「まだ生きてるの?なんで死なないの?」
「蠱毒虫に喰われるってどんな気分?ねぇどんな気分?」
「何とか言えよ!コルラァ!」


 クラスメイトの罵声が凄まじく、教室のドアを開けた瞬間それは始まった。しかしいつもと違うのはその内容。

「なんで蠱毒虫のこと……」

 思わず淳が声に出す。当たり前だが学校のクラスメイトに話した事も喋った事も無い。だが彼ら全員、淳の病魔を知ってる素振りで口々にどんどん淳を責め立てる。

「お前、蠱毒虫だから同情引くために五龍神田様に拾ってもらったんだろ?」
「ていうか病気も嘘なんじゃね?金欲しくて言っちゃったとか?汚ねー奴」

 クラスメイトの話す声が大きくなっていき、クラス中がどんどん騒がしくなる。教室の端の席に座っている淳が何故急にこんな事になっているのか訳が分からない。終いには白鬼を見てあれだけ怯えた校長が教室に現れ、白鬼の妻になる予定の淳に対して指を差して大声を上げる。

「今まで散々この学校に迷惑をかけ、他の生徒の邪魔になっているのがまだ分からないのか!!」

 普通に考えれば白鬼の耳に入ればこの学校ごと吹き飛ぶ可能性を持っているにも関わらず、何故か皆、お構い無しに淳を罵倒していく。
 困惑している淳があることに気付く。

 全員、目の色が左右違う。

 クラスメイトの目の色なんて今までしっかりと見たことは無いが、教室内にいる全員が片方の目の色が違うなんて違和感でしか無い。世の中虹彩異色を持つ者もいるだろうが、教室内全員その症状なんてあり得ない。

「この前のお返ししてあげるよ」

 よく聞くその声、野狐のかん子がまたしても人差し指と中指にお札を挟んで淳に攻撃しようとしていたが、かん子の目の色は毎日苛められていたせいで覚えていた。

 濃褐色の縦長の瞳孔。

 しかしかん子の左目は赤みのかかった茶色に変化している。

 この色は……!

 見覚えがあった。あの人と同じ色。虹彩異色の持ち主、赤みのかかった茶色の瞳の色は宝生志紅。

「くらえ!夜蜘蛛!」

 お札から青白い炎が出るのは知っていた。前回は発作のせいで逃げられなかったが今回は違う。呪文を言い終わる前に逃げる体制をとっていたお陰でかん子の異能を受ける前に床に倒れ、攻撃を受けることは無かったが淳の後ろにあった掃除用具入れのロッカーが炎で熔けていた。

 かん子の異能は幻影の筈だったのに危害が出る異能に変わっている。ロッカーが溶ける程の攻撃を受けるとそのまま座っていたら淳の命も脅かす所だった。

 逃げなきゃ……殺される

 異様なクラスメイトの雰囲気に淳はカバンを持って廊下を走って玄関に向かう。しかし数人の生徒がおぞましい顔をしながら淳を追いかけてきた。その中にはかん子や、かん子といつもつるんでいる人間の男子二人もいる。
 靴を履く余裕すら無く、靴下のまま校舎を飛び出て逃げる。足はそこまで遅くない淳だが「待てー!」と、追いかけてくるクラスメイトに恐怖で思うように足が動かない。

 でも分かる。
 捕まったら殺されるかもしれない。

 とにかく必死に走り、いつもの様子じゃない彼女達から逃げ切る事に成功するが、只でさえ病魔に侵されている淳にとっては自分の命が今ので更に短くなった感覚がした。

 荒い呼吸に、息苦しい身体。ビルとビルの間に隠れた淳は力無く座る。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 胸元を押さえて呼吸を整えるが、恐怖と全力疾走したせいで全く息が落ち着かない。しかし頭の中は少し冷静にさっきまでの状況を思い出す。

 これは志紅様の異能なのね

 赤鬼、志紅の異能は人の心を操るタチの悪いものだった。強いあやかしには効果は無いが、人間や力の弱いあやかしには志紅の思うがままに洗脳させ、行動を起こさせる。

 死ねと彼女に言われたら、お望みのままにと命すらも奪える恐ろしい異能。

 恐らく学校にいた者全員、白鬼を騙した淳を攻撃せよと命令されたのだろう。そして更に厄介なのが、命令された側は記憶が無い。それに伴って起こした行動も覚えていないことだった。
 志紅は本気で淳を殺めようとしている理由は意中の五龍神田泉澄が夜蜘蛛の淳を愛している状況を消し去る為。淳が死ねば、また婚約が存続になるだろうと考えていた志紅。淳はその思考に少しだけ気持ちが分かる気がした。

 淳にとって、白鬼の泉澄はあやかしの頂点という肩書きではなく、彼の人柄に自分も魅了されてしまったから。

 最も志紅はそんな理由だけでは無い。彼の容姿、彼の異能、家柄、あやかしの頂点、全てに置いて喉から手が出るほど欲しいのは実は宝生家だけでは無い。
 だけど例え泉澄が人間だろうと容姿に欠点があろうと、私はきっと彼に惹かれたと思う。それだけは自信を持って言える。

「……負けたくない」

 呼吸が落ち着き、固い決意を心に決める。
 願うば、病魔が消えて余命宣告も無くなり、彼の隣で生きていくことを望みたい。それが叶わないならせめて、私の命が尽きるまでは志紅様に取られたくない、負けたくない。

 泉澄様の本物が、夜蜘蛛の私だったと思い出の一部になるその日まで。


「ふぅ~ん。逃げ足は早いの。ま、夜蜘蛛なんて命懸けて逃走する忌み嫌われの種族ですものね」

 淳が通う学校の屋上から、先ほどの状況を見ていた志紅がクスクスとワインレッドの色をした唇で笑いながら呟く。

「あぁ、五龍神田様の祈祷が天に捧げているのを感じますわ。その力強い祈りと情炎で、私の身体を燃やして欲しい」


 泉澄が大きな神社の本殿で汗をかきながら祝詞を唱え、ある儀式を行っていた。様々な種類の祈祷の中、今日は燃え盛る火を起こしながら神の御加護を願う。
 今日だけは淳の事を忘れ、何十年と続けてきた儀式を白い紙が棒につけられている大麻(おおぬさ)を持って大きく振りかざす。その際に悪い気が乗り移らないよう音を立てず、慎重にかつ大胆に動作を何度も繰り返す。

 五龍神田家は数少ない有数の神聖な神社の一つだった。五龍神田の紋章が入った神社の周りは強力な結界が施されており、邪気一つも入り込めない。
 父親も同じく神職であり、泉澄が産まれた時から祈りを捧げる父の姿を見て育ち、自分もいつしか父の様になりたいと憧れと尊敬を抱いてついた神職。
 白鬼の父親は、並外れたある悪霊を何百年と閉じ込めていた立ち入り禁止の祠を、浅はかな人間が好奇心で足を踏み入れてしまいその人間に取り憑いた悪霊を祓うため、死闘の末に命を落とした。悪霊は無事に祓えたが全ての力を使い果たし、自分の為に命まで懸けてくれた神職の償いの為に、その人間の持っている財産を惜しみなく援助すると約束したきっかけで五龍神田家は神社とホテル経営の二足のわらじで財を潤わせていた。
 泉澄の母親は人間だが母の家系が同じく神社であり、五龍神田の神社と縁も深い事から婚姻が成立した。本物では無かった母だが、夫婦の仲は特に問題は無く関係は良好であった。
 そして両親が居なくなった泉澄は一人で五龍神田家を背負い、父に恥じぬよう特級の神職の立場を全うして祈りを捧げる。

 暗い狭いビルの隙間から、泉澄の力強い祈りを淳でも感じる様になった。
 さっきまでの暗い気持ちが晴れ、心が暖かくなりそして希望に満ちていくような幸せの感情。泉澄が全身全霊祈りを捧げているのを遠くにいる淳も、左右の手を組み同じく神に祈りを捧げる。

 どうか、皆が平和で穏やかな日々を過ごせます様にと。

 泉澄と淳の願いが天に届いたのかその日の夜は、空気がとても澄んでいた。