冬也が目を覚ますと、横にはペスカの寝顔があった。二人共、昨晩は宿泊部屋に通されると、直ぐにベッドで寝てしまった。二人共、別のベッドに倒れ込んだはず。ならば冬也が眠りについた後に、ペスカはベッドに潜り込んだ。それに気が付かない程、冬也は疲れて熟睡していた事になる。

 ただ、冬也はその事を、怒る気にはなれなかった。寧ろやさしくペスカの頭を撫でた。今でも鮮明に思い返されるのは、ペスカの凄まじい魔法に、モンスターと食い散らかされた死体。昨日は異世界に来た事を、まざまざと痛感させられた一日であった。

 当たり前であるが、冬也は未成年の日本人である。戦場を経験してきた訳ではなく、血まみれの死体を見て何とも思わないほど達観していない。

「これが異世界。ペスカがいた元の世界か。結構きついな」

 映画やゲームでしか見た事が無い凄惨な光景に、流石の冬也も嘔吐した。前回の自分が、命の危険を感じた怪物をいとも簡単に倒し、死体の欠片を見ても平然としている様子のペスカに、冬也は畏怖の念を感じた。
 それと同時に、冬也は改めてペスカの凄さを認識していた。平和そのものに見えた都市部や農村部がペスカの築き上げた功績なら、どれだけ凄い事なんだろうと。

「慣れって事じゃねぇ~だろうな、多分。そんな状況に慣れざるを得なかったって所か。ったく、いつもは料理も家事も全く出来ない、だらしねぇ~奴なのにな。すげ~よほんと」

 冬也がペスカの頭を撫で続けていると、やがてペスカが目を覚ました。

「ん~。おはよ。お兄ちゃん」
「おはよ。ペスカ」
「何だか今日はやけに優しいね。ベッドに潜り込んでも怒らないし」
「まあ今日くらいはな」
「もしかしてお兄ちゃん。私の事、惚れ直した? ねぇ、ねぇ。ちゅ~して良いよ」
「馬鹿な事言ってないで起きるぞ」

 冬也は、ペスカの頭を軽く叩くと、無言でベッドから出る。

「もぉ~お兄ちゃんてば~。照れ屋さん? ツンデレ?」
「誰が、照れ屋でツンデレだ! 早く起きて支度しろ! 飯食って出発するぞ」

 別段、寝間着に着替えて寝た訳もなく、二人は起きたままの恰好で部屋を出る。そして兵士に声を掛けると、簡易的な食堂に通される。

「大変申し訳ありません。関門故、食事は兵士用の簡素な物しかございません。何卒ご容赦をお願い致します」

 兵士が持って来た簡素な食事を食べ、出発の準備を整える。そうは言っても、馬の世話や馬車の準備、荷物の管理は全て兵士がしてくれており、特別にやる事はない。冬也は、ペスカが貴族だから特別待遇なのだろうと、呑気に考えていた。

 関門には、ルクスフィアとメイザー、それぞれの領兵が駐在しており、各側で出入の審査を受ける。
 それぞれの兵士の話によると、ルクスフィア領のモンスター発生は、今の所は山脈周辺に限られている。メイザー領では、山脈周辺以外に農村部や市街地にも被害が出ているとの事であった。どちらかと言えば、メイザー領の方がモンスターの出没数が多く、兵士は対応に追われている。その為、緊急の兵士募集を行っているとの事だった。

 メイザー領に入る為にカードを見せると、やはり兵士に傅かれる。
 メイザー領側の責任者の兵士から、二人では危険だから護衛隊を呼ぶので、数日滞在して欲しいと懇願される。しかしペスカは固辞した。ならせめて連絡だけでもと、兵士は手紙を括り付けた鳥を飛ばす。そして、絶対に夜に街道を通らない様に、しつこく念を押された。
 手続き等で時間が掛かり、出発となる頃には、既に日は高い位置にあった。

 今日も私が操縦すると、いつに無くやる気に満ちるペスカ。ペスカが運転、冬也がモンスターの迎撃を担当するフォーメーションとなり出発する。

 ルクスフィア領とメイザー領は、山脈によって隔たれており、この街道は数少ない山間部を通っている。それでも山間部は、二千メートル位の高さにはなる。関門がちょうど中間地点に有る為、ここから先は下るだけになる。

「ここから私は下りのエースになるよ!」
「いや、頑張るのは馬だろ。あんまりこき使うなよ」
「大丈夫! このお馬さんはかなりタフな品種だから、山越えくらい楽勝だよ」

 ただ、呑気な会話はあまり続かず、直ぐに最初のお客さんが訪れる。ファンタジーでは定番だが、実際に見るとかなり喜色が悪い怪物である。もし日本で二本足で歩く姿を見かける事が有れば、養豚業者が腰を抜かすだろう。

「あれは、オークだね」
「二本足で歩くブタか? ブタって事は、食えるのか?」
「うん、脂っこいけど食べられるよ」

 オークがスピードを上げ近づいてくると、冬也は素早く馬車を降り剣と魔法で切り刻む。そうやってオークを倒すと、ペスカが魔法でオークの肉片を凍らせた。

「オークはこうやって凍らせておくの。非常食になるから巡回の兵士に渡したら、喜ばれると思うよ」

 続く二回目の遭遇もオークだった。同様に切り刻だ後、氷漬けにし馬車へ積む。

「なんかブタが多いな」
「もともとモンスターは、動物なんだよ。マナを吸収しすぎて、まれに変異する事があるの。もっとも、変異した小型のモンスターを食べれば、大型の肉食動物も変異する可能性はあるけどね」
「そんなの人間が食べて大丈夫なのか?」
「少量なら問題ないよ。魔法を使ってマナを消費すれば済むし」

 自然界の全ての動植物は、体内にマナを循環させている。草食動物は言うに及ばず、食物連鎖の上に大型の動物がマナを過剰摂取しても、マナの飽和でモンスターに変異する事は、通常起こらない。ペスカが異世界で生を受ける前は、年に数回しか動物のモンスター化は起こらなかった。
 しかし、二十年前に大陸中でその量が突如激増し、大問題になった。

 当時は、家畜だけでなく野生化した犬や猫、それ以外に森に生息する虫や、それを捕食する動物もモンスター化した。
 モンスター化した動物は体組織が変化し、元の姿を留めない異形な姿となる。またモンスター化すると、元が草食動物でもマナを異常に求め、人間を襲う様になる。更にモンスター同士で捕食し合った結果、キメラと呼ばれる合成モンスターが現れる事もある。先のマンティコアはその一種といえる。
 二十年前のモンスター増加は沈静化したが、ここ数日再び増え続けている言う。

 暫く馬車を進めると、聞きなれた鳴き声と共に、巨大化した鶏が現れる。冬也とて、人間の倍以上も大きい鶏を、美味しそうだとは思わない。それどころか、獰猛な眼つきと、今にも襲い掛からんとする様は、恐ろしさを感じる。

「お~。コカトリスだね珍しい。あれは焼いても食べられないからね。お兄ちゃん」
「聞いてねぇよ。食えないのは、燃やし尽くすか、埋めれば良いのか?」
「そう。上手く火魔法か土魔法を使ってね」

 そして冬也は馬車を降りると剣を抜いた。ここの所、得意な体術を使わず戦っているのは、手段を増やしたいからであろう。
 故に手に馴染む刀ではなく、クラウスから貰ったブレードソードに慣れようとしているのだ。

 距離を詰めるのは体術でも剣を使っても、方法は同じである。違うとすれば間合い。そして刀とブレードソードの違いは、攻撃の仕方に有る。
 冬也は渾身の力でブレードソードを振るい、コカトリスの足をへし折る。崩れ落ち様とする所を、すかさずコカトリスの胸を剣で貫く。
 最後はペスカに言われた通り、火の魔法で燃やし尽くした。

「因みにお兄ちゃん。コカトリスって結構強いんだよ。それを一蹴するお兄ちゃんは、ベテラン騎士も真っ青だね」
「お前の特訓のおかげだよ」
「ふふん。撫でても良いよ」

 次々とモンスターが襲来しする為、中々スムーズに街道を進む事が出来ない。途中、巡回の兵士に凍らせたオークを渡し、荷物を少し軽くしつつ、ペスカ達は道中を進む。魔法の使い過ぎで疲れた冬也を休める為、役割を交代しながら麓に下りた頃には、すっかり暗くなっていた。

 夜になると、更にモンスターの量は増加する。ランタンの光に纏わりつく蛾の様に、群がって来るモンスターをひたすら倒し、冬也だけでなくペスカも疲れ始めていた。

「くそ、間に合わねぇ。そっち行ったぞペスカ」
「うん。だいじょ、あっ! お兄ちゃん後ろ!」
「うぉ! あぶねぇ! くそ、数が多すぎる」

 次から次へと溢れかえるモンスターに、二人は対応するだけで精一杯になっていた。

「なんだよこの量。いつもこんなか?」
「これは、ちょっと異常だね。うわっ!」

 冬也は剣で、ペスカは魔法で次々と倒していくが、一向に減る気配が無くモンスターは溢れ続ける。二人だけでは対応し辛くなって来る頃には、馬車にも被害が出始める。

「お兄ちゃん、馬車に取り着いたやつお願い」
「おぅ! うわっ!」
「お兄ちゃん?」
「大丈夫。掠っただけだ」

 冬也が傷つきかけ、ペスカの怒りが沸騰し始めた。ペスカが、大魔法で一気に片付けようとした瞬間だった。遠くから、何本もの矢が降り注ぎ、次々とモンスターを撃退していく。それは、メイザー領軍の到着だった。

「お怪我は有りませんか? ご助力致します」

 領軍は、荷馬車を守る様に取り囲み、溢れるモンスターを撃退していった。

「大丈夫? お兄ちゃん」
「あぁ無事だよ。お前は?」
「私も平気」

 領軍のおかげで余裕が出来た二人は、互いの様子を確認する。戦闘を領軍に任せ暫く休んでいると、やがてモンスターの襲来が収まった。領軍は戦闘が終わると、直ぐにペスカの前にずらりと整列し、隊長らしき兵士が声を掛けた。

「連絡を受け、参上致しました。お怪我はありませんか?」
「くっ! まだ足りないと言うのか!」
「は? 何を仰っているので?」
「いや、すみません。こっちは大丈夫です。ペスカ、変なボケかますな」
「いえ、ご無事で何よりです。ここから先に街があります。そこまでご案内致します」

 隊長がそう言うと、再び領軍は馬車を守る様に囲む。ペスカは、護衛を断ろうとするが、冬也に口を塞がれる。領軍は整然と馬車を護衛し、途中出没するモンスター達を倒していった。

「ちぇっ!」
「ペスカ、舌打ちするんじゃない」
「だって、せっかく私のかっこいい所を見せつけて、お兄ちゃんから、撫で撫でプラスぎゅーを貰う、大作戦だったのに」
「そんな事なら、後でいくらでもしてやるから。大人しくしてろ」
「ほんと? 嘘ついたら、針千本刺すからね」
「そこは飲ますだろ! どっちにしろ痛いけど!」
「私にかかったらお兄ちゃんなんて、ひで部だよ!」
「どんな部活だよ! いい加減変なボケ止めてくれ。すっげ~疲れてんだよ! お前は結構余裕ありそうだな」
「多少はね。疲れてるお兄ちゃんを励ます、私は妹の鏡だね。褒めても良いよ」

 冬也が仕方なく、ペスカを撫でていると、やがて城壁が見えて来る。城砦都市の様に、堅牢な城壁に囲まれた街。周囲に、モンスターが発生する様なら、これだけの防衛姿勢も理解が出来る。

 領軍に囲まれ門を抜けると、街を碌に見る事も無く、門近くの兵舎に連れて行かれる。兵舎に入り、案内された部屋の中で、食事の提供を受けるペスカと冬也。空腹の二人は、有難く食事をする事に決めた。
 
 小腹を満たしたペスカと冬也が、椅子の上で休んでいると、老齢ながらもがっちりとした風体の、大佐と呼ばれる男が、二人に近づき挨拶をした。

「ペスカ・メイザー様でしょうか? 私はロイドと申します。この街に駐屯する隊の、隊長を申し使っております」
「私がペスカです。助勢頂き感謝します」
「ご無事で何よりでした。お二人で出発したと聞き、夕方になってもお着きにならないので、肝を冷やしました」
「ところで、モンスターの数が、かなり多いようですね。状況を教えて貰えますか?」

 ロイドが言うには、モンスターはここ数日の事で、急に異常発生し始めたとの事だ。山間部から広がり始め、今は街周辺の農村地帯に広がってる。特に深夜の出没が多く、住民や関門を通る者には、日が落ちてからの通行を止める様に、通達していた。発生の原因は、判明しておらず調査中との事だ。

「まさに二十年前の悪夢の様でございます」
「そう」

 ペスカは、一言だけ呟くと押し黙る。

「明日メイザー伯爵が、こちらへいらっしゃるご予定です。今日は宿にご案内いたします。ゆっくりとお休み下さい。明日、伯爵が到着されましたら、お迎えに上がります」

 ロイドがそう言うと、若い兵士が駆け出す。若い兵士に案内され、宿に辿り着き二人はやっと体を休ませる事が出来た。そしてその間、ペスカはずっと考え込む様に沈黙していた。