呪いは存在しない。
 この世界に呪いがあるのなら、俺は、きっと呪いにかけられている。
 あの日、田中にあった後ふと思ったことがずっと脳にこびりついている。
 俺は、どうして人の死で嘆くことも悲しむこともしていないのか。
 思えば、真島は真っ当だった。
 人の死が嫌いというのは誰もが思うこと。
 だからこそ、クラスメイトも呪いだと騒ぐのだ。
 これ以上、騒ぎが大きくならないほうがいいと思うよりも先に、俺もみんなみたいに騒ぐほうが人間らしいのかもしれない。
 普通じゃない?
 そんな考えが、脳裏をよぎる。
 まさかな、と思うけど実際、俯瞰している部分があるせいで一概には頷けない。
 まだ死を受け入れられていないだけだとするなら、その可能性もあるけれど。
 俺は俺がわからなくなっている。
 我妻は、生きたいという意思があるように彼らしさがあった。彼は彼のことがわかっていたのかも知れない。
 それが、いじめていい理由にはならないけれど。
 じゃあ、今の俺はなんなんだ?
 廊下で、誰かを探している女子が見えた。
 誰も反応していない。
 どうしたの?と声をかける。
 靴のカラーによって学年が違う。同じカラーだったので、タメ口で声をかけた。
「あの、西崎さんを呼んでほしくて」
「あー」
 部活だろうなと思う。
 彼女は演劇部の人間だ。
 これだけ発声のいい女子だ。演劇部の子だろう。
「ちょっと待ってて」
 西崎さんの席に行き、廊下で人が待ってると伝える。
 しかし、彼女は首を横に振り動こうとしない。
「なんかあったの?」
「別に」
 このムスッとした感じ見たことはないが、聞いたことはある。
 もう一度、聞いてくれってやつだ。
「本当に?」
「本当なので、もう話しかけないでください」
 どうやら的外れだったみたいだ。
「でも、部活の」
「あああああ!わかった!」
 主役の話をするつもりはなかったけれど、彼女は敏感に反応した。
 彼女は、セカセカと廊下に出ていった。
 その視界の端に真島がいた。
 俺に声をかけるだろうと思い、手を振った。
 彼も手を振る。
 彼が胸ぐらを掴む一件があってから、少しぎこちなかったがそれも少し前の話なのか気にしていなさそうだ。
 ありがたい。あの後、ちゃんと謝ったから良かったのかもしれない。
「我妻の葬儀あるらしいけど、行くか?」
「どこからその情報を?」
「担任が教えてくれた。で?」
 行くのか、行かないのか。
「どうしようかな」
 我妻は特別好きってわけじゃないし、なんとも思わないが行かないのも良くない気がする。
「真島はいくの?」
「部活休んでいくよ。大会が近いわけじゃないし」
 真島は、テニス部に入っていてレギュラーで活躍している。
 そのストイックさが彼の良いところだけれど、最近はよくゲーム機を持ってきている。カバンに入っていたのが見えたが、言わないままでいる。
「じゃあ、俺も行こうかな」

 週末、我妻の葬儀があった。
 変わり果てた彼の顔に俺は驚いた。
 人はこんなにも変わるものなのかと。
 まるで、呪いによって殺されたような。不謹慎極まりない考えをかき消す。
 呪いだなんてものあるわけがない。
 彼は事故にあった時、どう思ったのだろうか。やはり、生きたいと切に願ったのだろうか。
 叫び、喚き、泣いたりしたのだろうか。
 肉体だけになり、静かな彼は何も言葉を発しない。
 死んだのだから、言葉なんて喋れるわけないのに。
 俺は、どうしてまた話してくれるなんて思ったのだろう。
 お前の死ぬ間際を知りたい。
 どうして、死んだ?
 他の誰かに助けを求めなかったのか?
 変な気持ちが込み上げてきて、顔を上に向ける。彼の写真は笑っていた。
 あぁ、今までずっとそんな顔して笑ってたな。いつもあんな顔して、世間話して、愚痴ったり、ゲームしたり。
 俺らといる時、あんなに楽しそうだったお前は、もう写真にしか残ってないのか。
 いじめたお前が、許される未来などないだろう。
 だが、あの瞬間のお前を思い出すとこんな思いになるのも許されていいだろう?なぁ?
 真島が、拳を握っている。
 それが、人を虐めた現実に対する怒りなのか、田中が自殺を図るに至る原因に対する怒りなのか。それとも、ただただ我妻が死んだ現実に対する悲しみなのか。
 おそらく、どちらもだろう。
 火葬され、骨だけになった彼。跡形もなく面影すら残らない。遺族が泣くでもなく、虚に動く姿は息が詰まる苦しさがあった。
 葬儀が終わり、家に帰る道中。
「真島、どう思った?」
「え?」
「俺は、仕方ないって思った」
 ただの一人語りだ。真島には付き合ってほしい。
「人を虐めた奴の現実だ。クラスメイトでお通夜に参加したのは俺たち二人だけだ」
 誰も参加しなかった。担任は、両親に挨拶をしていた。俺たちにも気にかけてくれていたけど、実際はいじめっ子と仲がいいだけ。俺たちもいじめっ子みたいなもんだ。
 車で送ると言われたけど、俺たちは断った。それが、いいと思った。
 冬を思わせる冷たく凍てつく風が吹いている。
「俺は、そんなもんだと思った」
「……」
「虐めたんだ、あいつは。人の心を殺して、肉体に傷を入れて、あれじゃ足りないくらいもっと傷が入れられるべきなんだと思う」
 いじめはいけないこと。そして、見て見ぬ振りをした俺も同罪。
 呪いがあるのなら、きっと次に死ぬべきは俺だ。
 なのに、なぜだか怯えることも、恐れることもない。
 怖くもない。どうしてだろうか。
「それは俺も一緒なんだ。俺も殺されてもおかしくない」
「呪い?」
「そうだ。真島の言った通り、呪いだと思う。俺は、殺されてもおかしくない。見て見ぬ振りをしたんだ」
「でもそれは」
「お前は違うだろ。田中が自殺を図ったって聞かされた時、一番に感情が揺らいだのはお前だ。お前が呪われることなんてない」
「あれは、いじめを受けたものが憎んで恨んで、それが呪いだって思っただけで」
「間違いじゃないだろ。俺も同罪だ」
「三浦まで死ぬことない」
 優しいなと思う。
 こんなに優しければ、死ぬことはないだろう。
 実際、生きていてほしいと思う。
「俺はさ、理由があるんだよ。クラスの人たちがみんな仲良くいてほしいって理由が」
 夕焼けの日を見つめると彼も同じように視線を向けていた。
 中学生の頃、俺はクラスでも人気があった。昔から端正な顔立ちだと言われ、将来は芸能界入りするのかと正月やお盆の両親の帰省についていった時に言われたことだ。
 おじいさんもおばあさんもそれを期待していた。
 だけど、俺はそれ以上に二年のクラスが楽しくて仕方なかった。
 学校に行けば、みんなからチヤホヤされて外で遊ぼうといえば参加する人が多かった。
 ムードメーカーのような存在だった。
 俺は、そのムードを作るのが上手かったのだと思う。
 俯瞰して、今誰が誰とギスギスしているのか。誰が一人なのか。悲しんでいる人はいないのか。
 その人たちに自然を装い接触し、話を聞いてその人に合う言葉を伝えてきた。
 だけど、それは恋愛感情を持つ女子生徒から反感を買った。
 女子生徒で一人、悲しい人に寄り添えば、どうして彼女だけがと怒りを覚え、女子生徒同士で排除される。俺がいれば、一緒にいてあげるような優劣が影でできていた。
 そしてその女子生徒は、耐えかねて学校に来なくなった。不登校になった時、男子生徒が教えてくれた。
 謝りに家に伺った。しかし、彼女は会いたくないと門前払いを食らった。
 結局、それ以降、彼女は三学年に上がるまで来なかったし、別のクラスになった。
 女子生徒の陰湿さに気づけなかった俺が悪かった。
「そして、一学期、いじめを利用し、カーストが出来上がった。あっという間のことで飲み込まれて何もできなかった。そして、田中がいじめの的になった」
 一人でいてもなんの問題もないような彼の雰囲気が気に食わなかったのかもしれない。
 クラスメイトの関係性も変えられず、カーストのドツボにハマった田中は格好の餌だった。滑稽で哀れなその様を我妻は楽しんでいた。
「俺は、また人をダメにした。できることさえせず、何もしないまま終わった」
「……」
 真島が、俺を見ていることに気づいた。だけど、俺は彼を見ることができなかった。
「自分にできることをしなかった。目の前で苦しむ人を見殺しにした」
 夕焼けに手を伸ばす。
「苦しんでいる人の手をつかむことができなかった。救うことができなかった」
「……」
「あいつは、悪魔だ。死ぬのは当然で、間違いじゃない」
 でも、と続ける。
「あいつとゲームや勉強、遊んでいるときは間違いなく楽しかったんだ」
 日が暮れる。手を下ろす。
 秋の空が暗くなる。涙も出ない。
 そして、夜が来る。
 暗い檻の中、少しでも光があるようにと差し伸べてきたはずの手は、高校生になってその手を伸ばすこともせず、視線を逸らし、見向きもせず、離れた。
 こんなにも夜は暗いのに、光はどこにもない。
 きっと田中もそうだった。あの一学期間、彼はずっと光のない闇の中をただ無限を感じるこの空間で生きていたのかもしれない。
「なぁ、真島。聞いたかもしれないけど、俺はもう田中には会わない。もう、会っては行けないと思う」
 情報として入れておきたかった彼の現状を知り、穏やかそうな彼に刺激は与えたくない。
 中学生の頃の女子生徒の一件で気づいたのだ。
 俺といない方が幸せな人はいる。
 ネガティブに考えすぎなのかもしれないけれど、実際そうなのだから仕方ない。
「真島の感情は、正しいと思う。俺は、どうして人らしい感情をパッと出せないんだろうな」
 これさえも客観的な言い方で、そのくせ人に委ねてしまっている。
 根がネガティブだからだろうか。
 だから、笑い合える時間が好きなのかもしれない。
 ネガティブにならなくていいから。
 そう言った意味では、彼は必要だった。我妻は必要だった。
 だけど、クラスメイトからしてみれば、不必要だった。
 感情的な言葉を理解してくれるのは、真島や我妻くらいだ。
 正論が飛び交えば、感情なんてものはぐうの音も出ない。だって、感情はいつだって不合理だから。
 理にかなわぬ正論を告げられたら、子供である俺たちに何が言えようか。
 どうして、両親はそんな言葉使ってくるんだろうか。大人はどうして、正論や理屈を選ぶのだろう。どうして、感情を後回しにしてマナーや世間体を選ぶのだろう。
 俺はそんなの求めてないのに。
 我妻に以前こんなこと言ったことがあったな。
『知りすぎたんじゃない?世間を。周りの意見を、言葉を、感情を。だから、世間の足並みに揃えて生きているんだと思う』
『たとえば、多様性を訴えれば、理解できない人を理解がない人って揶揄するだろ?あれも世間体だろ。自分は理解ありますよ、あなたの味方ですよって言っている方が世間は何も言わない。みんな、周りの目を気にしてるだけ』
 『俺もそうだけど』ボソッと告げた言葉に、聞き返した。
『俺も両親の言葉には何も言い返せない。思ったことを言いたいし、感情的になりたい。だけど、両親はそんなこと聞きたくなくて、求めてなくて。ただ普通の学生でいてほしい、両親が思う学生でいてほしい。言い返したって、感情と正論と同じ方向を向いてくれないだろ?ああいえば、こういうし、こういえば、ああいうし。結局、俺は我慢するだけ』
 俺も我妻に似ていた。両親に感情的になれば正論振りかざして勝ちを感じて、正論言えば大人びたこと言うなと言われたり。
 家族との関係が良好な子供はどれくらいいるのだろう。
 変に情報を得られる俺たちの味方は誰なんだろう。
 同じ傷を知る者同士、舐め合うしかないのだろうか。
「俺には、人らしく悩んでいると思うけど」
 真島は、俺にそんな言葉を投げかけた。
「人らしいって?」
「さぁ、人それぞれじゃない?みんな同じ感情を抱いていたら気持ち悪いでしょ」
「言うなぁ」
 なんだかおかしくなって笑った。
 人それぞれ悩みを抱いてる。みんな同じ感情を抱いていたら気持ち悪い、か。反芻すると気が楽になった。
 それでいいのかな。
 解決した気はしないけど。今はそれでもいいのかもしれない。
 だけど、もしそれでいいのならこの虚しさはどうしたらいいのだろう。
 人の死に顔を見てもなんとも思わない俺なんかこのままでいいのだろうか。
 安らかに眠る我妻は、何を思って死んだのだろう。

 週の初め、放課後に課題を飲食チェーン店で勉強していた。
 悩みを抱いても当たり前のように人は課題を出してくる。どんな感情を抱いていても変わらず、時間は流れていく。
 家で勉強しても落ち着かないので、外で勉強する。これが俺のルーティーンだ。
 学校の図書室を借りて勉強することもあるけれど、意外と人がいてうるさかったりするのでこういう平日の放課後に行けば、思いの外静かだったりもする。
 ドリンクバーを頼んで、軽く小腹の足しになるものを買えば準備完了。
 頭がいい方じゃないから、人がいてくれた方がいいのだけれど。
 頭をかきながら問題に文句を言っていると俺の名を呼ぶ女子の声が聞こえた。
 顔を上に向けると別の学校の制服姿の女子が隣に立っていた。
 驚いて少し距離を置いた。
「え、もしかして、間宮?」
「久しぶり」
 それは、中学三年生の頃に不登校にさせてしまった彼女の姿だった。
「よく覚えてるね」
「いや、雰囲気違いすぎてびっくりしたけど」
 学区内が一緒なので、どこかのタイミングで会うこともあると思っていたけど。
 まさか真島に話した後に会うことになるとは思わなかった。
「相席、いい?」
「あ、うん、いいよ。どうぞ」
 前に置いてある荷物を椅子の隣に置く。
 彼女が座るとメニュー表を見るので、一応伝えておく。
「ドリンクバーと、それと、こいつ」
 と指差すと同じものをと、いつの間にかきていた店員に注文していた。
「なんでここに」
「私も勉強しようと思って。窓の外から見えたから」
「それでわざわざ?」
「うん」
 何からどう伝えたらいいだろうか。
 先に謝るべきだと思い、口を開く。
「あのさ、中学の頃は、ごめん。許してほしいなんて言わない。だけど、本当にごめん」
「……あぁ、いいよ。そう言うのは。気にしてないって言ったら嘘だけど。ありがとね」
「今は、どうしてるの?」
「あなたよりは、低い学力の学校だよ」
「そんなことはないでしょ。五分五分でしょ」
「まぁ、そうなのかな」
 勉強教えてもらいたかったけど、仕方がない。自力で解こう。
「あの時、正直どう思ってた?」
 気になったし、今ならボロクソに言われても受け入れられる気がして、躊躇いはありつつも聞いた。
「そういうの聞くタイプだよね。変わってないね」
 あれから自分らしささえない今の俺をどうにか変えたいとは思う。だけど、解決できていないのに変えられる自信はない。
「自分の評価、気にしてるんでしょ?」
「…………え?」
 自分の評価?
「そんなつもりは」
「ないなら、なんで聞くの?興味本位で聞くことじゃないでしょ?」
 あなたがそんなことする人だと思えないと付け足す。
 確かに、田中の様子を見にいく時も情報として必要だっただけ。
 彼女の目は、俺を見透かしているようで言い返せなかった。
「わからない。俺は」
「評価を無意識で得ようとするなんてねぇ」
「だから、そんなつもりは」
「あるんだよ。ムードメーカーにもいるよ。人からの評価が欲しいって人。承認欲求ってやつ。やたらうるさい人とか、いじめる人とか。それこそ、ほら、SNSに顔を出す人」
 インフルエンサーやアイドル、芸能人もその類なのだろうか。
「あなたは、欲しいんでしょ?人から必要とされる感じが。空気感が。みんなが俺を俺をって求めるところが」
「違う」
「なんで否定できるの?理由は?」
 言い返したいのに、彼女はやはり見透かしているようで。
「俺は」
「悪いけどね、今の私にはわかるよ。あなたが優しいこと。でも、その優しさが今はないこと。そして、承認欲求でもなかったこと」
「……」
 何が言いたいのかわからなくて、恐ろしい。
 間宮は、こんな人だっただろうか。
 自分が知らないと言うのはとても怖い。
「自分の知らない感情を知りたい。情報が欲しい。恐怖を克服して安心したいの」
 だから、と続ける。
「あなたは、情報を得ただけの空っぽな人。何もない人なの」
 そう感じることはない?と問われる。
 ないと、言えない。
 疑問に思っていたことが蘇る。
 どうして、人の死を嘆くことがないのか。我妻が死んだ時、何も思わなかった。今もそうだ。少し悩んでもそれっきり。
 田中が自殺未遂を図った時も、俺は何も思わなかった。
 情報として現状を知りたかっただけ。
「感情っていう感情が乏しいのよね、あなたは」
「間宮」
「怒った?」
「まさか」
「だよね」
 彼女の罠にハマったと、言ってから気づく。
 本当に怒ることもしていなかったと。
「でもね、それっておかしいことじゃないよ」
「え?」
「私もそう。承認欲求っていうのは、違うと思ったけど、まさか一緒だとは思わなかった」
 あのねと、相談するように彼女は俺に目を合わせる。
「その原因、一緒に取り除かない?」
 彼女を救えなかった俺に、手を差し伸べてくる。
「その前に、どうして。気づいた?」
「中学生の頃、気になってたの。あなたの行動が。でもね、心理学を学ぶたびに気づいたの。一緒だって」
 そして、触れてほしくない言葉を告げた。
「あなたは今、揺らいでいる。感情を押し殺したその先に向かっているの」
 オブラートに包むこともなく、伝えられた言葉。
 脳が簡単に処理してしまうその言葉を俺は、拒絶していた。
「あなたはそれ以上に苦しい過去がある。だから、今も苦しいのでしょ?」
 協力してあげると言わんばかりに、手を差し出す彼女。
 藁を縋る思いの中、躊躇いがちに手を握った。
「お願い、助けて」
 声は震えて、頭が回らなくて。
 人らしくありたい俺が、できないことをちゃんと解決できるのなら。
 初めて誰かを頼った。
 それが、解決になるのなら、と。