学校では、尚樹くんは同級生の男子高校生である俺のことを知らない。
 俺だけが尚樹くんを知っている状態だ。
 廊下ですれ違ったり、体育の時間に、つい彼を目で追ってしまう。

 よく考えれば、尚樹くんのことをほとんど知らない。
 学校での立ち位置とか、クラス内での立ち位置とか。
 気になるというか、こいつは女性である「じゅり」以外の前ではどんなやつなんだろう?という単純な好奇心があって。
 しばらく注意深く観察することにした。

 その結果分かったことがある。
 クラス内では、それなりに友達がいるタイプ。いろんなタイプの人間と一緒にいるところを見かけた。クラスの女子とも話をしているところも結構見た。
 演劇部というマイナーな部(そう言うのは失礼かもしれない)に所属しているけど、いわゆる文化系部活の陰キャではないみたいだ。まあ確かに、演劇部で男子1人と言っていたから、女子との関係性をうまく築けなかったら所属し続けることが難しいだろうな。
 その割に、「じゅり」の前では童貞っぽいところもあったから、よく分からない。
 中学のときの部活は知らないけど、体育の時間はどのスポーツのときも普通に動けているので、運動音痴って訳でもないんだな。
 そんな風に、学校での彼について、少しずつパズルのピースが集まるように情報が蓄積されていった。

 もちろん俺からは学校で話しかけたりはしない。
 あくまでも隣のクラスの人間として観察者の立場を貫いた。
 俺だけど俺じゃない「じゅり」のことをたぶん好きだろうと思われる人間のことを遠くから観察するのは、自分事のようでそうではないふわふわした心地が、不安定だけどなぜか面白くて、いつしか楽しくなってきている自分がいた。

「尚樹くん、コーヒー以外も飲んでいいんですよ?」
 ある日の夕方、テイクアウトでアイスコーヒーを注文した彼に、俺は1オクターブ高い声であえてそう伝えた。
 俺がドリップコーヒーが好きだと言ってから彼がいつもコーヒーを頼んでいるような気がして、無理をさせているのではと心苦しくなったからだ。
「じゅりさん、大丈夫ですよ。僕もこのカフェのコーヒーが好きになったんですから」
 尚樹くんが明るくそう言って笑ってくれたので、その後カウンターにアイスコーヒーを取りに行ったときに、キッチンにいた母さんが嬉しそうにしていて、俺も心があったかくなった。