高校一年生の二学期の十月の半ば。
 我妻愛斗が、事故死したとSHRで担任が告げた。
 死因はトラックに撥ねられたことによる頭部の出血死。
 クラスの一軍男子、我妻の死にクラスメイトは安堵する者の方が多かった。
 それものそのはずで、我妻は人をいじめ、自殺未遂にまで追い込んだ悪人だ。
 クラスの大半は、ほっとしたような安心感さえ感じる。
 この死は、クラスの平和につながる。
 カーストの崩壊。立場もなく平坦に。
 俺や真島はいじめに加担はしてこなかったが、我妻とは仲が良かった。飲食チェーン店で飯を食いながら、勉強したり、ゲームをしたり。
 意外にも我妻は、勉強を教えるのが得意で、分かりやすくて助かっていたから、これから先誰に教えて貰えばいいのか不安だ。
 担任が教室を出た後、俺は後ろの席からクラスを見渡す。
 空いている席は三つ。
 我妻の席と自殺未遂をした田中の席。そして、今日はなぜだかきていない西崎の席。
 田中が自殺未遂をしてから、ギスギスとした空気感があった。だから、それを改善するために俺は動かない我妻とは違い動くようにした。
 我妻には申し訳ないが、いじめは嫌いだ。いじめの環境を許さぬ空気感を今のうちに作らねばと急いだことは間違いなく良いことだったと思う。
 できることなら、一学期にしておくべきだったけれど。
 どうして我妻が田中をいじめようと思ったのかはわからない。関与しないことが得策だと動いた俺は間違いだっただろうか。
 田中が、いじめられなかったらここにいたなら、死は免れたのか?……まさかな。
 いじめっ子の我妻が死んだこと。それが、いじめ由来ならば……。
 ありもしない単語が浮かんだ。俺は首を振った。まさか、そんなものあるわけないのだから。
 「呪い、みたいだよな」
 いつの間にかきていた真島が俺に麦茶のペットボトルを手渡してくれる。お金を渡し、自販機で買わせたのだ。
 ありがとうと手に取るとその言葉に疑問を感じる。
 俺はてっきり田中の復讐だと思ったから。
 言葉を待っていると口を開く真島。
「死ぬとは思わないだろ?あの我妻が」
「あぁ、まぁな。死にたい奴ではないしな。むしろ逆」
「生きたいって心の底から思っていそうだから」
「死にたかったのかな」
 俺はあえて触れてみる。
 真島と我妻は友達と言うほどの関係には見えない。それは、一学期の初めは田中とよく話していた。いつの間にかこちらに来るようになって田中とは話さなくなった。
「違うだろうね」
 意外だ。あまり良い顔をしていない。
 田中との関係がまだあるなら、こんな虚無な顔しないだろう。
「人が死ぬのは嫌いだ。どんな奴でも」
「……」
 答えられなかった。
 俺はそう思えなかった。
 死んでもおかしくない奴はどこにでもいる。
 このクラスメイトでさえ、自殺を図る人がいるのだから。田中だって死にたかったんだろう。
 あんないじめに遭えば、死にたくなる。立場が違えばまた。
 移動教室のために席を立ち、教材を手に取り歩を進める。
「皮肉だよな。生きたいやつが死んで死にたいやつが入院中って」
「三浦、面白がってんのか?」
「まさか。面白くはない。でも、俺は」
 少し口角が上がる。
 その瞬間を見られたのか、胸ぐらを掴まれ壁にぶつかる。
 俺と真島の教材が落ち、音を立てる。
 廊下にいる生徒の視線が気になる。
「何、わらってんだ?」
「笑ってないよ」
「面白がってんだろ!」
「違うって」
「ふざけるな」
「ふざけてないし。何?自分が助けられなかった田中のことまだ引きずってんの?」
「……っ!?」
 図星のようで、体を硬直させている。
「制服、皺がつくから離してくれる?」
「……」
「聞いてる?」
 スッと離すと、彼は小さく謝った。
 二学期の初め、田中が学校に来ず、このクラスだけ集会に参加できなかった。校長、教頭、担任の強張った表情にただならぬ予感がした。
 それは、我妻も同じで黙って彼らの声に耳を傾けた。
『田中は今日来ていません。自殺未遂でマンションから飛び降りたみたいです。何があったのか事情聴取をしていきたいと思っています』
 真島は、口元を押さえて教室を飛び出した。
 トイレに行って吐いたのだろうと思った。
 その日の真島は顔が死んでいたし、あまりにもひどかったため早退していた。
「別に、真島は、みんなを生かしたいと思っていないだろ?」
 耳元に顔を近づけ、小声で言う。
 はっとした表情で口を少し開けアホ面を晒す。
「田中は生きてる。我妻は死んだ。真島、伝えてきたらどうだ?」
 肩に手をポンと置き、ニコリと微笑む。
 そもそも真島は、あの日以来うまく笑うこともできていない。トラウマを覚えてしまっては、生きていけないだろう。
 死んでいるのは、どっちだろうねと思わなくもない。
 教室に行く前に、保健室に寄ることにした。
 以前、真島が言っていた言葉を思い出す。『一学期、田中が教室にいないときは、保健室にいたらしい』これが正しいのならば、きっと西崎もいる。
 西崎と田中は仲が良くて、昼休みなど二人が教室にいないことはよくあった。もしかすると、保健室にいるのかもと考える。
 ノックして入ると案の定、彼女はいた。
「三浦くん……」
「西崎さん、おはよ」
「どうして」
「ちょっとね。先生に言いたいことがあって」
 言えない溜まったものがあると告げると彼女は、退こうかと言うけれど、首を横にふる。
 先生と対面で座り、隣には西崎がいる。その中で深刻な顔して伝えた。
「うちのクラスの問題児が、昨日事故死したみたいで」
「我妻君だっけ?」
 知っていたらしい。情報は保健室まで届いているものなのかと驚く。
 保健室の先生ってなんだかそう言った情報を遮断されていて、届いていない気がしたから。
「えぇ、そうです。クラスのやつが言ってました。呪いじゃないかって」
「呪い?」
 西崎が反応する。俺は首を縦に振る。
「でも、呪いなんてあるんですかね。俺は、そうは思えなくて」
「じゃあ、他に何が?」
 先生が、次の言葉を促してくれるので安心する。
「正直な話、呪いなんてないと思うんです。ただ不運の事故っていうか」
「我妻君が事故死……」
 静かな彼女でもこんなこと聞かされるとは思っておらず、口を開いた様子。
 演劇部の裏方だからだろうか。静かなのは仕方ない。声は通るし、聞き取れるから変な感じがする。
 大抵の声が小さい人は、何言っているのかわからない。何度聞いても何言ってんの?ってなるから。
「呪いって、誰かが呪うってことだよね?」
 西崎が、問う。質問してくるとは驚きだ。意外である。
「それが……」
 彼女の前で言って良いものかと躊躇う。
 田中と仲がいいのだ。不安にさせたくはない。
「言って」
 強く押されて、ため息をつく。
「田中だよ。田中が、呪ったんじゃないかって」
「空君が?」
「あぁ。変な話だよな。死んでないのに」
「そんなわけない。呪いなんて」
 仲がいいから、そんなことを言うのか。それとも本気でそんなものはあり得ないと思っているのか。
 先生を置き去りに話が進んでいる。少し聞いてみるのもありなのかもしれない。
「人が不安なとき、呪いを信じる時って、心理にどんなものが影響されていると思いますか?」
「んー、焦りとか、恐怖とか、不安とかかな」
 しっくりきたのは、不安だった。
 恐怖はないだろう。ただの事故死だ。それをどうして怖いと思うのか。
「不安からくる呪い」
 だけど、その不安も謎だった。
 何を不安に思うのか。
 カーストの崩壊が招く第二の地獄?
 三軍が去勢を張り、荒れ出すクラス?
 想像はできるけど、納得はしていない。
「二人がこんなことになって、死を間近に感じたから、かな」
 西崎が口にする。
 しかし、だとするなら一番死を感じたのは田中の自殺未遂だ。
 マンションから飛び降りて寝たきりだと聞いている彼。
 我妻は、正直、殺されてもおかしくないと思える。まぁ、事故だから不本意なんだろうけど。
「自分も死ぬ可能性がある。それは、死ぬから怖いのではなくて他人が自分の命を奪う怖さってこと?」
 先生がわかりやすく噛み砕いてくれる。
 言われてみれば、そうなのかもしれない。我妻は人をいじめていた。恨まれてもおかしくない。
 田中の自殺未遂は、我妻のいじめが原因だ。
 我妻の死は、人の恨みが原因だ。
 ならば、その恨みが田中によるものなら呪いであり、それを見て見ぬ振りした俺たちはその恨むべき対象になるのかもしれない。
「いやでも、どうやって?田中は寝たきりだろ?」
 西崎に聞く。彼女は口を開かなかった。
「西崎に聞いても、意味ないか。仲がいいだけだもんな」
 病院には行ってないんだろ?と付け加える。
 彼女は首を振るどころか動きがなかった。
「……行ってんの?」
 間を置いてから、首を縦に振った。
 衝撃だった。
 あの一件から、彼女は田中に会うこともやめたと思っていたからだ。それは、真島も同じだと思っていた。
 もしかして、真島も同じように彼にあっている可能性がある?
 だからなんだと言う話ではない。どうってことない話だ。人の自由を侵害するつもりはない。
 田中に味方がいるならそれでいいと思う。
 だが、田中が恨み、憎み、呪うと言うのならそれは話が変わってくるのではないだろうか。
 二人を唆し、殺すように仕向けた。
 いや、あり得ない。すぐに否定した。ならば、なぜ真島が怒るのか。人が死ぬのは嫌いだと言った彼が怒る理由がなくなる。
「実は、目も覚めてる」
「え!?」
 素っ頓狂な声を出してしまった。
 おいおい、それじゃあまるでちゃんと呪いが存在するみたいじゃないか。
 生きている彼が、復讐しにきた。呪いにきた。イコールだとするなら、それは間違いなく危険だ。
 俺たちも殺される可能性がある。
 見て見ぬ振りした俺たちを殺す可能性がある。
 ……知らない方がよかった。
 もしも、これで誰かが死んだら今度こそ呪いに変わる。
 クラスメイトは呪いだという。
 でも待て。ここで誰かが動いてもいけないのでは?
 ちょっとでもアクシデントがあるとやはり田中の呪いだと火に油を注ぐだけ。
 アウトだ。じゃあ、やっぱり危険を承知で話を聞きに行くこともありなのか?
「あのさ」
「だめだよ」
「……早くない?」
 西崎の隙のない否定に間を置いてしまった。
「……じゃ、じゃあ、あのお見舞いの品でも」
「だめだよ」
「……」
 やっぱ彼女は、思っているよりも自分の意思があるように思える。
「わかった。じゃあ、やめとく」
「え、早くない?」
「だって、嫌なんだろ?俺も無理にとは言わないよ」
 ジトっとした目で見られ、気づく。
 こいつ、ちょっと遊んでたな。
「じゃあ、行かせていただきます」

 放課後、自転車で彼女について行くと近くの大きな病院に着いた。
 坂道を越えて、先の二キロをほぼ直進すると見えてくる。
 この場所に行ったことはないな。
 ドクターヘリがここに向かうところは何度か登下校中にみるけれど。
「こっちだよ」
「部活はいいのか?」
「休みだもん」
 なんだか、気が抜ける。人が死んだ直後だと言うのにこのテンション。
「もしかして、俺に気を使ってる?クラスメイトが死んだから」
 彼女は何も言わなかった。それが、答えなんだと思う。
 彼女もまたクラスメイトの死を聞き、無理をしているのだと思う。迷惑をかけてしまっている。
「ここだよ」
 一人用の病室で、なんと贅沢な場所だと思ったし、ドラマじゃないのだからとため息をつく。
 それが、彼女には緊張していると思われたようで、背中をバシッと叩かれた。
 驚いて彼女をみれば、ニコニコしていた。
 考えてみれば、彼女は彼のことが好きなのだろうか。これだけずっと一緒にいて恋愛感情は抱かないのだろうか。
 彼女が病室に入るともう一人連れてきたと田中にいう。
 田中は、真島?と聞いている声が聞こえた。
 やっぱり真島も会っていたのか。
 違うんだけど……の声が合図な気がしてドアを開けて入る。
「失礼します……」
「三浦」
 ベッドに座る彼。
「ごめん、突然きちゃって。目を覚ましたって言うからさ」
「西崎」
 髪が伸びて、後ろで一つ結ぶ彼が彼女に鋭い視線を向ける。
「違う。俺が、無理言ってさ。止められてはいたんだけど」
 嘘ではあったが、そう言う他なかった。
 田中はため息をついた。
 怒らせたか?
「西崎、昨日言い合いになったからって、人連れてまでくるなよ」
「へ……?」
 呆けてしまう俺に、彼女は怒った口調で言い返す。
「それは、今関係ないじゃん!」
「お前が僕にそんなこと頼るからだろ!」
「お前って言わないで!」
 まるで会話になってないが、仲がいいことは今も健在のようで少し安心した。
 田中が今、楽しそうにしていることが何より安心した。
 しかし、そこで生まれるのが本当に彼の呪いなのかと言うこと。
 恨みはあるだろうし、聞くにはリスクがあるため聞けそうにない。
「さっさと主役をやればいいだろ!」
「ああああああああああ!聞こえない!聞こえない!」
 耳を塞いで騒ぐ彼女。
 今、主役って言った?
 何を言っているのかわからない。
「こいつ、演劇部の舞台の主役やるって自分で言ったくせに今になって日和ってんだよ」
「……」
 西崎が、演劇部の舞台の主役?反芻してみても、彼女にそんな度胸あるとは思ってなかったし、裏方にいそうという先入観があり、なかなか想像できない。
 あああああと、絶叫する彼女。病室に響く声にこんなにもでかい声が出るのかと驚きが隠せない。
 新しい一面を見た気がする。
 一人用の病室だからといって自由すぎやしないか?
「あ、そうだ。これ、ゼリー。消化にはいいかなって持ってきた。よかったら食べて」
「いやいいのに。ごめん、気を使わせて」
 座ってよと言われて、有り難くベッドの隣に置いてある椅子に座る。
 田中の雰囲気が柔らかいせいで忘れそうになるが、俺は彼のいじめの現場を見て見ぬ振りした本人だ。呪いの対象になる可能性だってある。
「調子は、どうなの?」
 聞けることは聞こうと、彼の刺激にならないように尋ねる。
「まぁまぁかな。学校にはいけないけど」
「無理はしないでほしい」
「相変わらず、三浦は、周りを見てるよな」
「そうか?」
 田中にそう言われたことが、胸をチクリと刺す。
 周りを見ても動けたのは、彼が自殺を図った日以降だ。
 誰かが死に直面してから気づいたのだ。遅すぎた俺を、褒めないで欲しかった。
「そうだよ。目が覚めたって聞いて駆けつけるなんてすごいよ」
「真島の方が、ちゃんときているんじゃないのか?」
「あいつはまぁ、確かに」
 濁すような言葉に気になったが、触れないでおいた。
「それで?なんで、きたの?」
 やっぱり聞かれるよなと思う。
 クラスの情報を少し言おうと思って、と前置きをする。
「我妻愛斗が事故死した」
「……そうか」
 彼は、窓の景色に目をやり、俺をみることはしなかった。
 なにも言えない空気に押しつぶされそうだ。
 いじめの主犯が死んだと告げて、それを信じる彼も、それに何も言わない彼も恐ろしかった。
 恐ろしいとはこのことか。これが呪いに変貌する可能性はあるのか?
 不安要素だけが、呪いだと錯覚するには到底思えない。
 クラスメイトはもしかすると恐ろしいとか、怖いとか思うのだろうか。
 しかし、彼は何も答えることはしなかった。
 何を思ったのか、何を考えたのか、どんな結論をつけたのか、俺にはわからなかった。
「じゃあ、俺はこれで」
 この空気の中にいるのは怖くて逃げることにした。
 扉の前で彼が呼び止めた。
 悪寒が走る。
「伝えてくれてありがとう。事故には気をつけてね」
 誰にでも言うような声の掛け方が、今はとても恐ろしかった。
 彼が、殺した可能性なんてものはないはずなのに。
 夜中に外に出てトラックを運転することもできないはずだろうに。
 呪いという言葉を聞いてから、彼らが怖い。
 これが人間の第六感ならば、俺はいつか殺される。
 その直感自体、危ない気がした。
「うん、ありがとう。じゃあ、俺は帰るよ」
 扉を出ると小走りに外へ向かう。
 特別、怖いわけじゃない。むしろ優しい。その優しさがただただ恐ろしいのだ。
 待て、待て待て待て。
 そうだ、落ち着け。
 まだ呪いって騒いでいるだけ。
 そもそもみんな人が死んで気が動転しているだけだ。
 気にするな。
 彼がいるであろう病室に目を向ける。彼が窓から見ているとは思えない。
 視線を戻し、深呼吸をする。
 落ち着いた俺は、秋の風を感じながらふと思った。
 どうして俺は、我妻の死を嘆くこともしていないのだろうか、と。