夜に蜘蛛が出たら災いと不幸がもたらす為、必ず殺せという言い伝えが古くから伝えられてきた。迷信とは言え、大勢もの人々が不安や恐れに同じ台詞を言い続けると、ただの迷信が「本物」へと姿を変えてしまう。

 言霊は(いにしえ)から存在した。

 夜蜘蛛(よぐも)のあやかしが言霊によって誕生したのは、奇跡でも偶然でもない。

 老若男女を取り込んでしまう端正な顔立ち。指先から見えそうで見えない糸で獲物を狙い、捕まえた獲物の命を吸って生きてきた夜蜘蛛のあやかしは一度の出産で五人以上も子を産む為、至るところに夜蜘蛛が出没しては人間達を恐怖に陥れた。

 しかし、このままではいけないと人間達が一致団結し、夜蜘蛛を殲滅する為一人、また一人と夜蜘蛛のあやかしを見つけては命を殺めていく。
 いくら異能も無い人間相手でも多勢に無勢で勝てる訳もなく、必死に逃げて生きてきた彼女達。その数は次第に減っていくが、隠れる様に生きていたある夜蜘蛛にたまたま出くわした人間が、その美貌に取り憑かれ、そして夜蜘蛛と人間の子供が誕生した。
 多胎児で産まれたその子供達もまた、命を逃れる為に隠れるように生きていたが見つかっては幼子だろうと首をはねられ、命からがら生き延びた夜蜘蛛はまたしても、その端正な顔立ちに取り憑かれた人間との間に新たな子孫が産まれていく。
 人間との交配を繰り返した結果、夜蜘蛛の本来の異能は必然と消えていき、多胎児を産むこともなく姿形も人間そのもの。そして、ただただこの世界の身分の低い嫌われ者として、差別され続ける夜蜘蛛のあやかしの末裔が存在していた。

細蟹淳(ささがにじゅん)

 夜蜘蛛を見たら不幸になるという言い伝えだけが現代まで続き、世間からの嫌われ者として産まれた娘。
 体内に流れるあやかしの血はごく僅かにも関わらず、異能も無い、容姿も普通の淳の存在はここまで減少した夜蜘蛛の原因、歴史を捻じ曲げられた人間となあやかし達から疎まれ、年齢は十八を迎えようとしていた。昔と違い、例え夜蜘蛛のあやかしだろうと簡単に殺生してはいけないと、この世界で新しい法が制定されたものの淳が産まれた時から今の今まで平穏で過ごした日は一日も無い。
 また、淳の母親もこの世界で忌み嫌われ、淳と同様世間からの差別に精神を病み酒に溺れ、生活が荒れる毎日。純粋な人間の父親はそんな酒に溺れる母親に愛想をつかし、淳が小さい頃に家を出たきり戻って来なかった。

 誰からも愛された記憶も無い。抱き締められたことも無い。指先から糸を出されるかもと言われ、誰かと手を繋いで歩いたことも無い。痩せ細った長い黒髪に、平均より小さな背丈。生まれつきの肌の白さのせいで、青白く見える顔色。小さな鼻に小さな唇。そんな淳の容姿を馬鹿にする世間の声は当たり前。実母でさえ淳に対して八つ当たりをするのは日常茶飯事。

「お前なんて産まなきゃ良かった。お前を産んだからあの人が出ていったんだ。お前が私の前から消えてくれたら良かったのに。死ね、今すぐその首を掻き切って死ね」

 口からアルコールの匂いを放ち、記憶があろうが無かろうが、母親の言葉に傷つくのは慣れてしまった。
 抵抗なんてしない。ただ罵倒される時間を淳はそっと目を閉じて堪え忍ぶ。

 転がるアルコールの缶やらビン、脱ぎ捨てられた服に食い散らかしたコンビニ弁当のゴミが山ほど転がっている。片付けても怒られ、片付けなくても精神が不安定な母親に怒られる。
 貧乏なのは知っているし、国の行政から助けを求めないと生活出来ないのもわかっている。罵声罵倒を浴びせてくる母親もまた、彼女と同じように差別をされて生きてきた人種なのだ。淳は責めることなんて出来ないし、憎むこともしない。
 

 指先からは何も出ない。
 人を魅了する容姿も持っていない。

 こんなにも人間に近い彼女達が何故夜蜘蛛のあやかしとバレてしまうのか。
 夜に蜘蛛を見たら不吉というその言葉、彼女達の姿はどんな人からも本能的に嫌悪感に包まれるらしい。そして人間には感じないが、「夜蜘蛛から、人を誘引する独特な匂いがある」と、あやかしの種族から軽蔑する目で毛嫌いされたことがある。

「何もしていないのに目が合うだけで殺したくなるとか、自分では気付かない匂いとか、どうしろって言うのよ!!」

 淳の母親が荒れる原因の一つであり、泣き叫ぶ母親の姿を何度も見てきた。
 勿論淳も母親同様、同じような言葉を周りから沢山浴びせられてきたが、彼女のように悲痛の叫び等しない。ただその苦痛な時間が過ぎるのをジッと待つだけ。

 夜蜘蛛のあやかしとして産まれてしまった自分達の運命を素直に受け入れるしかない。
 しかしそんな日々でも夢を見てしまう。


「いつか私にも愛される日が来るのだろうか」

 ボロボロのカーテンの隙間から見えるオレンジ色に光る欠けた月、窓からぶら下がる小さな蜘蛛と一緒に、月を見ながら叶わない願いを込めて、誰にも見られない涙を一粒溢す。