「専門外になるので紹介状書くからこっち行って」
予約無しに飛び込んだ整形外科。問診票を書いてから二時間以上待たされ、レントゲンの写真を見た白髪混じりの年配の男性医師が、こう告げる。
「……え?でも、ここって整形外科じゃ?」
困惑する淳に向けて、人差し指で眼鏡の位置を調整したと思ったら思わぬ返答。
「僕は人間の医師だから人間の身体しかわからない。君はあやかしだろ?あやかし専門の病院に行って下さい。言っておくけど、僕にしたらそんな身体で痛みが無い方が不思議だよ。はい、お大事に」
説明が全く足りていない。私の身体は何か問題が有ると言うの?質問をしようにも、同じく診察室にいた看護士から、早く此処から出ろと言わんばかりの露骨に嫌な表情を浮かべている。
「はい、こちら紹介状になります」
お金を払い、会計から大きな封筒を渡される。紹介状に書かれた病院はここからバスに乗らなきゃいけない距離の、かなり遠い場所にあるこの地域では一番大きな総合病院だ。
状況が全然追い付かない。きっかけは自転車を漕ぐ、下半身の違和感だったから整形外科で良いと思っていたのに。
そんな身体で痛みが無い方が不思議だよ
何かがあるのは間違い無さそうなのに、何も教えて貰えず不安な気持ちでバスに乗る。通う定時制の学校とは真逆の方向。あまりこっち方面に来る理由が無いから、窓から眺める景色がどれも新鮮な筈なのに……淳のテンションは全く上がらない。
通学にも使ってる黒のショルダーバッグの持ち手にギュッと力を入れて、不安を消すようにするが全く何も落ち着かない。
目的地が近づき、止まる停留所は病院の真ん前の為、降りる人が沢山いる中淳も並んでゆっくりと降りる。
白く塗装された空を見上げる程のこの大きな病院は、中央にある一般外来から南北とそれぞれ病棟が別れ、駐車場には数え切れない程の車が停まっていた。ガラス張りの大きな玄関を入ると人が沢山溢れかえり、ズラリと並ぶ機械で受付をするだけでも行列が出来ている。「紹介状がある方はこちら」と表示されている窓口で受付をし、あまりの人の多さに思わず圧倒され、淳はつい油断をしていた。
「ねぇ……あれ」
「うわぁ、夜蜘蛛かよ。よりによって此処で見るとか不吉過ぎる」
「最悪。夜蜘蛛見たから絶対検査の結果悪いわ」
ハッと周りを見渡すと、広いロビーであんなに沢山の人が目まぐるしく行き交っていたのに、気付くと彼女の周りを避けるように円が出来ていた。皆の白い目が痛く、そして隠そうともしない淳に対する嫌悪感がヒシヒシと伝わる。
此処から逃げてしまいたい。
不幸の象徴と言われている夜蜘蛛が、人によっては天国か地獄かの運命が決められるこの場所は、どう考えても淳には不釣り合いな場所。
大勢の人に睨まれ、遠くでは消えろと叫んでいる老人までいる。
あまりの騒動に数人の警備員まで走って来る始末。
「どうなされ……うっ」
「先輩大丈夫ですか!?」
駆けつけた警備員の一人が、淳の姿を見て急いで鼻を押さえる。どうやらこの人もあやかしのようだ。あやかしにしか感じない、夜蜘蛛から香る独特な匂いは彼らにとって、かなりの悪臭らしい。
「お前……夜蜘蛛か。騒ぎになるからこっちの通路から行け!おい、コイツの誘導頼む。鼻が曲がりそうだ」
「え!?は、はぁ……」
頼まれたのは人間なのか、元々貧血気味で血色の悪い青白い淳の姿を見て、不思議そうに別のルートに案内させる。しかし、夜蜘蛛の特性は人間にも感じてしまう。
夜、蜘蛛を見たら災いや不幸をもたらす為必ず殺せ
言霊は時にはどんな魔力よりも強い。何も見えない、何も感じない異能の無い人間でも、夜蜘蛛のあやかしの存在は嫌悪感に包まれる。
さっきまで不思議そうにしていた若い警備員が、気付けばゆっくり歩く淳の姿を見て急に苛立ち、豹変したかのように怒鳴り始める。
「さっさと歩けよ!変な騒ぎ起こしやがって!!」
大きな声にビクッと反応してしまい、緊張が走る。大人の男性に大声を出されると萎縮するのは当然のことだ。下手したら、手を出される可能性だってある。
「すみません、すみません」
謝ることしか出来ない。
謝って、地べたに這いつくばって土下座で許されるなら何度でもする。
淳にはこの方法でしか生きる術を知らないから。
渡された受付票を見て誘導してくれた警備員に、あちこち狭い通路を歩かされ、何段登ったか分からない階段を登りきったと思ったら不機嫌そうに淳に声をかける。
「この通路を真っ直ぐ行った特殊内科だ。あとは自分で行け」
「ありが、とう……ございます」
チッと彼女に聞こえるように舌打ちをして警備員が立ち去り、あんなに沢山の人が居た空間から、突然静けさに包まれたガラリとした廊下。患者どころか看護士すら歩いておらず、物音一つしない。
大きな窓が沢山並ぶ廊下は隣接している病棟で日陰になり、薄暗く感じて不気味ですら感じてしまう。
「特殊内科」
見えてきたのは今まで聞いたこともない診療科の名前に、何だか騙されているんじゃないかと不安になるが、暗かった廊下を抜けると外が一望出来る広々とした待合室に、此処が何階か分からないけど駐車場を全て見渡せる高さに気付く。
「すごい」
こんな高い場所から外の世界を見たことが無かったから、窓ギリギリの所で景色を眺めてしまう。元々高い建物すら建っていない淳の出生地。立ち並ぶビルの多さと高さで感動してしまう。外を見ながら一瞬目的を忘れた瞬間、──ガクッとまたしても下半身の力が無くなり、思いっきり床に尻餅をついてしまった。
気付かなかったが、誰も居ないと思っていた広い待合室には一人のお婆さんが座っていたらしく、異変に気付いたのか杖をつきながらこちらに近づいてくる。
綺麗な白髪ヘアに、深い紫色で萩が描かれた上品な着物を着ているお婆さんが、尻餅をついて動けない淳を見て声をかけてきた。
「若いのに……それも宿命か」
「……え?あの、どういう意味で……」
言い終わる前にお婆さんを見て気付く。
……狐のあやかしだ。それもかなり地位の高い。先日やられた野狐とは比べ物にならない程の風格。何年生きたのだろうか、高貴なあやかしは人間や身分の低いあやかしよりも圧倒的に寿命が長く、そして世間には公表出来ない程の異能の力を持っているらしい。
「直ぐに立てる。虫はもう腹は一杯の筈だ」
まるで淳の身体を見えているかのように話すお婆さんの瞳は、美しい朱色をした縦長の瞳孔で、まるで本物の狐の目を見ているようだ。
そしてその数秒後には、お婆さんが言った通りに身体がスッと軽くなり、立ち上がれなかった淳の下半身が元に戻っている。
「……私、病気なのですね」
自分の状況を理解したつもりで婆さんに話しかけるが、お婆さんの返答は予想外のもので、あまりの衝撃な言葉に動揺を隠せなかった。
「何度も心臓を食い千切られてはその度動けないのに、病気の言葉一つで片すか?」
朱色の縦長の瞳孔でニヤリと笑い、放たれた言葉に時間が静止したと思った瞬間、気付けばお婆さんの姿が何処にも無く、それどころか待合室には淳とお婆さん二人だけだった筈が、待合室の椅子にほぼ大勢の人達が満席で座っていた。
え……?
困惑する現状に、なんだか異次元レベルで狐に化かされたような感覚。
混乱したまま淳は看護士から名前を呼ばれて診察室に入ると、彼女にとって絶望的な告知をされる。