たつきの反応を見て、浜尾さんとはなるべく顔を合わせないように配慮するしかないと、浜尾さんにアプリで書き置きだけして、私は彼女を連れて食事に出ることにした。
 さすがに仕事帰りの食事くらいは、落ち着いて食べて欲しい。
 たつきは人におごってもらうのは大好きなため、私が「おいしいイタリアン連れてってあげるから、大人しくして。ご飯食べたらちゃんと寝てて」と言ったら、素直に頷いてくれた。
 さすがに面接前に酒が残ったらまずいだろうと、私はワインを頼むのを躊躇ったけれど、たつきは私がメニューを見ている中「お姉ちゃんお姉ちゃん」とメニューを見ながら言う。

「私、白ワイン飲みたいなあ……」
「あのねえ……白ワインがグラス一杯だけでもかなりアルコールあるよ? 明日あんたの面接だったら、なおのこと出せる訳ないでしょ」
「えー、水を飲みながらアルコール飲むんだったら、悪酔いしないってネットで言ってた!」
「それ、多分アルコール飲み慣れている人の言葉だし、飲み慣れてない人間が真似してもあんまり意味ないと思う。まだたつき、自分の酔い度がどれくらいか把握できるほども飲んでないでしょ」
「えー……」

 結局私は大量の果物と炭酸で割っているからギリギリ大丈夫だろうと、サングリアを注文することで妥協した。たくさんの果物の果汁が入っているおかげで、ほとんどジュースと変わらないけれど、たつきが調子に乗って「お替わり頼んでいい?」と言うから、「駄目」と即答して黙らせたけれど。
 出てきたマッシュルームのポタージュを飲みながら、たつきはきゃっきゃと聞く。

「人間嫌いのお姉ちゃん、どうやって知り合ったの? 同居人さんと!」
「えー……あの人お隣さんだったの」
「それだけえ?」
「うん」

 さすがに、浜尾さんが自主的に言ってないのに、私の読者だって言うのもなあと、言うのを躊躇った。
 たつきはジトォと私を半眼で見ながら言う。

「でもお姉ちゃん、基本的に人間嫌いじゃん。お隣さんだからって理由で仲良くなれるとは思えないよ。趣味一緒とか? お姉ちゃんみたいにオタクとか」
「……止めてよ、そういうのは」
「今って別に、オタクっていうのはなんの恥ずかしいことでもないよ? お姉ちゃんものすっごく公言したがらないけどさあ」
「あんたと私だと、世代が違うの。私は自主的に自分の趣味をひけらかすの、好きじゃないし」
「ふうん? そういうもんなの?」

 年が離れていると、趣味に関する距離感も変わるなと、少しだけ怖くなる。少なくとも私は、「BLが好きです」と公言して歩き回らない。たつきが暢気で無神経なのか、あの子の世代はこういうもんなのかが、私にはよくわからないままだった。自分自身が繊細ヤクザである自覚はあるんだけれど。
 私は「そういうもんです」と言うと、たつきは「ふうん」とだけ言った。わかってくれたのかどうかは知らない。

「でも大家さんにはお姉ちゃん、気を許してるんだねえ」
「何度も言うけれど、あんたが思っているようなこと、私たちにはなにひとつないから。そういうの期待しないで」
「なんで?」

 それはなにに対する「なんで?」なんだ。思わず聞き返しそうになるのを、ぐっと堪える。食事がまずくなるから。
 メインディッシュの手長海老のパスタは、手長海老を手で取ってしゃぶらないと身を食べられないせいで、少しだけ無言になる。ふたりでもりもり手長海老をすすって、その甘く引き締まった身を堪能していたら、トマトソースのパスタをフォークに絡めながら、ようやくたつきは口を開いた。

「私、それがよくわかんないなと思ったんだけど」
「だから……なにが『なんで?』なの。話が飛び過ぎててよくわかんない」
「なんにも飛んでないよ? 単純に、ひとつ屋根の下に男女が住んでて、どうしてなんの事故も起こらないんだろうって不思議に思っただけ。おまけに私が泊まりに行ってもなんの問題もないって、変なのって思ったの。その人、LGBTの人でもないんだったら、なんでなんだろうって」
「あのねえ……私が四六時中発情して、ムラムラしている人と同居なんてできる訳ないでしょ」
「うん、お姉ちゃんの人間嫌いを考えればそうだよね。その人間嫌いのお姉ちゃんが許容できる関係ってなんだろうって、普通に疑問に思ったんだよ」

 そこかあ……。私はなにもかもを面倒臭く思いながら、パスタを食べるのに集中した。
 せっかく海老の味が濃厚なパスタが、これじゃあ台無しだ。

「あの人と私は同類だから。だから上手く行ってるんだよ。だからたつき、お願いだから私たちを引っかき回さないでよ。本当にお願いだから」

 そう懇願するように言うと、たつきは「仕方ないなあ」と言ってから、サングリアを傾けた。

「なんというかさ、お姉ちゃんもその、大家さんも。生きにくそうだよね」

 そうしみじみと言われてしまい、私はがっくりとうな垂れた。
 自分たちが生きにくい性分だってこと、自分たちが一番よくわかっている。
 私たちは互いに人間嫌いで、互いにパーソナルスペースが広いのを知っているから、それにできる限り触れないようにしているから、かろうじて上手く行っている関係だ。
 互いに風呂の時間を分け、生活動線を引いて、絶対に踏み込んではいけないスペースに入らないように心掛け、実際にそれで上手く行っている。
 BL作家とその読者。今は同居人。
 他になにも入り込む余地がないからこそ、居心地のいい関係を築いている。
 それは異物が入ってきたら、簡単に決壊してしまう関係だ。だからこそ、頼むから余計なことは言ってくれるなと、私は必死になって言っている訳だ。

****

 帰りに、浜尾さんにお土産兼お詫びでエッグタルトを買って帰ることにした。さすがに了承してもらったとはいえど、私たちのパーソナルスペースにたつきを入れることにしたのは申し訳がなさ過ぎて、せめて手土産でも持って帰らないと無理だった。
 私たちがアパートに帰り着くと、とっくの昔に浜尾さんは帰ってきていた。日頃はもっとダラッとしたシャツにジャージ姿にもかかわらず、仕事帰りのスーツ姿のままなのは、私たちに風呂を譲ろうとした結果なのかもしれない。

「ただいま戻りました……食事、外で済ませました。これ、お騒がせしますからお土産のエッグタルトです。暇なときでもどうぞ」

 私がエッグタルトの紙箱を差し出すと、浜尾さんは怖々と受け取った。

「お帰りなさい……えっと、こんばんは……」

 浜尾さんはあからさまに視線がおかしい。私とはなんとか目を合わせられるものの、視界から必死でたつきを外そうとしているのだ。
 たつきは怪訝な顔で一瞬見たものの、すぐ屈託のない笑みを浮かべた。

「こんばんは! 初めまして、しばらくお世話になります、柏原たつきです! よろしくお願いします!」
「えっと……はじ、めまして……浜尾、努です……せ、まい部屋ですけど、好きに使ってくれて、かまいませんから……ああ、自分はできる限り部屋にいますから、本当に気にせず……」

 あからさまに私と初体面のときに戻ってしまった浜尾さんは、今にも口から魂が出そうになっていたものの、どうにかたつきとの挨拶を終えたあとは、部屋に引っ込んで本当に出てこなくなってしまった。
 まるで彼の家を私たち姉妹が乗っ取ったみたいで、非常に申し訳ない。
 たつきは私と顔を合わせた。

「お姉ちゃんとも、いつもああなの?」
「いや、私とは普通に会話ができてるけど。というより、そうじゃなかったら同居できないでしょ」
「それもそうか。でもああだったら、大変そうだねえ」
「なにが?」
「ずっと人の言動に緊張し続けていたら、いつかパァンと破裂してしまいそう」
「止めて。それ絶対に浜尾さんに言わないで」
「わかってるよ。ただ、大変そうだなと思っただけで」
「それ。そういうの本当に止めて」

 私が注意すると、たつきは少しだけ唇を尖らせてから「はあい」とだけ言った。
 浜尾さんの風呂の時間は私たちよりも大分遅いから、たつきに最初に入らせてから、私も風呂をいただくことにした。
 久々に人が使ったあとの湯船で、風呂場が暖まっているのがわかった。
 浜尾さんはシャワーしか使わないせいで、私しかお湯を使わず、あまりにも申し訳ないのともったいないので、残り湯は全て洗濯と風呂掃除に使わせてもらっていた。
 何度かお湯をよかったら使って欲しいとか、シャワーだけだと体に悪いと言っても、浜尾さんは頑なにお湯に入らなかった。そういう性分なのか、私のあとのお湯に入りたがらないのかがわからず、私が風呂の時間を入れ替えるよう交渉しても、やっぱり「かしこ先生に申し訳ないです」と首を振って、受け入れてもらえなかった。
 普段は私しか使わない湯船に入りながら、ぼんやりと今日一日のことを考える。
 一日たつきに付き合った疲労が、お湯に流れて消えていったらいいなとぼんやりと湯船にもたれながら思う。
 この子は気を遣っているのか、人の神経を抉っているのかがわからない。でも繊細ヤクザはなんでもかんでも「傷付きました」と言ったら傷付いてしまう認識になってしまうから、これは単純な私の認知の歪みなのかもしれない。
 そもそも、私はなんでたつきに久々に会って、ずっと繊細ヤクザがまろび出るくらいに警戒心を露わにしているのか、自分でもよくわからなくなっていた。
 もしかしたら。
 私と浜尾さんは、異物が入ってきたら簡単に決壊してしまうような、脆い関係だ。本当に居心地がいい同居生活を崩されたくなかったのかもしれない。
 ……それはあんまりにも、浜尾さんに対しても、たつきに対しても失礼だ。

「……申し訳ないな」

 湯船にひとり言が思いっきり響いて、慌てて私は膝を抱えた。
 どうせたつきは面接三件終えたら、地元に帰る。それが終わったら日常に戻れるんだから、それまで我慢しよう。
 今までの生活がどれだけ居心地よかったのか、嫌というほど思い知らされたのが、私にとってはどうしようもなかった。