♢殺し屋ジャックの憂鬱

 空が青い。こんなにのんびりとしていて馬鹿らしい日々が訪れるとは――。喧騒の中で殺し屋ジャックはため息をつく。正確に言うと、元殺し屋と言ったほうがいいのかもしれない――。

ここは、裏社会とは程遠い場所。小学校の校庭だ。しかも、任務のためにいるわけではない。純粋なるかくれんぼに参加している。とは言っても、みつかったら殺されるリアルかくれんぼじゃない。普通に見つかったら鬼になるあの遊びだ。俺様も落ちぶれたものだな。ため息しかでない。このまま、みんながいない場所に移動して午後の授業はさぼるとするか。俺は危険と隣り合わせの暗殺の仕事をしてきたのだが、今は小学生をしている。冗談ではない。本当の話だ。

「遠藤豆太くん」
 空を眺めていると、視線を感じる。あぁ、一体どんなセンスでこんな名前を付けたのだろう。名字と名前のバランスは考えるべきだ。もし、こんな名前ではなければ、俺は表社会で普通に会社員をやっていたかもしれない。あえて、俺は裏社会を選んだだけだ。
「はい」

 俺の名前は殺し屋ジャックだ。純日本人であり、本名は遠藤豆太だ。幼少期にジャックと豆の木という話にかけて、エンドウ豆から連想できるジャックと言うあだ名がつけられた。正確に言えば、15年くらい前の話だが、ここにきてまだ間もない俺は、あだ名すらもない。

 親兄弟とも縁を切って殺し屋をはじめとする裏取引や恐喝などの闇稼業を行っていたのだが、国の犯罪者更生プログラムとやらで、体を小さくされて小学生として生活することになってしまった。

 国は更生プログラムを使って一部の悪人を更生させるという取り組みを始めたらしい。悪人全員が対象ではなく、ほとんどの犯罪者は刑務所で生活するという流れは変わっていない。試験をして、更生が可能かもしれないと思われた何名かが極秘で人生をやり直しさせてもらっているらしい。肉体年齢が下がれば、結果的に長く生きることはできるし若返ることは悪くはない。しかし、小学1年生となると体力面では大人の状態に比べるとかなり劣ってしまうし、走る速さや腕力は大人に比べるとだいぶ劣る。

 小学校にいる時間以外は基本的に更生施設で生活させられている。表向きは児童福祉施設だが、そこには元大人が収容されている。俺の左腕には自力では取り外し不可能なリストバンドがある。GPSが埋め込まれているらしく、下手に逃亡すると電流が流れる。苦痛が続き、死に至る可能性もあるのでうかつな行動はできない。この俺様ともあろうものが、実に情けない。

 とは言っても、一般人に恐怖を与えないように、元殺し屋だということは伏せられ普通の小学生として生活させられている。もし、小さな体で犯罪を犯そうとすれば、興奮するときに脳に出る分泌物が反応し、俺の体に電流が走る仕組みになっている。左手のリストバンドは興奮したり、秘密を暴露しようとすると電流が発動するシステムになっているらしい。どうにも馬鹿げたシステムに巻き込まれてしまった。まるで令和の西遊記の孫悟空だ。

 幼少期の教育が足りていなかったから、もう一度教育し直して更生させるという理屈は当事者には迷惑なことだ。本当に幼少期の脳になるわけではない。大人の頭脳のまま記憶も消されないまま子供として生活することは、とんでもなく大変なことだ。

 精神年齢が違うものと共同で小学校生活を送るなんて実に馬鹿げている。低レベルなネタで本気で笑う小学生の男子共にはついていける気がしない。本当に小学1年生であれば、本気で笑うこともできたのかもしれない。そんなことも忘れるくらい歳を重ねたのかもしれない。

 ちなみに、もう一人元大人の女がこのクラスにいる。俺よりも少し前から小学生をやっているらしい。あいつはかつて、闇の組織で、詐欺師兼殺し屋として所属していた記憶がある。大人として会話ができるのは小学校ではひとりだけだ。

「ねぇ、豆太くん」
 顔は幼いが、大人だった時の表情が残っている。通称フラワー。
「ジャックと呼べ」
 俺は、本名はできれば避けて生きていきたい。なぜそんな名前を付けたのだ? 俺は親を昔から恨んでいた。

「あら、かつて殺し屋として名をとどろかせていた呼び名でいいの?」
「実際俺は幼稚園時代からジャックと呼ばれていたんだ」
 少し俺の瞳をじっと見つめたフラワーは馬鹿にした表情と笑いを同居させ、失礼な大笑いをする。
「ジャックの本名が遠藤豆太とはね。腸がよじれそうだわ。初めて知った事実だわ」
 小さな体でケラケラと大笑いをする。

「実際、何人もの腸を見て来たんだろ」
「昔の話よ」
「花……味わいのある名前じゃないか」
 フラワーの本名をつぶやいて大笑いすると花は激怒する。

「豆太は黙りなさい」
 睨んだ目が普通ではない怖さがある。普通の人間ならば背筋がぞくっと凍り付くだろう。

 これが、ランドセルを背負った小学1年生の会話だということは普通ではないけれど、元殺し屋だから仕方がない。フラワーも俺同様、名の知れた暗殺者だった。一度味わった殺し。一度嗅いだ血なまぐさいものを忘れることはできないものだ。

「運動会のダンスの練習をします」
 担任教師が楽しそうに説明を始める。本当ならば、煙草を吸って、酒を飲んでいたいものだが、それは許されないらしい。そして、更生プログラムのリストバンドは、未成年に許されていない行為は許さないらしい。酒を飲めばアルコール濃度の高まりでしばらく電流が激しく体内に流れる仕組みらしい。煙草も同様で、ニコチンに反応するらしく、激しい電流に逆らってまで摂取する気持ちにはなれない。

「今日はうさぎさんぴょんぴょんのダンスをします」
 担任教師がとんでもない提案をしてきやがった。うさぎさんダンスとは……罰ゲームの極み、極刑じゃないか。恥ずかしい極みの刑を俺に課そうとしているに違いない。
 
「踊りの練習をします。頭に両手を持ってきてぴょんぴょん、とびとび。先生の真似をして踊ってください」

 なんともおかしなダンスだ。腰を振りながら手で耳の形を作るらしい。そして、ぴょんぴょん飛ぶだと? 俺を何様だと思っているんだ。殺し屋ジャック様だぞ。

 真剣な表情の担任教師と共にクラス全員が真剣なまなざしで真似をする。その滑稽さに笑いをこらえる。これは、拷問か。きっと俺のプライドをズタズタにしようというのだろう。だから、俺はそのまま真似をせずただ見ているだけという選択をした。リアルに幼児期はこんなダンスを踊っていたのかどうかも俺の記憶にはない。あったとしても事実を抹消たのしかもしれないが、そんなダンスを踊ったとしても踊らなかったとしても俺はきっと闇の組織に入ってしまっただろう。

 他クラスとの合同練習に関しては、ガキ大将のような中心的存在の1年生男子が俺を威圧する。体が華奢な俺は体格差では圧巻される。殺しの術は心得ている故、瞬殺は可能だ。しかし、殺す時に感じる脳の中のアドレナリンを抑えることはできない。殺人をするときの特別な高揚感をリストバンドは感じ取ってしまい、殺そうとした暁には気絶するまで電流が流れると説明された。

「ちゃんとやれよ」
 腕組みしたガキ大将の山下が見下ろす。この男は、背が高くガタイがいい。ぱっと見高学年くらいには見えるだろう。せめて俺もこれくらい背が高ければ、筋肉質の小学生だったのならば、少しは戦いに有利だったのだがな。あいにく俺は小学生の頃はひょろっとしていて背が低かった。そのまま過去の体型が再現されている。実に優秀な再現だ。

「どこから来たんだ?」
 転校生である俺に山下が問いかける。いかにも俺の島でなにをしているという風を吹かせている。こういう奴はどこの組織にもいるのだが、先輩風を吹かせる輩はだまらせてやりたい。しかし、ここは小学校。相手は小学生。かつての俺ならばこんな奴は瞬殺だったのだがな。

「何組の者だ?」
 あえて言えば、1年1組といったところか。
 うさぎさんぴょんぴょんの歌が鳴り響く。どんな暗殺よりも厄介で恥ずかしいダンスだ。そう思いながら、仕方がなくジャックは一時的に避難するのだった。

「保健室行ってきます」
「一人で行ける?」
 心配そうな教師。教師も俺の素性は知らない。知ってしまうと普通に接することができなくなるのであえて国は秘密にしている。よってただの子供だと思っているようだが、大人に戻った暁には見ていろよ。睨みを利かすが、教師は既にこちらを見ていなかった。

「フラワーはあのダンスを踊ったのか?」
 休み時間にさりげなく聞く。

「郷に入れば郷に従え。暗殺の常識でしょ。あなた、個人的に嫌だからってうさぎさんぴょんぴょんダンスを放棄するなんて」

「今は暗殺者じゃない。もう捕らえられた俺たちは手のひらの上で転がされているだけだろ。そもそもあのこっぱずかしいダンスを踊っても俺たちは元の体には戻れないし、無意味だ」

「そうね、このリストバンドがある限り逃げることは難しい。犯罪を犯すことは己の死を意味する。更生プログラムを受けている者は、犯罪を犯せば容赦なく殺されることもあるものね」
 ため息交じりにリストバンドをながめる。

「かつては俺たち殺し屋も普通に小学生生活を送っていたわけだしな。フラワーはなぜ、詐欺師になったんだ?」
「詐欺の才能があることに気づいたからかしらね」
「ジャックは?」
「仲間だと思っていた奴が組織に所属していてな。誘われたんだよ。その男は今は組織を抜けてどこで何をしているかもわからん」
「友達を失ったのね。私は詐欺師だったから、今は小学生を騙すことを楽しんでいるけどね」
「今は暗殺はできないからな。日々、校庭で鬼ごっこやドッジボールをしているがな」
「へぇ、そんな悪人面が追いかけてきたり、ボールをぶつけてきたら正直怖がるでしょうね、だったらその悪人面で学校の悪事を制裁してみたら?」
「悪事を制裁?」
「いじめをなくすとか、悪い教師を追い詰めるとか。暗殺するわけじゃないけれど、社会的に暗殺するってことよ」
「俺はそんなにボランティアなんぞ好きじゃないからな」
「鍵盤ハーモニカを持ちながらのジャック。どんなカッコいいセリフもカッコ悪く見えるわ」

 次は音楽だ。鍵盤ハーモニカを用意しておくことは、かつて殺し屋だった俺から言えば入念な事前準備はどんな想定外の事態が起きても対処しやすいってことだ。

「ジャックは血が恋しくない?」
「血の匂いはもう忘れた。俺と言う存在も忘れたんだ」
「ランドセル背負って言う台詞じゃないわ」
 フラワーは赤いランドセルを片手にため息をつく。
「漆黒のランドセル、俺のカラーにぴったりだろ」
「真紅のランドセル、かつての私のカラーだったわ」
 二人は無言でランドセルを背負い、下校の準備をする。共に己の色を纏う。

「私たちってたくさんのものを失ったわね。自由、大人としての尊厳、それに引き換え安全で平和な暮らしが手に入った。いい子にしていれば待遇は悪くない」

「でも、監視がついて知恵がついたまま体だけガキになってしまった。これは俺たちは望んでいなかった末路だ」

「でも、私たちは平凡な大人として普通に暮らしていたらどうなっていたのかしらね?」
「さあな。俺は前の生活は楽しかったけどな」

「おーい、校庭で遊んでいこうぜ」
 一瞬戸惑い逃げようとする俺を見てフラワーが声を発する。
「暗殺者の心得は? 郷に入れは郷に従えでしょ」

 そのまま俺は無言でランドセルを置いて、校庭に向かう。

「蜂が飛んできた。刺されたら大変だ」
 校庭ではガキどもが逃げ惑う。たかが虫一匹に大げさだな。
俺は落ちていたボールを拾い虫にむかって高速球を投げた。かつて培った動体視力がものを言う結果だ。あっという間に敵である一匹の蜂は俺の投げたボールと壁の間に挟まれ死んだようだ。摩擦で一瞬煙が見えた。

「すごいな、助けてくれてありがとう」
「豆太、かっこいいよ」

 小学生たちがこちらへかけて来る。まるで胴上げされそうな勢いだ。
 なんだなんだ? 殺すという行為に初めて感謝されたな。殺し屋時代も依頼者に感謝されることもあったが、ここまで爽快な感謝はなかった。後ろめたさがつきまとうお礼だった。なのに、今はどうだ? 虫一匹を殺しただけで英雄扱いだ。所変われば扱いが変わるというものだな。

 思わず笑みが浮かぶ。

 施設に帰ると快適な住環境と食生活が用意されている。刑務所よりはましか。
 ここには元犯罪者である大人たちがたくさんいるが、もめると電流が流れるので、ケンカになったりすることは滅多にない。穏やかな日々だ。仲間がいて、生活に困ることはない。刺激もかつてとは違った意味で存在する。俺は本当に大人に戻りたいのか少し悩む。大人であるべきだという概念だとかそういったものが俺を束縛するのかもしれない。こんな毎日も悪くない。

 ある時、得体のしれない美しい男がやってきた。

「殺し屋ジャック、君、なかなか面白いね。殺人鬼であったにもかかわらず、清い心を持つ者はそうそういない。是非、二代目ねがいやにならないか?」

「ねがいやとは何だ?」

「ねがいをかなえつつ他人を不幸に陥れる暗殺者でもあり、時には幸せに導く神ではない何者かだ。初代の私が引退をしたいと思っているため、二代目を探していてね」

「もし、断れば、俺はこのまま生活を続けるだけか」

「ねがいやとして殺し屋ジャックとして人生もう一度謳歌するか。二択だけどね。しばらくは、引継ぎがてら仕事を教えますよ。あと、相棒がいたほうが、円滑に仕事ができますから、彼女も解放してあげますよ」

「相棒?」

「フラワーにもねがいやとしてもう一度この世で仕事をしてみないかと打診はしており、了承を得ています。その、邪魔なリストバンドも外してあげます」

 ジャックを縛り付けていた機器は全て外された。

 ねがいやは永遠に続く――初代がどうなったのかその後のことは誰もわからない。

 きっと彼女と一緒にどこかにいるのかもしれない。