ビクッとして振り向くと、
腰に手を当てて、鈴が笑っていた。

「す、、鈴、、、っ?!」

「なんて顔してんの?」

鈴はおかしそうに笑い出した。

「昨日の大雨で!一瞬鈴が流されたのかと思ってびっくりして、、!」

さっきよりもさらに心臓がバクバクと早く鳴り響いていた。

「え?あ、もしかして?その白いビニールがネコだと思ったの?」

鈴はオレの隣にしゃがみ込むと、さっきのビニールを指差しながら言う。

「そ、、そーだよ」

オレは、鈴が無事だったことへの安堵と、早とちりしたことへの恥ずかしさでまともに顔があげられなかった。

「心配してくれたんだ?」

鈴がオレの顔を覗き込む。

「そ、、そりゃ、、あれだけ増水したら小さい猫なんてすぐ流されちゃうだろ?」

ぶっきらぼうに言うオレの言葉に、被せるように鈴は言った。

「っていうかさ?信じちゃった?」

「え?」

「私がネコだって話」

思わずオレは顔を上げる。
鈴は、まだ濁って水かさの増した川をまっすぐ見たままだった。

「どゆこと、、?」

鈴はオレの方を見てわざとらしいくらいにアハハと笑った。

「普通信じないでしょー?ネコが人間になるとかさー、
どんだけ素直なんだよ!あさひは」

「は?」

「冗談に決まってるでしょ」

「だって名前も!それに白い猫って知ってたしさ」

頭がぐわんと回転した気がした。

「たまたま、あさひが白い猫と遊んでるの、見たことあったんだよー」

鈴はそういうと、またわざとらしく笑って見せた。

「オレのことからかったのかよ!」

オレの中で怒りと恥ずかしさと、いろんな感情がぐるぐると沸き起こって吐気がしそうだった。

「あ、怒った?まさかさ、信じると思ってなかったからさ、ごめんごめん」

鈴は、オレの右膝を左手でポンポンポンと軽く叩いた。

「触るなっ」

オレはその手を払いのけて、立ち上がった。
くるりと背を向け歩き出す。

なんなんだ、なんなんだ?
いいかげんにしろ、そりゃこんなくだらない話、信じたオレが悪いよ。
わかってるよ!

後ろから、「ほんとにごめん、でも聞いて!!」っていう鈴の何か言いたそうな声が聞こえた気がしたけど、オレは振り向かずに歩いた。
情けなくて、恥ずかしくて、くやしくて、涙が出そうだった。
そのまま、学校に行く気にもなれずオレは再び家に戻った。
すでに、親も仕事に出た後で、千夏も当然家を出た後だから誰もいなかったことが救いだった。

自分の部屋でベッドには入り、カーテンも閉め切った。

どう表現したらいいのか分からない感情に支配されて苦しかった。

「信じるなんて思わないじゃん」

鈴の声が聞こえるようだった。
猫が人間になるなんてことあるわけないのだ。
普通に考えたら分かることだ。
ましてや、この歳になって一瞬でもそんな話を信じてハラハラドキドキしてしまったことが情けなかった。

ピロン♪

スマホからの通知音でハッとする。
周吾からだ。

〈 昨日の雨で風邪でもひいたか? 〉

そういえば、あのまま学校に行かず引き返してしまった。

〈 ごめん、ちょい気分悪くてさ、しばらく休むかも 〉

なんかもう、しばらく誰にも会いたくない気分だった。
周吾にだってこんなくだらない話できるわけもない。
あいつはきっとバカにしたりはしないけど、こんなことで落ち込んでるなんて情けなくて言えやしない。

〈 そっか。無理すんなよ。今日英語の課題提出日だったけど、出来てるなら取りに行ってやろうか? 〉

周吾からの返信にハッとする。
英語の課題の再提出日が今日までだった。
中間の結果が最悪で出された課題。
1度提出するも、指摘が多くて再提出になった。
その期限が今日だった。
すっかり忘れて、返却されてからまったく見てもいなかった。かと言って今からやる気にもならない。

〈 ヤベー、全然やれてない 〉

〈 そっか。まあ体調不良なんだし、期限のばてもらえばいいよ 〉

周吾はそう送ってきた後

〈 何があったか知らないけど考えすぎんなよ。
  じゃまた元気になったら来いよ!
  オレ一人じゃさみちー(T ^ T) 〉

最後、ふざけたような周吾の言葉。別に周吾はオレが休んでいてもみんなとワイワイやれる奴だ。
周吾は多分気づいてるのだ、オレが体調不良じゃない事。さりげなく心配してくれてる周吾の言葉にオレは少し救われていた。

カーテンを少し開けると、また再び雨が降り始めている。
重くどんよりとした雲がオレの心の中を表してるようだった。

それからしばらくオレはモヤモヤを抱えたまま、ベッドでゴロゴロと過ごしていたけれど、昼過ぎに母さんから「無断欠席してると学校から連絡があった」と電話があり、休むなら休むで早く言え!と散々小言を言われた。
夕方、早めに帰ってきた千夏には、ズル休みしてるとまたギャンギャン小言を言われ、落ち着いて落ち込んでいられなくなった。

翌日。
オレは普通に学校へと向かった。
しばらく誰にも会いたくない気分だったけれど、1人でいるとずっと鈴のことでモヤモヤが止まらない気がしたのだ。

「あさひきゅぅぅーん。さみしかったわぁ!」

朝一番に、ふざけてクネクネしながら周吾が駆け寄ってきて、抱きついてきた!

「やめろー!気持ち悪いー!」

「やだ、あさひきゅん!冷たいこと言わないで!」

絡みついてくる周吾の腕を振りほどきながら、オレは笑っていた。

「ありがとな、周吾」

ポソっというオレに

「いいっていいって!英語の課題ができてなくてズル休みしたんだろ?黙っててやるって〜♪」

周吾はオレの頭を小さい子にするみたいにワシャワシャと撫でた。

「ちがうわー!って課題ーーー!!」

ツッコミながらオレは叫んだ。
課題のことすっかり忘れていた。

「ヤバ!今からやるわ!!」

「あさひくん、元気で何より!」

周吾の言葉を背に、オレは慌てて課題に取り掛かった。





 ダラダラと続く梅雨が終盤に差し掛かった日曜日。
珍しく朝から眩しい光がカーテンの隙間から差し込んできていた。久しぶりにすっきりと晴れた朝だった。
母さんは、一気に洗濯をすると張り切ってバタバタと動いている。

「あ、ちょっとまってもう柔軟剤がないじゃないの!あさひ!あさひー!!」

朝ごはんを食べようと、リビングに向かおうとしたオレを母さんが呼び止める。

「あさひ、柔軟剤買ってきて?!ほら商店街抜けたとこのお店なら朝早くから開いてるから!」

「うん、メシ食ったら行くわ」

大きな欠伸をしながらオレがそのままリビングの椅子に座ろうとするのを母さんが阻止する。

「今!先に行ってよ!またいつ雨が降ってくるからわかんないでしょ?晴れてるうちに洗濯ジャンジャン回したいじゃない、ね?早く!」 

「えー、、、」


「自転車乗ってシャーって行ったらすぐじゃない、は、や、く!」

半ば追い出されるような形でオレは家を出た。

「おー、、久々に眩しいな」

梅雨の合間の太陽は、いつもよりキラキラと輝いていて眩しく感じた。

自転車にまたがり漕ぎ出すと、頬にあたる風が気持ちいい。

「やっぱ、太陽の光はいいな」

久しぶりに気持ちもスッキリして思わずつぶやく。
商店街を抜け、お目当ての店で柔軟剤を買うと、オレは自転車に乗り家とは違う方向にペダルを漕いだ。
あの場所は、すぐ近くだ。

あの日以来1度も近づかなかった。
雨も降っていたから、どうせ座って読書もできないし、と自分に言い訳をして。
本当は鈴との出来事を思い出したくなかったからだ。
だけど、久しぶりの日差しに気持ちが晴れて、あの場所に行ってみたくなった。

「あ、、」

ほんの一瞬で、あの場所に着いたけれど少し様子が変わっていた。

赤い三角コーンに黄色と黒の縞模様のポールで囲われていて、オレがよく座っていた辺りには黄色の看板。
ご丁寧にヘルメットのおじさんが深々とお辞儀をしたイラストが書かれていて、
「工事中」の文字と、「ご迷惑をおかけします」の文字。

河辺には重機が停まっていて、タイルのようなものが敷き詰められていた川沿いの道は少し掘り起こされて、土が剥き出しになっていた。
今日は日曜日だからか重機は動いてなかったけれど、
立ち入りができないように、すべてに囲いがしてあった。

「いつからだ、、?」

なんだか、自分の居場所を奪われたような気持ちになった。
鈴とのあの出来事があって、全く近寄らなくなっていたけれど、今になってあの時、鈴が何かを言おうとしていたことを思い出す。

「ねえ聞いて」

最後にそう言ってた気がする。
どうせ言い訳するんだろと、あの時怒りに任せて振り返りもしなかった。
だけどもしかして、鈴は他にも言いたいことがあったのかもしれない。今更そう思ってもどうにもならないことも分かっていた。あの時、「なんだよ冗談かよ」と笑い飛ばせなかった自分の幼さ、怒りに任せて振り払った鈴の手。

オレはそんな鈴との再会の場所さえも奪われてしまった気がしてしばらくその場に立ちすくんでいた。