翔一の眼前に、木剣を持ったトールが立つ。他の兵とは明らかに違う強者の雰囲気に、翔一の顔が引き締まる。

「少し休んだ所で、体は満足に動かせないはず。それでも見せる貴殿の闘志、見事だ!」
「トールさん」
「貴殿は、戦う事に必要なのは何だと思う?」

 翔一は、直ぐには答えられずに逡巡する。

「私は覚悟だと思ってる。それをペスカ殿と冬也殿に教えられた。そしてシグルド殿が、私に示してくれた。私は弱い。シグルド殿に遠く及ばない。東の三将には、勝負にすらならんだろう。だが、この国を守りたい。その覚悟は、誰にも負けないつもりだ」

 トールは、翔一の瞳を真っすぐ見つめて話す。その視線は逸らしてはいけない。そんな気がした翔一は、トールの瞳を見つめ返した。
 
 トールの言わんとしている事は、理解しているつもりだ。ペスカと冬也の傍で戦ってきたのだから。二人の背中を見てきたのだから。
 トールの事情、特に帝国で何が有ったのかは、ペスカ達から聞いている。祖国を失った彼に、ここまで言わせるのだ。恩に報いる為だけでは、計り切れない思いが有るのだろう。

「技術や力は、手段でしかない。貴殿の戦い方をみせて貰おう。行くぞ!」

 トールは木剣を両手で握る。左手が下、右手が上の剣道と同じ握り方である。そしてトールは、ゆっくりと上段に構えた。
 
 この世界の人間は、欧米人の様に体格がいい。高い身長で構えた上段には、迫力がある。しかし、相手の動きに臨機応変に対応するには、中段で構えるのが一般的であろう。それは、西洋刀であろうが、日本刀であろうが変わりはない。

 上段で構えれば、それだけ隙が生じる事になる。トールは理解した上で、その構えを取ったのだろう。
 それは、これが単なる試合ではない事を意味している。先の言葉通り、トールは戦いにおける覚悟を示したのだ。
 
 先の先。所謂、仕掛け技である。真っ向から攻撃の意志を示すトールは、遠間から素早く翔一の間合いに入り、木剣を勢いよく振り下ろす。
 対して翔一は、後の先。振り下ろされた木剣に反応し、トールの左手側に避ける。しかしトールは、翔一が死角に避ける事を見越して、木剣の軌道を変えて横薙ぎに切り払う。
 
 避けようとした翔一を追いかける様に、トールの木剣が迫る。受け止めれば、木剣ごと吹き飛ばされる。咄嗟に判断した翔一は、後ろに飛んで木剣を躱した。
 トールの攻撃は終わらない。逆袈裟で斬る要領で、踏み込みつつ木剣を振り上げる。翔一は、トールの逆袈裟を受け流しつつ、開いた右の胴を払う様に木剣を振る。トールは負けずに、流された木剣を上から振り下ろす。
 
 翔一の木剣が、一瞬早くトールに届いた。しかし翔一の木剣は、直ぐに打ち落とされた為、僅かなダメージしか与える事は出来なかった。
 近間のままでは、思わぬ反撃を食らう可能性が有る。翔一は素早く、トールとの間合いを取った。
 
「軽いぞ、翔一殿! それでは、真剣でも誰も殺せん!」
「違う! 殺す必要なんか無い! 僕が身に付けたのは、負けない戦い方! 守る為の力だ!」

 トールが翔一との間合いを詰めようと、一歩踏み出した時だった。トールの視界が、大きく歪んだ。ぐらりと揺れた次の瞬間に、トールは片膝をついた。
 そして翔一は、トールの眼前に木剣を突き出す。

「これで、僕の勝ちですね」

 呆気に取られた様な顔で、トールは翔一を見上げた。

「翔一殿、何をした?」
「簡単な事です。木剣に纏わせたマナで、中枢神経を刺激させて貰いました。視界が揺れたのは、そのせいです」
「チュウスウ? 言葉の意味はわからん。しかし見事だ、翔一殿」

 トールが翔一に賛辞を贈った瞬間に、兵士達から割れんばかりの拍手が起こった。
 それからの翔一は、トールに戦いで行った絡繰りをしつこく聞かれ、兵達から引っ切り無しに手合わせを請われた。
 
 トールとの試合に勝利した事により、兵士達の中で翔一の株が一気に上がる。
 翌日からの戦闘訓練では、兵士達から指導を請われた。そして日を追うごとに、筋肉痛が和らいでいく。その頃には、過酷なランニングでさえも、翔一は先頭で走れるようになっていた。
 その姿は、傍から見ても堂々たるものだった。

「どうです、クラウス殿」
「そうだな、トール殿。貴殿の見立ては間違いない様だ。私からも、陛下に進言しよう」
「クラウス殿、彼は逸材だと思います。シグルド殿が抜けた穴は、彼なら埋められるのでは?」
「比較対象が悪い、シグルドは天才だ。比べられたら、彼が可哀想だ。彼はまだ甘さが残るが、伸びしろは充分だと思う。では、外堀も埋めるとしようか」
「クラウス殿、どちらへ?」
「決まっている。ペスカ様の所だ」

 そして数日が経ち、筋力トレーニングで汗を流す翔一の下に、ペスカが訪れる。

「おぉ。頑張ってるね、翔一君。ちょっと筋肉がついたんじゃない?」

 丁度、休憩をしていた翔一は、汗を拭いながらもペスカに答える。

「ペスカちゃん。どうしたの?」
「別に、どうって事は無いけど。実は翔一君に、悪い知らせと、悪い知らせが有ります」

 今更ぶり返すつもりは無い。訓練に参加したおかげで、鍛えられたのは事実なのだから。しかし、再び振り回される予感に、翔一は頭が痛くなる。
 
「両方悪いなら、聞きたくないよ、ペスカちゃん」
「なら仕方ない。無理にでも連れてくか」
「ちょっと、ペスカちゃん。どういう事?」
「魔法研究所が忙しいんだよ。翔一君は、暫くマルス所長の助手ね」
「はぁ? ペスカちゃん、僕を鍛えるつもりだったんでしょ?」
「最初はね。でも、気が変わったの。ほら、行くよ」

 ペスカは、翔一の襟首を掴んで、引っ張ろうとする。流石の翔一も、ペスカの手を払い除けて、自分の足で歩き始めた。
 
「あぁ、言っとくけど、訓練は続けるんだよ。朝のランニングと、午前の筋力トレーニングには参加する事。午後から夜まで所長の助手。いいね、翔一君」

 王立魔法研究所は、訓練施設の近くに存在している。簡単に言うが、ハードスケジュールに間違いはないだろう。嫌な予感が的中したと、翔一は頭を押さえながら、ペスカの後に続いて歩いた。

 数日前に訪れた時には、気が付かなかった。研究所に隣接した広大な敷地には、仮設の建物が立ち並び、多くの人が集まっていた。
 研究所内は、研究員が所狭しと走り回っており、酷く騒然としている。二階に上がると、魔石にマナを注入する冬也の姿があった。翔一に気が付いた冬也は、笑顔で手を振る。

「おぉ、翔一。何かわりぃな、忙しいんだろ? ってお前、何か変わったか?」
「冬也。それ、ペスカちゃんにも言われたよ」
「そっか。聞いたぞ、楽しそうな事やってるって。代わって欲しいぜ」
「あぁ、そうだろうね。冬也は体を動かして無いと、途端に元気が無くなっていくからね」

 苦笑いをして、冬也へ応える翔一に、ペスカから声が掛かる。

「ちょっと、翔一君。忙しいんだから、雑談しないで! お兄ちゃんは作業に集中しないと、晩御飯抜きだからね!」
 
 少し顔を青くして、冬也は作業に戻る。更に嫌な予感が膨れ上がる翔一は、肩を落としながらペスカの後に続いて歩いた。
 階段を上がっていくと、多くのドアが見えてくる。三階に到着し、一つの部屋に到着する。ペスカはノックもしないで、当たり前の様に中に入る。室内は雑然としており、老紳士が机の上で頭を掻きながら、書類を書いていた。

「やっと来たか、ペスカ。彼が、君の言っていた助手か?」
「うん。翔一君って言うんだよ。後、よろしくね」

 老紳士は、少しだけペスカを見やると、直ぐに書類へ視線を戻す。そしてペスカも忙しいのか、翔一に構う事なく直ぐに部屋を出る
 翔一は、訳がわからず立ち尽くす。しかしその態度は、マルスから怒声を受ける事になる。

「何をボケっとしている。忙しいのだぞ。君はペスカと同郷なのだろ?」
「えぇ、そうですが。僕は何をすれば?」
「そんな事を一々聞くのか? ペスカは寝る間も惜しんで、メルドマリューネ兵の治療をしているのだぞ! あの子は、君を連れて来る為に、わざわざ時間を割いたのだ。今も、実験場の仮設建物に戻っただろう」

 自分が訓練をしていた間に、ペスカは寝食を惜しんで敵兵を救っていた。翔一が自分の為に時間を使っていたのと違い、ペスカは人の為に時間を使っていたのだ。駆けずり回っているペスカを想像すると、翔一は身震いする様な思いに駆られる。

 それは、冬也も同じなのかもしれない。冬也は珍しく疲れた顔をしていた。冬也は自分が疲れていても、人を気遣う奴なのだ。だからいつも見逃してしまう。相当、労力が必要な仕事なのだろう。
 
 自分はペスカの様な知識はない。ペスカの作った機械で、治療を手伝う事は出来ないだろう。なら、せめて冬也の手伝い位は出来るのでないか。そして翔一の口から出た言葉は、マルスに叱咤される事になる。

「では冬也を手伝い、マナの供給をすればよろしいですか?」
「馬鹿者! 普通の人間にあんな事をさせられるか! あれは底なしのマナを持っている、冬也だから出来るのだ。あいつが、どれだけの魔石を作っていると思っている。あいつのおかげで、記憶植え付けが捗るし、治療院の施術もどれほど進んだか。当然、東の国々にも渡っている」
「では、何をしろと?」

 首を傾げる翔一に、マルスが叱咤する勢いで言い放つ。

「君は、頭脳明晰と聞いていたんだが、違うのか? ペスカから、何も聞いてないのか? 君は私の助手だ!」

 何を勘違いしていたのか。そう、確かにペスカは言っていた。同じようにマルスも言っていた。助手であると。しかし、助手と言っても、書類の片付け等で呼んだ訳ではあるまい。であれば、現代の知識か? ハッと気がつく翔一をみて、マルスはニヤリと笑う。
 
「私の所には、多くの依頼案件が来ている。君なら、冬也の馬鹿と違って多少の知恵を持っているだろう? それを貸してくれ」

 こうして、翔一の忙し日々が始まった。
 日本に帰還までの間、朝から昼まで兵達と訓練。午後から夜遅くまで、マルスの手伝い。
 この忙しい日々は、翔一の心と体を、より逞しく成長させていく。帰還後の高校生活が、生温く怠惰と感じる程に。