「お前の病は空狐(くうこ)のおばばから聞いた。あのデカイ総合病院に奇妙な老婆を見なかったか?」

 泉澄の言われた言葉に、初めて行った病院で不思議な現象が起こったことを思い出す。そして確かにいた、綺麗な着物を着た瞳が朱色で、瞳孔が縦長のお婆さん。

「いま……した」
「あのおばば、あの病院の院長だよ。あぁ見えて医師なんだ。まぁ、けっこうな高齢だから最近は頭のネジが何処かおかしい孫の見張り役をしてる。ちなみに淳に軽視な発言をした医師が、おばばの孫だ」

 淳を診てくれたあの時の医師。まるで悪気も無く、淳の余命を流すように告げ、淳が死ぬのを心待ちにしていたあの医師もあやかしだとは思っていたが、空狐の孫とは到底思えない印象だったのを覚えている。


「空狐」

 狐のあやかしは、この世界では下から順番に野狐(やこ)気狐(きこ)空狐(くうこ)天狐(てんこ)の四種類が存在していた。基本的にこの世界で気狐のあやかしは多数存在し、あまり珍しいものではない。逆に天狐の存在は白鬼よりも劣るとはいえ、異能の力が強い鬼の種族達に引けを取らない立場であるが、百年以上その姿を表さない為消滅したという噂があり、実質空狐のおばばが狐のあやかしの頂点になっていた。同じ定時制に通い、淳を虐めた女性徒のかん子は野狐。狐のあやかし達は、異能の力が極めて低い野狐達を軽視する習慣がある。
 そんな狐のカースト制度があり、空狐は異能と知能が高いことでも知られているが、まさかあのお婆さんが空狐だと聞かされ淳は驚きを隠せない。

「お前の病気のことは聞いてる。余命のこともだ。それでもいいんだ、それでも俺の妻になって欲しい」


 真っ直ぐな瞳。凛とした佇まい。
 願わくは、勘違いだったと切り捨てられる前にこの世を去りたかった。しかし、泉澄の言葉は淳の想いとは異なっている。


 それは喜ばしいことなのか


 残り少ない命の灯火を彼に預けても、その結果に双方のメリットは思い浮かばず、ただただ迷惑をかけるのではないのかと淳は悲観的に考える。
 幼少期から受けた周りからの酷い扱いに、自分に自信が持てないのは仕方のないこと。淳が仮に「本物」と呼ばれる存在だったしても、その向けられる情は果たして本当に愛なのか。

 ベンチに座っていた淳が立ち上がり、そして泉澄に対して自分の気持ちを素直に答える。

「──私には、五龍神田様が聞いた通り、生きる時間はあまり残されておりません。どうか別の方を選び、お引き取りください」


 深々と頭を下げ、それは嘘偽りない言葉だった。

 夜蜘蛛であること
 病魔に侵され、余命宣告を受けていること
 自分なんかより、もっと素敵な人が必ずいるということ

 断る理由が有りすぎて、頭を下げているこの時間さえも、泉澄の大切な時間を奪っているようで申し訳なく思う。

「……お前と遭逢(そうほう)し、お前を知らない過去に戻る気は無いよ」


 淳の下げていた頭を泉澄の両手が優しく顔を上げさせ、今までで一番の至近距離。泉澄の表情は、それはまるで、胸が苦しくなる程の様々な感情が入り交じっていた。

「信じて欲しい、こんなに胸の高鳴る想いは生まれて初めてなんだ。俺の持てる全てを使ってお前を幸せにしたい」
「……でも」

 淳には次に話す言葉が見つからなかった。それは泉澄の声、泉澄の表情が本気と思い始め、そして淳の手をしっかりと握る泉澄の溶けてしまいそうな熱い手の温度。
 手を繋ぐことを夢見てたあの頃、相手の温もりを感じるのはどんな感じなのかなと、寝る前に自分の小さな指を組ながら眠った記憶。


 あの頃の私に伝えてあげたい
 とっても暖かいよ、と


 暖かい手の温もりを感じた次の瞬間、膝に力が入らずガクッと膝折れして地面に座り込む。いつもの発作が始まろうとしていた。

 ……こんな時にっ 

「泰生っ!!」
「はい」

 泉澄は優しく淳の上半身を支え、泰生は淳の胸の辺りに先ほどと同じく、手から暖かい光を出していく。それは数分間に及んだ。

「……あれ?足が動く」
「……良かった、流石に蠱毒虫の動きは止められた様です」

 いつもは発作が起きたら動かなくなる身体も、泰生の暖かい光のお陰で発作が止まってしまった。座り込んでしまった足が、発作前と同じく正常に動いている。

「泰生は治癒の力があるんだ。骨折すらも治せる高度な異能があるから、淳の病魔も消滅するかと思ったんだが」
「私の力では薬を飲んだのと同じくらいの効果です。お役に立てなくて申し訳ありません」

 謝る泰生に対して、一瞬で発作を止めてくれたその力に思わず淳は興奮してしまう。

「す、凄いですね!こんな異能もあるんですね!凄すぎますね!!」

 スッと立てる喜びと泰生の異能を目の当たりにして、興奮しながら淳の細い太ももを両手でパンパンと何度もリズム良く叩き、泰生にお礼を言う。

「ありがとうございます!私なんかに力を使用して頂いて。」

「……泰生、俺は生まれて初めてお前の事を心底妬ましいと思ったぞ」
「なっ!止めて下さいね!泉澄様の力って、本気で死にそうになるんですから!!」

 男二人の会話は淳には聞こえておらず、発作が止まった余韻で笑顔が少し残る淳は首を傾げている。

「可愛いなぁ、淳は」
「はい、今ので良く理解しました」
「死ぬ前に何か言うことはあるか?」
「……!?」

 
 泉澄の霊気が一瞬で高まり、たまたま道を歩いていた何処かのあやかしが気を失って倒れた。

「止めましょう、泉澄様。死人が出ます」
「ふんっ」
「しかし、世界に被害が出る泉澄様の霊気に目の前にいるにも関わらず、淳様には変化が無いのも不思議ですね」

 この言葉は淳にもハッキリと聞こえ、そしてその答えは淳も分かる訳が無い。

「…夜蜘蛛ですが、血が薄いからでしょうか」
「いや、いくら遠い先祖とはいえ、あやかしの血が流れている限り我々は人間にはなれないからな」

 あやかしと呼ばれる淳や泉澄達の種族は妻や夫が人間でも珍しい話では無いが、種族が違う為に子を宿すのは稀であった。稀に産まれたその子はあやかしとして暮らしていくが、やはり何かしらの異能があり、人間の寿命が平均が八十年だとするならば、あやかし達の寿命の平均は百五十年とされ、泉澄や泰生の強い異能を持つあやかし達は、寿命も長く二百年以上も生きると言われている。
 たまたま夜蜘蛛には多胎児を産む特質があったが、過去の昔話通り、夜蜘蛛の殲滅命令によって逃げ切った夜蜘蛛のあやかしが幾度繰り返される人間との交配によってその特質は失われ、血は薄くとも夜蜘蛛の最後の末裔かもしれない淳。


「ただ、夜蜘蛛のあやかしは歴史書通り異質なんだ。元々人を惑わす匂いの特性が、今では不快な匂いに変化し、その匂いを嗅いだ者が洗脳されたかの様に嫌悪感になるのも解明されていない」

 血は薄くとも、夜蜘蛛の特性が変化しつつも消えないという事実。

「ま、俺の力を受け止める器が淳に備わってるからだな!流石本物だ!」
「どんな理由でも、そこに結び付けたいのが見え見えですよ、泉澄様」

 呆れたように泰生が話す。淳が何故、神を怒らせるくらいの力を持つ泉澄の霊気を見ても、異変が何故無いのか結局分からないまま。


「よし!淳。最初の目的を忘れる所だった。これから俺の家で一緒に住もう」
「え!?」