「あ、悪い。その日は試合なんだよ」
「まじかー、そうかー。ま、じゃあしゃあないし」
「ごめんな。また誘ってよ」
 川崎アンド谷川くんの声が窓際の席から響いてくる。
 あれから川崎くんの変な毒は鳴りを潜め、いつもの爽やかイケメンに戻っていた。サッカーも普通にやっており、相変わらずのエースで試合に出場しているらしい。
 ってか、この前のあれは一体何だったんだろう? まぁ、面白かったからいいんだけど(二回目)
 あれから塾ではその話はしていない。面倒だし、興味もないし。いつものように軽く声かけて授業が終わればさっさと帰る。そんな日常だった。
「……ツイッター?」
 昼休みにスマホをポチポチしてると、神宮寺くんが尋ねてきた。
「ん、そう。反応貰えるのが楽しくなってきたとこ」
 横目で神宮寺くんを見ると、その視線の先には佐々木さんがいた。私と同じようにスマホをポチポチやってる。私もこうやってスマホ弄ってれば、陽キャみたいに見えたりするかな?
「……俺も……やってみようかな……」
「――お?」
 変なことを考えてると、神宮寺くんの驚くべき発言で我に返る。めっちゃ小さい声で、私でなきゃ聞き取れないね。
「いいんじゃない? アニメとか、好きな本のことで呟いて、同じ感想を共有できるのって楽しいと思う」
「……うん」
 ちらっと横目で見ると、神宮寺くんは楽しげに俯いていた。
 そして、その視線の先に、高速で指を動かす佐々木さんの姿。さすがっすね……しゃべりながらあの高速。
 そう、佐々木さんはさっきから白石さんに向けてひたすらに話しかけてる。何をしゃべってるかまでは聞こえないけど、マシンガンのようなトークに白石さんはニコニコしながらずっと聞いてる。
 その白石さんの表情を見て、あることに気が付く。
「あー、もしかすると、そろそろかなぁ……」
「……? どうかしたの?」
「いや、何でもないよ。ツイッターやろうってこと」
 私は適当に誤魔化しながら彼女の表情の観察を続け、とある確信を得ることになった。

「姉さん、そろそろ来る時期だったりする?」
 帰宅後のんびりゲームをしてると、弟が部屋に現れた。だからノックしなさいよ。これだから反抗期は……
「……って、今度は何のゲーム?」
 モニターに映る美少女に、弟は訝しげな表情をする。
「ギャルゲーだよ。コンシューマ向けにある部分は排除されて新シナリオが追加されたやつ」
「……ある部分?」
「……まぁ、深く聞かないで」
「ふーん」
 止めて。そんな目をするのは止めて。
「でも、それって男の人がやるゲームじゃないの?」
「ぐふふ……そんなことないのだよ。女の子を愛でるのに性別は関係ないのだよ」
「……」
 イケメンの弟からゴミムシを見る目を向けられるなんて……ご褒美?
「姉さん、また変なこと考えてる?」
 そしてバレるまでが私のスタイル。そんなやり取りをしていると――
「凛っ! めぐちゃんきたわよー!」
 階下から母親の声が聞こえた。
「はーい! めぐ、私の部屋まであがってー!」
 ドアを少し開け、階下へと叫ぶ。すると、ゆっくりとした足音が階下から聞こえ、階段を上がる音に変化する。
「海も一緒にいる?」
「まぁ、恒例だし」
 弟に問いかけると、私と一緒にいてくれるようだ。弟の言う通り、恒例の儀式だからね。
 そして、足音が扉の前で止まり、恐る恐る扉が開く。
 扉は開き切らず、小さい隙間から怨霊のように黒髪の女性がヌッと現れる。
「……りんりん」
「めぐ。そろそろ来るかなって思ってたんだ」
 そう言って私は、学校のアイドルである白石さん――めぐを迎え入れる。
 私はめぐの手を取って、テーブルを挟んだ向かいのクッションに座らせた。
「……あ、あのね……そろそろ、いいか、分からなくて……」
 めぐはボソボソと自信なさげに下を向き横を向き、挙動不審に喋る。
 教室の外にギャラリーを集める程の人気アイドルの正体は、極度な人見知りで、コミュ障で、私の幼なじみのめぐだった。
「めぐちゃん、ほら、読んでいいよ」
 海が少女漫画のリバース・マジックを渡す。
「……あ、あり……がと」
「それめぐのだから、持って帰ればいいのに」
 私はそう言うものの、めぐは首を振り、静かにページを捲り始めた。
「姉さん、こういうのは俺たちがいてこそ、だから」
「まぁ、分かるけど」
 めぐは神宮寺くんを遥かに超えるレベルの人見知りコミュ障だ。まず普通に人と話せない。話したとしても、何を言ってるか分からない。
 幼い頃は、泣いて隠れて何も喋らず、いつも怯えていた。そんなめぐ相手に、じっくり付き合って、私たちにだけは、母親と同レベルのコミュニケーションが取れるまでに進化した。
 だが、私たち以外へは無理だ。何をどうやっても不可能だった。
 そこで考えたのが、彼女が好きだった漫画、リバース・マジックの主人公を真似ることだった。品行方正な主人公が真っ直ぐに自分の意見を述べ、堂々と自分を曝け出し、悪を倒す、分かりやすい主人公。
 この主人公である彼女を真似て演技する。それがピタリとハマった。そこからだ、めぐのもう一人のめぐが始まったのは。
 乖離性同一障とは異なり、感情や行動は意識から離れておらず、記憶も失っていない。あくまで、その主人公に成り切ることで、自分を守ったのだ。
 小学校に入ってイジメられることもなく、中学では生徒会にも入った。そして高校ではそれに加えてアイドルだ。
 だがそれも、あくまで一時的なもの。
 演技をしているうちに、キャラクターがボヤケてしまうのだ。本来の自分と成り代わっている別の自分とで混同する。そして仮初の主人公を忘れていく。
 なので、定期的に上書きが必要になる。仮初の自分を再形成するために"漫画の再読"が必要となってくる。
 自分の漫画なのだから自分の家で読めばいいものの、ここで読むのがいいらしい。そして上書きされる自分を私たちでテストしたいらしい。なので定期的にめぐは我が家に来る。
 めぐは正座で静かにページを捲り、静かな表情で、静かに読んでいく。
 さて、漫画は十三巻まであるから、めぐは放っておいて、私はのんびりギャルゲーの続きでもやろうかな。
「……そのゲーム面白いの?」
 隣に座った弟は、モニターを見ながら興味深く聞いてきた。いいねいいね、ギャルゲーに興味を持ってお姉ちゃんは嬉しいぞ。
「うん、私も最初はやらなかったんだけど、知り合いに進められてね」
「へー。でも文章だけだと眠くならない?」
「それ苦手な人もいるよね。でもこれは、全シナリオがとにかく萌えるから、全く問題ないんだよ」
「……それにしても、萌えなんて今どき言わないんじゃ……」
 と言いながらも、結局弟も感想を言いながら私と一緒にギャルゲーをプレイしていく。
「すごいね、ヒロインいっぱいいるんだ……この人も可愛い」
「そう。主人公の姉だね」
「……え?」
「姉が攻略キャラって割とポピュラーだよ。もち実姉ね」
「……そうなの?」
「そうそう。最近では姉弟で葛藤しないし、簡単にヤ――じゃなくて恋愛する」
「……」
 うん、弟の視線がクソゴミを見る目で辛い。いや、これはご褒美。
 そして、弟とやり取りしながらゲームを進めていくと、めぐが全巻を読んだらしく、顔を上げた。
「りんりん、ありがとう。助かったよ」
「うん。完璧」
 もう一人のめぐが完成した。ちなみにキャラに成り切ってるので、臨機応変な対応はできない。なので、他人とは誰とでも同じ対応、誰とでも同じ距離感になるわけだ。まぁ、それが絶妙な距離感の正体なんだけども。
「海くんもありがとう」
「うん、完璧だよ」
 弟も太鼓判だ。じゃあ、めぐの家はすぐ近くだけど、夜も遅いのでいつも送ることにしている。
「じゃあ、めぐ、送るよ」
「うん、いつもありがとう」
「姉さん、俺も行こうか?」
「ううん、大丈夫。いつもの道だし」
「そっか……」
 何か言いたげな弟が見送る中、私たちは階段を降りる。
 階段を上がってきた時とは違い、めぐはテンポの良いリズムで階段を降りていく。
「お邪魔しました」
 めぐはリビングに居る母親に向けて挨拶をする。だが母親はドラマに夢中で何も返さない。
 まぁ、いつものことなのでめぐも気にしてないが、ドラマに夢中になり過ぎだよ……ビールも飲み過ぎだし、あれはそのうち高血圧でぶっ倒れるんじゃないかと心配になる。
 外へ出ると、真っ暗だ。閑静な住宅街とはいえ、この辺りは閑静を超えている。
 私とめぐは何も喋らず、互いに横に距離を開けて歩いていく。
 今日の空気は乾いているため、視線を上げずとも星の瞬きが良く見えた。昔、小さい頃は星を眺め、あれは何座だこれは北極星だとか言い合ってたなぁ、懐かしい。
 めぐと一緒だからか、感傷的になってしまう。そのせいか、ついつい触れてしまう。
「そういや、この前告白されてたね」
「あ、あの時の。うん。また告白されちゃった」
「大丈夫だったの?」
「平気。断りの文句は慣れてるから」
「そっか、良かった」
 全くもって、リバース・マジックの主人公だった。堂々と答え、堂々と断り、堂々と対峙する。
「りんりん」
「ん?」
 私は前を向いたまま、呼びかけに答える。
「いつもごめんね、学校で、その、他人の振りしちゃって」
「謝ることないよ、むしろ私が他人の振りしてるからね……面倒だし」
 これは本音だった。いくら幼なじみと言っても、事情が事情だから面倒臭すぎる。ただでさえアイドル扱いなのに。
「そうなの?」
「うん、いつも言ってるじゃない。私も面倒だし、めぐも面倒、ね?」
 私は視線を合わさず、ため息交じりに答える。幼なじみだろうが、クラスのアイドルだろうが、私は基本的に他人に興味が無い。肝心な部分で"線"を引いてしまう。
「……でも、いつも助けてくれる」
「そんな訳ないよ……私は自分にしか興味がないから……誰とも絡みたくないし」
「そうかな」
 めぐはやんわり否定する。
「りんりんは……いつも助けてくれる。でも、そのことに興味が無いのも知ってる」
 めぐは言いながら夜空を見上げ、どこか遠い目をする。
「――そして、自分に対しても」
 自分にしか興味がない、そう言った私の言葉を否定する。しかもマイナス方向への否定だが、図星だっりする。
 何故だろう。自分にこんなにも興味が無いのは。好きなことも嫌いなことも楽しいことも友人も。無かったら無かったで別に構わない。有ったら有ったで別に構わない。どちらでも良い。
 生きることに意味付けをする人生という名の愚かさ。私たちはただ、時の流れの合間にいるだけの存在でしかないのに。私たちは意味のない存在なのに。
「まぁね……でも、それっておかしくはないでしょ?」
「そうね」
 めぐとの会話にやり辛さを感じるのは、どこかに歪さを感じるからだろうか。それともどこかで納得してない自分がいるからなのか。
 互いに目を合わせず、私はめぐの家の前で別れた。