じるのは『恐怖』では無く『心細さ』であろう。注意を払いつつも、次第と会話は増えていく。
数時間は進んだだろうか。突然に冬也が、ペスカに合図を送る。
「ペスカ、右の方角に変な気配を感じる。わかるか?」
ペスカは遠目の魔法で、冬也の指さす方角を見つめる。目を凝らして探すと、確かに人ならざる者の影を複数、見つける事が出来た。
「あ~。あれって、ゴブリンとトロールだね」
「ゴブリンって、ちっこい奴で、トロールはでっかい奴だな。兄ちゃんもそれ位は知ってるぞ」
「あ~、もうそれで良いや。んで、ゴブリンが、複数のトロールに襲われてるって感じかな」
ペスカは、冬也の適当な理解なんてどうでも良く、事態に不可解さを感じていた。それが声色に現れたのだろう。冬也はペスカの反応に疑念を感じた。
「ペスカ。ここは、戦いの大陸なんだろ。何かおかしい事でも有んのか?」
「私の理解が正しければ、強い奴が複数で、弱い奴を囲まないんだよ」
「どういう事だ?」
「この大陸の魔獣達は、誇りを持って戦うからね」
「要するに、虐めはしないって事か?」
「まぁ、そんな所だよ。お兄ちゃんにしては、良く出来ました」
「ペスカ。そんなら、いっちょ」
「助けますか!」
ペスカと冬也は、視線を交わした後に、走り出す。ドラグスメリアで、初の遭遇戦が始まった。
見渡す限りの木々、日は碌に当たらず薄暗い。そして空気は、じっとりと重かった。気温はラフィスフィア大陸と、然程変わらない。熱いというよりは、空気が流れない為、息苦しいという感じだ。
少しジャングルを思い出し、ペスカはただ唖然としていた。
冬也は状況がわからずも、泰然と辺りを見回している。
初めてこの世界に来た時と、似た様な状況だ。だが落ち着いているのは、実戦の経験に拠る所が大きいのだろう。
そして周囲を確認した冬也が、茫然自失のペスカに声をかける。
「おい、ペスカ。しっかりしろよ。今の所、何の気配もねぇけど、何が出るかわからねぇんだろ」
まともな言葉に違いは無いが、冬也の口から放たれる事に、今のペスカは少し怒りを感じた。
「あのさ、お兄ちゃん。何言ってんの? 何でやる気満々なの? 馬鹿なの?」
「ペスカ。何か怒ってんのか? 兄ちゃんなら、いつでも悩みを聞いてやるぞ」
「あ~っもう! どうせ来なきゃ行けないなら、準備をする時間くらい欲しかったよ」
「でもよ。いつも乗ってる車。あんなデカいの、ここじゃ走らせられないぞ」
ドラグスメリア大陸は、何の準備も無く訪れたい場所では無かった。
勿論、ペスカにとって快適な居住空間の確保は必須なのだろう。しかし、問題はそれだけではない。この大陸に住んでいるのが、魔獣である事だ。
ペスカは、ドラグスメリアの魔獣と、コミュニケーションを取った事は無い。当然だ、ドラグスメリア大陸に人間が行かないのと同じく、ラフィスフィア大陸に来る事は無い。書物で得られる知識とて、概要的な物ばかり。それでは、『知っている』とは言えない。
そもそも、モンスターと魔獣の大きな違いは、知性が有るか無いかである。
モンスター化は、マナの暴走により発症する。そして知性を失い、ただ本能のまま他者を襲う。対して魔獣は、生きる為に他者を喰らい、常に武と知恵を磨き続ける。
魔獣の世界では、力の有無では優劣が付けられない。知恵の優劣でも、生き残る事が難しい。
体が大きく力が強い魔獣は、優れた体躯で他者を圧倒する。しかし力の無い魔獣は、集団で行動し、戦術を持って敵を倒す。マナを自在に操り、魔法を使う魔獣も存在する。
ドラゴンを頂点とした、力こそ正義の世界の中では、弱者は唯の食物となる。それは戦いの歴史により作られていった、絶対的な秩序である。
だが、そこには誇りが存在する。
勝者は、敗者を決して慰み物にしない。そして弱者は、弱者のままで存在しない。強者に一矢報いる為に、最後まで抗う。
問われるのは武と知恵、そして勇気と信念。喰うか喰われるかの世界で、魔獣達が育てていった、独自の文化であった。
これまでペスカは、ある程度のアドバンテージを持って、戦いに望んで来た。それは、知恵や知識による準備。所謂、戦略と呼ぶものであろう。
生前のペスカは、魔法の知識により魔道具を作った。転生後のペスカには、地球の科学知識があった。
現在、そのアドバンテージは、ほとんど失ったも同然である。
今のペスカ達は、手ぶらである。魔道具の一つでさえ、持ってはいないのだ。
そもそも魔獣に関しては、種族や生態系等の知識は僅かすら無い。ドラグスメリアの地理に関しても判然としていない。
所謂、何処にどんな魔獣がいて、どんな戦い方をするのか。そんな事前情報が無い状態で、戦いに臨まなければならない。
どんな小さな魔獣だとて、油断すると命取りになる。だがその対応策は、今の所は己の肉体と能力だけ。
やはりドラグスメリアは、半ば強制的に連れて来られる場所では無かった。
だが、このままペスカが流されるままに、終わる事は無い。
ペスカは、大きく息を吸い込んだ。すると、スイッチを切り替える様にして、ペスカは自身の気持ちを切り替える。
予定外だったとはいえ、来てしまったものは仕方が無い。このまま呆けていては、例え半神である冬也でさえ、危険が及ぶかもしれない。それは、絶対に許されない。
「仕方ない、行くよお兄ちゃん。先ずは現状の把握からだね」
「おう! いつものお前らしくなってきたな」
強引に連れて来られたため、便利な移動手段が無い。自分の足で調べて、現状を確かめるしかない。だが言い換えれば、これこそが冒険なのだ。
右も左もわからない場所で、ペスカと冬也は一歩を踏み出した。
思えば翔一の探知は、便利だった。空のオートキャンセルには、助けられた。ふと、日本に帰った仲間の事が、ペスカの脳裏に蘇る。
だがペスカは、首を振る。今出来る事を考えよう、無いものを欲しがっちゃ駄目だ。
どこに向かえば良いかもわからない状況で、二人はただ漠然と前に進み続ける。手掛かりを探す様に、一歩一歩を踏みしめる。
ペスカは慣れない神気を操り、自信に結界を張る。冬也は、神気を薄く引き伸ばす様に周囲に広げ、探知を行った。
そこは密林だけに、多くの生き物の息吹を感じる。だがそれは魔獣では無く、小動物や昆虫等のものだった。
もしペスカが使用したのが、神気ではなくマナで有ったら、思わぬ所で襲撃を受けていたかも知れない。
密林の木々達も尋常では無かった。油断をすれば蔦で絡めとられる。虎視眈々と狙いを定めて獲物を狙う。
木々だけでは無い。虫や小動物も、獲物を狙い息をひそめる。二人の神気に怯え、手を出してくる気配は無いが、油断をしていい状況でも無い。
注意深く周囲を探りながら、ペスカと冬也は歩みを進める。ペスカは進みながら、自分の知り得る限りのドラグスメリアに関する情報を、冬也に伝えた。冬也は、辺りに警戒を払いながらも、しっかりと理解に努めた。
「なぁ、ペスカ。一番弱っちいのは、何食って生きてんだ?」
「多分、小動物とかでしょ。さっきから、ねずみや蛇とかがけっこう出て来てるし」
「そっか。なぁ、そう言えば魔獣ってのは、喋るんだろ? 俺は言葉わかんねぇぞ。ペスカは魔獣の言葉知ってんのか?」
「それについては、問題無いよ。お兄ちゃんには、言語理解の魔法をかけて有るからね」
「はぁ? 何しやがったんだ、ペスカ」
「だって、私がロイスマリアに帰る事は、決定事項だったし。お兄ちゃんを連れてった時に、わざわざ言葉を教えるのは、面倒だったし」
「魔法ってのは、常に発動してるのか? それは、魔獣の言葉も理解出来るのか?」
「え~とね。言語野に直接働きかけて、同時和訳をさせるって言ったら、わかるかな?」
「難しくて、わかんねぇよ。ペスカ」
「う~ん。どんな言葉でも、勝手に和訳してくれる機械を、脳に埋め込んでるって感じかな」
「なんか怖いぞ、ペスカ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんに、変な事をする訳無いじゃない。お兄ちゃんのお馬鹿は、単に思考を放棄してるだけだから」
「もしかして馬鹿にしてるのか、ペスカ。兄ちゃんだって、傷つく事はあるんだぞ」
鬱蒼とした森の中で、二人が感じるのは『恐怖』では無く『心細さ』であろう。注意を払いつつも、次第と会話は増えていく。
数時間は進んだだろうか。突然に冬也が、ペスカに合図を送る。
「ペスカ、右の方角に変な気配を感じる。わかるか?」
ペスカは遠目の魔法で、冬也の指さす方角を見つめる。目を凝らして探すと、確かに人ならざる者の影を複数、見つける事が出来た。
「あ~。あれって、ゴブリンとトロールだね」
「ゴブリンって、ちっこい奴で、トロールはでっかい奴だな。兄ちゃんもそれ位は知ってるぞ」
「あ~、もうそれで良いや。んで、ゴブリンが、複数のトロールに襲われてるって感じかな」
ペスカは、冬也の適当な理解なんてどうでも良く、事態に不可解さを感じていた。それが声色に現れたのだろう。冬也はペスカの反応に疑念を感じた。
「ペスカ。ここは、戦いの大陸なんだろ。何かおかしい事でも有んのか?」
「私の理解が正しければ、強い奴が複数で、弱い奴を囲まないんだよ」
「どういう事だ?」
「この大陸の魔獣達は、誇りを持って戦うからね」
「要するに、虐めはしないって事か?」
「まぁ、そんな所だよ。お兄ちゃんにしては、良く出来ました」
「ペスカ。そんなら、いっちょ」
「助けますか!」
ペスカと冬也は、視線を交わした後に、走り出す。ドラグスメリアで、初の遭遇戦が始まった。