午前零時を過ぎた頃、暗闇の中淳の部屋のドアがゆっくりと開く。今日の出来事で寝付けなかった淳が、窓際に置いてある一人用の椅子に座って外の景色を眺めていた。

「あ、泉澄様。おかえりなさい」

 泉澄が用意した沢山の衣類の中には可愛らしいルームウェアも数着あり、夜の入浴上がりはピンク色のモコモコした優しい素材のルームウェアを着衣していた。

「ただいま淳。コッソリ寝顔を見に来たのだが起きていたのか?」

 祈祷の儀式が終わり、自室に戻る前に淳の部屋のドアをこっそり開ける泉澄は、可愛らしいルームウェアを着て起きている淳に自然と笑顔が溢れる。

 椅子に座っていた淳は泉澄の元へ駆け寄り、彼に会えた喜びについ微笑んでしまう。

「体調はどうだ?今日は俺が居なくて寂しかったか?」

 電気はつけず、カーテンも閉めていなかった窓から園庭に設置されているライトの光で部屋に微かな明かりを照らす。
 泉澄の大きくて暖かい手で淳の頭を撫で、お互いに少しだけ見える顔の表情からは嬉しさと喜びに包まれる。

「体調は変わりありません。元気いっぱいですよ」

 エヘヘと伝える淳からは今まで感じたことの無い自分への好意のオーラを感じ取り、嬉しさで力が暴走しないように気を張るが、その気持ちと比例して泉澄はなお一層淳に対して想いが深くなるのを感じた。

「そうか、だが無理はするな。明日は何処に行こうか」

 手を繋ぎながら大きなベッドに誘導し、二人並んで会話をする。淳は明日の予定を建てる話題で少しホッとした。

 本当は聞きたかった、言いたかった。
 宝生志紅のこと、学校で起きたこと、自分が生きてる間は私だけを見て欲しいこと。

 だけどそんな事は言える筈もない。

 彼のグレーの瞳は薄暗い部屋の空間では少し色味が濃くなり、顔付きがいつもと異なって見える。自分よりもずっと年上の泉澄だがあやかしの見た目は実年齢よりも若く見えるのが特徴だ。平均寿命も差がある為、老化の現象も人間とはかなり差がある。
 若々しく眉目秀麗の泉澄の顔に、容姿で惚れたわけじゃないのにその美貌に頬が赤くなる。

「どうした?」

 深夜の時間帯の為小さな声で吐息のように話すその声に、淳はなんだかドキドキして来る。
 至近距離に座っているベッド。薄暗い空間に余計意識をしてしまって恥ずかしさのあまり顔を背けてしまった。

「淳、どうした?」
「……なんでもないです」

 このシミュレーションに恥ずかしいからだなんて言えない。自意識過剰だなって笑われたら立ち直れない。こんな気持ちは初めてだから。


──初めてだから
──きっとこれが最初で最後の恋だから

 だからこそ、伝えるべきなのかもしれない。


「泉澄様、貴方が好きです。とってもとっても、大好きです」

 意を決して振り向き彼に真っ直ぐな気持ちを伝える。後悔しない様に。命が尽きるその時も、どうか私の傍にいて欲しい。

「淳、俺もだよ。お前を見つけて自分を抑えるのに必死なんだ。俺の鼓動は、お前の可憐で儚い姿を見るだけで狂いそうだ」

 泉澄の指先は淳の頬から口元、そして顎を持って位置を調整する。

 余命宣告された淳。
 絶望の渦にいた淳の人生に一筋の光。誰も愛してくれない、誰も救ってくれない。そんな日々を全て覆してくれた白鬼の泉澄。
 奇跡とも呼べる本物とのめぐり逢いにて、今日初めて唇を重ねる。

 あぁ……このまま息が止まっても後悔は無い。
 想いを伝え、彼とようやく結ばれた気がした。

 長く美しいその時間は、淳にとって一生の宝物になっただろう。忘れられないこの刹那を思い出に抱え。


 初めてのキスをしたその日から淳の部屋で一緒に眠ることになった泉澄。彼もまた、限界値の無い淳に対しての想いが強くなり、元々の霊気が更に強みを増していく。

 それと同時に焦りも感じていた。蠱毒虫の治療の情報が一向に入らない。どんな些細なことでも良いからと頼んでいたが、泰生の口から聞かされることは一度も無かった。

 金がかかるならいくらでも使っていい。治療する技術が必要なら世界中から医者をかき集める。

 自分の魂さえ、淳の為なら捧げても構わない。

 頼むから、淳を助けてくれ。

 小さい淳を抱き締め、ますます痩せていくその身体は今にも折れそうな程弱々しい。神に祈りを捧げる立場の筈なのに、解決策の無い問題に神の存在を否定したくなる泉澄。

「愛してる淳」

 この一つの感情で、一喜一憂するのは誰しもが心当たりのあることだが、あやかしにとっての本物の存在は更にそれらを増大させる。

「大好きです泉澄様」

 同じくこの感情で一喜一憂する淳は、志紅に対する不安を口に出せずにいた。今のところ空狐のおばばの異能がまだ効いているお陰で発作は出ないが、明らかに体力が落ちているのを日に日に感じている。

 相思相愛となった今、焦りと幸福が入り交じった感情でますます周りが見えなくなる泉澄。

 明らかに使用人達が淳に対して嫌がらせをしていても微塵も気付かず、段々と使用人達の嫌がらせも日を増す事に大きくなる。

 大事な物を見落としていた

 おばばの予言通り、一部の使用人達の左右の目の色が変わっている事にも気付かず、淳が口にする食べ物には食器洗剤が混ぜられたり泉澄の居ない所で階段から突き落とされたりしていた。
 怪我をする度泰生の治癒を行うが、淳には真実を告げられず、弱った身体のせいでと泉澄が更に周りの状況が見えなくなる。

「淳様……最近怪我が多いですね。あと、嘔吐の回数も。病や怪我は私の異能で治せますが、流石に少し……」

 変じゃないか?
 この状況に先に気付いたのは泰生だった。しかし、苛立つ泉澄を前にして余計な事は話せない。
 階段から落ち、足首を捻ってしまった淳が泰生に向かって左右首を振る。

「大丈夫です」

 
 きっともうあと少し。
 淳の命の灯が刻々と消え始めている。余計な心配はかけられない。使用人達の行動も、志紅の操る洗脳のせいで記憶に無いものだから仕方ない。元々は夜蜘蛛の私の特性を嫌がっていたのも原因だ。

 全ての元凶は私だ。

「大丈夫です。もうじき……この状況は終わりますから」

 そう言われた泰生は頷くことしか出来なかった。空狐のおばばでさえ治せない病魔であり、更に夜蜘蛛という悲しい特性で淳を苦しめさせているのは分かっている。
 泰生にとっては崇拝に近い白鬼の存在。泉澄が使用人達から過激な嫌がらせを受けてると知ると彼の性格上、只でさえ高まった霊気に何人もの死人が出てしまう。

 どうせもうじき本物が死ぬのであれば、黙っていた方が平和なのかと泰生は安易に思ってしまった。

 それぞれの思考の歯車が少しずつ狂い始めてきたのを、誰一人そのズレに気付かぬまま。

 そんな日々からある土曜日の午後のこと。学校が土日祝が休みに合わせた泉澄も会社を休み、二人で穏やかな時間を過ごしていた時、五龍神田の屋敷に訪問客の知らせの鐘が鳴る。

 屋敷に入るには大きな門がある為門扉にある監視カメラで相手を確認する使用人。その訪問客に慌てた使用人がトモヨに報告し、訪問客の正体を聞いたトモヨが二人がいるリビングに慌てて報告する。

「ぼ、坊っちゃん!!!」
「トモヨ、もう少し声のボリュームを抑えたらどうだ?」
「ほ、宝生様がお見えです」

 それを聞いた淳は、飲んでいた紅茶のティーカップを落としてしまった。