その夜、ペスカは寝付けないでいた。原因はロイドが言った、二十年前の悪夢という言葉のせいだった。
 二十年前の悪夢とは、一人の研究家から端を発した、モンスター増殖事件である。それがとある宗教団体と絡み大陸全土に拡大していった。

 かつて多くの犠牲者を出し、大陸中を震撼させた大事件が再び起ころうとしている。それはずっと危惧していた事だった。いつか起こり得る事はわかっていた。
 何の為に転生をしたのか、何の為に日本へ転移したのか。いずれ訪れる悪夢に立ち向かう為に、様々な知識を手に入れ、準備をして来たのだ。
 それでも起こらないで欲しいと願い、一縷の望みを託して、再びこの世界を訪れたのだ。だが運命は残酷だった。
 
 ペスカの脳はグルグルと動きを止めず、いつの間にか眠れなくなっていた。

「ハァ。こんな時にお兄ちゃんがいたらな~。仕方ないか~。疲れてるだろうしな~」

 一方冬也は、一人部屋を用意され、既にベッドに身を預けていた。しかし冬也もまた、眠れずにいた。
 自分達を取り囲み、どんどんと溢れていくモンスターの異常さは、確かに気味が悪かった。だがそれよりも気になったのは、街に着くなり青い顔をし、押し黙ったペスカの事であった。
 
 二十年前の悪夢。この言葉がキーワードになっているのは、間違いがない。それから、ペスカの顔色が悪くなった。疲れているが、ペスカの様子が気になって眠れそうにない。
 ただ、ある意味では直情的であろう冬也が、悶々とした感情をただ持て余す事などは無い。そして、ベッドから起き上がると部屋を出る。そして、隣に割り当てられたペスカの部屋のドアを叩いた。

「ペスカ、起きてるか?」
「お、お兄ちゃん?」

 冬也と一緒に居たいとは思っていた。だが、疲れてるだろう冬也が、部屋を訪ねて来るとは思わなかった。驚きよりも嬉しさが勝り、ペスカの声は少し上ずる。すぐさまペスカは扉を開けて、冬也を中に入れた。

「どうしたの? 疲れてるんじゃ」
「さっきお前の様子が、変だっからさ」

 その瞬間、ペスカの目頭が熱くなる。やはり冬也は、冬也だった。一番心細い時に、傍にいてくれたのは冬也だった。辛い時に励ましてくれるのは、冬也であった。

 強者とは孤独である。しかしそれこそが人を英雄足らしめる。
 
 かつて頼れる仲間がいた。その仲間達と共に多くの兵を率いて戦った。それは正に英雄の姿だったのかもしれない。だが常に前を向き、仲間を鼓舞し先頭に立つ。それが、どれだけ過酷な事かわかるまい。
 冬也がペスカを支えたのは、何も生活面だけではない。ペスカが無条件で甘えられる存在、それこそが冬也であった。

「おい、ペスカ!」
「ぎゅーってしてくれるって言った! 撫で撫でも!」

 仕方なく抱きしめ返し、冬也はペスカの頭を優しく撫でる。暫くそうしていただろうか、ペスカは少しずつ安らぎを取り戻しつつあった。

「ペスカ、落ち着いたか?」
「駄目。一緒に寝て!」
「そこまではやるとは、言ってねぇよ!」
「やだ。一緒にいて!」

 これ以上やり取りを繰り返しても、ペスカが離れる事は無いだろう。諦めて冬也はペスカを抱えてベッドに入った。子供を寝かしつける様に、優しくポンポンとペスカの体を叩く。
 和らいだ表情を浮かべるペスカは、いつの間にか眠ってしまったのだろう。冬也の問いかけにも答えず、静かに寝息を立てていた。
 
「それでどうした? ペスカ、寝たのか? そっか。安心しろ、俺が一緒にいてやる」

 ペスカが眠りついた事を確認すると、冬也の瞼も自然と閉じていく。そして翌朝、二人はドアを叩く音が聞こえるまで、目を覚まさなかった。

 眠い目を擦りベッドから体を起こし、冬也はドアは開ける。約束通りに迎えに来たのであろう、そこには兵士が立っていた。冬也は兵士に待つ様に告げると、急いでペスカを起こした。
 冬也は元より、ペスカも今はただの日本人だ。しかし、ルクスフィア領主の客人でもある。そんな存在を前に、数分程度待たされた所で怒りを露わにする兵士はいない。
 ただ、それこそ日本人の性だろうか。二人は慌てて支度を整えて兵士に声をかける。そうして二人が外に出たのは、既に日は高く登っている。そして、腹からグゥ~と音がしても、無視をするしかなかった。
 
 昨晩は暗さ故に気が付かなかったが、街は人で溢れている。出迎えの兵士によると、周辺住民が多く避難しいる為、平時より街が混雑しているとの事だった。

 人混みを掻き分ける様に進み、ペスカと冬也は昨夜の兵舎に案内される。一際頑丈そうな扉を開け通された中には、ロイドを始めとした多くの兵士に囲まれ、立派な衣装の男がソファーに座っていた。男は、ペスカ達が入室したの確認すると、徐に立ち上がり声をかける。

「そのマナの感じ。姉上で間違いないのですね? ご帰還お待ちしておりました」
「シリウス? うゎ~、老けたね。直ぐには気が付かなかったよ、久しぶりだね!」
「もう四十は越えましたから。姉上は、随分お若くなられましたね」
「若返りだよ。良いでしょ!」
「その話し方、やはり姉上だ。あぁ、お懐かしい」
 
 シリウスは感慨深そうに、瞳をそっと拭う。ペスカはシリウスの様子を見て、柔らかい笑みを浮かべた。

「シリウス。こっちに居るのがお兄ちゃんだよ」
「貴方が義理の兄上ですか。始めまして。シリウス・フォン・メイザーと申します」
「こちらこそ始めまして。東郷冬也です」
 
 シリウスは、ペスカがメイザー家の養子となった後に生まれた、メイザー家の三男である。本来ならば家督相続権が一番遠いが、ペスカと共に兄二人を失い残ったシリウスが伯爵家を継いでいた。ペスカの死後、二十年に渡りメイザー領を治め、領民からの信頼が厚く、国王の懐刀と呼ばれるまでになっていた。

 挨拶を済ませると、シリウスはロイドに促し、兵士を退出させると席を勧める。腰を下ろすと、ペスカは早速話しを切り出した。

「それで、領主様がどうしてわざわざこんな所に?」
「姉上が戻られたと、ルクスフィア卿に聞きまして。居ても立っても居られず」
「それで、仕事ほっぽらかして来たんだ」
「全く。姉上には叶いませんな。例のモンスターの件です」

 少し溜息をつくと、シリウスは現状について語りだした。ほとんどは、昨日のロイドと変わらぬ説明であったが、一つ気になる事を語っていた。

「側近の何人か居なくなった? 関係あるの?」
「まだ何とも。何名か姿を消しており、モンスターの増加した時期と重なります。無関係とは言い切れないでしょう。現在、家宅捜索と足取りを追っている最中です」
「まさかシリウス。その側近達が、例の薬を手に入れたって事は無いよね」
「勿論、その線も含めて捜索しています。ただ、この増加傾向では、例の薬が使われているのは、ほぼ間違いないかと」
「まあ、それは調査の進展を待たないとね。ところでシリウス、現状の対策はどうなっているの?」
「モンスターの大量発生している地域には、重点的に兵士を配置し、日夜警備を行っております。都市外の住民達には、一旦都市に避難をさせております」
「他領の状況は、入ってきてる?」
「一応、王都や周辺領主には、連絡を入れております。ですが、目立った情報は入ってません」

 ペスカとシリウスが、真剣な眼差しで話し合いを続ける。会話に着いて行けず、冬也は取り残されていた。
 
 幾ら成績が悪い冬也でも、漫然と授業を受けていた訳では無い。ちゃんと理解する様に努めていたし、少ない知識を生かそうと、日常的に工夫を凝らして生活してきた。
 冬也は、ふと考えを巡らせる。調査をする場合に、何が重要になるのだろうと。そして徐に、冬也は会話に割り込んだ。

「あのさ。話の途中でわりぃんだけど。モンスターの発生パターンとか、発生が多い地域の統計は、取ってねぇの?」

 ペスカは目を皿の様にして、冬也を見つめた。まさか冬也から、こんなまともな発言が出るとは、思っていなかったのだ。

「お兄ちゃんってば、どうしちゃったの? お利巧さんに変身したの?」
「なめんなペスカ。馬鹿にし過ぎだぞ」

 シリウスは、二人の会話に少し笑うと説明を続ける。

「流石、義兄殿ですな。仰られた件はまとめてあります。モンスターが発生する、おおよその中心点を、三箇所に絞りこんでおります」
「じゃあ、その中心点を一気に制圧する?」
「姉上。それについては、些か問題が」

 シリウスは少し逡巡する。確かにその方が短期で決着がつくだろう。特にこの問題は長期化すればする程、こちらが不利になっていくのは明らかだ。しかし……。

「割ける戦力が圧倒的に足りません。つきましては、姉上にお願いがございます」

 シリウスは頭を下げる。しかし、ペスカに驚いた様子は無く、泰然としシリウスの言葉を待っていた。

「この街に駐留している部隊と合流し、中心点と思われる内の一つを、制圧して頂けないかと」

 ペスカは期待を籠めて、冬也に視線を送る。ペスカの大好きな兄ならば、こんな時の答えは一つしか無い。
 冬也もペスカに視線を向けていた。妹の願いを叶えるのに、理由は要らない。そしてペスカと冬也は、頷き合った。
  
「まぁ仕方ないね。お兄ちゃんやろう」
「あぁ! 困っているなら手を貸すぜ」
「ありがとうございます。姉上、義兄殿」

 再びシリウスは、頭を下げた。シリウスに安堵の表情が浮かぶ。そしてペスカは、昨晩とは打って変わってやる気に満ちた表情を浮かべている。しかし、問題は冬也の理解力であった。

「ところでペスカ。兄ちゃんは、根本的な事がわかって無いんだよ。さっき言ってた、薬ってな~んだ?」
「姉上、義兄殿。昼食の時間も過ぎていますし、後は昼食を取りながら。如何ですかな?」

 そして兵士用の簡素な食事を取りながら、シリウスは冬也に説明を始めた。

 二十年前の事、エルラフィア王国の国立魔法研究所に、ドルクと言う名の魔法研究家が所属していた。ある時ドルクは、一つの薬を発明した。それは体内のマナを増加させ、身体能力を大幅にアップさせる薬、通称マナ増加剤である。
 しかしこの薬は、マナが異常変異し動物がモンスター化する事が実験段階で判明した。当然、実験も研究も中止となった。しかし功を焦ったドルクは、実験を繰り返し果ては人体実験も行った。
 結果的に、ドルクは研究所を追放となり、捕縛され牢に入れられた。

 しかし問題は、それで終わりにはならなかった。その後ドルクは、牢から忽然と姿を消した。手掛かりが無いため捜索は難航する。そしてドルクが姿を消して以降、モンスターの発生が増加し始めたのだ。
 次第にモンスターの数は増大し、エルラフィア王国だけで無く、ラフィスフィア大陸全土へ爆発的に広がって行った。被害は甚大となり、大陸各国が集まり対策局を立ち上げた。

 対策局が調査した結果、モンスターの爆発的な増加は、ロメリア教という宗教団体が原因だと判明する。各国の兵を集結し、モンスターを始めロメリア教と戦い騒動は沈静化する。だが、多くの人が戦いで命を落とした。
 そして大陸各国の条約で、マナ増加剤の製造の禁止と、現存する薬の完全破棄を定めた。

「つまり、そのドルクってやつが、今回の原因ってことか?」
「違うよ、お兄ちゃん。ドルクは死んでたの。ロメリア教の本部でね」
「じゃあペスカ、誰が今回の犯人なんだ?」
「もしかしたら、ロメリア教の残党がやったのかもね」
「それって、テロみたいなもんか?」
「まあ、そういう集団だからね。ロメリア教って」

 ペスカは、深くため息をついた。そして、シリウスを見やると質問を投げかける。

「ところでシリウス、私が死んだ後、同じ様な事は起きたの?」
「ロメリア教の残党は各地に潜んでおり、要人の暗殺をしております。ただ、薬が使われた形跡はありません」
「ロメリア教がテロ組織化って、面倒な事になってるね」
「姉上、仰る通りです。周囲に平然と溶け込み、尻尾を見せる事がありません。狡猾な組織になっています」
「その側近達とロメリア教徒が、繋がってる可能性は?」
「姉上もご存知の通り、当家では雇用時の調査を徹底しております。侵入する余地は有りません。雇用後に繋がりを持つ様になったのなら、別ですが」

 ペスカとシリウスの会話を、感心した様に聞いていた冬也は、ポツリと呟く。 

「それにしても、二人とも詳しいな」
「義兄殿、姉上は対策局のトップだったんですよ。勿論、私もお手伝い致しました」
「ペスカ。お前って、なんか色々すげ~な」
「ふふん。お兄ちゃん、もっと誉めて良いんだよ」

 冬也に誉められたペスカは、ここぞとばかりに胸をドンっと叩く。

「お姉ちゃんにまっかせなさ~い! ね、お兄ちゃん」

 調子に乗るペスカに不安を感じ、冬也は大きくため息をついた。