泉澄に対して疑心暗鬼になってから淳の笑顔が消えていく。しかし彼を愛してしまったことは消せない感情。

 だからこそ辛く、苦しく切ない。

 惹かれていたのは自分だけ、いくら本物と呼ばれる存在だったとしても彼が愛してくれるのは幻。

「淳、愛してる」

 グレーの瞳を輝かせ、あれ以来益々心身共に弱くなる淳の異変すら気付くことなく、まるで空気になりつつある泉澄の愛してるの言葉。

 志紅の狙いはこれだった。形だけとはいえ、婚約者という肩書きは若い淳にとって入り込めない関係性に思えた。更に操られて悪行していた使用人達の洗脳はいつの間にか解かれ、記憶の無い使用人にとって淳の衣類やお金が無くなることは、元々貧乏育ちの淳がこっそり使っていたと周りが勝手に思う。
 泉澄はそれに関して否定もしないことから益々淳の評判は悪くなり、一層居心地が悪くなる。更に宝生との婚姻破棄が向こうの拒否で実現出来ず、二人が夫婦になることが叶わずにいた。

 夫婦になれず焦る泉澄、焦る理由も自分が余命少ないからでない。ただ奇跡に近いとされる本物と出会い、更に強まった異能がもしかしたら無くなることの焦りに思えてならない淳。

 何だか虚しく、そして自分が生きても良い理由なんて結局無かった。

 用意してくれた衣類を売ったりする筈ない。大金なんて使う筈も無ければ、夜蜘蛛の自分の為に嫌々でもお世話をしてくれる使用人を虐めたりするわけ無い。

「淳がしたいと思うなら別に構わない」

 自分の性格を知ろうともしてくれない泉澄を時には憎らしく感じてしまう。しかしそれらは全て、同じ愛情から生まれる感情の一つなのも苦しい。

「淳、母の形見の指輪が見つからないのだが知っているか?」
「……知りません」
「そうか、以前使用人の一人がお前が指にはめてるのを見たと言っていたからてっきり欲しいのかと」
「……」

 リビングのテーブルで勉強をしていた淳に突然言われた言葉。泉澄の母親の形見なんてあるのも知らなかった。ましてそんな大事なものを勝手に触るわけが無い。淳の表情がまた一つ消えていく。

「ま、母の指輪はいづれお前のモノになるのだから好きにしたらいい。それより今日の学校は何を着ていこうか」

 まるで最初から淳が無くした前提で話される事に胸が痛くなる。学校の教科書を開いて勉強をしている淳は、その手を止めて泉澄に声をかける。

「……今日は学校には行きません」
「そうか!じゃあ今日は一日ゆっくり出来るな。何処に行こうか」

 勉強をしたい、学校に行きたい理由を以前話したことがあった。自分が決めて、知識を学ぶことが好きだと正直に話していたのに学校を休みたいという理由に深く追及しないのは、泉澄の優しさなのか。それとも興味が無いのか。

「……今日は私、一人で過ごしたいです」
「体調が悪いのか?病院に行くか?おばばの孫が担当医だろ?直ぐに診てもらうよう連絡しよう」

 なんだか気持ちが噛み合わない。もしかしたら出会った時から今までこうだったのかもしれない。そうだとしたら、私の方こそ恋に溺れて気付かなかっただけなのかな。

「ほら淳。今予約を取ったから病院に行こう」
「……」

 腕を引っ張られ、無理やり廊下に連れ出される淳。その時にたまたま淳の部屋を掃除していた使用人二人と出くわし、泉澄は使用人達に目もくれないが、淳はいつもの様に声をかける。

「お掃除……ありがとうございます」

 完璧なベッドメイキングに細かい掃除で埃一つも落ちてなく、毎日快適に過ごせるのは使用人達のお陰だと淳はいつもお礼を言っていた。ただそのお礼は毎回無視をされるどころか、ウォークインクローゼットからは一つ二つ、何かが無くなっているのは多々あり、使用人達にとっては金目のモノを盗まれてもお礼を言う、なんて鈍感で間抜けだろうと思われていた。

 しかしそれでも淳にはこんな自分の為に部屋の掃除を完璧にしてくれること、まるで温泉のような大きな浴場で丁度良い湯加減にしてくれて、入浴後はフカフカのタオルを用意していること。志紅から洗脳され、異物を入れていた前後は美味しいご飯を作ってくれていたこと。

 甘いのかもしれないが、自分なんかの為に動いてくれる使用人達には感謝でしか無かった。お返しが出来ない代わりに、泉澄には申し訳ないが衣類の一つや二つ仕方ないとさえ感じていたから。
 結果、お金を淳が使い込んだと思われていたこと、泥棒と同じ行為をしていたと思われていること。

 それらが淳の優しさからもたらした誤った結果だったとしても、後悔は出来ないでいた。使用人達の悪行に目を瞑る、淳の若さゆえの浅い考え。
 未練があるとするならば、せめて泉澄にだけは自分がそんな事をする筈が無いと信じて欲しかった。

「ほら淳、乗れ」

 今日は会社が休みの泰生が呼び出され、貴重な休日を潰して自分の為に時間を割いて運転をしてくれる状況に、申し訳なさすぎて益々元気が無くなる淳。

「泰生さん……すみません」
「いえ、泉澄様に呼び出されたら拒否なんて出来ませんから」

 いつもの会話の筈なのに、遠回しに泉澄の命令だから仕方ないと言われているようでならない。

「淳、何を謝っている。それにお前の身体がどうなっているか、診てもらいたかったから丁度良い」
「……」

 どうなっているか
 何処まで蠱毒虫が進行しているか


 いつ、心臓が止まるのか


 それは自分でも気になっていた事だから、病院に行くことを提案してくれたのは本当に丁度良かったかもしれない。
 結果次第では、もう志紅様の存在や異能に怯えなくてすむ。

 泉澄様を……もう疑わなくてもいい世界に逝けるかもしれない。

 そんな事を思いながら泰生が走る高級車を、泉澄と後部座席に座りながらぼんやりと考えていた。


「あ!細蟹さん!凄い!まだ生きてるの!?レントゲンや血液検査の名前を見てまさかと思ったけど!!」

 二度目の受診だが、おばばの孫の白髪の医師が明るく元気に対応する。

「空狐の孫じゃなかったら消し去る所だな。相変わらずふざけた性格しやがって」
「嫌だなぁ五龍神田様。幼少期からの仲じゃないですか」
「雑談をしに来たわけではない。淳の身体はどうなってる?」

 二人が幼少期からの仲と聞いて、白鬼に対しての軽い発言に納得する。

「う~ん、うんうん。流石お婆様だよ。発作無いんだもんね?」
「さっさと言え」


 医師がレントゲンや血液検査の紙を見ながらパソコンに入力し、そしてくるりと回転する椅子でこちらに向きを変える。

「計算したらあと一週間だね。細蟹さんの命。もう少ししたらお婆様の異能も効かなくなるよ。今後は車椅子で生活した方が良いんじゃない?歩けなくなるのはもう時間の問題かな」

 相変わらず軽く宣告する医師を前に、淳は自分の身体のことなのにまるで他人事のように聞こえてしまう。

「一週間……」

 医師の宣告に一番反応したのは泉澄の方だった。

「わわ、五龍神田様、顔真っ白だよ!点滴してく?ついでに献血していい?白鬼の血とか希少過ぎてゾクゾクする」

 流石の泉澄も幼少期からの仲とはいえ、医師の軽率な態度に腹を立てたのか右手を医師に向けた瞬間、掌から光輝く稲妻のような光が医師に向かって流れた。

 直撃した医師は顔面に火傷を負い、白衣も茶色に焦げて煙を出していた。

「やっばいねこの力!久々に受けたよ!!」

 笑顔で話したと思いきや、そのまま後ろに倒れて気絶する医師。

「帰るぞ、淳」
「……」