学校までの空いた時間、泉澄とある部屋に入ると、大きなハンガーラックに百近くのある数の新品の衣類。着ている洋服がみすぼらしい淳の為に用意された物だった。
 衣類の他にも、スニーカーからパンプスまで沢山の種類の靴。様々な形をしたバック類がキラキラと光って並んでいる。

「全てお前のものだ。気に食わないのがあるなら破棄して構わない」

 長い足を組み、一人掛けのリラックスチェアに座って淳を見つめるその姿は、王者の風格を表すかのような威圧的存在。彼のグレーの色をした瞳からは誰も逃げられない。そしてこんなに沢山のプレゼントを前に、淳の反応はやはり遠慮がちだった。

「……嬉しいですが、組み合わせも分かりませんし、私にTシャツとズボンがあれば、それで……」
「気にせず受け取ってくれ。お前の誕生日プレゼントも兼ねているのだ」

 あと数日で誕生日を迎える淳は十八になり、正式に婚姻出来る年齢になる。淳の中にとって、正直自分の誕生日なんて全く意識をしていなかった。プレゼントを貰った事が無く、お祝い事もされたことも無い淳にはそれが当たり前のせいで「誕生日プレゼント」のフレーズに、逆に違和感を覚える程だった。

「お前がこの世に産まれてくれたことに感謝する。しかし、本番はまだ少し先だからこのくらいで止めておこう」

 産まれてくれたことに感謝

 今まで生きてきてそんな言葉を言われるなんて、誰が想像出来たか。

 夜蜘蛛の立場として産まれた淳の生い立ちは、泉澄が調査をした報告の内容よりも遥かに壮絶なのは確かだ。心の傷は自分以外、誰にも分からないのだから。

 ズラリと並んだ衣類には糸もほつれず、染み一つ無いだけで嬉しくて泣いてしまいそうになる。

「じゃあ今日は俺が選んでやる。今日は体育はあるのか?無いならこれが良いか?夜は少し冷え込んできたことだし……」

 泉澄は座っていた椅子から立ち上がり、今日の淳の服装を真剣に選び始める。正直並ぶ衣類全て高そうに見えてしまい、万が一汚してしまったらと不安にもなってしまうが、きっと彼なら怒らない。彼が選ぶ姿の横で、ソッと一緒に並んで流れるこの幸せな時間を噛み締める。



「さぁ行こう、学校なんて何十年ぶりか」

 正直この時の意味は分かっていなかった。私が登校するのを見届けてくれるものだとばかり思っていた。


「ご、五龍神田様!?何故、こんな場所に!?」
「お茶!いや!一先ず来客室に!」

 淳の学校の門に一台の白の高級車。黒いスーツを着ている泰生が運転をし、後部座席から降りてくるあやかしの頂点白鬼の突然の登場に、学校の警備員と教師が慌てふためく。人間と言えども五龍神田の一族に名を知らない者は居ない。
 泉澄はわざとに霊気をふんだんに放ち、混乱する教師達を無視して校舎に入っていく。近付いてくる異次元の大物の気配に、教室にいた数人のあやかしの生徒達は恐怖で震えが止まらなかった。

 特に震えが止まらないのは野狐のかん子。

「この霊気……」
「どうしたかん子?寒いか?」
「風邪か?」

 淳を虐めていた三人組が、教室の隅でかん子の異常な脅えに、人間の男子二人もただらなぬ雰囲気を感じていた。

 ──ガラガラ

 引戸のドアを開けるとクラス中の人々が一斉に時が止まる。

「淳の席はここだな。匂いでわかる」
「そんなに臭いですか?」
「夜蜘蛛の匂いは俺にとっては媚薬だよ」

 白鬼の泉澄と、夜蜘蛛の淳が寄り添って並ぶ姿に皆開いた口が塞がらない。数日前まで薄汚い姿で俯きながら教室に入る淳とはうって変わり、使用人にブローされたサラサラの髪の毛に、着ているカシミヤの白のシャツには高級ブランドのワンポイントが印されていた。

「こんなの着れません!」
「着ないという選択肢があると思うか?」

 数時間前にこんなやり取りが繰り返し、根負けした淳が一ヶ月のバイト代くらいある金額の全身コーデで身を包み、淳の隣には学校の校舎が霊気で押し潰される程の力を放つ白鬼の泉澄が立っている。

 クラスメイト全員全く理解出来ず、急遽呼び出された校長と教頭が慌てて淳の教室に飛び込んで来る始末。

「お初にお目にかかります……校長の猿島と申します。あ、あの我が校にどの様な……」
「我が妻の様子を見に来ただけだ。騒ぐな、消えろ」


「「「つ、つま!!?」」」


 ほぼ全員が口を揃えたかもしれない。その直後に静まり返る教室内に、気まずくなる淳。学校に行く許可を貰えたと思ったが、まさか同席するなんて思いもよらず。

「あの~ワタクシ細蟹さんとはいつも仲良くしております。田中と申します」

 淳以外に愛想の良いおばさんが、声を一オクターブ上げて話しかけてくる。……仲良くなんて、私の事を見ただけで不愉快な顔をして、机を蹴っ飛ばすくせにと思わず表情に出してしまう。

「………」
「五龍神田様?あの?」

 淳の表情から事情を察知した泉澄は、すり寄ってくる田中のおばさんを睨み、そして苦虫を噛み潰したように口を開く。

「何処の田中か知らないが、お前の住んでいる地区だけ天災を起こしてやろうか」
「ひっ……」

 その激昂している姿におばさんが腰を抜かし、教室から逃げる様に出て行ってしまう。その後、田中のおばさんは二度学校には現れなかった。
 この一瞬の出来事から誰も泉澄に話しかけることは出来ないと悟るが、凛々しいその佇まい、人間からかけ離れた美し過ぎる容姿に惚れ惚れする者。言葉一つで命の危険に触れる可能性があると気付く者と別れていた。

 後者に気付いているのは野狐のかん子だ。我が妻と泉澄が発言したと言うことは、あやかし底辺の夜蜘蛛を虐めていたかん子にとっては生きた心地がしない。媚や猫なで声は通用しない事は田中のおばさんで理解した。かん子は自分の存在を必死に隠し、事が過ぎるのを脅えて耐えていた。

 しかし泉澄は直ぐにかん子と男子二人に目線を変える。

「そこの愚かな野狐と人間二人。淳をたいそう可愛がっていたそうだな」

 この発言には淳もビックリしてしまう。学校で虐められていたなんて一言も話していない。まして、個人の情報なんて持っての他だ。それなのに泉澄は、虐めの主犯格の野狐と人間二人を知っている素振りだった。

「道具を使わないと火を起こすのも出来ない低能め。本物の炎を見せてやろうか」

 泉澄の背後から白い靄が見えたと思った瞬間、それは青白い炎へと変わる。まるで燃えている様に見える背中からはどんどん火力が大きくなり、教室内は淳と泉澄以外熱で溶けそうになる程の熱風に包まれる。

「か、かん子!!お前も何か出せよ!お前あやかしだろうがっ!」

 白鬼の怖さを知らない、人間の取り巻きの一人の男子がかん子を対抗させようとあまりの熱さで声を荒げるが、かん子は桁違いの異能の力に意識が飛ばない様にするだけで精一杯だった。既に数人の生徒、校長は泉澄の異能の力に気を失い、教室の気温はサウナ以上にどんどん上昇していく。


「……駄目」

 聞こえた淳の小さな声。
 その言葉の後に、教室内を燃えていた青白い炎は、跡形もなく一瞬で消えた。

「淳、どうして止めた」

 異能の力は止まったものの、まだ怒りが治まらない泉澄はまだ少し興奮している。

「私はこんな事を望んでません」