「てめぇ! 大事な子供を捨てて、こんな所で幸せってか! ふざけんじゃねぇぞ!」

 冬也から無意識に得体の知れない力が解き放たれる。本人すらわかっていない力に、クラウスや義母の肌が瞬間的に粟立った。
 本当の意味で、冬也が怒る事は滅多にない。ただ一つ言えるのは、冬也がその状態に陥れば相手は唯じゃすまない。それをよく知るペスカは、宥めようと冬也に声をかける。

「お兄ちゃん、怖いよ。怒らないで、ね」

 冬也が怒鳴り散らすのも無理は有るまい。

 義母が行方をくらましたのは、ペスカがまだ幼少の頃だった。父が不在にする事が多い家庭で、ペスカを育てたのは歳がそう変わらぬ冬也であった。
 当然ながら、毎月一定額の仕送りが父親からされる。だが、金が有ればすべて解決出来るはずも有るまい。食事、掃除、洗濯等の家事全般は、幼い冬也が全て見様見真似で行ったのだ。何度も、何度も失敗して、それらしく出来る様になったのだ。家事は、大人でさえ苦手とする者が存在すると言うのにだ。その苦労は計り知れない。

 しかし、そんな事さえ今はどうでもよかろう。

 冬也は、しなくてもよかった苦労を押し付けた事を恨んでいるのではない。無責任にペスカを放りだした事を怒っているのだ。
 これが例えば、相応の苦労をして来ただろう事を容易に想像させる様な薄汚れた恰好をしていれば、少しは溜飲もおさまっただろうか。
 それとも、顔を会わせた瞬間に大粒の涙を流していれば、怒りを収める事が出来ただろうか。

 いずれにしてもペスカの不自由と引き換えに、上等な服を着て豪華な屋敷で暮らしていると考えれば、納得が出来るはずもない。
 そんな冬也を鎮めようとしたのは、義母でもクラウスでもなくペスカであった。 

「止めてお兄ちゃん! 全部、誤解なんだよ!」
「何でだよペスカ! そいつは、お前を捨てたんだぞ!」
「だから、誤解だって。全部話すって言ったでしょ。ちゃんと話を聞いて、お兄ちゃん」

 涙目で訴えるペスカの姿に冬也は拳を緩める。勿論、クラウスが羽交い締めにしなくとも、義母をどうこうする気は更々ない。火が点いてしまったからには、消すのが容易ではないだけだ。

 ただ、ペスカが泣いている。それだけは駄目だ。駄目なんだ。

 冬也はクラウスの腕を振りほどくと乱暴に椅子に腰かけ、威嚇する様にクラウスと義母を睨めつけた。
 
「この感じだと、全員事情を知ってるんだよな! 誰が俺に説明すんだ?」
「私から説明するわね」

 義母はゆっくりと冬也の正面に座る。

「シルビアさん、あんたが娘を捨てた理由。ちゃんと聞こうじゃねぇか。納得出来なきゃ覚悟しろよ」
「良いわよ、冬也君。それで貴方の気が済むなら、幾らでも殴って頂戴!」

 恫喝する様な冬也に対し、義母シルビアは真剣な眼差しで向き合う。ペスカと同じ美しい金髪と青い瞳、顔立ちもペスカとよく似て美しい。似ていないのは、胸のサイズだろうか 
 いずれにせよシルビアの瞳は、覚悟を決めた様な意志が宿っていた。いつかこんな日が来ると、わかっていたかの様に。
 既に一触即発の雰囲気にも似た様子である。そこにペスカが割って入った。

「ちょっと待ってシルビア!」
「いいえ、ペスカ様。彼の言う事には、間違いは有りません。わたしは、罰を受けなければならないのです」
「あ~もう、お兄ちゃんといい、シルビアといい。二人共頑固なんだから! いい、お兄ちゃん! シルビアをぶっ飛ばしたら、お兄ちゃんは私がぶっ飛ばすからね! 一応シルビアは、私の母親なんだから!」

 ペスカは冬也の隣に座って、やや凄んでみる。しかし冬也に睨まれ直ぐにそっぽを向いた。それは、ペスカの本能的な回避行動だったのかも知れない。冬也が本気で怒った時は怖いのだから。
 だがシルビアは真っ直ぐに冬也の目を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

 ペスカはこの大陸で、一二を争う優秀な賢者だった。
 魔法に秀でたペスカは魔法研究の第一人者であり、農業、工業、経済まで、あらゆる物を発展させていった。ペスカの発明した物は、生まれ故郷である国を始めとして、今やあらゆる国に流通している。しかし、ペスカは元々体が弱くて、寿命も余り長くないと言われていた。
 そして、ある事件がきっかけで更に体を壊し寿命を縮めた。その事件は大陸中を巻き込む大事件に発展し、ペスカは先頭に立ち解決に導いた。

 当然ペスカは大陸中で英雄視された。だがその代償は高く、ペスカは死の淵に立たされた。そこで浮上したのが転生である。
 とある神からの提案で、記憶と経験を持ったまま転生する事を勧められた。そして、母体に選ばれたのが、シルビアであった。ペスカのマナと親和性が高いシルビアは、ペスカの魂を子宮に収め日本に転移した。

 日本に来たからと言って、安全に出産どころか生活の保障すらない。その手助けをしたのが、冬也の父である東郷遼太郎であった。
 遼太郎は、シルビアの生活を面倒を見る一方で、様々な助力をしていった。その一つが、シルビアの在留特別許可とペスカの日本国籍取得であった。その為シルビアは、遼太郎と戸籍上の婚姻を果たした。それでも、すんなり許可が下りたのは、法務省等に顔の利く遼太郎の采配によるものだった。

 ただし、シルビアはペスカの部下で有り、元の世界でやるべき事が多く残されている。せめて有る程は成長するまでと、ペスカに許しを請いながら、シルビアは日本での生活を続けていた。いずれは帰らなければならない事に、変わりがなくても。

「都合の良い話を並べたなぁ。それはペスカを捨てた理由になるのかよ?」
「私が、ペスカ様を残して帰って来れたのは。冬也君、貴方が居たからよ」 
「どう言う事だ?」
「貴方は、ペスカ様を何が何でも守ってくれる。実際に森の中でも、ペスカ様を守ってくれたでしょ? 遼太郎さんってよりは、貴方を信じたのよ。冬也君」

 納得がいかない表情の冬也を諫める様に、シルビアは優しく冬也に説明を続けた。

「転生を勧めて下さった神様から、助言を頂いてたの。日本に行ったら、東郷遼太郎とその息子を頼れってね」
「神様の思し召しってか。笑わせんじゃねぇよ!」
「理解してくれなくても構わないわ。事実ですもの。それと、初めて貴方を見た時に、神様の言う事は間違いないと、確信したわ」
「そりゃ、どういう事だよ」
「貴方は、他人の為に力を振るえる子。他人の為に怒れる子。ただの幼稚園児が、友達を助ける為に、倍以上に体が大きい小学生に立ち向かう。そんな事が出来る子は居ないもの」

 シルビアが初めて冬也を見たのは、まだ彼が幼稚園に通っていた頃であった。
 虐められている友達を助けようと、体の大きな小学生達を相手に冬也は立ち向かった。対格差がありすぎる。当然、敵うはずがない。何度倒されても、殴られても、冬也は必ず立ち上がる。根負けした小学生達が、去っていくまでそれは続いた。
 冬也は傷だらけになっていた。痛いはず、泣き出してもおかしくないはず。だが冬也は自分の事より、虐められて泣いていた友達へ真っ先に声をかけた。

 なんて強い子なんだろう。
 なんて温かい魂を持っているんだろう。
 神のお言葉は、間違っていなかった。
 この子なら、必ずペスカ様を守ってくれる。
 この子なら、必ずペスカ様を導いてくれる。
 幼い冬也の姿に、シルビアは涙が止まらなかった。

「私はペスカ様の意思を継ぐ者。ただ、幼いペスカ様を置き去りにした事実に変わりは無い。裁きは受けます。その権利は貴方に有る。冬也君、好きなだけ殴りなさい。それで、私の罪が消えはしない。でも、貴方の心が少しでも軽くなるなら、それで構わないわ」

 シルビアの瞳が、真っすぐに冬也の瞳を射抜く。その瞳には嘘が無い事を、冬也は確信した。
 それでも、納得した訳では無い。許せるとも思えない。十年に渡り抱えたわだかまりは、すんなりと解消出来るはずが無い。
 だが、冬也はシルビアの事情を察して、この場の怒りを治める事にした。心配そうに見つめるペスカの頭を軽く撫でて、冬也は席を立つ。
  
「悪いが、休ませて欲しい」

 冬也が言うと、すかさずメイドが案内を申し出る。メイドに案内されて寝室に通されると、冬也はベッドに身を預け、少し休む事にした。

 知らされたペスカの謎。聞かされたのは、理解できない話ばかり。冬也には受け止めきれない内容だった。
 暫くの間、冬也が悶々としていると、ノックの音が聞こえ、扉が開きペスカが中に入って来た。

「お兄ちゃん。私の事嫌いになっちゃった?」 
「そんな訳ないだろ」
「怖い?」
「怖いのは、お前が傷つく事だ」 

 不意にペスカが抱き着いて、涙を流す。冬也はペスカを、やさしく抱きしめ返した。目を真っ赤に腫らしたペスカが少し落ち着くまで、冬也はペスカを抱きしめていた。

「ペスカ。お前はどうするんだ? ここに残るのか?」
「何言ってんの? お兄ちゃん。日本に帰るに決まってるじゃない」
「だってここが、お前の故郷なんだろ?」
「お兄ちゃんは、帰りたいでしょ?」
「当たり前だ!」
「お兄ちゃんの隣が、私の居場所だよ」

 冬也にとって、ペスカの居ない日常は考えられない。想像しただけで、寂しさで胸を締め付けられる。冬也はペスカを抱きしめる力を少し強める。
  
「もしかして、お兄ちゃん寂しいの? お兄ちゃんは、妹大好きっ子だからな~!」
「うるせぇよ、馬鹿ペスカ」

 だがそれは、ペスカとて同様で有り、冬也が傍に居る事は、当たり前になっていた。ペスカは、抱き着く力を強め、冬也の胸に顔を埋めた。

 ☆ ☆ ☆

 冬也は、そのまま部屋を出ずに寝てしまう。冬也が寝た後、ペスカは起こさない様に、部屋を出る。そして、屋敷の一室に入って行った。
 部屋の中には、クラウス、シルビアの二人が、ペスカを待っていた。

 ペスカが入室すると、席を立ち頭を下げるクラウスとシルビア。ペスカは座る様に、ジェスチャーで指示をする。ペスカが腰かけたの確認すると、クラウスが話し始めた。

「先ずは報告を聞こうか、シルビア。森の探索はどうだった?」
「はい、うっすらとですが、魔力の残滓が有りました」
「そうか、嫌な予感は当たりそうだな」
「まだ調査が必要かと思います。それに、他領の状況も気になる所ですね」
「メイザー領に、連絡を取ってみるか。シルビア、それも含めて調査の続行を頼む」
「わかりました、クラウス」

 二人の会話を聞いていた、ペスカが徐に話に割って入った。

「ねぇ、シルビア。私が転生した後は、あれの情報は入っているの?」
「現在は、動きを潜めてます。私がペスカ様と日本にい居た間は、テロ活動が盛んだった様です」
「そっか。でも、あんなのが出たって事は、間違い無く奴らが係わってるよ」

 ペスカの言葉に表情を引き締める、クラウスとシルビア。

「クラウスは、陛下を通じて、他領と他国にも連絡を入れる事。シルビアは、引き続き調査をよろしく」
「「かしこまりました」」

 ペスカの命令に、クラウスとシルビアは、深く頭を下げた。

「ところでペスカ様、兄君はご一緒に連れて行かれるのですか?」
「何よ、クラウス。お兄ちゃんに何か不満?」
「あら、それでは屋敷で少し鍛えてから、出発なさっては如何でしょう? 冬也君は、かなり運動神経が良いですし」
「どのみち、私はマナの回復が暫くかかりそうだし、それも有りかな」

 会話が終わり、ペスカは部屋を出た後、冬也のマル秘特訓計画を一晩中かけて練り上げる。そしてペスカは、翌日昼近くまで眠った挙げ句、冬也にお仕置きされるのであった。