グレイラスの胴には、縦一直線の深い切り傷が刻まれる。そして、叫び声が響き渡った。地の底を揺さぶり、人の恐怖を呼び覚ます。そんな悍ましい叫び声だった。
  
「もしかしてお前、背中に怪我してんだろ。誰にやられたんだよ。神か? 違うな。てめぇが馬鹿にしてる人間だろ? てめぇみてぇな雑魚なら簡単に倒せる奴を、俺は知ってるぜ」

 冬也は少し馬鹿にする様に、笑いかける。そしてグレイラスは、呪い殺す様な目で冬也を睨み、語り始める。その声には、禍々しい怨念が宿っている。全てを呪い尽くさんとする、グレイラスの声は、空が強化し続けている結界をビリビリと震わせた。
  
「糞忌々しいガキ共だ! 貴様も、あのシグルドと言うゴミもだぁ! 我の背に傷を付けたあのゴミは、何度転生しようが、その度に殺し尽くす! それは貴様もだ!」
 
 怨念が籠った声を聞いても、冬也とペスカは少し心が弾んでいた。なぜなら、言葉の中にあった名前。その名前を聞いただけで、二人の中に熱いものが込み上げた。

 混迷の中、シグルドが生きている。しかも神に傷を付ける程、勇敢に戦った。

 道中、胸騒ぎが消えなかった。三柱の神が暴れ回っているならば、ラフィスフィア大陸は壊滅の危機なのだ。しかし、シグルドの名を聞いただけで、安堵する気持ちが沸き上がって来る。それは二人にとって、光明だった。しかしそんな希望は、一瞬で砕かれる。

「あのゴミ、アルキエルと戦ったのなら、今頃は死んでいるだろう。我がこの傷の仇を討つのは、転生後であろうな」

 グレイラスがそう言い放った時、ペスカのマナが爆発する様に増加する。冬也の神気は、ラアルフィーネが張った空間遮断を大きく震わせた。

「あんた! 口に気を付けなよ! 誰が死んだって? 誰が? あぁ? もう一度言ってみなよ!」

 ペスカは射殺す様な視線で、グレイラスを睨め付ける。

「シグルドとか言うゴミだ。もしかして知り合いか? これは傑作だ! 死んだぞ、間違いなくな!」
「糞野郎~!」

 これまでグレイラスの、禍々しい神気を抑え込んでいた魔法を破棄すると、ペスカは別の魔法を唱える。

「痛みを知らぬ愚か者へ、永劫に続く恐怖を与えよ! 滅しても消えぬ、痛みを刻みつけよ! 重苦の輪舞!」

 ペスカが魔法を唱え終わると、大地が光り輝きグレイラスを包む。グレイラスは必死の形相で、禍々しい神気を高めて光に対抗する。

「ゴァ、グ、グ、グ、ゲェ、ゴゥア~!」
 
 ペスカの放った光が、グレイラスを侵食していく。グレイラスは苦悶の表情を浮かべて、必死に堪える。そしてペスカの魔法を補助する様に、冬也は圧倒的な神気でグレイラスを抑え込む。

「おい、糞野郎! あの鬼強ぇシグルドが、負けるはずねぇんだよ! あの糞強ぇシグルドが、死ぬはずねぇんだよ! 誰が誰を殺したって? 吹かしこいてんじゃねぇぞ!」
 
 グレイラスは、ペスカの魔法に耐えきれず、段々と小さくなっていく。空間を汚染しつくした淀んだ空気が、清浄化されていく。腐食した台地が、元の緑に戻っていく。
 
「グ、グ、グ、ゴ、ゲ、ギェ、ギャ、ギャ、ギュギャ」

 シグルドに背中を斬られていなければ、状況は変わっていただろうか。少なくとも深手を負っていなければ、対等には戦えたかもしれない。

 シグルドと戦った時の様に、周囲に瘴気をまき散らしたとしらどうだろう。この場にいる亜人達は、結界に守られているとはいえ、ほとんどの者が意識を失っている。
 少なくとも、ラアルフィーネの力を少しは削ぐ事が出来たかもしれない。

 更に空を狙えば、邪魔な結界を崩壊させられたかもしれない。ラアルフィーネは、周囲の空間を遮断する事に力を注いでいるのだから。ましてや治療にあたっている翔一は、完全に無防備である。

 弱点をつくなら、幾らでも手は有った。しかし、どんな策を講じようとも、ペスカと冬也の怒りを買うのは必然であろう。そして、結果は変わらなかっただろう。

 グレイラスの過ちは、慢心である。たかが人間と侮ったが故に、背中に深手を負った。たかが半神、たかが小娘と侮ったが故に、己の存在が潰えようとしている。

 もう発声すらまともに出来ない程に、グレイラスは小さく細く変わっていく。グレイラスは本能で悟る。消滅させられると。

 痛みに悶え苦しみながら、グレイラスは逃げようと蠢く。ラアルフィーネが張った結界は、未だに健在である。何処にも逃げ場所が無い。
 グレイラスは必死に蠢く。もうこの光に耐えきれない。このままでは消されてしまう。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 グレイラスは、どんどんと小さくなっていく。呪いの力は失い、神気も残っていない。光に対抗出来ない、消えたくない、消えたくない。

「消しちまえ、ペスカ!」

 冬也は言い放つ。そしてペスカは、小さくなったグレイラスを踏みつけた。グレイラスは、初めて死の恐怖を味わった。
 ペスカがマナを強める。グレイラスは更に小さくなり、最後は手のひらに収まる球体になった。もう、グレイラスの禍々しい気配は残ってない。神気もほとんど感じられない。

 終わった。

 誰もがそう思った時、ラアルフィーネが張った結界が外側から壊された。そして、男が現れる。その男は、球体を見下ろすとニヤリと笑った。

「あ~、やっちまいやがったか。でも手間が省けたな」
「アルキエル。何故あなたがここに」
「そりゃあ、俺にも約束ってのがあるんでな」

 ラアルフィーネは、青ざめた表情を浮かべる。それに対し、アルキエルはラアルフィーネに目もくれず、ペスカの近くまで歩みを進める。
 咄嗟に球体への攻撃を止めペスカは、アルキエルと距離を取る。冬也もまた後退る様に間合いを取る。そして、威嚇する様にアルキエルを睨め付ける。

 少しでも変な動きをすれば、攻撃出来る態勢を整えていた。それはペスカも同じだろう。それにも関わらず、動けなかった。
 その動きは、わかっていて、見えていて、対処が出来ない。所謂、達人と同じだ。そして球体を拾うと懐に入れた。

「てめぇ、誰だよ」
「あぁ? 今、ラアルフィーネが言ったろ。アルキエルだよ。戦の神アルキエルだ」

 アルキエルは鷹揚な態度で、冬也に答える。

「こいつは、貰っておく。ここまで追い詰めたてめぇらには、わりぃがよ。約束なんでな」
「返せよ。そいつは、今ここで壊しとかねぇと駄目なんだよ」
「だったら、奪い返してみろよ」

 冬也は本能で理解していた。その球体が神にとって非常に重要なものであると。二度と復活させない為に、破壊しなければならないと。
 だが、その球体はアルキエルの懐に有る。そのアルキエルはこちらの警戒を容易く掻い潜り、懐に潜り込んできた。

 何なのだ。アルキエルという神は。

 ビリビリと体が震える程の神気を放ち、それでいて泰然としている。こちらの警戒も意に介していない。
 
 しかし次の瞬間、アルキエルの神気は膨れ上がる。 
 
「探したぞガキ。少しは強くなった様だな。それにグレイラスをやりやがったガキ。良いねぇ! 勿論、俺とも遊んでくれるんだろうなぁ」
「待ちなさい、アルキエル」
「止めんなよぉ、ラアルフィーネ! 俺だって、神殺しはしたくねぇんだ」
 
 ペスカ達の前に二柱目の神が立ち塞がる。神との戦いは、未だ終わりを見せなかった。