ロメリアが神気を開放し、自分の神域を消し飛ばした。

 そもそもこの神域は、クロノスがロメリアを匿う為に、地上とは空間を隔て作り上げたものである。当初は何も無い空間であった、そこに邪気が溜まり神域へと昇華した。

 隔てられた空間を繋ぐのは、意図的にゲートを開くしか方法は無い。しかし、解放されたロメリアの神気は、隔てられた空間の壁を捻じ曲げ、地上に多大なる影響を及ぼした。
 旧メルドマリューネの首都は、この瞬間に崩壊した。数キロに渡り瓦礫の山が広がり、首都の中心である城も、当然の様に消し飛んでいた。

 瓦礫の山に立つのは、禍々しい瘴気を身に纏った一柱の神だけ。顔を歪め、割けた様な口で高笑いをしていた。

「ほら、やっぱり。やっぱりだよ。僕は間違ってない。間違ってないよ。ハハ、ハハハ、ハハハハハ、ハハハハハハハ。死んだ! 死んだよ、やっと殺した。忌々しいクソガキなんか、僕の力があれば、ゴミ屑同然なんだ。フィアーナ! お前の希望は潰えたぞ!」

 ロメリアは、瓦礫の山を見渡すと手を翳す。

「我が元へ還れ、愛しい忌み子達よ」
   
 瓦礫の山に埋もれていたモンスター達が、肉体を失い邪気に変わる。そして、吸い込まれる様に、ロメリアの中に入っていった。
 ロメリアを包む瘴気は、邪気を吸い込み益々膨れ上がっていった。
 
 ロメリアは、ゆっくりと歩き出す。浄化された大地を再び、邪気で埋め尽くす為に。
 残された足跡は一瞬にして腐り、きつい臭気を漂わせる。邪神から溢れ出る瘴気に触れると、周囲の空気は加速的に禍々しさを取り戻す。

 ロメリアが歩みを進める毎に、世界が壊れていく。大地が、大気が、空が、侵食されていく。
 狂気的な笑みは、更に深みを増す。

 自分の楽しみを尽く潰していった、憎いガキ共をようやく殺したのだ。神々が作り上げた世界が壊れていく事は、この上もない喜びである。
 ロメリアの高揚感は、最高潮に達している。待ち望んでいた瞬間が、今ここにある。踏み出す一歩に、最高の喜びを感じていた。

「あは、あはヒャヒャ! あ゛~、あ゛~。ざいごぅおうだぁ。イャグゥギャハュハハはは」
 
 その口から放たれる言葉は、既に呂律を失くす。ロメリアは、思考を放棄して愉悦に浸っていた。恍惚の表情を浮かべながら、ロメリアは嚙みしめる様に、歩みを進める。

 足跡を見れば確信に変わる、もう世界は自分の物だと。原初の神すら、もう自分には敵わない。もう敵はいない。自分を止める事は、誰にも出来ない。

 だが、ロメリアは、気が付くべきだった。

 自分が誤解をしている事に、自分が見落としている事に。勝利への道を確実にする為には、思考し続けるべきだった。その慢心が、己の足元を揺るがす事に、気が付くべきだった。

 盲目的に信じた勝利の確信を、揺るがそうとする者が、まだそこには残っていた。
  
「止まりなさい! それ以上は行かせない!」

 瓦礫と化した首都に、澄んだ綺麗な声が響き渡る。それは、ロメリアに取って耳障りでしか無い。その声を追い振り返ると、一人の少女が立っている。

 見た事が有るガキだ。

 ぼんやりと記憶の片隅に有る少女を思い出そうと、ロメリアは頭を動かす。ようとして頭が働かず、記憶が蘇らない。
 どうでも良い、邪魔をするなら消し去るのみ。ロメリアは、本能的に手を翳し、少女に邪気をぶつける。だが、少女が纏う壁に阻まれて、消し去るどころか、傷一つ負わせる事が出来なかった。

 単なる偶然だ。若しくは外しただけだ。

 ロメリアは、働かない頭でそう考え、再び少女に向かい邪気を飛ばす。しかし二度目の攻撃も、少女には届かない。少女を包む壁に届くと同時に、自分の力が打ち消される。

 その時にふと、片隅で埋もれていた記憶が蘇った。

 あれは異界の地で、クソガキ共に紛れていた一人だ。何故ここにいる。いや、それ以前に何故、生きている人間がいる。まぁ良い、消えろ。
 ロメリアは、再び思考を放棄し、少女に向かって己の神気をぶつける様に飛ばす。
 
「あ゛ぁぁぁぁぁぁ~!」

 少女は雄叫びを上げ、ロメリアの神気を打ち消した。それは、ロメリアを驚かせるのに充分であった。
 今なら、大地母神すら簡単に消滅させる自信が有る。何せ、二匹のガキ共を消し飛ばしたのだから。モンスター化した生物達を、尽く取り込んだのだから。
 今はガキ共を消し飛ばした時よりも、力が強まっている。負けるはずが無い。人間一人如きを殺せぬはずが無い。
 
 あれは見た限り、ただの人間だ。あのクソガキ共と違い、特別な才を持たぬ人間のはずだ。なのに何故、自分の神気が打ち消される。何故だ、何故だ、何故だ。

 ロメリアは気がついていない。かつてそれは、自分の神気を回復させる為に、気まぐれに振りまいた力であった。しかし、同時に異端も生まれていた。少女は、悪意に呑み込まれる事は無かった。そして邪神の支配から離れ、力を己の物とした。

 たまたま起こった偶然かもしれない。取るに足らない事かもしれない。その異端の力は、土地神の神気によって強化され、試練を乗り越える度に高まり、神に対抗する力を持つまでに至っていた。

 その力は、自分に牙を剥けた。

 ☆ ☆ ☆

 異変に気が付いたのは、翔一だった。翔一は、車から出していた体の半分を引っ込め、ハッチを閉じると、空に向かって叫ぶ。

「空ちゃん、急いで結界強化!」

 咄嗟に空は、翔一の顔を見た。血相を変えた焦りの表情に、すぐさまオートキャンセルを強化して、衝撃に耐える。

 変化は直ぐに現れる。城が吹き飛び、衝撃で車が吹き飛ばされる。転がり続ける車内で、翔一は空を庇う様に抱き、空は更に結界を強めた。
 衝撃が収まった時には車は瓦礫に埋もれており、車内は物が散乱していた。戦いで疲れ切っていたクラウスは咄嗟の状況に対応できず、車内のあちこちに体をぶつけ、気を失っていた。
 
「何か来る。間違いない、これはロメリアだ」
「ペスカちゃんと冬也さんは?」
「ロメリアの瘴気が濃すぎて、わからないんだ」

 空を庇った事で、体のあちこちに打撲を受けた翔一は、痛みを堪えて周囲を探知していた。
 ロメリアの名を聞いた瞬間、空の中に東京での恐怖がまざまざと蘇る。表情はかつてない程に強張り、足はガクガク震え肌は粟立つ。

 空の心の中で、激しい葛藤が起きていた。
 怖い、とっても怖い。嫌だ、逃げたい。でも、守ると決めたんだ。抗う覚悟を決めたんだ。
 
 動け、動け、私の体、うごけ~!
 
 空は、両腿を何度も叩く。鈍い音が、何度も車内に響き渡る。やがて、ゆっくりと空は立ち上がり、翔一に告げる。
  
「工藤先輩、ペスカちゃん達が負けるはず無いんです。あいつは、私が止めます」
「無茶だ、空ちゃん!」
「無茶でもやらなくて、誰があいつを止めるんです? 世界が終わっちゃいますよ! もし、ペスカちゃん達が動けない状況なら、私が足止めしないと。希望は私が繋ぎます」

 翔一は、少し間を置いてから、怒鳴る様に空へ言い放つ。

「僕も闘う。僕にだって、まだやれる事は有る」

 翔一とて、空と同様に恐怖を感じていた。簡単に恐怖を克服する事は出来なかった。今は、命が助かっただけでも、奇跡の様な状況だろう。

 だが、やらねばならない。その想いが翔一の心を突き動かす。空の言葉が、翔一に勇気を与える。

 日本で暮らしていた時の翔一なら、考えもしなかった。恐らく、助けを待つだけで、抗う事すらしなかっただろう。翔一も空と同様に立ち上がった。

 ほんの小さな勇気。その勇気こそが、世界を救う架け橋となる。

「工藤先輩は、瓦礫をどけて下さい」
「わかった。空ちゃんは? ってそれ以上は野暮か」
「そうですよ、乙女の覚悟を見せてやります。工藤先輩は、探知を忘れないで下さいね。ペスカちゃん達が困ってるなら、助けてあげないと」
「わかってるよ。やれる事は全部やる。生き残るよ、空ちゃん」

 翔一は横転した車のドアをスライドさせ、掘削機をイメージして、車に覆う瓦礫を取り除いていく。
 やがて、二人は地上に顔を出す。そこで見たものは、禍々しい瘴気を身に纏った、おどろおどろしい神の姿。その姿を見て、二人の恐怖は更に強まる。
 足の震えは治まらない。一歩を踏み出す事すら、怖くて堪らない。それでも空は、敢然と立ち向かう。そしてロメリアの攻撃を何度も打ち消す。

 完全な計算外が起きている事に気が付いていれば、手の打ちようもあっただろう。
 ロメリアは気が付いていない。自分と空の相性の悪さを。全ての力を打ち消す能力は、邪悪な意思をも通さない。それが、例え神であろうとも。