「お前なんかうまなければよかった」「ここまで育ててやったんだから感謝ぐらいしろよ」「お前が何の役に立つんだよ」

私は物心ついた時から母親から虐待されてきた。父親は私がうまれてすぐに死んだらしい。母は父が死んだことにまだ信じられなかったのか家の中に母と父の写真があった。写真から見る私の父は仕事ができそうで優しそうな見た目をしていた。私に対しての罵詈雑言、暴力は朝起きた時から寝る時まで続いた。暴力は母の気分で決まった。殴られることが大半だったが、長い爪で切り傷をつけられたり、根性焼きをされることもあった。虐待でついた傷は24歳の今でも完治していない。当然痛かった。地獄だった。逃げ出したかった。

私が10歳の時、夕方ごろ昼寝から覚めた母が何故かとても機嫌が悪かった。夢に父親が出てきたのだろうか。
「あんたがうまれたからあの人が死んだ!!」「だからお前も死ねよ!!!」
タバコの灰皿を投げつけてきた。足に強く当たった。ガラス製の灰皿だった。痛い。痛い。でも声に出したら怒られる。その後台所にある包丁を手に取り私の元へ大股で向かってきた。怖い。怖い。こわい。こわい。
幼いながらに母親に殺されるんだとこの時は確信した。子供だった私はその時腰が抜けてしまった。目が本気だった。嫌だ。死にたくない。しにたくない。しにたくない。包丁を持って興奮している大人はこんなに怖いのだと気付かされた。私に包丁を刺すために大きく振りかぶった時家の扉が開いた音がした。
「警察です。包丁を置いてください。そして署までご同行願えますか。」
警察が入ってきたのだ。実は私は母に日常的に虐待をされていることは唯一幼馴染に伝えていたのだ。それを聞いた幼馴染の親が通報したらしい。間一髪だった。私は安心のあまりその場で気を失った。

「おはよう。お嬢ちゃん。気分はどうかな。」
「‥‥」
「ここは病院だよ。安心して。お兄さんは君に酷いことはしない。これは絶対。」
「自分の名前言えるかな?」
「‥‥ゆき、、の、、、さえです。」
「そっか。可愛い名前だね。教えてくれてありがとう。」
気がついたら病院だった。気を失って初めて聞いた人の声は今までに聞いたことのないほど優しい声で私を気にかけているのが分かった。私はあの生き地獄から抜け出すことができた。それはもうとても嬉しかった‥‥はずだった。
「あれ‥‥」
「ん?どうしたの?」
「何も‥‥感じない」
「え?」

「失感情症(アレキシサイミア)」
それが私の診断結果だった。生まれてから今まで初めて聞いた言葉だったからとても混乱した。
これは、自分の感情を認知したり、感情を言葉で表現するのに障がいを抱えていることを言うそうだ。この症状は遺伝性や大きなストレスで引き起こすらしい。私の場合は、10歳というまだティーンエイジャーにもなっていない年齢で自分の母親に殺されそうになったことだ。

その後、母親は精神科に入院することになった。これは当然だ。私はというと失感情症に悩まされた。入院している時は目から勝手に涙が出てきたり、摂食障害になったりした。病院食を食べられず、もともと十分な食事を与えられていなかったため、私は10歳と思えないほどとても痩せた。退院した後も、虐待のフラッシュバックが何度も起きたり、学校に通っても「空気を読んでよ」と言われてもどう言うことかわからないため友達ができなかった。

私はあの地獄から抜け出すことができたが、失感情症は今も治ってない。

「失感情症の私」