あの夜はよく眠れなかった。
鈴が立ち去った後も、しばらくあの場所から動けなくて1ページも進んでない小説を開いたままオレは川の水音をぼんやりと聞いていた。
どのくらいいたのか、ノロノロと立ち上がって家に帰って、シャワーして、メシ食って。
中学生の妹、千夏がいつものように、オレが先にシャワーしたとかなんとかで、生意気にケンカをふっかけてきたけど、それすら耳に入らず部屋に入った。
「あれは、、夢、、?」
オレは、マジでベタなドラマみたいなセリフを口にして天井を眺めてた。
猫が、、猫の鈴が人間になって会いに来るとか、、あるのか?マジに?
流石に、周吾にも話せないよな、こんな話。
目が冴えて眠れない。
気づくと、真っ暗な窓の外は雨が降っていた。
車のタイヤが水たまりを跳ね上げる水音が、次々聞こえてくる。
オレはベッドの上で何回も体勢を変えながら目を閉じた。
朝方。
いつの間にか眠りについていたのか、気づくと遮光カーテンの細い隙間から眩しい光が差し込んできていた。
あれから。
数週間が経った。
どうしてもあの場所に行くことができなくて、オレは周吾の部活のない日は2人で寄り道をして帰り、1人の日はブラブラと本屋に立ち寄ったり、珍しくまっすぐ自宅に帰ってみたりして、千夏に気持ち悪がられたりした。
あの場所に行って、鈴に会うのがなんだか怖かった。どんな顔していいか分からない。だけど、会ってもう一度確かめたい気持ちもあった。
「ヤベ、雨降ってきたじゃん」
周吾に付き合って立ち寄ったショップから外に出ると、外は結構雨が降っていた。
「傘持ってねー」
ショップの袋を大事そうに抱えて周吾は空を見上げる。
「梅雨入りしたって言ってたもんな」
さっきまで降りそうな空じゃなかったのに。
「走る?」
「あ、オレ、タオルあるわ」
周吾は自分ではなく、ショップの袋にタオルを被せた。
「あそこ抜けたら商店街につながるからあまり濡れずに帰れるかもよ?」
「あそこ?」
「あさひの例の場所だよ!ここからなら、近いしあそこ突っ切ったら商店街のアーケードにつながるじゃん?」
「あ、うん」
「行くぞ」
オレの返事を待たずに、周吾は走り出した。
土砂降りの雨の中、足の速い周吾の背中を追いかけて必死に走る。
すぐに、あの場所が見えてきた。
「もう少しだ、走れー!」
周吾に置いていかれないように必死に走るオレの目に、木の下で傘もなくたたずむ女性の姿が映った。
鈴、、?!
一瞬だけ目の端に入りこんだその姿は、よくは見えなかった。
止まって確認してる状態でもなくて、オレはその木の横を走り抜けた。大きな水たまりを飛び越えて軽快に走る周吾。
飛び越えきれずに激しく水飛沫をあげたオレ。
「やっばー」
やっとの思いで商店街のアーケードに滑り込んで、周吾は笑い出した。
「まあまあな濡れ方!」
2人ともずぶ濡れだった。
「あのまま雨止むの待ってた方が正解だったか?」
振り向くと、雨足はどんどん強くなってるようで、色鮮やかな傘があちこちで開いていた。
「待ってても多分止んでないよ」
オレは薄いペラペラのハンカチで顔と頭を軽く拭いて、体にベッタリと張り付いてくるシャツを引き剥がすように、引っ張った。ハンカチもすでにビチャビチャであまり意味はなかったけど。
さっきの木の下にいたのは鈴だった、、?
息を整えながら、さっきの女性を思い出す。
一瞬過ぎてよく見えなかった。
見知らぬ女性だったかもしれないし、鈴だったのかもしれない。雨宿りしている人だったかもしれないし、もしかしたら男性だったかもしれないのだ。
でも、あれから一度もあの場所へ行ってないから
もしかして、鈴がオレを待ってる、、とか?
まさかな。これって自惚れてるみたいだよな。
「あさひ!!聞いてる?」
ハッとすると周吾が振り返って立ち止まっていた。
「ごめん、なんだっけ?」
「最近、結構ボーっとしてない?大丈夫か?」
周吾の心配そうな顔を見てオレは笑ってみせた。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと息切れしただけ、周吾足早いからさ」
そう言うと「足だけなー」と周吾は笑い、「手も早いか?」と付け足して、オレも「それな」と笑い返す。
家に帰って、シャワーをして着替えると
「雨、これからかなりひどくなるみたいだよ」
千夏がスマホを見ながらそう言った。
「あそこの川が増水して氾濫しやすいんだよねー。明日警報出て学校休みにならないかな」
呑気にそんな事を言って千夏は窓の外を見た。
さっきよりさらに雨はひどくなっていた。
梅雨の雨というより、まるで台風のようだった。
さっきのが、、、鈴だったら、、
てか、本当にあいつが猫だったら、、
こんな雨の中、どこで過ごすんだ?
もしほんとに川が増水して溢れたら?
いや、ちゃんと逃げるよな?
頭の中で白い猫が川に呑まれて流されていく姿を想像して不安になる。
「あ、警報でたよ。大雨、洪水、土砂災害、、」
千夏はスマホ片手に、「お母さん、明日学校休みかなあ?」と、夕食を作っている母さんに向かってまだ呑気なことを言っている。
うちは高台にあるから、洪水の心配はあまりないけど、、
あいつは、、鈴は、、帰る家ある?
考えれば考えるほど心配になってきた。
気付くとオレは、雨ガッパを着込み傘とタオルを片手に家を飛び出していた。
「バカ兄貴、警報でてんのにっ!どこ行くんだよー」
背中に千夏の声が追いかけてきたけど、オレは走り出していた。
あの場所が見えてくると、もうほとんど人影もなく、いつもは静かな水面が茶色く濁ってゴーゴーと流れていた。
さっき、人影が見えた木の下に行ってみるけど誰もいない。
辺りを見渡しても、鈴らしき人影はない。
もし、猫の姿だったら、、?
草の陰、ベンチの下、いつもオレが座ってる辺り、あちこち猫が隠れそうな場所を覗いては探す。
雨はどんどん強くなり、せっかくシャワーを浴びたのにオレはまた頭と足元からずぶ濡れになっていた。
「す、、、」
一度戸惑って立ち止まり息を吸い込む。
「鈴ーー!すずー!!」
大声で呼んでみる。
帰り道を急いでいる自転車の男性が、振り返る。
「すずー?!」
どうしても見つけなきゃいけない気がしてオレは必死に探し回っていた。だけど、どんなに探しても、猫の鈴も、人間の鈴もいなかった。
「何やってんだ、オレ、、」
そりゃいないよな。
我に帰り、ゆっくりと自宅に向かう。
玄関を開けると、母さんが呆れた顔で立っていた。
「バッカ、こんな大雨の中飛び出したっていうから何事かと思ったじゃないの。電話しても出ないし。どこ行ってたのよ、ただの大雨だと思ってなめたら大変なことになるよ!」
「ごめん、もいっかいシャワー浴びるわ」
「マジでバカ兄貴じゃん」
浴室に向かうオレの背中に、千夏の小馬鹿にしたような声が刺さった。
母さんも千夏も2人してオレにバカバカいうなよな、と思いながら、熱めのシャワーを頭から浴びる。
確かにバカかもな。
なんでオレ飛び出してったんだろ。
なんで、あそこに鈴がずっといると思ったんだろ。
なんで、猫だって信じてんだろ。
だけど、何か不安でたまらなくなった。
あのままもし鈴がいなくなったら、と思うと急に無茶苦茶怖くなったんだ。
雨は一晩中降り続いて、翌朝はどんより重い空ではあったけど雨は止んだみたいだった。
「川、氾濫しなかったけど、ギリギリだったみたいだよ」
またスマホ片手に千夏が言う。
「よかった」
オレはまだトースターに入ったままの食パンを取り出して、そのまま玄関に向かう。
「あっ、それあたしのっ、返せ、バカ兄貴ー!!」
再び、背中から千夏の怒鳴り声が追いかけてきたけれどオレは振り返らずに家を出る。
まだ、朝早くてほとんど人通りのない中を、あの場所へと小走りで向かう。
「結構、、ひどいな、、」
いつもキラキラと輝いているその場所は、いろんなものが散乱していた。溢れそうになった川から打ち上げられたのかたくさんの木枝や、ペットボトル、どこから来たのか紙のようなものが河岸にへばりついている。
オレは昨日、女性の姿を見た木の下へとゆっくりと視線を移したけれど、もちろんそこに誰の姿もなく。
そちらに近づいてみたけれど、ぐっしょりと濡れた木が葉先からポタポタと雨の雫をたらしているだけだった。
「ふーぅぅ、、」
鈴は、、大丈夫だったんだろうか?
あれから、どこに行ったんだろう。
オレに自分は猫だと言ったあの日。
別にまた会おうと言われたわけでも、約束したわけでもない。
なのに、あれから一度もこの場所に来なかったことに少し罪悪感を感じていた。
もし、あれからも鈴がオレに会うためにここに来ていたら?いや、、これってやっぱりただの自惚か?
頭の中でぐるぐる考えが巡る。
そんな時、河岸に横たわっている白い塊が見えた。
「え?!」
一瞬体にゾワッとしたものがはしり、オレはそこを目掛けて走り出す。
まさか?まさか?死んでないよな?!
「すずっ?!」
駆け寄り、しゃがみ込むと
「なん、、、だよー、、」
オレはその場で座り込みそうになった。
白い塊は流されてきたのか、コンビニの白いビニール袋で中にゴミのようなものが詰め込まれていた。
心臓がバクバクいっていた。
一瞬、鈴が川に飲まれてここで、、と想像して心臓が潰れそうになった。
その時。
「ゴミ拾いしてんの?」
と、オレの後ろで声がした。
ビクッとして振り向くと、
腰に手を当てて、鈴が笑っていた。
「す、、鈴、、、っ?!」
「なんて顔してんの?」
鈴はおかしそうに笑い出した。
「昨日の大雨で!一瞬鈴が流されたのかと思ってびっくりして、、!」
さっきよりもさらに心臓がバクバクと早く鳴り響いていた。
「え?あ、もしかして?その白いビニールがネコだと思ったの?」
鈴はオレの隣にしゃがみ込むと、さっきのビニールを指差しながら言う。
「そ、、そーだよ」
オレは、鈴が無事だったことへの安堵と、早とちりしたことへの恥ずかしさでまともに顔があげられなかった。
「心配してくれたんだ?」
鈴がオレの顔を覗き込む。
「そ、、そりゃ、、あれだけ増水したら小さい猫なんてすぐ流されちゃうだろ?」
ぶっきらぼうに言うオレの言葉に、被せるように鈴は言った。
「っていうかさ?信じちゃった?」
「え?」
「私がネコだって話」
思わずオレは顔を上げる。
鈴は、まだ濁って水かさの増した川をまっすぐ見たままだった。
「どゆこと、、?」
鈴はオレの方を見てわざとらしいくらいにアハハと笑った。
「普通信じないでしょー?ネコが人間になるとかさー、
どんだけ素直なんだよ!あさひは」
「は?」
「冗談に決まってるでしょ」
「だって名前も!それに白い猫って知ってたしさ」
頭がぐわんと回転した気がした。
「たまたま、あさひが白い猫と遊んでるの、見たことあったんだよー」
鈴はそういうと、またわざとらしく笑って見せた。
「オレのことからかったのかよ!」
オレの中で怒りと恥ずかしさと、いろんな感情がぐるぐると沸き起こって吐気がしそうだった。
「あ、怒った?まさかさ、信じると思ってなかったからさ、ごめんごめん」
鈴は、オレの右膝を左手でポンポンポンと軽く叩いた。
「触るなっ」
オレはその手を払いのけて、立ち上がった。
くるりと背を向け歩き出す。
なんなんだ、なんなんだ?
いいかげんにしろ、そりゃこんなくだらない話、信じたオレが悪いよ。
わかってるよ!
後ろから、「ほんとにごめん、でも聞いて!!」っていう鈴の何か言いたそうな声が聞こえた気がしたけど、オレは振り向かずに歩いた。
情けなくて、恥ずかしくて、くやしくて、涙が出そうだった。
そのまま、学校に行く気にもなれずオレは再び家に戻った。
すでに、親も仕事に出た後で、千夏も当然家を出た後だから誰もいなかったことが救いだった。
自分の部屋でベッドには入り、カーテンも閉め切った。
どう表現したらいいのか分からない感情に支配されて苦しかった。
「信じるなんて思わないじゃん」
鈴の声が聞こえるようだった。
猫が人間になるなんてことあるわけないのだ。
普通に考えたら分かることだ。
ましてや、この歳になって一瞬でもそんな話を信じてハラハラドキドキしてしまったことが情けなかった。
ピロン♪
スマホからの通知音でハッとする。
周吾からだ。
〈 昨日の雨で風邪でもひいたか? 〉
そういえば、あのまま学校に行かず引き返してしまった。
〈 ごめん、ちょい気分悪くてさ、しばらく休むかも 〉
なんかもう、しばらく誰にも会いたくない気分だった。
周吾にだってこんなくだらない話できるわけもない。
あいつはきっとバカにしたりはしないけど、こんなことで落ち込んでるなんて情けなくて言えやしない。
〈 そっか。無理すんなよ。今日英語の課題提出日だったけど、出来てるなら取りに行ってやろうか? 〉
周吾からの返信にハッとする。
英語の課題の再提出日が今日までだった。
中間の結果が最悪で出された課題。
1度提出するも、指摘が多くて再提出になった。
その期限が今日だった。
すっかり忘れて、返却されてからまったく見てもいなかった。かと言って今からやる気にもならない。
〈 ヤベー、全然やれてない 〉
〈 そっか。まあ体調不良なんだし、期限のばてもらえばいいよ 〉
周吾はそう送ってきた後
〈 何があったか知らないけど考えすぎんなよ。
じゃまた元気になったら来いよ!
オレ一人じゃさみちー(T ^ T) 〉
最後、ふざけたような周吾の言葉。別に周吾はオレが休んでいてもみんなとワイワイやれる奴だ。
周吾は多分気づいてるのだ、オレが体調不良じゃない事。さりげなく心配してくれてる周吾の言葉にオレは少し救われていた。
カーテンを少し開けると、また再び雨が降り始めている。
重くどんよりとした雲がオレの心の中を表してるようだった。
それからしばらくオレはモヤモヤを抱えたまま、ベッドでゴロゴロと過ごしていたけれど、昼過ぎに母さんから「無断欠席してると学校から連絡があった」と電話があり、休むなら休むで早く言え!と散々小言を言われた。
夕方、早めに帰ってきた千夏には、ズル休みしてるとまたギャンギャン小言を言われ、落ち着いて落ち込んでいられなくなった。
翌日。
オレは普通に学校へと向かった。
しばらく誰にも会いたくない気分だったけれど、1人でいるとずっと鈴のことでモヤモヤが止まらない気がしたのだ。
「あさひきゅぅぅーん。さみしかったわぁ!」
朝一番に、ふざけてクネクネしながら周吾が駆け寄ってきて、抱きついてきた!
「やめろー!気持ち悪いー!」
「やだ、あさひきゅん!冷たいこと言わないで!」
絡みついてくる周吾の腕を振りほどきながら、オレは笑っていた。
「ありがとな、周吾」
ポソっというオレに
「いいっていいって!英語の課題ができてなくてズル休みしたんだろ?黙っててやるって〜♪」
周吾はオレの頭を小さい子にするみたいにワシャワシャと撫でた。
「ちがうわー!って課題ーーー!!」
ツッコミながらオレは叫んだ。
課題のことすっかり忘れていた。
「ヤバ!今からやるわ!!」
「あさひくん、元気で何より!」
周吾の言葉を背に、オレは慌てて課題に取り掛かった。
ダラダラと続く梅雨が終盤に差し掛かった日曜日。
珍しく朝から眩しい光がカーテンの隙間から差し込んできていた。久しぶりにすっきりと晴れた朝だった。
母さんは、一気に洗濯をすると張り切ってバタバタと動いている。
「あ、ちょっとまってもう柔軟剤がないじゃないの!あさひ!あさひー!!」
朝ごはんを食べようと、リビングに向かおうとしたオレを母さんが呼び止める。
「あさひ、柔軟剤買ってきて?!ほら商店街抜けたとこのお店なら朝早くから開いてるから!」
「うん、メシ食ったら行くわ」
大きな欠伸をしながらオレがそのままリビングの椅子に座ろうとするのを母さんが阻止する。
「今!先に行ってよ!またいつ雨が降ってくるからわかんないでしょ?晴れてるうちに洗濯ジャンジャン回したいじゃない、ね?早く!」
「えー、、、」
「自転車乗ってシャーって行ったらすぐじゃない、は、や、く!」
半ば追い出されるような形でオレは家を出た。
「おー、、久々に眩しいな」
梅雨の合間の太陽は、いつもよりキラキラと輝いていて眩しく感じた。
自転車にまたがり漕ぎ出すと、頬にあたる風が気持ちいい。
「やっぱ、太陽の光はいいな」
久しぶりに気持ちもスッキリして思わずつぶやく。
商店街を抜け、お目当ての店で柔軟剤を買うと、オレは自転車に乗り家とは違う方向にペダルを漕いだ。
あの場所は、すぐ近くだ。
あの日以来1度も近づかなかった。
雨も降っていたから、どうせ座って読書もできないし、と自分に言い訳をして。
本当は鈴との出来事を思い出したくなかったからだ。
だけど、久しぶりの日差しに気持ちが晴れて、あの場所に行ってみたくなった。
「あ、、」
ほんの一瞬で、あの場所に着いたけれど少し様子が変わっていた。
赤い三角コーンに黄色と黒の縞模様のポールで囲われていて、オレがよく座っていた辺りには黄色の看板。
ご丁寧にヘルメットのおじさんが深々とお辞儀をしたイラストが書かれていて、
「工事中」の文字と、「ご迷惑をおかけします」の文字。
河辺には重機が停まっていて、タイルのようなものが敷き詰められていた川沿いの道は少し掘り起こされて、土が剥き出しになっていた。
今日は日曜日だからか重機は動いてなかったけれど、
立ち入りができないように、すべてに囲いがしてあった。
「いつからだ、、?」
なんだか、自分の居場所を奪われたような気持ちになった。
鈴とのあの出来事があって、全く近寄らなくなっていたけれど、今になってあの時、鈴が何かを言おうとしていたことを思い出す。
「ねえ聞いて」
最後にそう言ってた気がする。
どうせ言い訳するんだろと、あの時怒りに任せて振り返りもしなかった。
だけどもしかして、鈴は他にも言いたいことがあったのかもしれない。今更そう思ってもどうにもならないことも分かっていた。あの時、「なんだよ冗談かよ」と笑い飛ばせなかった自分の幼さ、怒りに任せて振り払った鈴の手。
オレはそんな鈴との再会の場所さえも奪われてしまった気がしてしばらくその場に立ちすくんでいた。
|梅雨が明け、一気に気温が上がり蝉の声が聞こえ出していた。
「あちぃー、マジで熱中症になるってぇ」
周吾がスポドリをがぶ飲みしながら、嘆く。
陸上の大会が近いらしく、こんな暑い中今から走り込みだという。
「気温おかしいよな、いくら夏とはいえ日差しが火傷しそうだもんな、体感40℃くらいあるわー」
35℃を超えると外での走り込みは中止らしいが、スマホの天気アプリはギリギリ34℃を示している。
16時前だというのに、灼熱だ。
「マジでぶっ倒れんなよ」
オレの言葉に、周吾はわざと白目を剥いて見せた。
オレは、周吾と別れて図書室へ。
クーラーの効いた図書室は天国だった。
最近、まともに本も読んでいない。
久しぶりに小説の世界にのめり込みたい衝動にかられた。
たくさんの本に囲まれると独特の古い紙の香りがオレの心をくすぐる。
目についた1冊を手にとって、一番端の席に座りページをめくる。
舞台は海沿いの小さな公園。
いつの間にか、うるさかった蝉の声も聞こえなくなり、オレの耳には波の音が聞こえていた。
毎日公園のベンチに座り、遊んでいる子供達をにこにこと眺めている1人の老人。
彼が見ている些細な光景が一枚一枚の絵画のようにイキイキと描かれている。本当にただの何気ない毎日なのに、それは老人の目には映画のようにドラマチックに映っている。何よりその光景を見ている老人の気持ちが満たされて暖かく幸せなのが伝わってくる。
オレはいつの間にか深くその世界に引き込まれ、チャイムの音さえ聞こえなかった。先生にもう閉めるわよ、と声をかけられハッとして我に帰る。
オレは、その一冊を借りて学校をでた。
オレの足は自然にあの場所に向かっていた。
今日、クラスの女子たちが話しているのが聞こえたからだ。
その話によると、あの工事は氾濫しかけたあの大雨の日に、道の一部が崩落して危険なことと、全体的にひび割れや痛みが目立っていたから全体的に補修工事をすることになったのだそうだ。
あれだけ行っていながらオレは知らなかったけれど、あの場所はただの河辺の道ではなく、ちゃんと名前があるらしい。その名前はちゃんと聞き取れなかったけど、最近工事が終わってきれいになってたよ、と言っていた。
さっきまで焼け付くように暑かったけれど、いつの間にか風がでて少し過ごしやすくなっていた。
あの場所に着くと、道も綺麗に補修され新しくベンチのようなものも設置されて何人かが座っていた。
でもオレはあえていつも座っていた石階段に腰を下ろす。
「久しぶりだな、、、」
ここで初めて鈴に出会って話しかけられて。
ほんの数回しか会ってないのに、いろんなことがあっていつのまにかここにくることがほとんどなくなっていた。なんだかあれは夢だったのか?とさえ思える。
オレはさっき借りた小説を開いて目を落とす。
こうしていると、鈴と出会う前に戻ったような感覚になった。川のせせらぎが、いつの間にか海の潮騒に聞こえオレは再び小説の世界に入り込もうとしていた。
「ねぇ?何読んでんの?」
耳元で突然そんな声が聞こえて
え、デジャヴ?!
オレはまた一気に現実に引き戻される。
過去にタイムスリップしたかのように、オレの隣にはまた鈴が座っていて小説を覗き込んでいる。
「鈴、、?」
「主人公の名前はなんて言うの?」
鈴は顔を上げずに、また同じことを尋ねた。
「名前、、ないんだ」
オレはあの時と同じように答えた。
この小説も「老人」としか書かれておらず、名前は一度も出てこない。
「ふーん」
鈴はあの時と同じように、そして少し不服そうにそう言うと
「名前。すごく大事なのにね」
とつぶやいた。
あの時は話聞かずにごめん、と謝ろうとしたオレを
さえぎるかのように、鈴は話を続けた。
「私ね。朝陽が私の名前を呼んでくれたことがすごくうれしかったんだよ」
「え?」
意味がわからず聞き返す。
「私ね、小さい頃に両親亡くなって。ちゃんと「鈴」って名前を優しく呼んでもらった記憶がないんだ。それでさ、、朝陽がここでネコちゃんに、「すずー」って何度も呼んでるのを聞いてね。なんだか自分が呼ばれてるみたいで、すごくすごく、、ドキドキしたんだ」
何も言えずにいるオレの方を見ずに鈴は続ける。
「なんでかな、、すっごくあったかい気持ちになって。
朝陽が「鈴」って呼ぶの聞くと涙が出たんだよ、、
だからさ、、」
そう言って鈴は顔をあげてオレを見た。
「ごめんね、ネコになりたくなっちゃった」
鈴の目には涙が浮かんでるように見えた。
名前を呼ばれるって、オレにとっては当たり前のことで、特別なことだと思ったこともなかった。
「鈴、、ごめん。あの時ちゃんと話聞かずに、、これからはちゃんと鈴の話聞くよ。ほら、ここもさ、綺麗になったし、、」
オレはどうしていいか分からずに必死だった。
「ありがと。でもさ、もう会えないや」
「え?」
突然の鈴の言葉にオレは固まる。
「会えないって?あ、オレがあまり来なくなったから?でもほら、連絡先とか交換すればさ、、」
必死にいうオレの顔を鈴は優しく、そして少し悲しい顔で見ながら首を横に振った。
「私ね!引っ越すんだ。結構遠いとこ。新しいスタートだよ!だからね、もう会えない」
無理に元気そうに、鈴は大きな声でそういうとニコッと笑って見せた。
「遠くって、、」
「内緒」
「なんで、、?」
「朝陽の名前!大好きだよ!朝陽の名前はギラギラ太陽じゃなくて、ポカポカ太陽の朝陽!雨ばっか続いてどんよりしてる雲の間から、優しく顔出して照らしてくれる柔らかい日差しの朝陽!照らしてくれてありがとね。」
オレの質問には答えず、鈴は一気にそう言った。
なんだろ、それを聞いてオレも泣きそうになる。
「なんだよー、あさひが泣くなよ、またいつかどこかで会えるよ」
鈴は。
オレの右膝を左手でポンポンポンと軽く叩いた。
「じゃねっ。会えてよかった!バイバイ!」
鈴はパッと立ち上がると、ほんとに風の中に消えるようにいなくなった。
取り残されたオレは呆然として、なぜか涙が溢れて止まらなかった。
ノロノロと立ち上がり、歩き出すと小さな丸太のようなものに文字が刻まれている。
「邂逅公園」
この場所、やっぱり名前あったんだな。
でもなんて、、読むんだ?
スマホで検索する。
「かいこう、、こうえん、、」
邂逅
意味 邂逅する 思いがけなく出会うこと。偶然の出会い、めぐりあい。
鈴と出会ったのは偶然だったんだろうか、、?
それはもう誰にも分からない。
「母さん、オレの名前ってさ。なんでつけたの?」
自宅に帰るとオレは台所に立つ母さんにそんな質問をした。
「何、急に気持ち悪い。熱中症にでもなったんじゃないの?」
母さんは、そう言いながらも
「あんたが生まれる数日前からずっと雨が降っててね。ずっとどんよりしてたんだけどね、あんたが生まれた日の朝は急に晴れて。病院の窓から差し込んできた朝日がそりゃー優しくてポカポカしてて。あーこんなふうに人を優しく照らすような子になるといいなあ、って。それで朝陽。」
と、料理をする手を止めて話してくれた。
鈴が、オレに言ってくれた言葉と似ていて驚く。
「ね、母さん私は?」
千夏が割り込んできて騒ぐ。
「あんたは暑ーい夏に生まれたから千夏!」
「え?なんそれ、超絶普通なんですけど?!」
千夏はかなり不服そうに母さんにまとわりついて他になんかないのか?とさわいでいたけど、オレは鈴が言ってくれた言葉を思い出していた。
もう一度鈴に会いたい。
もう会えないなんて、どうしてだよ。
急に胸が締め付けられるように苦しかった。
いつかまた会えるだなんて、嘘だ。
そんなの、いやだ!
オレは。
再び家を飛び出す。
さっきまでいたあの場所を目指して。
もうすぐ日が沈む。
邂逅公園にはまだちらほら人がいたけれど、もちろん鈴の姿はない。どうしてまた来たのか分からない。もしかしたらまだ鈴がいてくれるんじゃないかと期待したのかな。川の水面に大きなオレンジ色の太陽が吸い込まれていく。オレンジ色が一面に広がって世界が飲み込まれてしまいそうにさえ思えた。
その時だった。
少し離れた木の影の辺りを何かがサッと動いたように見えた。
「鈴?」
そんなわけはなかったけれど、もしかしてまた「なんちゃってー」と鈴が木の影から現れたりして、、と
そんな微かな期待を持っておれは木の方に向かって歩く。
「にゃぉ、、」
「え、、?」
そこにいたのは、白い猫だった。
「え、お前、、、えっと、、鈴?」
名前を呼ぶのに一瞬戸惑う。
白い猫はオレの足元に体を擦り付けてもう一度微かな声で「ニャゥー」と鳴いた。
「ほんとにあの時の鈴?」
ずいぶん長く姿を見ていなかった。
時々おやつをあげて可愛がっていたけどいつの間にか姿を現さなくなっていたからどこかの飼い猫にでもなってしまったのかなと思っていた。
しゃがみこんだオレの膝に白い猫はよじ登ってくる。
「痩せたんじゃないか?お前」
猫はゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうに目を細めた。
いつの間にか太陽は沈み、辺りは少しずつ暗闇にのまれはじめていた。
どうしよう、家から飛び出したきたから、今日は何も食べ物持ってない。財布もない。
猫は膝の上で喉を鳴らして、時々オレの顔を見上げては小さく鳴いた。
とりあえず、、うちでなんか食べさそうか、、
オレは猫を抱き上げ自宅へ向かって歩き出した。
「きゃー、どうしたの?可愛いー!」
玄関に入るなり風呂上がりの千夏に見つかり大声をあげられた。
「なに?」
その声に母さんも出てくる。
「どうしたのよ、あさひ。自分の名前の由来聞いたかと思えば、急に飛び出して今度は野良猫拾ってきたの?」
「いや、、うーん。。腹すかしてるみたいだからなんか食わしてやろうかなと思ってさ。食わしたらまた置いてくるからさ」
オレがそう言い終わる前に母さんの手には煮干しが握られていた。
「にゃんこちゃーん、こんなものしかないけど食べるー?あ、お水持ってこよっか?」
白い猫は母さんの手から煮干しを上手に受け取ると美味しそうにむしゃむしゃ食べ、小さなお皿に入れられた水を勢いよく飲んだ。
「やっぱりお腹空いてるのね、他に何かあったかな。
あ、ササミは?ササミはどう?」
あまりに甲斐甲斐しく世話をする母さんに、オレはただ黙って玄関で見ているだけだった。
思わず連れて帰って来たけれどこの後どうしようと思っていたオレにとって
「ずいぶん汚れてるわね、お風呂もいかが?」
お母さんが言い出した時には、オレの方が「え?」と聞き返したくらいだ。
白い猫は、ご飯を食べて母さんに庭でたらいにお湯を張ってもらい洗ってもらっている間も、特に嫌がるでもなく、大人しく母さんにされるがままになっていた。
ドライヤーで乾かしてやると、真っ白な毛色に戻り見違えるようになった。
「ニャー」
フワフワになった毛で、白い猫は母さんに擦り寄りペコリと頭を下げたように見えた。
「あらぁ、、お礼言ってくれるの?礼儀正しい子ねぇ、朝陽、あんたも見習いなさいよ?」
母さんがそういうと猫は、オレの膝によじ登り丸くなる。
「もう、うちの子になっちゃう?!」
母さんがそう言うと、オレより先に千夏が「いいの?飼いたい!」と声を上げた。
「名前なんにしよっかなー♪」
「そうね、千夏と同じ夏の日に来たからー、、」
2人がウキウキして話し出す。
「すっ、、鈴!」
オレは思わず慌てて口を挟む。
「鈴?なんで?」
急に名前を提案したもんだから、2人はお互い顔を見合わせて、オレに不審な目を向けた。
「いやっ、、あのもしかしたらだけど。この猫オレがよく公園で読書してる時に近づいてきてた猫かもしれなくてさ、、」
「は?」
「てか、まず公園で読書してんの、兄貴?」
2人はますます不審な顔をする。
「してるよ、悪いかよ」
小声で答えるオレに
「え、ヤバ。地味」
千夏が口を手で押さえる。
「地味っていうなっ!」
「だって男子高校生が公園で読書って!」
「うるさい!」
「やーめなさい2人とも、猫ちゃんがびっくりしてるでしょ!」
母さんが割って入ると、白い猫はオレの膝の上でまんまるい目をしてオレを見上げていた。
「なんで鈴なの?」
母さんは、「大丈夫よー」と言いながら猫の頭を撫でた。
オレは、初めて出会った時に小さな鈴をつけていた事、その音がすごくきれいで、途中からはその鈴は無くなってしまったけど、その印象が強くてずっと勝手に「鈴」と名前をつけて呼んでいたことを2人に話した。
「でも、、ここしばらく姿見てなくてさ。だからどこかの飼い猫にでもなったのかな、と思っていたんだけど、、。てか同じ白い猫だけど、、絶対あの時の鈴かって言われると、、自信ないかも。」
オレはフワフワになった背中を撫でながら、そう言った。
「朝陽にそれだけ安心し切った顔してんだもん、多分その子でしょ。」
母さんはそう言ったけど、オレは少し不安だった。
「ま、そこまで言うなら名前はすずちゃんで決定ね!
今日はもう遅いから何にも用意できないけど、いろいろ準備しなくちゃねー!」
母さんはそう言うとなんだかうれしそうに立ち上がった。
「お腹すいたー」
千夏もそう言いながら何事もなかったようにリビングに戻る。
今日は、、いろんなことがあったな。
「もう会えない」人間の鈴に突然そう言われて、なんか、、オレちゃんとしたことも言えなくて。
鈴の事情も全く知らずに、情けない対応して。
マジで自分が嫌になった。
もう一度会えるなら、ちゃんと謝ってちゃんと話聞いてあげたい。
なのにもう会えない。
思い出して再び胸が苦しくなる。
「にゃっ、、」
いつの間にか手に力が入っていたのか、猫のすずがオレの腕から飛び出した。
「ごめん、鈴、、」
鈴という名前を口に出すと涙が出そうになった。
オレ、もしかしていつの間にか好きになってたのかな、鈴の事。
鈴の笑顔、不満そうな顔、、
そんなにも交わさなかった会話なのに、はっきり覚えてる鈴の声。
「あー、、ヤバい。鈴って名前にするんじゃなかったかも、、」
これから何度も猫を「鈴」と呼ぶたび苦しくなるのかな。
思い出して切なくなるのかな。。
オレは、目の前で体を舐めながら、リラックスしている鈴をぼんやりと眺めていた。
あれから。
夏休みに入り、鈴はすっかりうちの猫になった。
最初に出会ったときのように、赤い首輪に小さな鈴をつけて、可愛い音を鳴らしている。
だけどオレはどうしても名前を呼ぶことに抵抗を感じてしまってなかなか呼べずにいた。でも、家族みんなには「すずちゃーん」とか「すーちゃん」と呼ばれて、すっかり鈴は懐いていた。
時間が経てば、あの日の出来事は忘れるかもしれないと思っていたけど、オレの心はなかなかすっきりと晴れない。
周吾には、「失恋でもしたか?」とズバリ言われて
そもそも、あれが失恋というのかそれすらも分からなかった。
あれから一度だけ邂逅公園に足を運んだこともある。もちろん鈴がいないことはわかっていたけど、大好きだったあの場所を嫌いになりたくなかった。
あれだけ何回も1人で通った場所なのに、あそこに行くと思い出は鈴のことばかりだった。
そんなある日。
「朝陽、大変。すずちゃんがいなくなっちゃった!」
夕方、本屋から帰ったオレに母さんが血相変えて言う。
うちに来てから一度も外へは出たがらなかったのに、オレが出かけてすぐ母さんが宅配便を受け取るためにドアを開けた途端、鈴が外に飛び出したんだそうだ。
「すぐに追いかけたんだけど、全然姿見えなくて」
「大丈夫だよ、もともと外で暮らしてたんだし、また帰ってくるよ」
オレはそう言いながらソワソワしていた。
「車に撥ねられでもしたらどうしよう。
なんで、すずちゃん、うちが嫌だったのかな」
母さんはすっかり動揺して、手に持った鈴の餌が入った容器の蓋を開けたり閉めたりしている。
「オレも探してみるよ」
オレは自転車にまたがり、近所の空き地や住宅街、あちこちを覗きながら鈴を探す。
夕方でもまだまだ気温は高くて、ジリジリと太陽の日差しが首や背中を照りつけてくる。
こう暑いと、鳥さえもいないような気がする。
それでもオレは鈴の白い姿を探してあちこち走り回った。
なんでだよ、お前までいなくなるなよ!
急に姿消すなんてやめてくれよ!
会えなくなるなんて嫌なんだよ!
あの日、突然鈴にもう会えないと言われて別れて、喪失感でいっぱいだったオレの前に再び現れた猫の鈴。
オレが鈴って名前つけたのに、呼ぶとどうしてもあの日のこと思い出してしまうから、今日までほとんど名前を呼ばずにきた。
でも、、
「朝陽に名前呼んでもらってすごくうれしかったんだよ」
あの日、鈴はそう言って笑った。
名前を呼ばれることなんて、オレには少しも特別じゃなかったけど、鈴は、、鈴は、、自分の名前を呼んでくれたことがすごく嬉しかったって言ったんだ。
「す、、すずー!鈴ー!!」
自転車を走らせながら、大きな声で名前を呼ぶ。
「すずー!どこにいるんだよ、鈴ー!!」
すれ違う人がオレを見ている。
それでもオレは呼ぶのをやめなかった。
いつの間にか、初めて鈴と出会った場所が見えてきて、オレは自転車を停めて歩き出す。
「鈴ー!鈴ー!」
呼びながらなんだか涙が溢れてきた。
どうしてか分からない。
だけど、鈴の名前を大きな声で呼ぶたびに、オレの心の中で何かが解けていくようなそんな気持ちになっていた。
いつしか、小走りになり、鈴の名前を呼びながらずいぶん走り回ったんだろう。
「ハァ、ハァ、ハァ、、」
ついには息切れしてオレは立ち止まった。
石階段の上に座り込み、息を整える。
もうすぐ太陽が沈む。
オレはもう一度叫ぶ。
「鈴ーーーっ!!!」
青春さながらだ。
夕陽に向かって大声で叫ぶなんて、地味なオレには到底似合わないことしてるな。
そう考えたら少し笑えた。
その時だった。
チリン♪
小さな澄んだ音がして
「ニャーゥ、、」
いつの間にかオレの横には鈴がすり寄ってきていた。
「鈴っ?!鈴!!よかった、よかったー」
オレは泣き笑いのような顔をして鈴を抱きしめた。
それからの事はあまりよく覚えてない。
自転車を押しながら鈴を抱き、何度も何度目名前を呼びながら帰ったことは覚えている。
だけど。
オレの心臓は、ほんとは何も考えられなくなるほどドキドキが止まらなくなっていたんだ。
なぁ、、鈴?
ほんとに君は猫じゃなかったの?
ほんとにあれは嘘で、
オレをからかっただけだったの?
今なら笑われたっていいよ
君が猫だったって
オレは信じたい
君が笑うならオレは何度でも君の名前を呼ぶよ
だって。
オレが泣き笑いのような顔で鈴の頭を撫でた時。
鈴は前足で
オレの左足を3回、ポンポンポンと、、
軽く叩いたのだから。。
完