渡された名刺を右手で持ちながら何処か他人事のように考える淳。
「白鬼の五龍神田様が私なんかを「本物」と言っていたが、何かの間違いだよね。そうとしか思えない。異能も無い、特別な容姿も特技も兼ね備えてない。それどころか……」
私の命はあと僅か
身体を蝕んでいる病魔達が命を喰い続けているのは正直実感は無いが、医者が宣告をしたのであれば間違い無いだろう。素人にはわからない何かを医者が一人では無く、二人も淳に告げたのだから。そして突然現れ、姿を消した奇怪な白髪の狐のあやかしにも。
ため息一つ溢し名刺をソッとショルダーバッグに入れ、ゆっくりと足を動かしその場を去る。
本音を言えば、もし私が病気等しない健康体だったら。もし私が世間から嫌われる夜蜘蛛ではなかったら。そんな夢のような「もしも」の話があったのなら……
きっと私はあの手を掴んで離さなかったかもしれない。離さない手は、永遠の幸せを手に入れられたかもしれない。
そんな話は非現実だ。
「邪魔だ!退けよ!」
「っ……」
淳の背後から歩いてきた、杖をついて歩いて来た男性が、彼女の背中目掛けて勢いよく突つく。自分よりも足腰が弱そうな老人にさえ抜かれる歩くスピードに、そして、ただ歩いて息を吸うだけで存在を否定される事が淳には現実だ。
そして現実なのはもう一つ。
「は?病魔?蠱毒虫?蠱毒虫って死ぬやつでしょ?何アンタ死ぬの?」
数時間かけて帰った自宅で布団で横になっている母親に、病院で自分が言われたことを伝える。
「そう……みたい」
「ふーん良かったね。こんな地獄からおさらば出来て。あ、お金無いから墓とか用意出来ないのわかってるでしょ?ま、あやかしは死んだら骨も残らないからいっか」
母親が言う、あやかしは火葬したら骨も残らない。それは大昔から現代まで続く不可解な現象。命が尽き、放置をすると腐敗していく。それは人間と同じ自然の摂理なのだが、どういう訳か亡くなったあやかしは髪の毛一つも残さず消滅していく。火葬をすると一目瞭然。焼かれた遺体は灰の一つも残さない。
その謎な現象に、明白な理由を知っている者もこの世には存在すると言われているらしいが、都市伝説と言われている程。まして色々な人種から避ける生活を送る親子にとって、あやかしは骨も残らない理由は尚更知らないこと。
聞きたいのはそんな言葉じゃない。
「お母さん……私居なくなるけど……寂しくない?」
淳が産まれた時から台所に置いてあるボロボロの食卓テーブルと椅子。その椅子に座りながら、布団で横になっている母親に問いかける。
その質問した声は正直震えていた。何故なら怖かったからだ。
「何それ。変なこと聞かないでよ」
「…………」
「こんな馬鹿げた世の中から逃げられて、ぶっちゃけ羨ましいわ」
一瞬だけ淳の顔をチラリと見たかと思ったが、その視線は直ぐに母親の携帯に向けられた。
「……そう、わかったよ」
馬鹿だな私。こんな時だからこそ、もしかしたら優しい言葉をかけてくれるかと期待していた。想像していた言葉からは私の心配する素振りは一切無い。……有るわけない。
胸がつっかえる感覚。そして下半身がスーッと冷たくなっていく気がして例の発作が来そうな気がしたが、テーブルに置かれた薬を飲む手を止める。朝昼晩と書かれた処方薬。薬剤師には、違和感がある時も服用しても良いと言われていた。
飲んでも意味が無いし、そもそも病魔を止めるものでもない。ただただ私の異変を抑える為の薬。私が倒れても、身体が動かなくなっても、そのまま目を瞑り、二度とその瞼が開かなくなったとしても。
誰にも関係の無いこと。
母親にも関係の無いこと。
案の定発作が起き、支えていた身体は力が抜け、座っていた背もたれのある椅子から左側へと床に倒れ込む。受け身も取れず、倒れた時に椅子とテーブルが床に擦る音が派手に鳴り響き、淳の身体は床に強く横転する。いつもと同じく下半身に力が入らず、まるで下から上へと上昇されているかの様に、上半身の一部も全く力が入らない。
倒れる瞬間テーブルに額をぶつけたらしく、皮膚が少しだけ裂け、少量の出血が額から流れていく。
しかし痛みはさほど感じないが、こめかみが流血で濡れているのが感覚でわかる。
どうでもいいや
もう、どうでもいい
だって私が死んでも、周りは私と同じ感情「どうでもいい」
もうこのまま、息が止まって欲しい。
目を瞑り、二度と目が開かなくて良いから。動かなくなる身体は、永遠に動かなくても良いから。
もう、いっそのこと殺して
全てを諦めた淳の感情に涙は枯渇してしまったのか。愛されたいと僅かな希望を胸に抱いてた念いは、絶望に全て侵されてしまった。
こんな状態でも母親は声をかけず、淳の身体は力が入らないまま倒れ、ただただ時間だけが過ぎていく。
──私まだ生きてるの?
神はまだ淳を絶命させない
一時間程倒れた身体はまたしても元に戻り、額から流れた出血はいつの間にか止まっている。
ゆっくりと起き上がり、普通に歩ける淳の姿に母親が心無い言葉をかける。
「厄介な病気。それ感染するの?だとしたら嫌なんだけど。アンタ死ぬまで外にいたら?マジでもう帰って来なくていいよ」
既に絶望している淳の筈なのに、母親の酷い言葉は未だに傷ついてしまう。母親の布団の横には淳が倒れる前に無かった度数の高い焼酎の瓶が一本転がっていた。何かでアルコールを割った痕跡も無く、コップすらも転がっていないということは、淳が動けない一時間の間に瓶を直接口につけたまま飲んでいたんだろう。
母親の毒のある言葉は少し呂律が回っていない。本心かもしれないし、本心じゃないかもしれない。
しかしそんなことはどうでもいい。
居間にあるソファに寝転び、自分の死ぬ姿を頭の中で考える。
母親の為に家じゃない方が良いのか、外の方が良いのか。外だと夜蜘蛛の死体なんて気味が悪すぎて誰も近づかないだろう。
そのまま身体が腐り、放置されて消滅するにしても、残された母親が更に世間から酷い扱いを受けるのではないか。
死に場所すら無い。
海に飛び込み、そのまま沈んでしまえば誰にも迷惑をかけないのではないか。
今までの辛い人生において、自死の選択肢は淳の中では頭に過るものの、死ぬことの恐怖に勝てず実行するなんて出来なかった。
生きたい、こんな私でも生きても良い存在だと思いたかった。ただそれだけだった。
眠くもない瞼を閉じ、忘れていた記憶を思い出す。
五龍神田様……死ぬ前に会えたことは私の中で一番の素晴らしい出来事だったかもしれない。
美しい容姿に、想像を絶する異能。彼の声、彼の手の温度、あり得ない間違いだが、夜蜘蛛の私を「本物」と言ってくれたあの時間。
私はそれだけで、一生分の幸福を味わえたかもしれません。
神様が与えてくれた、私の最後の贈り物だったかもしれない。
欲を言えば、せめてお前は間違いだったと言われずに命が尽きることを切に願う淳だった。